ep.Ⅺ 皇帝と悪魔
乙羽は魔女が出したコーヒーを手に取り、無意識に鼻が反応する。
芳ばしい香りに一瞬惚け、すぐに飲みたくなる衝動に駆られる。
必死に冷静を装いながら口をつけた。
「おいしい……!」
店と店主の雰囲気から苦々しい味を想像していたのに、予想外の味に感嘆の声を漏らす。
「そうだろう。アタシはコーヒーと紅茶が好きでねぇ。豆や茶葉はアタシ特性のブレンドさ」
「そう言われると紅茶も気になりますね」
「それはまたの機会さね。本題の前にこの店の説明でもしようか。ここはいわゆる占い喫茶だ。喫茶店として飲み食いするだけでもいいが、悩める子羊には占いも提供している。基本は有料だけど、場合によっては初回無料の客もいる」
「私がその特例ですか?」
「余計なお世話じゃなけりゃねぇ」
不思議と嫌悪感はない。
それは、久しぶりに頼りになりそうな目上の女性と出会ったからか。
乙羽は酔った時以外に愚痴をこぼすことはほとんどない。
相談をすることもあまりない。
だけどポツリと、グラスを覆うかのようにコーヒーカップを持ちながら、悩みを語った。
男社会では活躍すれば疎まれ、無能を晒せば蔑まれる。
知人の会社は男性比率が高いものの、協力しながら実績を評価されているという話も聞いた。
自分が悪かったのか、会社が悪いのか。
それすらも分からなくなってしまった。
「じゃあ辞めればいいさね」
「え?」
「そんなに文句がありゃあ辞めればいい。今どき転職なんて珍しくもないし、アンタならどこでもやっていけるだろう。心に鞭打つ理由はプライドかい?」
「逃げたと後ろ指さされたくないというのはありますね…………それに今辞めたら後輩に矛先が向いてしまうから」
「そんなクソみたいな無意味なもんは捨てちまいな! アンタ、逃げることが卑怯だとでも思ってんのかい? 自惚れるんじゃないよ! 辞めないのはそいつらの勝手。アンタがいても地獄は変わらないさね」
逃げることを正当化する人を初めて見る乙羽はフリーズする。
無責任な物言いに思えて、中身からは説得力が感じられた。
店主は小さく息を吐いてから落ち着いた声で続ける。
「そもそもね、自分の心が壊れたら過程も壊れるんだよ。なんのために働いているんだろうと思ったら危険サインさね。心は壊れる前なら修復も容易だが、壊れたら年単位で時間がかかっちまうもんだ。アタシからすれば、アンタはよくもったほうだよ」
思えば乙羽は反発の人生だった。
学生時代は、生徒会長を含めたあらゆる責任職を経験した。
どれも自ら立候補したわけでもなく、周囲に持ち上げられて仕方なく了承していただけ。
そういうところでは自分の意思を通せないにも関わらず、一度任された役目は徹底的に果たしてきた。
周囲からやりすぎだと陰口を言われても全うしてきた。
卒業する頃には口々に感謝の言葉は述べられるも、横に並んでくれた人は一人もいない。
大学ではアルバイトもゼミもリーダーを努めてきた。
的確に仕事を割り振ってきたものの、質を追い求めてリタイアする者が続出した。
さすがにそこは反省して、自分の負担を増やすことである種の妥協を覚えた。
しかし今では、一人でやりすぎだと怒られることが少なくない。
親には仕事はそこそこに、早く結婚をしろと言われて家を出た。
新卒時代はアルバイトと両立することで資金を稼ぎ、他者から援助を受けたことは一度もない。
新卒時代は協調性を意識しなくても評価されてきた。
目上には笑顔を振りまいておけば注目されるし、同期から抜きん出た実績を見せれば正当に評価される。
周りがなんと言おうと、自分の仕事をしっかりこなしていれば協調性も示せる。
しかし管理職になったことで、上と下に挟まれるがゆえの調和を意識しなければならなくなった。
前までは鼻の下を伸ばしていた昭和男も、乙羽が管理職になるとやっかむようになる。
だけど乙羽は、万能な歯車になる方法を知らない。
「今話題の異世界系ってのがあるだろう?」
「はい?」
「アタシは最近の漫画やラノベが大好きでねぇ。最初からチートを持っているやつはどこかでやらかすが、追放されてどん底から這い上がったやつは成長するもんだ。なんでか分かるかい?」
「どん底を知っているから……ですか?」
「半分正解。どん底と普通と成功を知っているからだよ。どの立場も知っているのは武器だし、過程を知っているのも大きい。成長の実感ってやつも伸びるには必要な要素さね」
漫画やラノベを読まない乙羽にはイマイチしっくりこない例えだったが、言わんとしていることは分かった。
「で、アンタはどうしたい?」
「私は…………」
会社に未練はない。
心を休めたい気持ちも強い。
逃げるがどうとか考えるのも馬鹿らしくなってきた。
だけど、
「とりあえず続けます」
「ほう? アンタ、見かけによらずドMだねぇ」
「ふふ、好きで強気に見せているわけじゃありませんよ。これは意地ですけど、さっきまでとは違います。反発して成長するのが私のやり方ですから」
いつでも逃げられる。
逃げてはならないと思い込んでいた乙羽にとって、この許しは大きな武器となった。
いつでも逃げられるなら、ギリギリまで戦ってみようと。
「気づいたようだねぃ」
「はい。私はすでに、どん底と普通と成功を知っています。あがいてきた過程も。私に足りなかったのは、過去の経験を活かそうとしなかったことですよね?」
「さあね。過去の経験はそれだけじゃない。だけど、知らないことが知っていることに変わった。それだけでアンタはもっと成長できる」
「とりあえず、ムカつくオヤジたちをぶっ飛ばすために頑張ります!」
「はっ、いいねぇ。アタシ好みだ」
「そうだと思いました」
乙羽は自分が笑っていることに気づく。
愛想笑いは昨日もしていたが、自然な笑みは数ヶ月ぶりかもしれない。
そう考えていたら、突然空腹を感じた。
何か頼もうかと逡巡するも、ふと腕時計を見て慌てた。
「いけない! そろそろ行かないとまた嫌味を言われちゃうわ」
「はいよ」
店主はサンドイッチを乙羽の目の前に置いた。
「年寄りの戯言に付き合ってくれた礼だよ。コーヒーは五百円だ。ほれ、先にお釣り」
基本的に電子マネーの乙羽は小銭を持ち合わせていない。
千円札を出そうとする前に五百円を渡されて、奇妙なトレードを交わすことになってしまった。
「ありがとうございました! あの、今度は店主ご自慢の紅茶を飲みに来ますね」
「好きにするといい。ここは喫茶店だからねぇ」
バタバタと店を乙羽が店を出ると、店主は店の入口を見つめて呟いた。
「追放されたやつはなんだかんだ運がいい。今日が大きなきっかけと思ったんだろうが、それはまださね」
「あれからも何度かお邪魔したけど、水都くんには会わなかったわね。オーナーさんは学校だからとおっしゃっていたけど」
「確かに昼時は学校の率が高いですけど、意図的なものですね。〈フールー〉の時まで僕のシフトを調整していたんでしょう」
「話すたびに思い知らされるけど、とんでもない方ね」
「人の倍は経験していますからねえ…………ん? 結局占い師を目指す理由ってなんだったんですか?」
「多くの経験に触れたいのと、オーナーさんの世界を少しでも知ってみたいってところかしら。実際のところ、この理由はうまくまとめきれないの」
占いで他者の経験に触れるという考え方ができるようになったのも、大きな成長だろう。
自分たちは集まるべくして集まったのだと、水都は思い知らされる。
「あー、言いたいことは分かりました。ばあちゃんに会った人はみんなそんな感じになるので」
「でしょうね。なんで気持ちがスッキリしたのか、今考えてもよく分からないわ。でも一つ言えるのは、彼女の言葉には不思議と力がこもっていたのよ。あれから私もラノベにハマったんだけど、賢者みたいな方よね」
「クセの強い賢者ね。まあ、チート要素を詰め込んだ人なのは間違いない」
オーナーと水都は似ていないようで、すごく似ている。
何がと言えないものの、親子のような繋がりが感じられた。
質問をしたくても問い方が分からない。
それに二人に出会って、乙羽が新たに学んだことがある。
必要なことは、必要な時に知る。
オーナーからの助言もあの時でなければ、今の乙羽はなかっただろう。
あの時とは全く違うコーヒーの味を楽しみながら、明日の上司としての水都を楽しみに思うことにした。
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