奇跡の巡り合わせを運命と呼ぶのだろう
龍己くんと柚木ちゃんの出会いをリメイクしたものです。
どこか不器用で周りに馴染むことが苦手な二人を、どうか温かく見守って頂けると幸いです。
「うわっ痛そう〜」
「え、あの人大丈夫かな?助ける?」
「いや……なんかヤバい人って感じしない?女装だよね、あれ」
最悪だ。久々にヒールを履いたからだろうか。
雨の日の駅構内は滑りやすい。新作コスメの広告に目を奪われたと同時に、地面に足を掬われた。尻餅をつく形で倒れたため、盛大に汚れてしまったこと間違いなしだ。
せっかく綺麗なスカートだったのに。黒色だし、洗えば落ちるかな、なんて考えていると右の手のひらにチクリと痛みを感じた。
スカートだけじゃなくて、カーディガンもか。
痛みの在処に目をやる過程で袖口についた泥が更に気分を重くする。
手をついたタイミングで汚れてしまったのだろう。背中をつくまで倒れこんではいないし、ショート丈のカーディガンのため、身ごろは無事だと思う。肌寒くて出かける間際にクリーム色のロングビスチェから着替えたのが、不幸中の幸いだった。淡い色のチュールのビスチェなんて完全にアウトだ。
過去の自分のファインプレーにより汚れが最小限に抑えられたとはいえど、白い袖口についた黒が落ちるかは定かではない。
上着につかないように気をつけないと。
傷口から出た鮮血はまだ固まっていないようで、新たな汚れを増やさぬように注意して袖を捲る。切り傷の痛みよりも服が台無しになる方がよっぽどダメージが大きい。
そんな時だった。
「あの……大丈夫ですか?立てないようであれば駅員さんを呼んできますが……」
いつの間にか、座り込んでいた自分と同じ高さに女性がいた。
「大丈夫、です」
無傷の左手側にグッと力を入れて立ち上がる。尾てい骨が若干痛むが、歩けない訳ではなさそうだ。
「これ、まだ使っていないので。よければ使ってください」
「ありがとう、ございます」
あまりの親切さに目を丸くしてベージュのハンカチを受け取る。ふっくらとしたタオル地を汚してしまうのは心苦しいが、水に濡らして叩けば、袖口はマシになるかもしれない。
「……それと、これもよろしければどうぞ」
ハンカチを受け取った時に血が見えたのだろう。絆創膏を差し出す女性に再び礼を言いそれを受け取る。
「お大事になさってください。……お洋服の汚れも落ちると良いですね。お似合いなので」
その瞬間、手足の先まで電流が駆け巡った。
「普通の人」からすればいたって普通の出来事なのかもしれない。でも俺は「普通」じゃない。
何をもって普通と言うのかはわからないけれど、少なくとも男なのにスカートを履く俺は世間的には普通ではないのだろう。現に転んだ直後に女子高校生らしき声が聞こえたが、遠巻きに見ているだけで近寄ってくることはなかった。
けれどそれが決して悪いわけではない。よくあることなのだ。誰だって自分とは違う背格好や言動の人に対して恐怖を抱くことはあるだろう。人間としての生存本能だ、仕方ない、と割り切っている。
そんな中でさっきの女性のように親切にしてくれる人は初めてだった。
……それだけじゃない。お似合いだなんて言葉をかけてくれる人なんていなかった。
名前、聞きそびれた。
動揺している中かつ一瞬のことだったのと、綺麗な長い濡羽色の髪に隠れてしまっていたため、はっきりと顔立ちを覚えていない。
記憶にあるのは、艶のある黒髪とシンプルな服装。それと、高いのに落ち着きのある透き通った声だけだ。
もう一度どこかで会えたら、だなんて都合が良すぎるけれど、漫画やドラマのような奇跡があればいいのに。
とはいっても、奇跡なんてそうは起きない。彼女に助けられたあの駅で張り込みをという考えが頭をかすめたが、それではまるでストーカーだ。その上、複数の路線が交わる駅で、うる覚えのたった一人を探し出すなど、不可能に近い。
例の駅を使う際はもしかしたら、と淡い期待を寄せ周囲を見回しているが、今日もダメだった。
だが、俺もいい大人だ。気になる女性に現を抜かすわけにはいかない。諦めて仕事に使う本を探しに、図書館のある路線へと足を運ぶ。
「お願いします」
「はい。お預かりします」
ピッと軽やかな電子音が鳴り、本達は外へ行く権限が与えられる。貸し出しカウンターはまるで空港のようだ。大きさも内容も年代も違う、多種多様な本が色々な人の元へ旅立つ。かく言う俺は、システムやプログラミング関連本達に旅をして貰うべく連れて帰ることにした。
立ち読みした時にビビっときた数冊を渡した後、手持ち無沙汰になり手続きをぼーっと眺めて待つ。
爪が長く色白の司書さんの手は、ネイルがよく映えそうだった。
「……先日の怪我はお加減いかがですか?それとお洋服も」
「…………あの時の!?」
思わず漏れ出た声のボリュームにハッとして口元を覆う。あまりの衝撃に図書館だということをつい忘れてしまった。
先日、怪我、洋服。女性、濡羽色の長い髪、高くて落ち着きのある声。脳内の検索ボックスに複数キーワード入力をする。けれどエンターキーを押す前に本能が「彼女」だと叫んでいた。もしかしなくても例の女性だ。顔こそ覚えていなくとも間違いない。何故気が付かなかったんだと鞭を持った自分が脳裏に現れる。
「気が付かなくてすみません。先日駅で転んだところを助けていただいた方ですよね?その節はありがとうございました」
「いえ、大事に至らなくてよかったです。……こちら、貸し出し期間は3週間となります。一度限りですが1週間延長も可能ですので何かございましたらご連絡ください」
今日は良い天気ですね、くらいなんてことないように本を渡される。だがそんな彼女と引き替えに、俺は必死だった。大切なスカートを握りしめるほど。
「あのっ……もし、よければ、嫌じゃなければ、なんですれけど……お昼ご馳走させてください!ハンカチと絆創膏のお礼にっ」
「そんな、大したことじゃないですし……」
「俺の気がすまないといいますか!……自分勝手だとは思うんですけれど、昼過ぎまでは館内に居るので!俺の我儘に付き合ってくださるなら声かけてください……!」
言い終わるや否、早歩きで踵を返す。半分逃げるように去る自分の姿はさぞ格好悪かろう。それでも、またとないチャンスを易々手放す訳にはいかなかった。
こう言うとなんだが、普通の格好をしている時は、どちらかと言えばモテる方だったと思う。それ故に女性経験はそれなりにあったが、こんなにも緊張して誘ったのは初めてだった。
まだ、だよな。
あれからどれほど経ったのだろう。借りた本を読んで待っていようと決心したものの、ページを捲る手に反して内容は全く頭に入ってこない。家に帰ってもう一度同じところを読まなければいけないレベルだ。
あれじゃあまるでナンパじゃないか、知り合って間もない男から急に食事に誘われても困るだろうし怪しむよな、果たして来てくれるのだろうか。考えれば考えるほど黒い靄が思考を鈍化させる。その一方で要点をまとめようと思ったノートは真っ白だ。
「お待たせしました。向かいのファミレスでも良いですか?」
この一言で広がっていた靄が一瞬でなくなり、晴れ渡る。
来て、くれた。
たったそれだけのことでこんなにも舞い上がる。一度しか会ったことない男だし、スルーされてもおかしくなかった。今日も「普通じゃない」格好の方だから尚更。
彼女の危機感の薄さと警戒心の無さが若干不安だったが、ともあれ、もう一度会えた。来てくれた。奇跡なんて起きないと思っていたのに。
どうにか掻き集めた理性で心臓の昂りを鎮め、音に配慮し木製の椅子を机下へとしまう。
お昼には塩気のあるものを食べよう。口いっぱいに広がる甘さを中和するために。