第5話:あれが……魔獣?
愛梨が第二の脅威に敗北を感じていたその頃、菜緒達はしばらく道沿いをあてもなく歩いていた。その道中かすかな人の営みを随所に感じられてはいたが、自分達が危険にさらされていることに変わりはないことを嫌でも見せつけられてもいた。
「……うわ、またボロボロの荷車だ」
これで三つ目だろうか。至る所を何か大きな動物に破壊された跡を生々しく残した荷車を見つけたのは。幸い死体はない。しかし、少しの血痕と散乱し腐敗した果物がその時の恐怖をまざまざと見せているような気がして身震いする。
「相変わらず爪の跡すげぇ。どんだけでかい熊がいたらこんな跡がつくの?」
侑香は残された巨大な爪痕を指でなぞる。その爪痕は熊の爪痕に似ていたが、大きさは桁違いだった。もし、実物に出くわせば命の保証はないだろう。
「どうする葵? このままじゃ日が暮れそう。絶対やばいよね?」
困った時の葵様。二人は捨てられた子犬のように縋る思いで葵を見つめる。
「……あたしもこんな事初めてだから確実なことは言えないけど」
そう言って少し考える葵。そんな葵の思考を邪魔しないように菜緒と侑香は自然な流れで目配せをする。パチっと目が合うと侑香は気まずそうに目を逸らしてしまった。自分が菜緒に酷い事を言ってしまった事を後悔しているのだろう。長年の付き合いから侑香の申し訳なさと菜緒に何て言ったらいいのか困惑している複雑な気持ちが痛いくらい伝わってきて胸が締め付けられる。
侑香はいつだって真っすぐで、明るくそして優しい性格だった。見た目が派手なため最初は警戒する者も多いが、その必要がなくなるほどあけすけな侑香はいつだって男女共に人気で、気づくと輪の中心にいるような人だ。そんな侑香に菜緒はずっと感謝していた。侑香と違って人との間に壁を作ってしまう性格が災いし、誤解される事も多かったがその壁を良い意味で崩してくれるのはいつだって侑香だった。
自分が愛梨に対して想っている気持ちを相談しなかったために、結果侑香を深く傷つけ葵に迷惑をかけてしまった。そんな自分が情けなくて唇を噛みしめる。
私が変わらないと……
侑香に声をかけようとしたが、その前に葵の中で結論が出たようだ。
「このまま道沿いを行くしかない。城からここまで人がいた形跡が徐々に増えてるし、急げば集落なんかがあるかもしれない」
危険なのは重々承知だが、進まなければそれこそ何もわからない。地図もない道を手探りで進むしかもはや道は残されていない。それが葵の出した結論だった。
「……葵が決めたことなら、うちらは文句ないよ」
うちら……。菜緒を含めた言い方にまたも菜緒の胸がぎゅっと痛む。こんな時でさえ、菜緒の気持ちを慮ってくれる侑香の優しさと勇気に自分もちゃんと答えたかった。
「よし! そうと決まれば急ごう! 行くよ葵! 侑香!!」
そう勢いをつけ葵と侑香の手を両手でしっかりと握りしめ足早に歩きだす菜緒。落ち着いたらちゃんと話をして謝ろう。精一杯だした菜緒なりの答えだった。決意を固めると不思議と心が軽くなり、なんとかなる気がして足取りも軽くなった気がした。少し戸惑う侑香を気遣うように葵が笑いと呆れをにじませた声で話しかける。
「本当、菜緒といると退屈しないね侑香」
「……うん」
菜緒から伝わる手の暖かさに嬉しい気持ちを感じると同時に、侑香の中の罪悪感も大きく膨れ上がっていくのだった。それから5分くらい歩いただろうか。少し小高い丘を越えようと黙々と歩いていた三人の耳に、丘の向こうから沢山の人がいるような音や声が入ってくる。顔を見合わせ嬉しそうに走り出そうとする菜緒と侑香を葵が止めた。
「待って!!」
「え!? なんで? この先……」
「しぃー!! よく聞いて!」
そう言われて二人は静かに耳を澄ます。確かに何か様子がおかしい。まるで大勢の人が争っているような怒号や慌てた声、さらには軽火器のような音も交じっている。上り坂になっていたため先が見えない。三人は静かに頂上まで登り、下の様子を窺う。そして、坂の下の光景を見て思わず絶句してしまう。下では、30人程の大人と超巨大な化け物が死闘を繰り広げていた。
ライオンの様なたてがみ。ギョロッとした大きな目はまるでカメレオンの様で、焦点が合っていない。口の形は獣の様だが鋭く尖った大小バラバラの牙がいくつも生え、ボタボタと涎を止め処なく流している。体はまるで熊だった。道中で見たあの爪痕の正体がわかった気がしたが、下で暴れている化け物は残された爪痕よりも大きい個体だと確信できるくらい巨体だった。
「あ……あれが、もしかして……魔獣……?」
「あたし達、運が良かっただけかもね」
葵の言葉に菜緒も侑香もゾッとする。もし魔獣に出会っていたら確実に全滅だっただろう。自分達はどこかこの世界においてまだ他人事だったと嫌でも分からされるほどの凄まじい光景だった。大の男が一人、また一人と軽々と殴り飛ばされていく。人があっさり息絶えているかもしれないと思うと恐怖で動くことはおろか、息すらまともにできなかった。
だが、葵だけは違った。こんな時こそ冷静にあの死地をじっと観察する。すると、一人の男に目が留まった。右に左にと指をさし、大声を上げている。さらにその動きをじっと見つめる。どうやら魔獣を倒そうとしているようだ。慌てることなく自分よりも大きな男達に的確に指示を出している。ある者達は怪我人を避難させ、ある者達は武器の準備を手早く済ませている。そして男の合図で魔獣の急所であろう頭に確実に銃の弾を打ち込んでいく。
その統率力に葵は確信する。
「この人達、きっと軍隊だ」
「……え?」
葵の言葉に菜緒と侑香も恐る恐る様子を窺う。確かに思っていたものと様子が違うようだ。襲われているのではなく、戦っている。その事実に二人は少しだけ気持ちが落ち着くのを感じた。あの化け物に敢えて戦いを挑んでいるのなら、この世界において対魔獣という存在がいることに希望が見えてきたからだ。
だが、問題がまだ残されていることに変わりはない。なぜなら、彼らに自分達の話が通じるのかどうかは全くの未知数なのだから。
落ち着きを取り戻した菜緒と侑香も、葵に倣って大人達を観察する。その中でまず始めに目についたのが服装だった。ランドール国の住人達とは打って変わって軽装に近かく、まるで自分達のいた世界の100年程前のようだと感じた。例えるなら、西部劇のカウボーイの様な恰好に近い。そしてさらに注目すべきは軽火器と重火器だ。
「あれってもしかして拳銃? 小銃?」
「にしては威力が高い。この世界特有の物なのかもね」
「大砲みたいな物もあるけど、何で使わないの?」
侑香の疑問に菜緒と葵も大砲に注目する。確かに一番威力が高そうな武器だが誰も使おうとしていなかった。いや、使えないのだと気づく。
「あれ、あの導火線見て!」
菜緒が大砲に繋がっている細い線を小さく指さす。そこには大砲を使おうとした形跡が確実に残されていた。なぜなら、導火線が途中で黒焦げていたのである。どうやら火を点ける道具があの混乱の中壊されてしまったのか、はたまた別の理由で火が点けられないのか真実はわからなかったが、使おうとしたが使えなくなったため放置されているのは確かだった。
「よくあんな小さいのが見えるよね」
感心する葵に照れを隠さない菜緒。その菜緒をいつもの様に侑香が茶化す。
「菜緒って昔から口開けてボーっと空見てる事多いから視力良いんじゃね?」
「もう!それまぬけって言いたいの!?」
「よくわかってんじゃん!」
さっきの緊張感はどこへやら。いつもの三人の雰囲気が戻ってきて安堵から小さく笑い合う。と、突然侑香は閃く。
「てかさ! 魔法使って火、点ければよくね?」
その問いに菜緒と葵は何となく察しがついていた。
「多分、使わないんじゃなくて使えないんだと思うよ」
「ほら! あのクソ王子が言ってたじゃん。神は自分に味方した人間達に魔法を授けたって! あの人達、きっとエトナの国の人だよ」
「あーあ! そういうこと!?」
よくあんな歴史の話真剣に聞いてたな、と感心する侑香をよそに菜緒はとんでもない事を思いつき、二人に提案する。
「あのさ、私ライター持ってんだけど……火……点けに行ってみない?」
「「……まじ?」」
菜緒の時々顔を見せる意味の分からない度胸に二人はまぬけな返事をすることしかできなかった。




