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OVER KILLってる?  作者: たつみ
第1章 弱者なあなたは、私の下僕
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紙きれと署名

 大公女の赤い瞳が、カリスティアンを見つめている。

 月明りに銀の髪が光っていた。

 夜会会場ででも出会っていたら、心惹かれていたかもしれない。

 

 彼女は立っているだけで場を支配する。

 

 そういう存在だと感じた。

 会うまでは、品はあっても力のない「お姫様」だと思っていたが、こうして目の前いる大公女に、カリスティアンは圧倒されている。

 姿だけではなく纏っている雰囲気そのものが、カリスティアンの知るどんな類のものとも違った。

 

 何千、いや何万という命を奪っても、大公女は平然としている。

 感情に揺らぎのひとつもない。

 落ち着きはらい、堂々としていた。

 そして、カリスティアンの非難を簡単に切り捨てている。

 

 それはそうだ。

 大公女の言うことは間違ってはいない。

 侵攻したのはリザレダであって、ヴィエラキではなかった。

 西帝国からの圧力に負けたとはいえ、それは言い訳にはならない。

 さっきまでカリスティアンは確かにヴィエラキを侵略するつもりでいたからだ。

 

(これほどの力を持っているとは……バルドゥーリャは、知っているのか……? 知っていて……)

 

 自分たちを生贄にしたのだろうか。

 新たな悲鳴が耳を打つ。

 ハッとして、カリスティアンは意識を戻した。

 

 今は、大公女の動きを止めるのが先だ。

 バルドゥーリャの思惑など、どうでもいい。

 すべてが今さらだった。

 この殺戮を止められなければ、十万もの死人が出る。

 すでに何万もの兵を犠牲にしているのは間違いないのだ。

 

「ならば! ならば、ヴィエラキ大公閣下と話をさせてくれ! すべての権限は、大公閣下にあるのではないか?!」

 

 ぱちん、と大公女が(まばたき)きをする。

 これほど美しい女性が、こんなにも残忍になれるなんて信じられなかった。

 大公女は、まるで悪気のない少女のような表情をしている。

 冷酷さすら感じさせない顔つきに、いっそう嫌悪をいだいた。

 

 彼女には罪悪感がない。

 

 大勢の兵達を肉塊にし、その命を奪っていることを罪だと思っていないのだ。

 血を吸いに来た蚊をはたいて殺した程度の感覚でいる。

 もちろん大公女の言うことは正しい。

 侵略をしようとしたほうが悪いのだ。

 だとしても、カリスティアンには罪の意識はあった。

 できるだけ犠牲を出さないように配慮しようとしていたのだ。

 

「お父様に……?」

 

 カリスティアンは一縷の望みをかけて言う。

 大公女の心が、わずかに動いているのを感じていた。

 

「リザレダはヴィエラキ大公国を侵略しようとした。その処遇となれば大公閣下がお決めになるべきだ」

「でも、お父様もお忙しいのよ? ティタリヒとラタレリークの相手をしに出掛けられたから」

 

 クヌートのことが、頭をよぎる。

 大公女ですら人とは思えないほどの力を持っていた。

 大公や息子たちは、それ以上に違いない。

 最早、クヌートの命を救えるとは考えられなかった。

 自国の兵の命さえ風前の灯火なのだ。

 

 このままでは皆殺しにされる。

 

 城壁の外に残してきたフィデルを思った。

 まだ無事でいるだろうか。

 

「頼む、大公女……大公閣下と話をさせてくれ……頼む……」

「……お父様に判断を仰いだほうがいいと言うのね?」

 

 なぜか大公女が、そろりと言った口調で訊いてくる。

 そうはいっても、若い女性だ。

 自分の判断に自信がないのかもしれない。

 そこに望みをかけ、カリスティアンはうなずく。

 

「大公閣下は……別のお考えをお持ちかもしれない」

 

 大公女の動きが止まった。

 どのくらいの犠牲が出たかはわからないが止められたのは確かだ。

 

「わかったわ。気は進まないけれど連絡して聞いてみるわね。でも、その前に……ねえ、お願いだからドレスを放してちょうだい」

 

 カッと頭に血が昇りそうになるのを耐える。

 人の命が懸かっているというのに、ドレスの汚れを気にする大公女に(おぞ)ましさを感じずにはいられない。

 自分と同じ人間という種類の生き物だとは思えなかった。

 あまりにも人の命をを軽んじ過ぎている。

 

 が、自分の怒りにより大公女の気持ちに影響を与えてはならない。

 (すが)りついた細い綱は、いつ切れるかわからないのだ。

 ヴィエラキ大公が、せめて大公女を制してくれるのを願うしか、カリスティアンにできることはなかった。

 よって、無言でドレスから手を放す。

 大公女が小さく息をついた。

 

「お父様、そちらはいかが?」

 

 カリスティアンとの会話とは、まったく違う口調で大公女が話し出す。

 まるで相手が隣にでもいるかのような気軽さもあった。

 ウィザードの使う連絡用魔法とは異なるものなのだろう。

 大公女の力を見れば、なにができても不思議はないと思える。

 

「あら、そんなことが……まあ、それは悩ましいでしょうね。ええ、そうね」

 

 カリスティアンのことになどおかまいなしで、大公女は話し続けていた。

 こちらを見ようともしていない。

 時々、月を見上げたりしている。

 

(……化け物め……)

 

 人の姿はしていても、大公女は人ではないのだ。

 見目麗しかろうと、本質は野獣にも等しい。

 自らのテリトリーに侵入して来た者を容赦なく食い殺す。

 相手を憐みもしないし、区別もしない。

 どんな事情も加味せず、公平に殺す。

 

 ただし野獣であれば対抗手段を取れた。

 まだしも「戦闘」ができる。

 対して、大公女相手では戦闘もなにもない。

 こちらには戦うすべがなかった。

 ただ虐殺されるだけだ。

 

「それでね、お父様……えっ? え、いえ……あの……いえ、それは……」

 

 急に大公女の声のトーンが下がる。

 困ったような表情を浮かべていた。

 

「……そうね、お父様の仰る通りだと思うわ……ええ、はい……はい、お父様」

 

 話し終わったのだろうか。

 大公女が空を見上げ、大きく溜め息をつく。

 緊張から心臓が痛いくらいに締め付けられていた。

 早く結果が知りたい。

 だが、急かすことすらカリスティアンにはできなかった。

 どういう結果にしろ受け入れるしかないのだから、黙って待つ。

 

「お父様は、とても慈悲深いかただけれど、あなたに慈悲を与えてはならない、と仰ったわ。あなたは20万しか民のいない国に10万の兵を差し向けたでしょう? 単純に言っても、ヴィエラキの民2,3人に対して1人の監視をつけられるだけの人数よ。つまり、あなたの兵達の気分次第で、ヴィエラキの民は簡単に虐殺されていたということになるわよね」

 

 カリスティアンは絶望に打ちのめされた。

 ヴィエラキ大公の決定を覆せる者は誰もいないのだ。

 自分の愚かな判断が、ファルセラスの逆鱗にふれた。

 外にいる兵も皆殺しにされるに違いない。

 

「その罪は重いから、あなたを城門に吊るしてあげることはできないわ」

「な……に……?」

「王を城門に吊るすのは、ファルセラスの慈悲だもの」

 

 大公女の語っている内容が、カリスティアンは理解できずにいる。

 言葉自体は理解できても、意味がわからないのだ。

 自分を見下ろして立っている大公女を見上げた。

 

「お父様が仰るには、あなたは罪を(あがな)わなければならないのですって」

「罪を、購う……」

「でも、どうやって購えばいいのかしらね? あなたの命では贖いきれないほどの重い罪なのよ? あなたになにができるのか、私にはわからないわ」

「俺が罪を購えば、どうなる……?」

「さあ? 責任が、あなただけのものになるのじゃない?」

 

 カリスティアンは必死だ。

 必死で大公女に縋りつく。

 

「なんでもだ……なんでもする……っ……どんなことでもする……っ……だから、俺だけの責任にしてくれ……っ……」

 

 自分だけの責任とすれば、兵たちの命を救える。

 カリスティアンを信じ、ついてきた彼らの命だけは助けなければならない。

 差し出した首は拒否された。

 だが、罪を購うことで罪を背負うことはできる。

 

「なんでも? 本当に?」

「俺に罪を背負わせてくれるのであれば……っ……」

 

 大公女が不思議そうにカリスティアンを見ていた。

 しばしの間のあと、軽く手を振る。

 それを、カリスティアンの足元に放り投げた。

 

 1枚の紙。

 

 東帝国側の文字が書かれている。

 とはいえ、カリスティアンはひとつの国の王だ。

 王族教育の一環として西帝国側だけではなく東帝国側の言語も理解していた。

 大公女との会話でも東の言葉を使っている。

 文字も当然に読めた。

 手にして内容を確認する。

 

「それは、ただの紙。魔法のかかっていない、なんの制約もない、ただの紙よ」

 

 おそらく大公女は、嘘は言っていない。

 ある特殊な職業の能力には、相手を縛るものがある。

 契約を破った場合、罰を課すような類のものだ。

 だが、この紙には実質的な「契約」の要素はないのだろう。

 

 『従属の誓い』

 

 1行目には、そう書かれていた。

 内容は明瞭完結。

 本文も1行しかない。

 

 『ヴィエラキ大公国 大公女リーシア・ファルセラスの下僕となることを誓う』

 

 そして、最後に署名欄があるだけだ。

 ころんと、足元に万年筆が転がって来る。

 最近、西帝国側でも見かけるようになった物と似ていた。

 カリスティアン自身は未だに羽ペンを愛用していたが、使いかたは知っている。

 

「それに署名をする意味をわかっているかしら? 私の言うことに、なんでも従うということよ? 裸で這って歩けと言われても、床に置いた皿で手を使わずに食事しろと言われても、あなたは従わなければならないの。花切鋏で指を切れだとか、右手で左目を(えぐ)れだとか。私の一時の気紛れにさえもね」

 

 カリスティアンは大公女の冷酷な言葉を聞きながら、万年筆を手に取った。

 ほかに方法はないのだ。

 

「ねえ。署名する前に、よく考えてみたほうがいいわ。あなたはリザレダ国王なのでしょう? 自国の王に屈辱的な思いをさせるくらいなら、共に死を選ぶ者も多いのではない? そのほうが彼らのためになるかもしれないわよね?」

 

 万年筆を、ぎゅっと握りしめる。

 フィデルなどは確かに大公女の言ったように思うかもしれない。

 だとしても、彼らの後ろには大勢のリザレダの民がいる。

 家族や友人が帰りを待っているのだ。

 

「俺は、なんでもすると言ったのだ、大公女」

 

 万年筆のキャップを取り、カリスティアンは署名欄に己の名を書く。

 石壁の上で書いたため、少し文字が歪んでいるが、はっきりと読み取れた。

 その「誓約書」を大公女に差し出す。

 大公女は無感動に、それを受け取った。

 たちまち紙が消える。

 

「最初に言ったけれど、あれはただの紙。なんの制約もないの」

 

 大公女は、カリスティアンが誓約を破ることを期待しているようだ。

 よほど城外の兵たちを皆殺しにしたいらしい。

 思いながら、カリスティアンは頭を下げる。

 

「俺は自分の意思で誓約書に署名した。今から俺は……あなたの下僕だ」


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