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 あれから、ララの解雇は撤回された。

レオフェルトが謝罪を口にすることはなかったが、ララは特段気に留めていなかった。

共に働く厨房の仲間や、贔屓にしてくれている隊員たちはそのことにまだ不満そうではあったが、本人が笑いながら「もうこの話はおしまい!」と言うのだから、誰も表立ってはその件を口にすることはなくなった。


 そうして日々は穏やかに過ぎていく。

それというのもレオフェルトが全くララと関わることがなくなったからだ。

食堂でもララから配膳を受け取ることはしなくなり、二人は言葉を交わすことがなくなった。


 あまりにもあからさまにララを避けるその姿に、ライアンは苦笑を隠しきれない。

こんなにも分かりやすい人間が他にいるだろうか。

不器用にも程がある。


 あの日ライアンが見た光景は事故である、と散々ララに説得されて一応は納得したライアンであったが、あの日二人の間に"何か"があったのは明白だ。

その証拠に、視線をちらりとも寄越さないレオフェルトに、ララは常にもの言いたげな視線を送っている。


なんというか甘酸っぱいことやってんなー、というのがライアンの感想だ。

見ているこちらがやきもきする。

思わず口を挟みたくなってしまう程に。


「まぁでも、なかなかにハードルの高い恋路ではあるからな…」


どうしたもんか、と執務室にレオフェルトを残して退勤したライアンは廊下を歩きながら独りごちる。


そんな彼の心配を他所に、その日二人は数週間ぶりに言葉を交わすこととなるのだった――







 その夜、レオフェルトは警ら当番で二人の部下を連れて街を巡回していた。

この街は、お世辞にも治安が良いとは言えない所だ。夜間ともなれば日中以上に色々と問題が起こる。

そのため、警らの采配も夜に重きを置いているような状況だった。


 特にこの繁華街エリアは毎日何かが起こっている。

今日も例に漏れず、早速男女が言い争っている声が聞こえてきた。

 レオフェルトはこの痴情のもつれを心底馬鹿馬鹿しいと思っている。できることならば関わりたくない。

だが放っておいてより厄介なことになるのはもっと勘弁願いたい。


声が聞こえてくる路地裏に入ると、そこには数人の男が一人の女を囲って何やら揉めているようだった。


「お前たち!何をしている!」


部下がライトを当て、威嚇するように声を張り上げた。

男たちが一斉に振り返り、その顔を不満に歪ませる。


「なんだぁ?」

「イイとこなんだから邪魔しねぇでくれるか?」


相手が警ら員であることを認識できているのかいないのか、とにかく男たちは酷く酔っ払っているようだった。

その様子にレオフェルトは顔をしかめ、面倒だとばかりに息を吐く。


「朝まで牢に入れておけ。このまま放っておけば面倒を起こすのが目に見えている」


部下に短く指示をして、レオフェルトは男たちの後ろに隠れていた女に目をやった。


「…お前は…一体何をしているんだ」


こんな時間に、と呆れた声で言った先には、申し訳なさそうに身を縮こませたララがいた。


「ご、ごめんなさい…」


部下が男たちを拘束し、やいやいと言い争いながら連行していくのを見送って、レオフェルトはララの横を通り過ぎて行く。

少し進んだ先で歩を止めララを振り返ると、感情の篭らない声で言った。


「何をしている、行くぞ」

「え?あの」

「また面倒を起こす気か?」


ぶんぶんと首を振って、ララはレオフェルトのそばまで駆けて行った。

そんなララの到着を待って、二人は足早に路地裏を後にした。







「もうこの辺で大丈夫…です」


 繁華街を抜け、街灯もほとんどなく、人通りもない薄暗い小道に入ってララは言った。

分岐点に差し掛かる度にレオフェルトが「どっちだ」と問い、ララが右だ左だと指示を出して二人はここまで歩いてきた。

それ以外の会話はなく、ただ足早に進むレオフェルトにララは必死に着いて行くだけだ。


「…こんなところで一人にしろと?」


ララの言葉に足を止めたレオフェルトは、ぎろりと冷ややかな目線でララを振り返る。


「も、もうほんとにすぐそこなの!そこ!見えてるから!」


ララは必死の形相で寂れた建物を指差し、レオフェルトに訴える。


「…あそこに、住んでいるのか?」


こくりと頷いたララに、レオフェルトは険しい顔をする。

指差したそこは、お世辞にも人が住んでいるとは思えない、今にも朽ち果てそうな廃墟だった。

果たして扉や窓は機能しているのか。女性の一人暮らしにはあまりにも無防備なように見える建物だ。


「ルームメイトが何人かいて、みんな良い子たちだから大丈夫だよ。いつも誰かしらが家にいるし…まぁ取られるようなものもないけどね」


あはは、と明るく笑ったララに尚もレオフェルトは厳しい表情で言う。


「そもそも、何故こんな時間にあんな所をほっつき歩いていたんだ」


いつも仕事中に身につけているのと同じTシャツにデニム姿のララは、仕事帰りのように思われた。

ララの勤務時間は、日があるうちに終わるようにしてあるはずだ。


「今日はたまたま遅くなっちゃっただけなの。ほら、今日は配給日だったじゃない?荷物の仕分けとか、色々とね」


月に一度ほど、都から食材などの支援物資が届く。その棚卸し作業は隊員たちも駆り出されるなかなかに大掛かりな作業だ。


「みんな帰って良いって言ってくれたんだけど、あんなの見ちゃったらさ、そうもいかないじゃない?」

「それなら余計に一人で帰るな。…いるだろう、送ってくれる人間ぐらい」


レオフェルトの脳裏に、親密な二人の姿が浮かぶ。

そうだ、こんな時こそ頼るべき相手ではないのか、そういう関係の相手とは。


「みんな送って行くって言ってくれたんだけど私が断ったの!夜道も慣れてるし」

「その結果があれか」

「いやぁ、今回はちょっと、タチが悪かったなぁとは思うけど…でも、ちゃんと秘密兵器もあるしね、乗り切る術はあったよ、一応ね」


そう言って、じゃじゃーん!と得意気にデニムのポケットから出したのは、小さなスプレー缶だった。そこには"催涙スプレー"の文字がある。


「ここに住んでそれなりに逞しくなったよ、私も」


ほとんど出ない力こぶを作り、ララはにこにこと笑って言う。


 そんなララに、レオフェルトは無性に苛立ってしまう。

いつも、何を言われてもへらへらと笑っているその姿が、どうしてこんなにも自分の感情を掻き乱すのだろうか。


「色んなことがあったけど…今は毎日楽しいんだ。みーんな、ほんとに優しいし…。隊長さんも、なんだかんだでこうして面倒見てくれて。あたし、ほんとに毎日幸せなの。これも全部、あの時隊長さんが働くの許してくれたからだよね。ほんとにありがとう」


ララのこの無垢で純粋な言葉の数々を突き付けられる度、レオフェルトは自分の薄汚れた心を再認識させられたような気になる。


 何故、自分を罵り傷つけた相手をこうも受け入れられるのか。何故、こんな場所であんな家に住んで幸せだなどと言い切れるのか。

これまで貴族として何不自由なく暮らしてきたレオフェルトにはわからない。


もしも誰かが二人を比べたならば、間違いなくレオフェルトの方が恵まれていると言うだろう。


しかし何故、ララの方がこうも幸せそうなのだろうか。


「お前の思考回路はどうなっているんだ。どうすればそう能天気に生きていける」

「え…それって貶されてる…よねぇ?」


ララは心外だとばかりに腰に手を当てて、少し怒った風を装う。


「隊長さんは、まさか幸せだと思ってないの?今の生活」


レオフェルトはその問いに何と答えていいのかわからなかった。

正直、ただ自分の役割をここまでこなしてきただけだったからだ。

貴族として、軍人として、この辺境部隊の責任者として、淡々と。

そこに幸せを見出そうなどと、考えたことがなかった。


「…わからん」


そんなレオフェルトに、ララは苦笑いをしてきょろりと視線を動かす。

そうして少し考えるような仕草をすると、視線をレオフェルトに戻してから、その目をじっと見つめて言った。


「隊長さんは…何かにずっと抗おうとしてるよね。あたしはそれ、やめたほうがいいと思うよ。ぜーんぶ受け入れて、自分の気持ちに素直になった方がいい。好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。そう判断する自分を否定せず、まるっと受け入れて愛す。だって隊長さんの体も、気持ちも、全部隊長さんのものだもん。闘わなくていいんだよ」


抗おうとすると苦しくなるんだよ、ここが。


そう言って、ララは自らの胸に手を当てた。


「ま、ぜーんぶおばぁの受け売りだけどねぇ」


そう言って肩をすくめたララは、その人物に思いを馳せるように優しい顔していた。


 しばらく経って、何も言わないレオフェルトをララはおずおずと見やる。


「…あの、その…大丈夫?」


無言でララをじっと目つめていたレオフェルトに、心配そうに問うた。


「…偉そうなこと言っちゃってごめん…。あれかな、また、嫌なこと思い出した?ごめんね、長く付き合わせちゃって」


久しぶりだったから嬉しくていっぱい喋っちゃった、と申し訳なさそうに眉を下げて笑うララに、レオフェルトは虚を突かれたようにハッとした。


そうだ、何も思い出したりはしなかった。

ただララのことを考えていただけだ。ララを取り巻く環境やララの行動、その思考回路が気になって、とにかく彼女のことだけを考えていた。


ララはレオフェルトが嫌悪する"女"なのに。


それどころか湧き出てくるのだ。

また彼女に触れ、あの安らぎを感じさせて欲しいと。

あの包み込むような温かさで心の傷を癒して欲しいと、そんな思いが。


「…もう帰れ」

「え?…あ、うん…ほんとにありがとう」


それじゃあ、と何処か名残惜しそうに踵を返し、歩いて行くララをレオフェルトは黙って見送る。

家の扉を開ける前に、小さく手を振ったララはその顔に彼女らしくない控えめな笑みを浮かべて扉の中に消えて行った。


レオフェルトはそれを見届けてからゆっくりと歩き出す。


何かに抗おうとしてるよね――


ララの言葉が頭の中で何度も何度も繰り返された。


抗おうとすると苦しくなるんだよ――


そうして彼の中に芽生えた気持ちに、得体の知れないざわ付きを感じてかぶりを振る。


――彼女は、自分にとって特別な存在なのか。


その特別が何を意味するのかは、まだレオフェルトにはわからない。

だが彼女があの忌まわしい記憶を断ち切る鍵であることは、認める他なかった。


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