#02 教えてマジカルラブリー
あたしには特技がある。
軽めのグーで親指を合わせてちょんちょんと手首を曲げると、女の子のマジカルラブリーが見えるのだ。
マジカルラブリー‥‥宇宙の法則ですら解き明かせない、地球に満ち満ちる未知のエネルギー。
女の子が恋をした時、その気持ちがどれほど本気がパーセンテージでなんとなく分かってしまう、とんでもない特殊能力だ。
想いが強ければ強いほどマジカルラブリーも強くなる。
虹蛍高校の早朝の下駄箱。夏休みが明けたばかりで、まだ気だるぅってあくびをしながらスリッパを履くと、顔見知りの後輩に声をかけられた。
「まりあ先輩、恋占いしてください!」
赤の強いリップで光る唇を結び、ひと夏でぐっと大人っぽくなった後輩は特別な出会いを経験したようだった。
「恋、したんだね?」
あたしはカッコつけてニヤリと微笑み、彼女にそう言った。
「‥‥はい、でもこの気持ちに自信がもてなくて」
彼女はまつ毛を伏せて、胸の前で手を握る。
いやいや、そんなに色気を出しちゃって‥‥“見る“までもなく、恋してるじゃん。
って思うけど、あたしは野暮は口にしない。
気持ちを言葉にしないと、不安だもんね。
あたしはダンディ坂野のゲッツの指先で彼女に言った。
「よしっ! じゃあ、好きな人を思い浮かべてみて」
「はいっ、ありがとうございます」
彼女はムンムンと眉間にシワを寄せて、祈りを込めて想い人を思う。
「いっくよ♪」
軽めのグーで親指を合わせてちょんちょんと手首を曲げる。
「あなたのマジカルラブリーは‥‥80%」
彼女が勢いよくまぶたを開け、グイッと顔を近づけてくる。
「それって!」
「大丈ブイ、あなたはの気持ちは本気も本気だから‥‥良い恋になるといいね」
彼女はあたしに抱きつき、頭をグリグリとこする。
「まりあ先輩、ありがとうございますぅ!」
「ちょっと、ラメがシャツにつくからやめてって」
すると、遠目から事の成り行きを見守っていた女子高生たちが、近寄り口々に声をあげる。
「まりあ、私もちょっといいなって思う人ができて‥‥」
「実は今の彼氏とうまくいってなくて、まりあはどう思う?」
「バイト先にカッコいい人がいて、でも好きかどうか分からなくて」
先輩も後輩も同級生も入り混じり、早朝の下駄箱でちょっとした人だかりができてしまう。
「はいはいっ、わかった分かったから! 順番で見るから! お昼休みも放課後も空いてたら見るから!」
夏休みが明けはだいたいいつもこんな感じ。
おかげで、学校の女の子はほとんど友達だった。
マジカルラブリーは恋の本気度であり、パーセンテージが高いからといって恋が上手くいくとは限らない。
このことは、口が酸っぱくなるぐらい教えているし、みんなも承知の上で聞いてくる。
それは、もう一人のあたしが暮らす学園宮殿でも同じだ。
果てのある海に囲まれた島の中心に学園宮殿はあって、そこで暮らす人たちは“キゾク“と自分たちを呼んでいた。
もちろん、あたしもキゾクの一人でマリアだった。
この世界はお金も労働もなく、あるのはキゾクとしての誇りと礼節を磨くことだけ。
Googleで検索しても出てこないこの場所は、惑星が違うか、とんでもなく過去か未来か。
たぶん、そんな場所だと思っている。ちなみにスマホも携帯電話も存在しない。
まあ、あたしは物心ついた時には“まりあ“であり“マリア“だったから、あんまし二つの世界の違いは気にならない。
あたしにとって、二つの世界の暮らしは当たり前であり、何も特別なことはなかった。
ルールの違いは、なんかそういうもんだって割り切っているしね。
上品な朝食を済ませて、講堂へ向かう廊下を歩いていると顔見知りのキゾクの女の子に声をかけられる。
「マリアさま、少々よろしいでしょうか?」
フリフリのついたドレスのような制服で、彼女はおずおずと言った。
「はいはい、恋占いね?」
「え、どうして分かったのですか」
「もう一人のあたしがフル稼働してるからさ、勘が鋭くなってんの」
「相変わらず、マリアさまはユーモアですね」
「あたしって“おもしれー女“でしょ?」
「えぇ、おもしれー女でございます」
キゾクの彼女は気品のある笑みでそう言った。
あたしはゲッツの指先で彼女に問いかける。
「はい、じゃあ好きな人を思い浮かべてね」
「は、はいっ!」
彼女は胸の前で手を結び、ゆっくりとまぶたを閉じる。
あたしは軽めのグーで(以下略)
「あなたのマジカルラブリーは‥‥25%」
彼女は「やっぱり‥‥」と呟き、あたしに潤んだ瞳を向ける。
「う〜ん、もう少し悩んでみて。急ぎすぎかも」
「はい‥‥出会った瞬間の胸の高鳴りを感じなくなってしまって不安だったのです」
「じゃあ、他の恋を探すもよし、高鳴りを思い出すよう駆け引きしてもよし、むしろ不安を楽しんでもよし!」
彼女は目をパチクリさせて、首をかしげる。
「そんなわがまま、許されるのでしょうか?」
あたしは自信満々に答える。
「もちろん、恋する女の子は最強なんだから!」
「はい、ありがとうございます」
すると遠目から見守っていたキゾクの女の子たちが、躊躇いながらも近づいてくる。
騒ぎが起こる前にあたしは手を二回叩いてこう言った。
「はいはい、順番に見るからねえ」
交通整理のように腕を動かして列を作るのにも慣れてしまった。
おかげで、学園宮殿のキゾクの女の子はほとんど友達だった。
まりあのあたしはようやく下駄箱の騒動を落ち着かせて、教室の窓際の真ん中に席に腰をかけた。
「まりあちゃん、お疲れさま」
前の席にいた結奈が振り返り労ってくれる。
「ま、好きでやってますから。結奈、おはよ」
「おはよう‥‥へへっ」
丸顔で素朴な結奈はあたしの幼馴染で親友だった。
「何か良いことあったって聞いて欲しそうな顔してる」
あたしが机に肘をついて意地悪に言った。
結奈は耳を紅く染めて、堪えきれない笑顔でコソコソと口にする。
「うん‥‥夏休みの最後にあきら君と遊びに出かけて、その帰りに告白されました」
「マジで? 返事はもっち?」
「うん‥‥付き合うことになりました! まりあちゃん、応援してくれてありがとう!」
あたしと結奈は音の出ないハイタッチを交わした。
タッチした手をそのまま繋ぐと、結奈の5年にも及ぶ恋が実ったんだって実感が湧いてくる。
「ずっと、好きだったもんね」
「うん‥‥今思い返すと、運命だったって思う」
「あたしも結奈とあきらはきっとこうなるって分かってた」
「占いで?」
「ううん‥‥親友だもん。それぐらい分かるよ」
結奈が鼻をヒクヒクとして「ありがとう」って涙声で言った。
「なくな泣くな‥‥ほら、先生きたよ」
教室に担任の先生が入ってきてホームルームの始まりを告げる。
起立、礼、着席。
結奈がチラリとこちらを見つめて手を振った。
あたしの親友に、ついに恋人ができたんだなってしみじみと思った。
マリアのあたしは学園宮殿の大きな石造りの食堂で昼食を楽しんでいた。
向かい合って座るのは、親友のナルシア。
ナルシアも丸顔でキゾクにしては珍しい素朴な少女だった。
女子高生の結奈とキゾクのナルシアはとても似ているけど、あたしみたいに二人いるわけじゃない。
「マリアちゃん、それで結奈はやったのですね」
ナルシアがキゾクの食事マナーを忘れて、身を乗り出し訊ねてくる。
親友であり、似た者同士の結奈とナルシアは“もう一人のあたし“の世界の話が昔からお気に入りだった。
「授業中もニヘニヘして、先生にきもがられるぐらい‥‥幸せそうにしてたよ」
あたしがお肉を頬張り口にする‥‥あ、あたしにマナーとかは無理なので期待しないでね。
「そっか‥‥良かった」
ナルシアが遠くを見つめて、「ふぅ」と肩を落とす。
「私も欲しいな、恋人」
「ナルシアならすぐできるって」
あたしが無責任にそう投げかけると、ナルシアは「ファイト!」と小声で気合を入れた。
「私、アクシデントに登録する!」
フンスカと鼻を鳴らすナルシアが宣言した“アクシデント“とは、学園宮殿の出会い系のようなサービスだった。
全てが効率よくまわるこの世界では“偶然“をすごく大切にしている。
学園恋愛科でアクシデントに登録すると、自分の条件に合った異性とちょっとした偶然で自然に出会うことができて、キゾクの女の子の出会いはこれが普通だった。
「いいんじゃない。ナルシアなら素敵な人と出会えるよ」
「マリアちゃんも一緒に登録しない?」
突然の誘いにあたしは食事を‥‥止めずにそのまま言い返す。
「あたしはいいって‥‥自分の恋ってよく分かんないからさ」
ナルシアが唇を丸めて残念そうに口にする。
「‥‥あっちの世界に好きな人がいるの?」
「ううん、全然‥‥たぶん、あたしはまだ準備ができていないんだと思う」
「準備‥‥か。分かった、私に好きな人ができたら、結奈みたいに応援してね」
「もっち! 頑張れ、ナルシア」
「うん、頑張る!」
ついこないだまで、ランチや本の話ばかりしていた親友たちが大人になっていく。
だからといって、別に焦ったり羨ましくなったりはしないけど。
ちょっとだけ、寂しくはある‥‥かも。
まりあのあたしは虹蛍高校の駐輪場で自転車に乗る。
うみねこの鳴き声が聞こえる、放課後のオレンジだった。
中学ではソフトテニス部に所属していたが、高校で帰宅部なのには理由がある。
あたしには声優になりたいという将来の夢があって、叶えるために家でアニメを見たり、発声練習をしなくてはいけないからだ。
けっこー本気なんだよ、声優になりたいって。
自転車をこいで校門を通り、坂道を下るとガードレールの向こうに海が見えた。
通い慣れた帰り道、生まれてからずっとこの海を見てきたあたしは、今でも懐かしさを覚える。
その懐かしさは、見覚えのない一筋の煙のような微かな記憶。
とても大切な記憶のはずなのに、まるで他所ごとのように心当たりがなかった。
あたしはそんなすぐにでも消え入りそうな感触だけの記憶を忘れないようにずっと大切にしていた。
センチメンタルに坂道を下っていると、隣に同じ制服姿の女の子が並び走る。
「あら、弥生じゃない。帰り一緒になるなんて珍しいね?」
隣のクラスの弥生は、教室で一番大人しい小柄な女の子だった。
夏休み前に、一度だけマジカルラブリーを見てあげたことがあって、話したのはその一度限りだった。
「‥‥お前のせいだ」
勢いよくまわる車輪、弥生の前髪が風になびくと、鋭い目つきであたしを睨みつけてきた。
「お前がおかしな占いするから、弥生はふられたんだ!」
ガードレールが横目を流れていく。
「弥生はあなたでしょ?」
あたしは首を傾げて後輪のブレーキを効かせる。
「違う‥‥俺は長月だ!」
弥生の自転車もスピードを落としていく。
坂道が終えた先にある無人駅の前で、二人の車輪は停止する。
「ごめん、話が見えないんだけど」
あたしがそう口にすると、長月だと名乗った小柄な女の子は堂々と宣言した。
「俺は二重人格だ‥‥弥生はあきらって男に振られて、今は泣いている」
あきらって名前を聞いて、ドキリと息をのむ。
あたしの親友、結奈の恋人になった男の子‥‥それが、あきらだったから。
「あなたも二人いるのね」
カーブミラーにはあたしと長月が映っていた。
「なんで、弥生にあんな占いしたんだ!」
「なんでって‥‥頼まれたから」
夏休みに入る前、オドオドと細い声で「恋占いしてください‥‥」と頼んできた弥生のことは鮮明に覚えていた。
その時に見たマジカルラブリーのパーセンテージだってはっきりしている。
「占いって、もっと前向きな感じのやつだろ」
長月がしどろもどろと口にする。
「あの時の弥生のマジカルラブリーは‥‥15%だったわね」
「それが弥生の自信をなくさせた。だから、告白もできずに‥‥」
あたしは長月をまっすぐと見つめて、弥生に話しかける。
「弥生、そこにいるのよね? 女同士で少しだけお話ししない?」
長月は「は?」って不機嫌に唇を曲げたが、その後ゆっくりとまぶたを閉じて、開いた時には自信なさげな弥生になっていた。
「ひゃ‥‥あの‥‥ごめんなさい! なかったことにしてくだひゃい!」
顔を真っ赤に涙目でそう叫ぶと、弥生はペダルを踏み外し、なんとか体勢を整えて、無人駅のほうへ駆けて行く。
あたしは二重人格の弥生に近しい気持ちを感じて、鍛えた発声でこう叫ぶ。
「弥生ぃ、明日も一緒に帰りましょー! 話を聞かせて」
返事はなかったが、なんとなく明日もこの場所で、弥生と一緒にいるような予感がしていた。
あたしは自分が二人いることを隠していない。
幼い頃から、二人いて別世界の話をするあたしをみんなは面白がって受け入れてくれた。
ほとんどの人が信じていないことも知っているし、中には信じてくれている人がいることも知っている。
弥生と長月はどうなんだろう‥‥。
あたしは小柄な彼女の秘密が気になっている。
堤防の上、自転車を押して歩いている。
海の水平線に夕日が沈み、水面に反射してキラキラと輝く。
あたしは立ち止まり、毛並みの良い灰色の大きな猫に挨拶をする。
「師範、お疲れさまです」
自転車のとめて、師範と呼ばれる灰猫の隣にかがんで座る。
「にゃん(お疲れさま)」
ダンディな声色であたしには目もくれず、師範はそう答えた。
「今日も何事もなく平和でしたか?」
前に師範が海を見つめる理由を聞いたことがあった。
「にゃん(問題ない)」
師範は古い友達との約束を守るため、この土地を守っているのだと教えてくれた。
あたしは立ち上がり、スカートの砂埃を払う。
「では、お先に失礼します」
「にゃん(おう)」
師範は不思議な猫だった。
聞けばあたしが生まれるずっと昔から、この場所で海を見つめているらしい。
町の人は守り猫として師範を尊敬しており、当番制で食事の世話までしている。
ぶっきらぼうで、愛想のない師範はあたしにだけ言葉を交わさせてくれていた。
小旅館吉野家。
町にたくさんある旅館のひとつがあたしの家だった。
旅館の娘なんていうと、「若女将じゃん、大変そう」と同情されるが、あたしは手伝ったことなんて数えるほどしかない。
お母さんもお父さんも若い時に旅館を任されて色々と大変だったそうで、あたしには好きに生きて欲しいという思いがあるようだった。
旅館のすぐ隣に建つ家は、慌ただしい旅館の喧騒と隔絶されていて、あたしはのんびりすくすくと育っていった。
帰宅して、作り置きの食事を済ませて、自分の部屋で録画した『さんまの向上委員会』を見て爆笑する。
コロチキのナダルは最高に奇人で、ザブングルの加藤のキレ芸は正直飽きた。
さんまさんは尊敬する人、ダントツ1位でレギュラー番組は全て録画している。
あたしは芸人が大好きで、声優になるための特訓をしていない時はだいたいバラエティ番組を見てお腹を抱えていた。
向上委員会を見終えると、ちょうどよく部屋にお母さんがやってきた。
「また、さんまさんですか?」
白基調の着物姿のお母さんは、その透明感のある肌と相まって、娘のあたしでも美しさに見惚れてしまう。
「うん、爆問の太田が出なくなっちゃて寂しいんだよねえ」
お母さんはテレビを見ない人なので、伝わっていないんだろうけど、こういうたわいない話を喜んで聞いてくれる。
「そうなんですね、学校はどうですか?」
お母さんはベッドに腰かけ、足をたたむ。
9月の夜だった。
湿気を多く含むこの季節は、夜の波の音がこの部屋まで届いていた。
あたしはお母さんの太ももの上に寝転ぶ。
「今日はたくさんマジカルラブリー見たから疲れちゃった」
お母さんがそっと前髪を撫でてくれる。
「授業はしっかり受けていますか?」
毎晩、飽きずに繰り返される問いかけに、実は面倒になった時期もあった。
答えは変わらないのに、どうして同じことを聞いてくるのだろうって。
でも、お母さんにとって同じ問いかけは儀式みたいに必要なもので、なんとなくそれが分かってからはあたしもこの儀式を大切にこなすようになっていった。
「うん、ぼちぼち受けてるよ」
「そうですか‥‥学校は楽しいですか?」
「うん、楽しいよ」
「そろそろ、進路も決めないとですね」
「うん、お芝居の勉強できる大学か、声優の専門学校かで悩んでいるの」
「まりあさんの声は綺麗だから、きっと声優になれますね」
「いや、花澤香菜の方が全然、綺麗だよ」
「花澤さん? すごい人がいるのですね」
「うん、ざーさんはすごいよ」
「じゃあ、もっと頑張らないといけませんね」
「うん、頑張る」
「まりあさん、おやすみなさい」
「おやすみなさい、お母さん」
その夜、不気味な夢を見た。
長い黒髪の毛があたしの全身を縛りつけ、体の中に入ろうとしてくる夢だ。
(‥‥目を‥‥貸し‥‥て‥‥)
ノイズ混じりで聞き取りづらい声で確かにそう言った。
あたしはなんとかして脱出を試みるが、長い髪は強烈な力で逃してくれない。
(‥‥仲良く‥‥しま‥‥しょ‥‥)
手首をまわして、長い黒髪を掴むと想像以上の触り心地の良さに驚いてしまった。
「うわっ、何これ絹みたい‥‥絹なんて触ったことないけど」
(‥‥貸し‥‥て‥‥)
あたしは恐怖を忘れて、黒髪を触ることに夢中になってしまう。
「き、気持ちいい‥‥これ、やばい!」
(‥‥くす‥‥ぐったい‥‥)
「いいなあ、あたしもこんな髪欲しいなあ」
(‥‥こら‥‥匂いを‥‥かぐな‥‥)
「どうしよう、癖になっちゃうかも」
(‥‥やめ‥‥やめろ‥‥って‥‥)
「目を貸せばいいの? 分かったわ、仲良くしましょ」
(‥‥え‥‥)
「綺麗な黒髪さん‥‥そうね、あなたの名前は“シロちゃん“でどう?」
(‥‥‥‥)
「いやいや、そこは“色違い“ってツッコまないと!」
(‥‥何?)
「ごめんごめん‥‥黒髪のクロちゃん、よろしくね」
あたしを縛る長い黒髪はどこか腑に落ちない様子で。
(‥‥それで‥‥いい‥‥)
と、納得してくれた。
そして、スマホのアラームに起こされると、あたしの肩にかからないぐらいの髪の毛は腰を隠すぐらいまで伸びていた。
「え、夢じゃなかったの?」
‥‥お邪魔‥‥するよ‥‥。
あたしの頭の中で、夢で聞いたクロちゃんの声が響いた。
怨霊か。はたまた宇宙人か。
とりあえず、極上に触り心地の良い伸びた黒髪を撫でて、匂いをかいだ。
マリアのあたしが時計のベルで目を覚ますと、こっちでも髪の毛が伸びていた。
学園宮殿の東に位置する学園寮塔のあたしの部屋だった。
白光り差し込み、鳩の鳴き声が聞こえていた。
キゾクに相応しい天幕付きの大きなベッドの上で、伸びた黒髪を撫でて匂いをかぐ。
「き、気持ちいい‥‥って、こっちでも伸びちゃった。クロちゃんいるの?」
‥‥‥。
僅かに存在を感じるが、キゾクのあたしではノイズが強すぎて声までは拾えなかった。
あたしがどうしたもんかとあぐらをかくと、目の前に“脳みそ“が浮かんでいた。
「え?」
正確に説明すると、あたしの頭よりもひとまわりは大きい脳みそが、透明な容器に入って宙に浮かんでいた。
そして、あたしと目が合うと脳みそも情けない声をあげる。
「え?」
あたしも負けじと声をあげる。
「え?」
「え?」
「え?」
「え‥‥もしかして、見えてんの?」
「脳みそ‥‥だよね?」
「あれっ、ステルスモードはONになってるし、どこもエラーは起きてないし」
宙に浮かぶ脳みそがキョロキョロと慌てふためく。
「っつか、マリア! その長い髪はどうしたの?」
脳みそがあたしの顔に近づき、迫真めいてそう口にする。
「なんか、向こうで取り憑かれちゃったみたい」
あたしがテヘッとそう告げると、脳みそは「やれやれ」と続ける。
「あんたはむかっしから何でも拾ってきちゃうんだから‥‥もう」
「あたしのこと知ってるの?」
「‥‥記憶までは戻ってないみたいね‥‥えぇ、知っているわよ」
脳みそは躊躇いながらも観念したようにこう告げる。
「わたしはマリアの‥‥ママよ」
キゾクのあたしに“脳みそ“のママができてしまった。