月明りの下の出来事
月が、とても綺麗だ。
暗い空を照らし、地面にも光を投げかけている。
城の居館の窓を開け放ち、夜空を見上げて、小さく笑った。
ヴィエラキ大公ギゼル・ファルセラス。
ここはリザレダの王城。
隣接するティタリヒとは国境と言えるほどのものはない。
境界線を踏み越えるだけで、そこはもうリザレダなのだ。
連れてきた5百人ほどの兵達は、2国を分ける境の辺りに置いて来た。
王城にいるのは、ギゼルと息子2人。
するべきことのほとんどを、すでにすませている。
このあとどうするかも、決めていた。
「シアからは、なんだったんですかぁ?」
「リザレダの王の処遇に悩んでいるようだったね」
「へえ! めずらしい。シアが悩むだなんて」
ギゼルは娘の狼狽えた声を思い出して、また小さく笑う。
その様子に、次男ピサロはピンと来たらしい。
「奴ら、主城門を壊したのでしょう?」
「おそらくね」
「ああ、それで……シアは、父上に小言をもらうと思って焦ったんでしょうねぇ」
「きっとね」
「だから、小言が増えるのを心配せずにいられなかったわけだ」
リーシアは、やり過ぎと言われる「程度」を気にしたのだ。
十万の兵を皆殺しにしても、彼女にとっては、やり過ぎではない。
が、父にとってはどうだろう、と。
「主城門が壊されていなければ、気にもしやしなかったと思うがね」
「僕らが帰った時には、きれいさっぱりって感じだったはずです」
「シアは面倒くさがりだからよぉ」
「それで? 父上は、どう仰ったのですか?」
口元に笑みを溜めたまま、ギゼルは月を眺めて言う。
「慈悲を与えてはならないと言っておいたよ」
「なんとまあ……父上、それはあんまりです」
「シア……可哀想だなぁ……」
「しかしね、あの娘も、そろそろ面倒くさがりを直さなくちゃ」
リーシアは、ギゼル達3人よりも強大な力を持って生を受けた。
面倒だからと言って、地図を描き換えさせるわけにはいかない。
それができる力を彼女は持っているのだ。
「それに、この国は、なかなか良い国だ」
「ティタリヒも悪くはありませんでしたね」
ピサロの言葉にうなずく。
ごく稀に、こういう国があることをギゼルは知っていた。
ティタリヒの王は民の手によって城門から降ろされている。
滅多に見られない光景だ。
たいていは放置されるか、酷い時には民から投石される王もいる。
(殺されてからも石をぶつけられる王なら、そもそも死んだほうがマシさ)
少しでも敬う気持ちがあれば、石を投げつけたりはしない。
それほど民を苦しめ、憎まれていたということだ。
ほとんどの戦争は国を疲弊させる。
民を兵として駆り出し、前線に立たせる王も少なくない。
自らは安全な城の中にいて戦おうとはせず、戦果だけを得ようとするのだ。
「ティタリヒとリザレダは併合して新たな国としようじゃないか」
「言語も人種も同じですから、さほど難しくはないでしょうね」
「まぁ、国名くらいかな、厄介な問題と言えば」
たとえ言語や人種が同じでも、自国の名に愛着がない者はいない。
どちらを選んでも、民の心に不満を残すだろう。
が、ギゼルは細々とした問題に関与する気はなかった。
息子2人に言い渡す。
「ラズロは実際的な行動を、ピサロは法整備をしなさい」
「父上は?」
「外に行くに決まっているじゃないか、ラズロ」
「外? ラタレリークの兵はいないはずだぜぇ?」
「違う。そうじゃなくて……父上はヴィジェーロに意地悪をしに行くんだよ」
ピサロの言いかたは、とても的確だった。
実際、ギゼルはヴィジェーロに「意地悪」をするため、外に行くのだ。
「ヴァルカン」
「はい、ギゼル様」
修繕屋のヴァルカンが、ギゼルの横に跪いている。
灰色の髪に水色の瞳の、ひょろりとした体格の男だ。
奥まった目にL字型の鼻が無骨そうな印象を与える。
ヴァルカンは、いかにもな「職人」だった。
「ラズロを手伝ってくれ。いくらかは壊さなけばならないからね」
「かしこまりました」
「父上、主城門はヴァルカンがいないと直せませんよぉ?」
「当面、向こうは放っておいても問題はないさ」
軽い口調で言ってから、窓を閉める。
これから、ティタリヒとリザレダを囲っての罠を仕掛けるのだ。
(この2国は安定していて土地も豊かだ。我々を利用してラタレリークの統治下に置きたかったのだろうが、そうはいかないよ、ヴィジェーロ)
半独立的な動きをしているティタリヒとリザレダより、従属的なラタレリークに統治させれば、実質は西帝国に従属しているのと変わらなくなる。
自治領としたかったのだろうが、強引な手を使えば民の反発は避けられない。
そんなヴィジェーロの思惑に、自分たちは利用されたのだ。
わかっていても、直接に手出しをしてこない西帝国を攻撃したりはしない。
ただ、ヴィジェーロに利用されてやるつもりもなかった。
ヴィエラキに手を出して来た2国の選択を是とはできなくても、ファルセラスが介入する口実にはなる。
(お父様も面倒なことをしているのでね。シア、きみもたまには面倒なことをしてみてはどうかな?)
2人の息子とヴァルカンを残し、ギゼルは王城を出て行った。
伴は誰も連れていない。
そしてリザレダの領土を出てから、自らの職業を「トリックスター」に変える。
*****
同時刻
「よっしゃあ! 城の中はピッカピカ! モブ千人なんて、あっという間だぜ! 残りは側壁塔と外だけど」
「もう少し待ったほうが良さそうだよ、ロキ」
「どうなさったのかしら……シア様が苦戦するなんて有り得ないのに」
「苦戦というより苦悩だろうね」
モルデカイの言葉に、ロキとヘラが顔を見合わせた。
彼らに「苦悩」などという心理はない。
主の期待通りに動けばいいだけだからだ。
手段や方法で悩むことはあっても、結果は変わらない。
なので、苦悩とは無縁でいられる。
「あ! 量か? 量の問題だろ、モルデカイ!」
「あたらずとも遠からず、というところだな」
「なぜ? 全員、片付けてしまえばいいでしょう?」
「ヘラ、シア様は、やり過ぎの程度を気にしておられたじゃねーか」
ロキの指摘に、ヘラがハッとした表情を浮かべた。
ヘラは片付けることを専門としているし、ロキも清掃の専門職。
ロキは基本的には「綺麗さっぱり」を好んでいる。
だが、どちらかと言えばヘラのほうが「きちんと」し過ぎていた。
ファルセラスの城に似つかわしくないものに対して徹底しているのだ。
だから「程度」など考えない。
「そうだったわ。外の者たちを何人くらい残すか苦悩されておられるのね」
「たぶんな。名付きだけ残すか、1桁くらいは残すか。そりゃあ悩まれるだろ」
外の兵は、未だ8万人ほど生存している。
モルデカイは、リーシアが間引いた数をカウントしていた。
側壁塔に、1人生存者がいるのも知っている。
少し前、ギゼルと通話していたことも把握ずみ。
モルデカイの持つ、主を補佐する能力だ。
リーシアの体力や魔力、能力値の増減も常に把握できた。
もっとも「感情値」なんてものはないので、苦悩についてはモルデカイの経験則から判断している。
「ギゼル様も厳しいことをなさる」
「どういうこと?」
「まさか主城門のことで、シア様をお叱りになられたの?」
「いいや。今のシア様は叱られたほうが良かったと思っておられるかもしれない」
側壁塔にいる1人の生存者。
青の点で示されていたのが、ついさっき赤色に変わった。
つまり、敵ではなくなったのだ。
赤はリーシアの色とされている。
モルデカイは、正確に状況を認識していた。
「シア様に下僕が増えたようなのでね」
「え……」
「え……」
ヘラとロキが同じ顔をしている。
ぽかんと間の抜けた顔だ。
そうなるのもわかる。
赤い瞳の下僕は、この3人しかいない。
減る予定もなかったが、増える予定なんてあるはずがなかった。
「おそらく、リザレダの王が、シア様の下僕になったのだよ」
「なんでえっ?! え? え? なんでだよっ?」
「なぜだろうねえ」
「リザレダの王って、ただの名付きではないの?! シア様のお役に立てるような能力持ちではないでしょう?!」
「それには同感だが、なってしまったものはしかたない」
リーシアにとっても予想外だったはずだ。
ギゼルから「リザレダの王に慈悲を与えるな」とでも言われたのは察しがつく。
それにより、リーシアはリザレダの王に罪を購わせなければならなくなった。
大勢の王が最も嫌がることを、リーシアは提示したに違いない。
侮辱的であり、屈辱的なことだ。
もちろん相手が跳ねつけてくることを期待してのことだろう。
跳ねつけられれば、それを口実にできる。
予定通り「慈悲」を与えられたはずだ。
なのに、リザレダの王は承諾してしまった。
リーシアは今頃どうすればいいのかわからなくなっている。
なにしろ下僕は、リーシアの「持ち物」に等しい。
ファルセラスの下僕は、他国で言う「奴隷」とは違うのだ。
「そんな……シア様は面倒くさがりでらっしゃるのに……」
「オレたちだけで精一杯なんだぞ……」
自らの持ち物であるからこそ「管理」する必要がある。
とはいえ、リーシアは面倒くさがりだった。
大勢の下僕の管理が嫌で、3人だけとしてきたのだ。
城には様々な下僕がいるが、大半はギゼルやラズロにヒサロの持ち物だった。
そもそもヘラやロキの管理だって、ほとんどモルデカイがしている。
「私たちでシア様のご負担を減らすしかないね」
ギゼルがリーシアの面倒くさがりを直したがっているのはわかっていた。
けれど、あくまでもモルデカイはリーシアの下僕だ。
ギゼルよりもリーシアを優先する。