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1 夢に見し

「たまゆら」は「はかない時間」という意味で、「かた」は方向・一片・形といった複数の解釈の余地を持たせるために平仮名表記にしました。また、伝わりやすくする意図で「和歌のひとひら」という副題を付けました。


古典が苦手な方も少なくないと思いますが、夏灯香澄と一緒に恋の和歌の世界を堪能して下さい。

「夢に見し その面影は まぼろしに まがふ心の 朝ぼらけかな」


 目覚める直前に聞こえた。何だろう。心がふわっとしたよ。


 私は年が離れたお姉ちゃんの影響で古典文学が好きだ。今は『今昔物語』を愛読している。

 サルと人間の知恵比べ(巻20)では、空腹の男が、サルが食べている木の実を横取りしようとするけれど、そのサルは賢くて上手に逃げる。最後に男は自分の行動を反省する。

 夜の寺の音(巻29)では、お坊さんが誰もいないはずの真夜中のお寺で変な音を聞く。勇気を出して調べたら、若い僧侶が木魚の練習をしていた。

 物知り坊さん(巻27)では、何でも知っているというお坊さんに言葉の意味を尋ねると、答えられずに沈黙した後、「それは深い意味がある」と誤魔化す。村人から「知らないなら知らないと言えばいいのに」と笑われると、赤面して「わしもまだまだじゃのう」と反省する。

 『今昔物語』は「今は昔」から始まる仏教・世俗・奇譚などの平安末期の説話集だと説明されると難しいけれど、クスっと笑える話、考えさせられたりする話と言われれば、垣根が低くなるだろう。ちなみに、各話に便宜上タイトルをつけている本もあるが、本来、タイトルはない。


 でも、古典文学が好きと言っても和歌はわからないんだよ。休み時間中に厚い事典を呼んで、いろいろなことを知っている里山辺さとやまべ夏渚かなちゃんでも和歌はわからないらしい。夏渚ちゃんが知らないことは私も知らなくていい。

 そう思っていたけれど、5年のクラス替えで初めて一緒になった梓川あずさがわやまとちゃんは和歌に詳しい。夏渚ちゃんはまんべんなく知っていて、倭ちゃんは和歌だけを深く知っている。



 初めて倭ちゃんと話したのは自己紹介の後の休み時間だ。倭ちゃんは和歌が好きと言っていたけれど、私は古典文学が好きだから、微妙に好きなものが違って、私からは話しかけなかった。

「おまえら、また同じクラスかよ。夏夏コンビが一緒だと熱いんだよ」

 「おかず」こと、小田おだ和吉かずきち君は、夏渚ちゃんによく絡んで来る面倒臭い男子だ。夏渚ちゃんと私が2人とも「夏」という文字が付くからか、夏渚ちゃんの近くにいると私まで絡まれる。

「熱いなら温度計でも体温計でもいいから測ってから言いなよ」

「熱いから熱いんだよ」

「はいはい、わかったわかった。熱いなら向こうへ行っていて」

「うるさいなぁ」

 おかずが去って行く。夏渚ちゃんは、幼稚園の頃からおかずと一緒だったからか、おかずの扱い方になれている。

「保健室は、そっちじゃないよ。熱があるか見てもらって来な!」

「うるさい!」

 毎回、このような調子なのに、懲りずに絡んで来る神経がわからない。


夏灯なつあかりさん、ちょっといい?」

「うん、いいよ」

 夏渚ちゃんがおかずを追い払った後に倭ちゃんが来た。

「夏灯さんの苗字は、おもむきがあっていいね」

「珍しいとは言われるけれど、趣があるというのは初めて言われた」

「夏灯は、和歌の世界では『なつび』と読まれて、行灯あんどん提灯ちょうちん、蛍の光のような幻想的な情緒を表現するんだよ。あと、遠くに揺れる灯りは『古今集』や『新古今集』では幽玄の美として詠まれるんだよ」

「ごめん。私は古典は好きだけれど、和歌には興味がないからよくわからないんだ」

「えっ、そうなの?」

 古典に和歌が含まれるから私も興味があると思ったのか。自己紹介では梓川倭ちゃんが「あ」で夏灯の「な」よりも先だったから、「私が好きなのは和歌ではありません」と言うこともできた。でも、それは倭ちゃんだけに言うことを全員の前で言うようなもので感じが悪いから言わなかった。

 残念そうだから、少し話しておこうかな。


「でもね、おじいちゃんは和歌が好きだよ。私の名前を考えたのも、おじいちゃんでね、香澄は、苗字と合わせて夏灯香澄で、夏霞に由来するんだって。霞という漢字は、夏灯と合わせると姓名判断で悪いらしくて、『かすみ』と読めるいろいろな漢字で三日三晩も画数を試して、香澄に決めたらしい。まぁ三日三晩というのは大袈裟に言っただけだと思うけれどね」

「夏霞? いいよ、それ! おじいさん、天才だよ。霞は春の季語で、昼間に使われるんだ。霞たなびくとか聞いたことあるよね。夜はおぼろと呼ばれるんだよ」

 盛り上がっていて、「ない」と言いにくい状況だ。夏渚ちゃんは隣で聞いているけれど、おかずと違って害はないから放置するつもりだろう。

「夏霞は、当然、夏の季語でね、一般的には気温や湿度の高さを連想させるから好まれないけれど、季語では、空気が赤く染まる夕景とか、蝉の声が遠くから届く光景とか、物憂げな風情、幽玄の象徴として好まれるんだよ」

「そうなんだ」

 小学生とは思えない説明だ。でも、小学生でも漢字検定や実用英語技能検定に挑戦する人もいるし、好きなことは大人並み、あるいは大人以上に詳しい人もいる。

「でね、景色が霞む様子は、見えそうで見えないものも象徴するから、恋心の揺らぎとか叶わぬ願いを詠むにもいいんだよ。例えば、こういう風に使う。

 『夏霞 山のあなたの 声かすみ そ彼時の 夢にまぎれし』

 遠くから聞こえるはずの声が夏霞でぼんやりとしていて、現実か夢かも判然としないという意味なんだ。たそがれは漢字で『黄昏』と書いても構わないけれどね、『誰そ彼』と書くのは、『誰か彼か?』という掛詞のような言葉の遊びなんだ。つまり、景色も時間も心も曖昧で、幻想的な余情がある」

「よく夏霞が出て来る和歌を知っていたね」

「違うよ。今、私が即興で考えたの」

「すごいね」

「私の和歌よりも、余情を深める夏霞が羨ましいよ。私も夏霞として生まれたかったなぁ」

 夏霞として生まれる? 何だそれは? 普通、お金持ちの子として生まれたいとかだろう。

「倭だっていい名前だよ。倭で和歌が好きって、運命的な名前だと思う」

「うちは姓名判断をして決めたとは聞いてないからなぁ」

「夏渚ちゃん、姓名判断できたよね? 梓川さんの名前どう?」

「ちょっと待っていて」


 夏渚ちゃんが右手の人差し指で文字を書きながら、画数を数え始めた。梓の画数を書き留めて、川は数えずに3を書いて、倭を数え始めた。

「仕事運と家庭運がいいね。あと、総格もいい。だから、仕事も家庭も上手く行くし、全般的に良い名前だと思うよ」

「良かった。ありがとう」

 これは裏があるな。以前、夏渚ちゃんから見てもらった時に今回のように良いことしか言われなかったから、もう少し聞いたら、「姓名判断には、天格・人格・地格・外格・総格、仕事運・家庭運の5格2運があって、香澄ちゃんは家庭運と総格以外は吉数だよ。でも、家庭運は30、総格は40で、凶数という流派もあるけれど、実際には有数と無数が混在しているから吉にも凶にもなるという不安定さがあるだけで、凶ではないんだよ。その不安定という揺らぎは、人生に深みを与えるとも考えられるから強みでもあるんだ。だから、物語の主人公なら最高だよ。ただし、10と20は複数の流派で大凶とされている。でも、香澄ちゃんは30と40だから」と言われた。物語の主人公になる予定はないから、物語の主人公という部分は聞き流した。

 夏渚ちゃんは良いところで話を終えたし、言われた倭ちゃん本人がありがとうと言っているのに、私が掘り返す必要はない。


「そうだ。里山辺さん、夏渚ちゃんって呼んでもいい?」

「うん、いいよ。私は倭ちゃんって呼ぶね」

「うん。夏灯さん、夏霞ちゃんって呼んでもいい?」

 え、私は香澄じゃないの?

「香澄って呼んでいいよ」

「夏霞ちゃんって呼んでもいい?」

 空気を読めない子か。

「倭ちゃん、このクラスには面倒な男子がいて、夏霞はからかわれるからやめた方がいいよ」

 夏渚ちゃん、さすが頭の回転が速い。当たり障りなく誘導してくれた。

「そうか。それなら仕方ないね。香澄ちゃんって呼ぶね」

「うん。私も倭ちゃんって呼ぶね」

「うん」

 そこまで話し終えた頃に、埋橋うずはし優胡ゆうこちゃんが教室に戻って来た。優胡ちゃんは夏渚ちゃんと一緒に小笠原気功会に通っている子だ。

 そう言えば、優胡ちゃんの「胡」も「子」だと画数が悪いから「胡」にしたらしい。どこの親も子供の命名で苦労しているようだ。あ、私の命名はおじいちゃんだった。



 朝に聞こえた和歌を倭ちゃんに質問してみよう。登校前の慌ただしい時間に聞く必要はない。教室で顔を合わせてからで十分だ。


 先に教室に来ていた倭ちゃんに挨拶後に、忘れないように書き留めたメモを見ながら質問する。

「『夢に見し その面影は まぼろしに まがふ心の 朝ぼらけかな』って、どういう意味?」

「私が知らない和歌だな。どこで見たの?」

「今朝、起きる前に聞こえたんだ。心がふわっとしたんだよ」

「そうか。意味は、『夢で見たあの面影が、まぼろしかもしれない——そんな気持ちのまま迎える朝の淡い光』といったところかな」

「ありがとう。和歌自体の意味はわかったけれど、これが聞こえた意味はわかるかな?」

「私は知っている和歌が聞こえたり、オリジナルが思い浮かんだりするけれど、香澄ちゃんは和歌に興味がないから何とも言えないな」

「そうか。そうだよね」

「もしかすると、和歌に興味を持ちなさいという思し召しじゃないの?」

「まさか・・。ふふふ」

 結局、和歌の意味はわかったけれど、聞こえた意味はわからなかった。それはそうだな。いくら和歌に詳しくても、なぜ起きる前に聞こえたかまではわかるはずがない。



「夢に見し その面影は まぼろしに まがふ心の 朝ぼらけかな」

 それから3日連続で聞こえた。心がぞわっとして来た。考え過ぎが原因なのかもしれない。

世間は狭いと言われますが、まさか里山辺さんが同じクラスにいるとは・・。


実は着想は、十二支の性格を描く「干支ねこ」、恋の和歌を描く「たまゆらのかたへ」、気功と古武道の「小笠原気功会史」の順でしたが、公開の順番が前後しました。3作同時進行は無謀かもしれません。

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