表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
たまゆらのかたへ  ~ 和歌のひとひら  作者: くろっこ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

13/16

13 心あてに 枕許の約束の帖

「まだ起きていたのか?」

 朔臣の顔にははっきりと疲れが滲んでいる。一睡もしていないのだろう。

「私たちは寝て起きたところです」

「そうです。今、厠へ行くところで・・」

 私の言葉に千紗が続いた。

「そうか、もうそのような時間か」

 そのような時間と言っても、トイレは何時にだって行ける。でも、明け方に目が覚めて行くものだと考えれば、それは揚げ足取りで、今指摘することではない。


「起きていたのは朔臣さんの方でしょう?」

「情けない姿を見せてしまった」

「出発までの残り少ない時間、一緒にいたい気持ちはわかりますけれど、日が昇れば出発ですよね。少しでもいいので休んだ方がいいと思います」

「でも、一緒にいられる時間は今しかないんだ」

「眠ると夢の中で話せると聞きます。夕瑶さんが何か伝えたくても、朔臣さんが眠らないせいで伝えられなくて困っているかもしれません」

「そうか。では、少し休むことにする」

 寝るのか。私が何を言っても起きているかと思ったのに、素直に受け入れてくれて拍子抜けした。まるで「早く寝ないとサンタクロースがプレゼントを持って来ないよ」と言われた子供のようだ。夕瑶さんが亡くなったことだけでなく、夕瑶さんが何も話しかけてくれないことも寂しかったのかもしれない。話せるなら寝ると。



 トイレに行った後は二度寝した。貴族の屋敷を歩き回れないし、部屋の調度品を見ても、骨董品の趣味がない私にはわからない。寝るしかないのだ。



「香澄さん・・」

 朝食か? でも、侍女は「小学生様」と言っていたから、名前は呼ばないし、千紗は敬称をつけない。だが、呼ばれているからには無視しない。声がした方を見る。

「香澄さん」

「夕瑶さん!」

 夕瑶さんは、この世にはいない。だから、声がしても夕瑶さんという選択肢は外していたのだ。朔臣さんの夢ではなく、私の夢に出て来たのか。

「いろいろとありがとう」

「こちらこそ、お料理とか湯浴みとか特別なことの連続で、お礼を言いたかったです」

「喜んでもらえて何よりだわ。それはさておき、香澄さんに1つお詫びをしなければならないの」

「お詫びをされることなどありませんよ」

「婚儀で和歌を詠んでもらう約束を叶えられなかったこと」

「あっ・・」

 それか。忘れていたとは言いにくい。

「朔臣さんと一緒に和歌について教えられなかったことが心残りで・・」

 あぁ、私である必要はなく、朔臣さんと共同作業をしたかっただけかな。

「香澄さんは教養があるし、私よりも上の姫君よね? 和歌を詠めないと困ると思うの」

 あれ? 口には出さなかったけれど、夕瑶さんも私を貴族だと思っていたのか。それで、和歌が詠めない私を心配してくれているのか。

「お気持ちだけで嬉しいです。和歌は最近何かと接する機会が増えていますから、詠めるようになると思います」

「そう。それなら安心だわ」

 えっ、本当にそれだけのために夢に? 和歌の心配が強いと私の感謝が弱まるかもしれない。もう一度お礼を伝えよう。

「夕瑶さんとは、今日初めて会いましたが、お世話になりました。本当に本当に感謝しています! 朔臣さんがずっと悲しんでいますから、何か言ってあげて下さい」

「ふふ。ありがとう」

 「ふふ」とは何だろう? 子供が大人の心配をしたのがおかしかったかな。ただ、ここでは大人であっても、現代の日本であれば未成年だろう。上京を告げられない男、一方的に別れを疑う女、つまり、大切なことを話し合えない男女。それは子供以外の何ものでもない。

 30代、40代でも話せない恋人や夫婦がいる? そのようなことは知らない。大切なことすら話し合えずにこじらせるような相手なら別れてしまえと思う。現実はいろいろな事情があるんだよ? それは新たな一歩を踏み出すのが怖い人の言い訳だ。幸せになりたいなら自分から踏み出さなければならない。


 夕瑶さんが去り、目が覚めた。千紗は寝ているかなと見たら、目が合って驚いた。私が夢を見ている間、千紗に見られていたのか。

「千紗、なぜ起きてるの? 眠れないの?」

「香澄が夢を見ている頃かなと思って・・」

「うん、夕瑶さんが夢に出て来て、和歌を教えたかったって。あと、泊まらせてくれたことのお礼を伝えられて良かった」

「そう。それは良かったね」

「千紗の夢の中には出て来た?」

「出て来ないよ。千紗は千紗だから」

 そうか。千紗は千紗だ。起きていたから夢を見なかったのではない。千紗は『こひのいとま』の登場人物にとって超越的な存在で、夢で知らせることはないのかもしれない。



「小学生様、おはようございます。朝餉の支度が整いました。殿がご一緒にと仰せです」

 着替えを終えていた私たちは侍女に従って、夕食をした部屋へと向かう。

 殿というのは、朔臣さんだ。私は、朔臣さんが今日に備えて休むように夕瑶さんをだしにして寝かせてしまった。「夢で会えなかった。起きていれば良かった」と言われても困る。思いが強ければ夢を見る可能性が高くなるが、思いが強ければ必ず夢を見られるとは限らない。「朝食を一緒に」というのが文句を言うためだったら・・。いや、子供に文句を言う大人などいないだろう。見られなかったら、「見られなかったよ」で終わりだ。


 侍女が障子を開けてくれた。すると、神妙な面持ちの朔臣さんが膳の前に座っていた。見られたのか見られなかったのかどちらなんだ。それ以前に私は貴族を待たせてしまったのか。

「おはようございます」

 声を揃えるつもりはなかったのに千紗と声が揃った。

「おはようございます」

 えっ? 昨日までの朔臣さんなら「おはよう」のはず。なぜ子供である私に敬語を使うのだろうか。

「敬語は使わなくていいです」

「いいえ、夢で夕瑶さんが『香澄様は高位の貴族に違いない』と言っていました。考えてみれば、いい香りがしたり、蜂蜜の知識があったり、箸の使い方が上手だったりしました」

「普通の小学生ですから、敬語はやめて下さい」

「小学生様?」

「小学生に様は付けなくていいです」

 朔臣さんまで侍女と同じように小学生様と呼び始めるのか。

「いえ、私よりも年下であろうと高貴なお方です。それに、夢で逢えたのも小学生様のおかげです」

「あっ、会えたのですね。良かったです。私の夢にも現れてくれ、朔臣さんに何か言って欲しいと申し上げました」

「夕瑶さんが小学生様の夢にも? どのように話していましたか?」

「婚儀で和歌を詠んでもらえなかったことを詫びられました。私が高位の貴族なのに和歌を詠めないから、朔臣さんと一緒に教えたかったと。それで、最近は和歌に接する機会が多いのでと伝えましたら、安心していらっしゃいました」

「私には、『香澄様は高貴な方。香澄様のおかげで文筥を託せて悔いはない。前を向いて歩んで。ずっと見守っている。また夢で逢えたら、笑って欲しい』と」

 そうか。会えたのか。私を高位な貴族と聞いたから、失礼なことをしてしまったと思って、あの顔だったのか。会えた? 婚約者だから逢えたと言うべきか。

「では、それを指針に生きればいいですね」

「はい。さあ、冷めないうちに朝餉をいただきましょう」


 膳の上に並ぶのは、ご飯、青菜の吸い物、焼きあじ、大根と人参の煮物、煮豆、浅漬け大根。米の精米が甘いのを除けば、現代日本の朝食と遜色がない。と言うか、夏灯家の朝食よりも豪華だ。「いただきます」の後に感謝していただく。

 あれ? 昨晩と違って、朔臣さんと私のおかずが同じだ。私を小学生と呼ぶ侍女が女房に何かを伝えたのだろう。



 朝食を終えて食休みをした頃合いに女房が来た。

「殿の上京の出立の支度が整ったそうです」

 これはもう少し早く来ていたけれど、食休みの時間をくれたのだろう。

 千紗と私が残っている意味がないから、千紗に目配せして、朔臣と共に屋敷を出ることにした。


 玄関の扉が開くと、朔臣の従者の他に、昨日、香澄と千紗に雪平餅をくれた園丁が立っていた。園丁の顔は赤らみ、額に汗をにじませている。姫君の婚約者である朔臣を屋敷の人全員で送り出すのかと香澄は思った。しかし、園丁は香澄の姿を見た途端、両手を腹部で重ねて深々とお辞儀をした。

「このたびは誠に申し訳ございませんでした。ご身分を伺わずに掃除を命じてしまい、ご気分を損ねてはと存じ、心よりお詫び申し上げます」

 夕瑶さんの庭に無断で入り込み、夕瑶さんと朔臣さんが和歌を詠む場にいたのは私だ。人払いをされても仕方ない。むしろ気まずい場所から離れる口実を与えてくれたことに感謝したい。

「いいえ、気にしないで下さい。私の身分は高くありませんし、手水鉢や蹲踞の掃除などしたことがありませんでしたから、楽しかったです」

 園丁の顔が一瞬、驚きと戸惑いで固まる。身分は高くないというのは謙譲だ。普段は掃除を命じられないから経験がなかったのだと。しかし、機嫌を損ねていないのであれば良しとも思える。ただ、本人が良くても親がどう感じるかはわからない。

「恐れ入ります。そのようにおっしゃっていただけるとは畏れ多いです。以後、ご身分を伺い、相応の処置をとらせていただきます」

 千紗が小さく息を漏らし、香澄の袖を引いた。香澄は肩をすくめてどうすれば真意が伝わるのだろうと思いつつ、庭を見回した。夕顔、手水鉢、蹲踞・・。どれもずっと眺めていたいような静かに引き込まれる美しさがある。これが趣があるというものだと感じる。

「恐縮しないで下さい。本当に楽しかったのですから」

 香澄の声には余所行きの敬意はなく、素直な喜びが混じっていた。園丁はその言葉にさらに頭を下げた。


「それよりも、ドクゼリの処分をお願いします。あのようなものが増えたら大変ですから」

「かしこまりました。根より掘り上げ、焼却して廃棄します。また、今後も点検して二度と誰も触れないようにします」

「あなたも気を付けて下さいね」

「はい。温かいお気遣いをありがとうございます」



 玄関先から門へ続く石畳の脇に馬が待機している。その隣にいるのは朔臣の従者だ。香澄は、馬に乗る朔臣を徹夜させないで良かったと思った。

 朔臣は香澄と千紗の迎えがないのを疑問に思った。

「小学生様の従者は、まだ見えないのですか?」

 「小学生様」は、まだ続くのか。

「私たちは、もう少し周囲を見て回りますので・・」

 千紗が返事をした。


 朔臣は一度馬に向かい、思い出したかのように戻って来て。紙に何かを書いた。

「小学生様、もし和歌などの件で必要でしたらここにお知らせ下さい。高位だから近付きたいのではありません。夕瑶さんが教えられなかったことを憂えていたからです」

 香澄は両手で紙を受け取り、礼をして答えた。

「ありがとうございます」

 香澄は「その時には夕瑶さんの思い出話を聞かせて下さい」と言おうとしたが、やめた。いつまでも思い続けているとは限らない。新たな女性がいる時に思い出させてはならない。


 朔臣と香澄の会話が一段落したところで女房が口を開く。

「小学生様、長旅になられるようでしたら、どうぞお身体をお大事に」

「はい。ありがとうございます」

「殿、上京の御用、無事成功されますように」

「必ず無事に務めを果たして参ります。夕瑶さんの婚約者として恥じないように致します」

 

 挨拶の後、門へ向かう。香澄は、朔臣と同じ方へ行くと、馬をゆっくりと走らせるのか、それとも自分を高位の貴族だと勘違いしているから、馬に乗らずに歩くのかと心配し、朔臣と逆へ行こうと思った。そして、千紗に「あっちへ」と朔臣と従者の馬とは逆を指した。

 門から出ると、改めて女房が言う。

「小学生様、どうぞ、お気をつけて」

「はい、お世話になりました」

「朔臣殿、道中ご無事に」

「承知しました。行ってまいります」


 朔臣、香澄と千紗が別の方へ向かう。女房の視線は、香澄の背にしばし留まって礼の余韻を残した後に、朔臣へと向いた。両者の姿が小さくなってから門を閉めた。そして、戸口へ戻り、かんざしを抜いて胸元に忍ばせた。

「無用な飾りは致しません」

 自分に言い聞かせるようにつぶやいた。姫君の御両親へは朝一番で文を届けさせてある。来客の取り次ぎは若年の役を任せ、遺体の安置や通夜の手配など、やるべきことは山積みだ。姫君のいた日常も、姫君がいない悲しみも、簪と共に胸に仕舞った。



 夕瑶の屋敷を離れた香澄と千紗。

「これで『心あてに』は終わりだね。また次の物語で会おう」

「いや、終わりではないよ」

「えっ?」

「蜂蜜は貴重なものだと言っていたよね?」

「うん。都でも手に入れるのが難しい珍しいものだよ」

「夕瑶さんの屋敷にもないよね?」

「うん」

「蜂蜜を飲んだところで亡くならないわけではない。それはわかっているけれど、うちから持って来て、柚子生姜湯に入れてあげたいんだ。持って来られるかな?」

「持って来られるよ。やはり香澄は優しいね」

「優しいっていうのとは違う。やりたいことをやっているだけ」



 こうして香澄が戻って来ると、今度は2人が和歌を詠んでいる場面であり、いきなり「小学生様!」と大歓迎され、丁重にもてなされた。もちろん、手水鉢や蹲踞の掃除を命じられることもなかった。だが、やはり夕瑶が床に伏せる展開は変わらず、ドクゼリを確認後に蜂蜜の小瓶を渡した。蜂蜜を渡した時の驚きようと言ったら、それはそれは大変なものだった。

 その小瓶はフォション(FAUCHON)の紅茶と焼き菓子とミニジャムの詰め合わせの115gのジャムの瓶だ。何かに使えるかなと思って捨てずにいても、なかなか使い道がなくて夏灯家の台所の戸棚に放置されていた。


 夕食は、近所の子供用の鯉と鶏ではなく、貴族である朔臣と同じ鯛と雉になった。鯉より鯛は良いけれど、雉より鶏が良かったと思った香澄であった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ