アイスフェスの、その後
「今日はありがとうございました」
「こちらこそ、俺1人じゃこんなに楽しめなかったと思います」
私も楽しかったです、と別れを告げようとした刹那。
「天野さん、もし……お時間あればこの辺見て回ったりとか、しませんか?」
「特段予定はないので大丈夫ですけど……何処か行きたいお店でもあるんですか?」
こう言ってはなんだが、彼はかなり物好きだと思う。アイスフェスは私がアイスに比較的詳しいから誘ってくれたのだろうが、その他の場所となると別だ。私と居ても面白いことなんてないだろうに。
「えっと……とりあえず下の階に降りてムーンシャイン内をブラブラしたいなと」
目的地があって付き合って欲しいのかと思えば、そうでもないようだ。彼の真意はわからないが、わかりましたと頷いてエレベーターに乗り込む。
「一旦2階に降りて、下っていきましょうか」
2のボタンは既にオレンジ色に光っており、私達より先に乗り込んだ大学生くらいの女の子達が押したようだった。
「2階に確か本屋さんがあったはずなので、寄ってもいいですか?」
シーンとしたエレベーターでは話しにくいが、幸い満員とまでは行かずとも箱の8割方を埋める人が乗っている。
その多くが複数人での乗り込みのため、色んな会話の花が咲いており、エレベーター内あるあるの気まずい雰囲気なかった。
勿論ですという彼の返事と共に花咲く箱から降りると、丁度見える範囲にBOOKの店構えが現れた。
今日は漆館さんがいるので安心とはいえ、迷い用がない道筋にほっとする。
「ドンピシャの場所でしたね。……天野さん、図書館司書されてるってことはやっぱり本、お好きなんですか?」
こくりと頷き、店内に足を踏み入れる。
書店特有のインクと紙の香りに合わさった静けさが都会の喧騒を連れ去ってくれる。
「昔から本ばかり読んでいて。所謂本の虫というやつです」
元々声が大きい方ではないが、この空間を壊さないようにいつもよりボリュームを落とす。
「ずっと好きなものを仕事にできるのって素敵ですよね。俺は好きを仕事にしているわけではないので、少し羨ましいかもしれません」
「そういえば、漆館さんのお仕事って……」
あまり気にしたことがなかったけれど、何をしているんだろう。何となく、理系っぽいイメージがある。マップ解読も早かったし。
「ああ、SE……システムエンジニアです。ファッション関連の仕事も興味はあったんですけど、うちは考えが古いというか……家族が良い顔をしなくて」
「そう、だったんですね」
「あ、でも、ほぼほぼ在宅なのもあって、髪色とかネイルとか自由なんです。服装既定でとやかく言われないので、この仕事もまあそれなりというか、悪くないかなって」
私は運良く好きを仕事に出来たけれど、みんなが皆んなそうではない。好きを仕事にすることが正解とは限らないと思うけれど、乾いた笑いをする彼を見てようやく自分の幸運さに気がついた。
何も言えぬまま、誤魔化すように書棚の森を進む。 新刊コーナーを見つつ各出版社の平置きをチェック。アイスフェスの時とは異なり、今度は彼が半歩後ろを着いてきた。
「漆館さんは普段、本読んだりしますか?」
「んー……仕事で必要なものは読みますけど、自発的に読むことは少ないですね。図書館も滅多に行かないんですけど、天野さんにお会いした時は上司から勧められた本を探しにたまたま」
「なるほどですね」
青紫色をした彼の髪は人目を引く。それが図書館内では尚のこと。
駅で怪我をした彼を見た後、館内で会った彼が同一人物だと確証を得られたのも、それが理由だった。
「天野さんは、どんなものを読むんですか?オススメとか知りたいです」
「私は文芸書、人文書、実用書……基本的には何でも読みますよ。オススメ……オススメですか……」
面白かったものの中で彼が好みそうなもの……パッと頭に浮かんだ作品の出版社を目掛けて、本の樹海をさらに進む。
あいうえお順に並んだ著者名から目的の作家さんを探し出し、壁面からそっと一冊を引き抜く。
「これとか、面白かったですよ」
ファッション×ミステリーと書かれた帯通り、オシャレが大好きな女子高生があらゆる事件を解決していくお話だ。女王様気質な女の子と、反発しつつも、なんだかんだ最後には従ってしまう主人公との掛け合いが面白い。
難点は実在するのか怪しい呪文のような服の名称……恐らくデザイン用語が多く出てきたことだが、彼なら解読出来るだろう。それに、ロジック系も好きそうなのでミステリーが合うのではないかと思った。
「へぇ……ファッション×ミステリー……面白そうですし、表紙も綺麗で良いですね。せっかくだし、買っていこうかな」
表紙は後ろを向いた女の子の全身イラスト。顔が見えないことによって想像力が掻き立てられる。女の子の身にまとう西洋風のドレスには所々に箔押し加工がされ、角度によって異なる輝きを放っている。
どうやら表紙もお気に召してもらえたようだ。
私は先程目星をつけた新刊コーナーの文庫本を数冊攫い、2人でレジへと向かう。
5、6人の列ができていたが、店員さんの超特急会計とセルフレジの台数によってほとんど待たずに済んだ。流石は大型ショッピングモール内の書店だ。
「あ、少し見ても良いですか?」
本の森を抜け出した後、足を止めたのは漆館さんだった。
「薬局とか雑貨屋の化粧品売場はまだ良いんですけど、ここは男1人だと少し立ち寄りにくいと言うか……」
彼が指し示す先は所謂デパコスと呼ばれる中〜高価格帯のコスメが集まる空間だった。
確かにこの女性率の高さでは肩身が狭いだろう。
だが、かく言う私も、このオシャレ空間が放つキラキラとしたオーラが眩しい。決して、やや明るめのライトや大理石調の床が輝いているだけではない、何かが出ていると思う。
ハードルの高さで言えばどっこいどっこいな気もしたが、了承して華やかなパッケージを眺める。
じっくり見たのは初めてだが、見た目と異なり、値段は全くもって可愛げがない。この小さいリップ一本で文庫本が何冊買えるだろうか。
それに比べて彼はこの色が良い、こっちはラメが可愛いなどと楽しそうだ。
「お試しされますか?」
店員さん……この場合はBAさんと呼ぶべきか。黒い上下にウエストポーチを下げた女性が近づいてきた。タイトな服がボディラインを綺麗に強調しており、ウエストポーチにはありとあらゆる道具が入っている。
柔和な話し方だが、隙のない完壁な女性といった雰囲気に少し気圧されてしまった。
「いいんですか?フェル……ミーア……のリップと、このパウダーを試したいんですけど」
彼が言ったメーカー名は呪文のようで聞き取れなかった。アイスの店名なら幾らでも覚えられるのだが、さっきと立場が逆転したようだ。
「勿論です、こちらへどうぞ」
数歩先のドレッサーがある一角に案内された彼の後ろをぽけっと着いていく。
1席しかない為、隣に立っていよう。ここを彷徨いて待つ勇気はない。
「どうぞ、お掛けください。お荷物はこちらの籠へ」
引かれた椅子の位置の、違和感。
何故、私の前で椅子が引かれているのだろう。
「一緒にコスメを選んでくれるなんて、素敵な彼氏さんですね」
ああ、違和感の正体は、これか。
「あの……タッチアップをお願いしたいのは、私じゃなくて彼の方……」
「申し訳ございません!!大変失礼致しました!!」
最後を聞くまでもなく、一瞬で青ざめたBAさんが直角に腰を折った。
「あー、俺、用事あるの思い出したので大丈夫です、また来ますね」
天野さん、と小声で促され、今までになく早い足取りで煌びやかな空間を後にする。申し訳ございませんでした!またお待ちしております!という声を背中に浴びながら。
「……すみません、面倒事に巻き込んでしまって。よくある事なんです。どなたかへのプレゼントですか?とか」
これが彼のいつも通りなのか。
悲しそうに笑う顔が、酷く痛い。思わず視線をつま先に落としてしまうほどに。
「あ、でも最近は男性でもメイクする人が増えてきているので、皆さん優しいんですよ!ただちょっと、気まずくて逃げてきちゃっただけ、なので、……そんな顔、しなくて大丈夫ですよ」
声色に困ったような、迷子の子どものような、不安を含んだ影が含まれた気がした。そうだ、泣きたいのは私じゃない、彼の方だ。
「漆舘さん!何か食べ物……いや、飲み物でも!何処かでお茶しませんか!?それで、オススメのコスメ、教えてください!」
思い切り顔を上げたせいで眼鏡がズレそうになり、フレームを抑える。
あれだけアイスを食べたので、大してお腹は空いていない。そして確実にカロリーオーバーかつ予算オーバーだ。
けれど、たまにはそんな休日があってもいいんじゃないか。
このまま彼を見放して別れるなんて、出来ない。
辿り着いた先で彼が話してくれた言葉はやはり呪文のようだった。
それでも柔らかくなった雰囲気から放たれる呪文はほっとするものがあった。




