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出勤して早々、隊舎内の空気に違和感を覚え、ララは首を傾げる。
朝は隊員の入れ替わりの時間でもあるし、どことなく騒々しいのはいつものこと。
しかし今日はその騒々しいしさの種類が、少し違うように感じる。
「ライアンさん!おはようございます!」
廊下の角から現れたライアンに、元気よく声をかける。
いつも厳しい顔をしているレオフェルトの横で、対照的に穏和な表情を浮かべている彼が、珍しく眉間に皺を寄せていた。
「ッ…あぁ!ララちゃん、おはよう」
物思いに耽っていたらしいライアンが、ララに気づいて驚いた風な反応をした。
反射的に浮かべた笑みは、先ほどまでの険しさの尾を引いている。
「何かあった…?なんだか騒々しいというか」
ララはこの違和感を上手く説明できず、言葉を濁す。
「あぁ…うーん、ちょっとね」
ライアンの煮え切らない返答に、ララは自分が立ち入ってはいけない問題なのだと瞬時に察した。
「そっか…早く解決するといいね」
「そう…そうなんだけどね…言葉の壁だから、こればっかりはなかなか」
苦笑して頭を掻いたライアンは、参ったとばかりに首を振る。
「言葉…?」
「うん…保護した人が聞き慣れない言葉を話してるもんで、みんなお手上げなんだよ。本人も酷く取り乱してるし…」
その状況を思い出したのか、ライアンは深く溜め息を吐く。
「…西側の山間民族っぽいことはわかったんだけどね。何しろ訛りも強くて…困ったもんだよ」
「西側の山間民族…だったらあたし、わかるかも」
「…ほんとに!?」
驚きに目を見開いたライアンに、ララはこくりと頷いて返す。
ライアンの顔にみるみるうちに安堵の表情が広がった。
「ならララちゃん、ちょっと来て!」
言うが早いか、ライアンはララの手を引いて足早に廊下を進んで行った。
*
連れて来られた医務室に一歩足を踏み入れると、そこは怒号が飛び交っていた。
ベッドには薄汚れ、身体中に怪我を負った褐色の肌の男が二人いるが、二人とも取り乱して暴れている。
それを隊員たちが力尽くで押さえ込んでいるような状況だった。
そんな中ライアンに連れられてやって来たララを見て、レオフェルトは怪訝な顔をする。
「隊長、ララちゃんがわかるかもしれないそうです」
どう?と言うライアンの問いは、もうララの耳には届いていなかった。
手前のベッドに駆け寄り、男に何か声をかけている。
男は暴れるのを止め、驚いた顔でララを見てから、身を乗り出してララに何かを訴えかけていた。
「わかる…みたいですね」
「そのようだな」
唖然とした顔で呟くライアンを尻目に、レオフェルトはララの背後に立つ。
「何と言っているんだ」
「…奴隷商から、逃げてきたみたい」
彼らの手にはきつく何かに縛られたような痕があった。
全身に及ぶ無数の傷跡には比較的新しいものが多い。
ララはそんな男の手を労わるようにぎゅっと握りながら、レオフェルトを振り返ることなく続ける。
「まだ、仲間が…家族が捕まっているんだって…」
「…状況はなんとなくわかった。一旦は治療に専念しろと伝えろ」
浮き彫りになった状況に、これは面倒なことになったというのが正直な感想だった。
レオフェルトはハァと大きく息を吐くと、踵を返して医務室を後にする。
その後を慌てたようにララが追った。
「ま、待って…!」
廊下に立ったレオフェルトは静かにララを振り返る。
ララは呼び止めたものの、言葉が出ないようだった。
「なんだ」
「その…あの人たちは、どうなるの?」
ララの悲痛な眼差しに、レオフェルトは顔を背ける。
「それなりの治療を受けさせて、問題がないと判断すれば西側へ還す」
「…もうすぐ、ここを奴隷商の車が通過するだろうって、言ってた…」
彼らの同胞を乗せたトラックが、もうじきここの関所を通過する。
どうか助けて欲しいと、男たちは口々にララに訴えかけた。
自分たちはどうなっても構わない。だが家族だけでも何とか助けてほしいと、その目に涙を浮かべながら。
ここは東側と西側のそれぞれの国が、我が国を挟んで至近距離にある土地だ。
飛び地とは言わないが、何故ここだけ領土から突出するように飛び出ているのか、そのお陰で随分と厄介ごとに巻き込まれやすい場所になってしまった。
北側には海と見紛うような湖があり、直接両国間を行き来するには随分と迂回しなければならない。湖を船で航行することは隣接国間で禁じられているためだ。
過去の侵略の歴史を振り返れば、至極真っ当な取り決めであるため、これを覆すのは難しいと思われる。
東西の国とこの国は、不可侵条約を結んでいる。
特に東西の国は今でこそ表面上は良好な関係を築いているように見えるが、十数年前には争っていた間柄だ。
まだまだ国家間は緊迫した関係だと言っても過言ではない。
この国は、そんな両国間の関係を中立な立場で見守っている――、というのは良く言えばの話であって、実際は事勿れ主義なだけに過ぎない。
東側の国では未だ奴隷制度が残っている。西側は奴隷制度を廃止した。
だが西側もかつては奴隷制度があった国だ。西側の奴隷商たちは密かにその商売を続けている者も多い。
彼らは仲介人とその名を変えて、自国民を騙し、あの手この手で東側の国へと彼らを連れ去っている。
それは西側では犯罪とされる行為だった。
しかし残念なことに、西側の関所は買収されているのか、そんな奴隷商の行き来を見過ごしているのが現状だった。
そんな両国間を奴隷商が通過する。
そしてそれを黙認するのが、この国の慣例だった。
とにかく事を荒立ててはならない。
争いが起これば、間違いなくこの地が真っ先に戦禍となるのだから。
「…今の話は聞かなかったことにする。お前もそうしろ」
その言葉に、傷ついたようにララの瞳が揺れる。
「もうこの件には関わるな。仕事に戻れ」
「…あたし、西側を回ってる流浪の民だったの」
レオフェルトの言葉を遮るようにしてララが言った。
それはこれまで語られることがなかったララの生い立ちだった。
「数家族合同で色んな所を転々としてた。だけど、ある日東側の奴隷商が来て、あたしたちを捕まえようとした」
平穏だった日々はあっという間に崩れ去った。
銃器を持った屈強な男たちが仲間を追い回し、捕らえられた者は次々にトラックの荷台に押し込まれていった。
恐らく、西側の仲介人が東側の奴隷商に情報を売ったのだろう。
彼らにとって戸籍を持たず、定住もしない自分たちのような存在は好都合だったに違いない。
仲間はあっという間に散り散りとなり、今はもう誰が捕まり、逃げおおせたのかもわからない。
ララはたった独りで命からがらこの地に流れ着き、なんとかこの日まで生きてきたのだ。
そんな自身の身の上と彼らの状況が重なって、他人事とは思えなかったのは、至極当然な流れのように思えた。
「…なんとか、してあげられないかなぁ?」
震える声で言ったララは、縋るような眼差しをレオフェルトに向けていた。
その目に胸が鷲掴みされたかのように、レオフェルトは息が出来ないほど苦しくなる。
あまりにも真っ直ぐなその瞳を受け入れることができず、レオフェルトは背を向けるしかなかった。
彼の答えは決まっている――
「…この地を、戦禍にするわけにはいかない」
それが、この国の貴族であり、軍人であり、この地を守る責を負った男の答えだった。
ララもその答えをわかっていたように、何も言わなかった。
ただその目を悲しげに伏せるだけ。
互いに答えはわかっていたはずだ。
それなのに、どうしてこうも胸が苦しくなるのだろう。
「ララちゃん、ちょっといいかな」
医務室から、ライアンがララに呼びかける。
ララはその声にハッとしたように振り返ると、一瞬レオフェルトを名残惜しそうに見て、すぐに中へと消えて行った。
レオフェルトはそんな気配を背後に感じつつも、顔を向けることなくその場を後にしたのだった。