ありがとう以上の
「さっきの、服のことなんですけれど」
メニューを下げて貰うや否、全てを話した。好きな服を着たいだけだということ、今日の服のこと、ファッションや美容に関心があること、トラウマも、全部。
家族以外にこの事を伝えたことはなかったけれど、天野さんなら理解してくれるんじゃないかと淡い期待を込めて。
「ごめんなさい。無神経にお聞きしてしまって。きっと勇気のいることでしたよね」
彼女にそう言われて初めて自分の声が震えていたことに気がついた。握りこんだ手に爪の跡が残った感触も、嫌な汗が首筋を撫でた感覚もある。
「いえ、そんな、こちらこそ楽しくもない話を……すみません」
顔色が良くないと勧めてもらった紅茶は香りも味も感じない、色付き水のように思えた。けれど熱過ぎず、温過ぎない、程よい温かさが彼女の優しさに似ていて、少しほっとする。
「単刀直入に申し上げますと、私は漆舘さんのファッションを変だと思ったことは一度もないです」
「……本当、ですか?」
彼女が嘘をつくような人には見えないが、優しい嘘をつく人には思えてしまう。
「はい。今日の服もお似合いですし、それと同じくらい、初めてお会いした時の可愛らしいものも似合っていると思います」
「……そ、う、ですか?」
「はい。私は逆にファッションや美容に関心が薄いと言いますか、かなり疎い方なので……女性なのに、変ですよね」
「そんなことないです!今のままでも十分素敵ですし、それに……」
それに、貴方の良いところはもっと別のところです。
思わず身を乗り出して全てを口に出そうとしてしまい、言葉尻にかけて次第に声がすぼんでいく。
「私も同じ気持ちです」
「……え?」
「今の、オシャレを楽しんでいる漆舘さんが素敵だと思いますし、私には未知の領域のものを扱える姿を尊敬しています」
こんな時なのに、勘違いしそうになった。
「それに、漆舘さんのそれは個性であって才能です。誰かを傷つけているわけでもないのに、肩身を狭くする必要なんてないですよ。」
ひび割れたハートの欠片を、一体何度拾い上げてくれるんだろう。
鍵をかけて閉じ込めた想いをそんな必要ないと肯定してくれる。きつく縛りあげたリボンをそっと解くように。
「そうだ、今後お会いする時はお好きな服をお召になってください。周りの目が気になるようであれば今日みたいな個室や人の少ない場所を選べば良いですし」
また、会ってくれるのか。
俺が一方的に想いをぶつけていないか心配だったが、当たり前のように次の約束の話をされて胸がじんわりと温まる。
「……ありがとう、ございます」
ありがとう、以外になんと言えばいいかわからない。ありがとうなんて言葉では到底足りないような何かを伝えたくて、俯きながら必死に脳内検索をかける。
しかし文系科目が苦手な自分に正解は導き出せなかった。26にもなって情けない話だ。
自分のティーカップから彼女へと視線を移すと、「いえ」と短く返事をした口元は僅かに白い歯を覗かせる。
気を紛らわすように口に運んだ2度目の紅茶はすっかり冷めていた。