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レディレディー  作者: YB
9/20

#09 デッドエンドが聞こえる

 土曜日のお昼過ぎに、安田がうちにやってきた。

 デブでブスな安田はリビングのソファに重たい体重を預けて、首からタオルをかけてダラダラと汗を流していた。

 あたしなんかはフローリングの床が冷たくて、暖房を効かせたいぐらいなのに、コンビを組むというのはなかなか大変らしい。

 安田を迎えいれてから、ソファテーブルにスマホとノートを広げてあーだこーだと漫才のネタ合わせをしていた。

「やっぱりよぉ、キャラクターが大事なんだよなぁ」

 安田が腕を組んで、眉間の脂肪でシワをつくる。

「分かりやすいキャラは絶対に必要だよね、それだけでフリになるからなあ」

 あたしはソファの背もたれに、だらんと体を投げっぱなしにしていた。

「あのよぉ、私はデブでブスだから、笑いになるならイジってもらっていいと思ってるぜぇ」

 安田がどうでも良さげに言った。

「デブでブスはその通りだけど、安田のことを笑っていいかなんてさ、見てる人は分からないからねえ」

 昨今の容姿イジリ事情は本人たちの思いを無視して、大衆の思惑に流されてしまっているのだ。

「そこなんだよなぁ‥‥坂下のこと恨んでるけどよぉ、オッパピーってキャラが固まってたのは正直、気が楽だったぜぇ」

「人見知りし過ぎなんだって、おもしろいのにもったいないよ」

 安田はおもしろいのに、目立たないようにしているから、いきなり舞台に上がってもきっと観客は笑っていいのかどうか判断に迷うことになる。

 4分のネタでその迷いは致命的な欠陥となってしまう。

「私は松本人志に憧れた勘違い若手芸人を目指しているんだよぉ」

「それよく聞くけど、第二の松本人志は出てきてないからやめとけ」

 安田がタオルで汗を拭いて、スマホを操作する。

「とりあえずよぉ、ネタのコンセプトになる過去に流行った一発ギャグを読み上げてみるかぁ」

 あたしは「うん、賛成」と言って身を乗り出した。

 安田が難しい顔をして、芸人さんの雰囲気を真似しながら口にしていく。

「あの、あのね、ちょっとした幸せってあるよね」

「えーっと‥‥ツイッターシロー」

「“つぶやき“シローな。あの時代にツイッターなんかないから。次、いくぜ‥‥だっちゅーの!」

「カリビアン、だっけ?」

「パイレーツな。次‥‥さんぺ〜です」

「ぺ・ヨンジュン?」

「三瓶って言ってるだろ、37も勝手に足すなよ‥‥ゲッツ!」

「official髭男ディズム坂野!」

「ダンディ坂野な、間違え方が荒いっつうの‥‥なんでだろ〜」

「キンandギン!」

「それは、長寿の双子だぜ‥‥ヒロシです」

「ヒロシ」

「いや、間違えろよ‥‥チッキショー!」

「ダルビッシュ有」

「コウメだゆう、ユウ違いっ! こっちは白い方!」

「クロちゃん!」

「いや、別にモノマネしてないからっ‥‥キレてないですよ」

「シックプロテクターのCM?」

「それは『キレテナーイ!』だぜ、ってかチョイスが古いっ‥‥オッパピー!」

「三組の坂下」

「小島よしお、なっ! 勝手に坂下のものにするなよっ!」

 こんな感じにスマホからワードをチョイスして二人であーだこーだ騒ぎながら、漫才のネタを考えていく。

 あたしも安田も生粋のテレビっ子だから、過去の流行を漁っているだけで、いくらでも会話は尽きない。

 太陽が傾いていって海の遠くへ落ちてからも、あたしと安田のあーだこーだは続く。

 夜になって、旅館が落ち着いたお母さんとお父さんが帰ってきた。

 二人とも仕事着姿のままだった。

「そうだ、漫才見てもらおうよ!」

 ずっとネタ合わせをしていたせいか、おかしなテンションのあたしが宣言した。

「お、おう!」

 安田も似たようなもので、らしくない乗り気な態度だ。

 お母さんは「かまいませんけど‥‥」と優しそうに微笑み、お父さんは「‥‥‥」今日も一言も話さない。

 ソファテーブルをのかして、即席のステージを作る。

 観客は二人、あたしと安田の初めての漫才。

 わざわざ引き戸から登場してみせ、駆け足気味に観客の前に立った。

「どうもー、万年準備中のレディレディーでーす!」

 あたしが元気よく挨拶をして。

「いきなりなんですけど、緊急地震速報のチャイム音あるじゃないですか」

 安田がスラスラとネタに入っていく。

 そして、あたしたちの抱腹絶倒地獄絵図! 天上天下唯我独尊! 笑いのグラディエーター! 的な会心の漫才は一度も噛まずにちょうど4分で終わった。

 肩で息をしながら、観客席に目をやる。

 着物姿のお母さんが申し訳なさそうにこう口にする。

「ごめんなさい、何を話しているかひとつも分かりませんでした」

 隣のお父さんなんて「‥‥‥」眉ひとつ動かさず、腕を組んで険しい顔をしているだけだった。

 漫才の途中から真っ青だった安田が膝から崩れ落ちる。

「だだスベリじゃねえかぁ!」

 あたしが安田を支えてこう口にする。

「しゃーないって、二人ともテレビ一切見ないから!」

「それでよく見てもらおうなんてって思ったな!」

「ごめん、想定してなかった!」

「うがぁぁぁ、初披露がこれは‥‥心折れるぜぇ」

 そんなあたしたちを見ていたお母さんが、困ったように首をかしげた。

 お父さんはいつまでも険しい顔のままだった。

 やっぱり、漫才は難しい。


 ベッドで眠るのはもったいないから、布団を二組敷いて隣同士で横になる。

 いつもの自分の部屋が、名前も知らない異国のような情緒を天井に浮かびあがらせていた。

「はぁ〜、死にてぇ」

 隣のまくらが腕で顔を隠してうなだれる。

「うちの親は娘にも容赦なかったね‥‥一ミリも口角変わってなかったもん」

 あたしは漫才中ずっと真顔だった両親を思い浮かべ、今になって笑えてくる。

「まりあのおやじなんかよぉ、途中からマネキンかってぐらい変化なかったぜぇ」

「お父さん、ずっとあんな感じだよ」

「マジかぁ‥‥まりあ、よくそんな性格になったな」

「おじいちゃんっ子だったからね、あとずっとテレビ見てた」

 安田はようやく腕をのけて、ブサイクな横顔を見せてくれる。

「私もよぉ、ずっとテレビ見てたなぁ」

「めちゃイケ、内P、みなおか‥‥」

 あたしが口にすると、安田が続けて。

「ごっつ、電波少年、ウリナリ‥‥」

 そして、二人同時に。

「森田一義アワー」

 一音もずれなくハモったから、あたしはクスクスと静かに笑う。

「今だっておもしろいバラエティたくさんあるけどね」

 安田は「おう」と淡白な返事をした。

 そして、間。

 これは話の流れを変える間だってすぐ気付く。

 あたしは布団を深くかぶって、安田の言葉を待つことにする。

 ブサイクな相方の呼吸を聞いて、何を語ってくれるのかワクワクしていた。

「あのよぉ、私さ、お笑い芸人になりたいんだ」

「知ってるよ」

 安田がこっちを見ないから、あたしは彼女のもみあげを見ることになる。

「だろうなぁ、でも口にしとこうと思ってよぉ」

「あたしは声優になりたい」

「知ってるぜぇ‥‥まりあのそういうとこすごいと思う」

「夢を簡単に口にするとこ?」

「おう‥‥私は芸人になってM ー1優勝するぜぇ!」

「あたしはディズニーアニメの吹き替え声優やりたい!」

「‥‥私はこんなんだからよぉ、これしかないんだ」

「うん、あたしは『そんなことないよ』なんて言わないよ‥‥安田は芸人にならないといけないんだ」

「顔も性格もブサイクだし、変わりたいとも思ってないし」

「ブサイクとか変わるとかじゃないでしょ、ここは外国みたいなもんだし、素直になりなって」

 安田の唾液を飲み込む音が生々しく響いた。

「‥‥笑わせたいんだよなぁ、ずっと。なんでか知らないけど、人を笑わせたいんだよなぁ」

「あたしと安田が教室で話してるとさ」

「うん」

「みんな聞き耳たててるの気付いてるっしょ?」

「‥‥まりあがくだらないこと言って、私がツッコミを入れるとよぉ」

「ウフフ‥‥」

「何人か吹き出して笑ってるのも知ってるぜぇ」

「‥‥楽しいよね」

「‥‥たまんねえぜぇ」

「井上先輩、笑ってくれるといいね」

「‥‥寝る」

「ま、安田と恋バナしてもキモいだけか、おやすみ」

 あたしは目を閉じて、微睡みにとろけていく。

 意識が半端になったぐらいで、隣のまくらから「今日のこと一生忘れないぜぇ」って聞こえた気がした。


 安田を見送ったあとの日曜日の夕方だった。

 スマホが鳴って確認すると、弥生からの電話だった。

「もしもーし?」

 あたしが軽い口調で応答する。

「‥‥まりあか? 俺だよ、俺」

「オレオレ詐欺はお断りです」

「違うって! 長月だ、弥生のもう一つの人格の!」

 あたしはすぐに気付いていたけど、茶化してみただけだ。

「分かってるよ‥‥長月、悲しい話は聞きたくないんだけど」

 嫌な予感がして、胸が苦しい。

「元に戻るだけだろ? 悲しいも、嬉しいもない、どこにでもある話だ」

 堂々とした口調で長月は言った。

「‥‥きっと泣いちゃうよ」

「‥‥弥生がさ、文化祭でバンドなんてやるからよ、それだけ見てから行くよ」

 長月は近くの公園にでも遊びに行くかのような軽い声色だった。

「うん、弥生はもう大丈夫だね」

「だな。たぶん、この世界で俺の役割は終わったんだ、だからもういいんだ」

 電話口から伝わってくるのは達成感による高揚だった。

 長月は無くなることを受け入れていて、本当の本当に満たされているような声だった。

「虹蛍高校の文化祭って、後夜祭があって。みんなで手持ち花火を持って好き勝手な場所で花火をするんだ。その時に、ラヴィさまとつなげるから、最後に話してあげてよ」

 前夜祭の同じ時間、学園宮殿では祝祭の舞踏会が開催されている予定だった。

 電話の向こうの長月が「あぁ」と返事をする。

「ラヴィ、怒るかな?」

「ううん、きっと泣くよ」

「少し前までは、俺のために泣いてくれる人がいるなんて想像すらしなかったのに」

「あたしも弥生も、結奈だって泣くよ」

「‥‥そうだな」

「最後にラヴィさまとつなげるから、勝手に行かないでよ」

 あたしが念を押してそう伝える。

「分かってるって‥‥まりあ、ありがとな」

「どういたしまして」

「まりあのこと、絶対に忘れないよ‥‥どこまでも持っていくから」

「あたしだって、長月のこと忘れられないよ」

 電話を切ってしばらく甘い脱力感で力が入らなかった。

 これを死と呼んでいいのか分からない。

 長月は無くなる、そのことが死ぬことなのかあたしには分からない。

 弥生も分かっていない‥‥長月だって同じだ。

 だから、長月はただ無くなるだけなんだって思う。

 でも、そう自分を納得させてしまうことが意地汚い行為だとも思ってしまう。

 ‥‥長月の死を受け入れてしまうような気がして。


 直接、死に触れたことがなかった。

 あたしが死について思い浮かべるのは、まりあの家の和室に飾ってあるおばあちゃんの遺影だった。

 お母さんのお母さん、先代吉野家旅館の女将、おじいちゃんの奥さん。

 あたしが生まれる前に亡くなってしまったおばあちゃんの写真を見て、寂しそうに目を細めるおじいちゃんをよく覚えている。

 あたしにとって死は、あのおじいちゃんの表情だった。

 長月が無くなると聞いてから、そんなことをよく考えている。

 すると、マリアのあたしはとんでもなく大切なことを忘れているような気がしてしまう。

 その忘れてしまった記憶は、あたしがもともと持っていた死の気配だったと思う。

 あたしは瓦礫の山の隙間に身を隠して、ずっとずっと泣いていた。

 赤い雨が降って、

 黒い円盤が回転し、

 生き物の姿はどこにもなかった。

 湿った視界で見る世界は終わりだった。

 終わりの世界、生と死が共存するただ恐い、こわい。

 そこまで思い出すと、次の絵は海に切り替わる。

 あたしは虹彩色の空と赤みがかった海を、堤防の上から見つめていた。

 もう恐くなかった。

 何故なら、隣に大きくて暖かくて優しくて全てを許してくれる、そんな“恐くない“があった。

 ‥‥あたしは“恐くない“のことを、まだ思い出せていない。

 そんな朧ろげな死の記憶を掘り起こしていたら、あっという間にお祭りの前日になっていた。

 安田との漫才と、長月とラヴィさまの最後の逢瀬の準備に気をとられて、もう一つの悩みの種が萌えたことにその瞬間まで気が付かなかった。

 マリアのあたしだった。

 祝祭の前夜祭だった。

 薄暗闇を都合のいい月光が照らしている学園宮殿の庭園だった。

 模擬店の洒落たテントを組み立てている最中だった。

 丸顔のナルシアがあたしの袖を掴んで言ったのだった。

「ねえ、マリアちゃん‥‥結奈、死んじゃった」

 あたしはテントの柱から手を離した。

「え?」

 ナルシアがヒックヒックと嗚咽を漏らし、必死に言葉を続ける。

「結奈‥‥車に轢かれて死んじゃったの」

 ナルシアが飛び込んできて、あたしは震える手でそれを受けとめた。

「ナルシア、辛いかもだけど詳しく教えてくれる?」

「うん‥‥後夜祭が終わってね、結奈は幸せだった‥‥一人で帰っている途中に、コンビニでお菓子を買おうって思っちゃって‥‥家を通り過ぎて、緩い坂道を自転車でこえた、そこで‥‥」

 ナルシア自身も痛みに耐えるように歯の力を入れた。

「大きな風船の割れた音、化け物のような悲鳴、衝撃、目の前が高く浮かび上がって、私は暗い暗い森の中、温かくなって、すぐ冷たくなった‥‥そしたらね、まりあちゃんに会いたくなったの」

 ナルシアの嗚咽は叫び声になって、あたしの体を思いきり掴んだ。

「‥‥痛かったね、でもここは大丈夫‥‥大丈夫だからね」

 あたしはナルシアの背中をさすって、人目のない場所へと移動するように促した。


 どこからやってきて、どこを目的にしているのか分からない川の流れを借りて回る水車の近くだった。

 祝祭の準備で忙しない庭園を後にして、ナルシアを連れてここまでやってきた。

 ナルシアは目を腫らして、混乱の余韻に呼吸を乱していた。

 あたしはずっと背中をさすっている。

「‥‥マリアちゃん」

 水車回る、回る、回る。

「私たちがこの世界で出会えたのって、運命だと思うの」

 水車回るから水を掬って、落とす。

「結奈は痛かったけど、死ぬまで願い続けたの‥‥まりあちゃんとあきら君とまた出会えますように、って」

 回る回る回る。

「そしたら、ね‥‥願いは届いて、私たち、また出会えたよ」

 ナルシアの涙が月光に反射して、飛び散った。

「運命ってあるんだよ!」

 あたしはナルシアの肩に手を回して、まわして、自分の元に引き寄せる。

「ナルシア、もう大丈夫だからね」

 ナルシアが満足そうに微笑み、あたしに頭を預けた。

 うん、運命だって分かってしまえば簡単なことだ。

 あたしは二人いる。

 一人が欠けても、あたしは死なない。


 同じ時間、まりあのあたしは結奈と一緒に帰っていた。

 模擬店のテントの組み立てを手伝ったあとで、もう薄暗く電柱の街灯が明かりを放つ。

 自転車のハンドルをおして歩いている。

「結奈」

 って、あたしが言った。

「なあに?」

 って、結奈が返事をする、くすぐったい声。

「あのさ」

 自転車の車輪が回る、回る、回る。

「どうしたの?」

 回る回る回る。

「おかしな夢見た?」

「うん」

 自転車が止まるから、回る、まわるのをやめる、止まる。

「教えて」

「えっとね、ナルシアの私は長い長い夢から目を覚ますの‥‥それで迷路のような場所から外に出るとね‥‥空いっぱいから流星が落ちてくるの‥‥でね、なんでかな‥‥すっごく綺麗な流星なのにね‥‥私は恐くなって目を閉じてしまうの」

「それで?」

「そこで記憶は終わり‥‥でもね、私はマリアちゃんに会いたいなあって思っていたよ」

「あのさ、後夜祭が終わったら一緒に帰ろっか?」

 あたしは自転車をおして再び歩きだす。

「いいけど‥‥何かあったの?」

 結奈も自転車をおして、あたしについて来る。

「寂しいじゃん、ずっと一緒だったのにさ。だから、帰りぐらい一緒がいいんだ」

「何それ‥‥でも、嬉しい」

「絶対、絶対、一緒に帰ろうね‥‥約束だよ?」

「うん、約束する」

 自転車おすから、車輪が再び回る。

 回る回る回る。

 運命に爪をたてて、威嚇しよう。

 毛を逆立てて、力を蓄えて今にも飛び立てるように。

 あたしはまぶたの奥の瞳孔を鋭く尖らせる。


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