18.僕と犬
真っ黒な公園の池。街灯は眩しいのに、目が痛くならないのは僕の心がくすんでいるからだろう。
辺りは静寂で誰もいない。月明かりも雲で隠されている。
そんな夜に僕はただ、波も立たない池をぼんやりと見ていた。
「……」
この世界は残酷すぎる。
打ちのめされた心の行き場なんてないのだから。
誰がこんなところに生きたいと決められるのだろう。
僕は勝手に生まれてきただけだ。その責任は僕にあるのか。
「……」
時計を見る。針は意外にも10分ほどしか進んでいない。
得をした気分にもなるが、これは焦りから来ているのもわかっているから、窮屈になる。
些細な喜びも偽りの中にあるのだから、どうにも嫌になってしまう。
「……」
あっちの茂みに何かいた。
風なんて吹いていないから、草が撫でられたのはおかしい。
さっきから妙な視線を感じるような気もする。
「……」
なんか怖くなってきたため、僕は帰ることにした。
公園には煉瓦を叩く、足音だけが響いていた。
最近は暑い日も多いので、キュウリが食べたくなる。
これが、公園を歩きながらキュウリをかじる僕の心理である。
池が見えてきた。
今日は晴れているため、月の光が水面に反射して明るい。
それが煩わしくも感じるが、たまにはいいかと歩いて行った。
「ワン!」
いつも僕が池を眺める特等席。そこになんでか、段ボールに入った元気に鳴く犬がいる。
犬はこちらを向いておすわりしており、つぶらな目を輝かせ、涎に塗れた薄い舌を出し、尻尾をぶんぶんと回している。
「ワンワン!」
静寂な空間に、犬の可愛らしい吠えが響き、わずかに風が吹いている。
黄昏るのにうってつけだったこの場所は、知らぬ間に犬に支配されていた。
「ワンワンワン!」
捨て犬か。
わざわざこの位置に捨てるだなんて、あまりにも性格が悪い飼い主だったろう。
少し同情するよ。
「ワン!」
だからってキュウリはやらない。
どれだけ可哀そうぶったって、これは俺のキュウリだ。
「恨むなら元飼い主を恨めよ」
「―ワン!」
口に持って行ったキュウリの先が無い。
その代わりに咀嚼音が左下にある。
「ワンワン!」
やっぱりコイツがかぶりついたのか。
あまりにも速すぎて目に映らなかったぞ。
しかもまだキュウリ食べたいと舌出して、僕が手に持っているキュウリを眺めている。
「ワン!!!」
取られた。
なんて強引な奴だ。捨てた飼い主の気持ちが少しわかるぞ。
これは手に負えない。
捨て犬がキュウリを咀嚼している間に、僕はゆっくりその場を後にした。
視界の端に映った、段ボールにある噛みつき跡に目を逸らして。
あーどうしてこうなった。
「ワンワン!」
家の玄関まで着いてこられた。
全力で走ってもコイツのほうが速いし、隠れても臭いで見つけられる。
名案だと思った餌による足止めも、気づいたら後ろで尻尾振ってんだもん。
「ワンワン!」
どうしたものか。
こういうときはどうしたらいいのだ。
「……いや、俺は関係ない―!」
「ワン!?」
家の中に入ってしまえばいい。
僕は飼い主じゃないんだから、関係者じゃないんだ。
なかったことにしよう。
放っておけばいづれ、どっかに行くだろ。
「……」
カーテンを開ける。
肉球を窓ガラスに引っ付けてこちらを見上げている犬がいた。
なんか先読みされてる、怖い。
無慈悲よりも恐怖に耐え切れず、震える手でカーテンを閉めた。
窓ガラスを叩く音がするが、もうやめてくれ。
必死に現実から目を逸らすしかない。
「ワォオオオオオオオオオオオオオオオオォン!」
「は?」
雄たけびとともに嫌な音が。僕は後ろを振り向く。
そこには足の化け物が。その涎が床で水たまりを作っていた。また、風通しがいいなと思ったら、窓ガラスに大穴が空いている。
コイツ、窓ガラス割って入ってきやがった。
「ワン!」
もはやどうすることもできない化け物犬に、僕はただ従うしかなかった。
そうすることでしか、近所からの苦情へ対応できる気がしなかったのだ。
もちろん、その場所に電話もしたさ。
だけど、送ってもすぐに戻ってくるんだもん。
「はぁ……」
「ワン!」
僕は冷蔵庫から出したキュウリを犬に投げた。
どこにでもある話。
だからこそ、価値があると信じたい。