mid-night
トイレから戻ってきた相手が、ギョッとした顔をする。
「おかえり〜」
椅子に座って、ひらひらと手のひらを振ってみせる。
「…‥お前、どこから湧いて出た」
「やだなぁ、湧いて出るわけないじゃない。ニンゲンなんだから」
「じゃあ、それは何だ」
彼が俺の手元にあるグラスを指し示す。
「これ? 俺の愛♡」
「ふざけたこと言ってんな」
「……気が立ってんなぁ。もうちょっとノッてくれよ」
「うるさい」
そう言って奴は、どかりと隣の椅子に腰掛けて酒をあおる。
『相変わらずいい飲みっぷりで』
彼の顔を横目に見ながら、何度目かのため息をつく。
「なぁ、酒ばっかり飲んでないで、たまには俺にも付き合ってよ」
「いやだね。お前が持ってくるモノなんか、絶対に碌なもんじゃない」
「俺は確かに信用できないかもしれないけど、俺の持ってるモノは確かだって」
酒に呑まれた赤い顔をして、潤んだ瞳がカウンターの向こうを見つめる。
『何を、思ってんだよ』
目の前に、俺がいるのに。
こんなに、こいつのことを思っているのに。
こいつはちっとも、こっちを向きゃあしない。
「騙されたと思って、飲んでみろって。美味いから!」
俺の手元にあるグラスを、彼の前へと滑らせる。
……そう、滑らせる。
「ちょっ、まっ、お前……!?」
「うわっ……」
手が滑って、グラスが宙を舞う。
ガシャン
グラスが壊れ、赤い液体が床を染める。
「………だから、言ったんだ。お前は……ほんとに……」
「ごめん……。ごめんって。こんなつもりじゃ……。すぐ片付けるから!」
「いい」
にべもなく言い放たれて、俺はシュンと小さくなる。
「そっ……か……」
「お前は動くな。怪我でもしたら、大変だろう」
『え……』
「ここは俺の店だ。客に怪我されちゃたまったもんじゃねぇ」
「あ……うん」
少しばかり期待した俺がバカだった。
こいつはいつも、そういうやつだ。
いつも、俺を見下して、笑って、
……助けてくれる。
「お前、寝てねぇんだから、無茶すんなよ、もー」
掃除しながらブツブツ言う。
まるで、俺なんて見えてないみたい。
「お前は俺と違って……待ってる奴が大勢いるんだから」
また、それか。
何度通っても、お子様扱い。
俺ももう大人だっての、まだ分かんないのかな。
「そんなことより、黒兄さ。顔色悪いよ。ちゃんと食べてる?」
「……お前に心配されなくても、食ってるよ。お前はお前の心配だけしてろ」
俺はすぐに分かるんだ。
それが嘘だと分かるんだ。
「これさ、ここに置いてくからさ。とにかくいっぺん飲んでみて。それから、片付けは俺がやる」
「いらねぇって……」
言って体が左へ傾ぐ。
「おっと……」
黒兄が机に片手をついて、右手を額にあてがった。
「あぁ、こりゃいけねぇ。熱出てら」
俺は慌てて言い募る。
「帰ったほうがいいんじゃない?」
「ゆっくり寝たら、いいじゃない?」
「無茶なことは、控えてよ」
彼は横目で俺を見る。
「そういうわけにもいかねぇよ。まだ、仕事が残って……」
「……」
無茶はやめてと言いたいが……言っても多分聞かないな。
「これは……俺にくれるのか?」
黒兄が、俺の持ってきたペットボトルに指を指す。
「うん、もちろんそのつもり。少しは健康にいいものを、と思って」
俺が言ったら黒兄は、じっとそのペットボトルを見つめてた。
「すまんな、雑に扱って」
「ううん。俺は構わない」
「少しは養生するからよ。これもありがたくもらってくわ」
「うん」
「そんで、あとで礼するわ」
「うんうん、そうして。気をつけて」
俺の渡したペットボトルを受け取って、彼は店の奥に向かう。
「…‥食わず嫌いすぎんのも、あんまりよくは、ねぇかもな」
黒兄が何か呟いた気がしたけれど、俺のところまでは、届かなかった。