不肖な下僕
モルデカイたちにない素質が自分にはある。
どういうものかはわからないが、リーシアが言うのだから、本当なのだろう。
(事実、ここにモルデカイたちは来ていない。いるのは俺だけだ)
カリスは、制約なしとはいえリーシアに従属する立場にいる。
と思っている。
にもかかわらず、従属者の意識を操る「ローレライ」とやらに、自分が操られることはないのだ。
ならば、なにかしらの「素質」があるに違いない。
「ローレライとは実体がない魔物のような存在ではないですか? クレイジーバタフライが通用しないのは、そのせいかと推察したのですが」
「まあ、カリス。察しがいいのね。あなたの言う通り、ローレライは、肉体を持たない魔物なの。物理攻撃は効かないし、魔法攻撃もほとんど効果なし。索敵すれば引っ掛かるけれど、目に見える相手ではないわ」
リーシアは慌てる様子もなく、淡々と説明していた。
攻撃や治癒の高い能力のほか、索敵に対しても優れた力を持っているようだ。
きっと目に見えなくても、彼女はローレライの位置を把握している。
リーシアに魔法をかけられていたが、それでもカリスの目にローレライは映っていない。
「……なんだ……?」
カリスは眉を寄せ、周囲を見回す。
なにか気持ちの悪いものを感じた。
耳の中に水が入り、抜けない時の不快さに似ている。
「歌い始めたわね」
「歌……?」
「さっき話した、味方を敵と誤認させる能力を使っているってことよ」
「モルデカイたちは大丈夫なのですか?」
「ほかの下僕たちと一緒に城内にいるから平気でしょう。精神干渉能力なんてファルセラスの城には通じないもの」
が、城からは出られない、ということだ。
おそらく、それぞれの眷属にも同様に影響が出るのだろう。
つまり、本当にカリス以外、ここには誰も来られない。
カリスの心が、ほんの少し揺れた。
無能と言われ、実際に無能だと自覚して以来、初めて感じる優越感。
役に立つかどうかはともかく、今、リーシアの横に立てるのは自分だけなのだ。
彼女がカリスの力など必要としないとわかっていてすら、気分が高揚する。
鼓動が少しずつ速まっていた。
だが、カリスは気づかずにいる。
リーシアの姿に、ただ見惚れていた。
長い銀色の髪が海風に流れている。
赤い瞳には、真っ赤な夕陽が映っていた。
凛とした表情で立つ彼女を、美しい、と思う。
「嫌な音……でも、生け捕りにして飼い主を知りたいわ……」
ほんの少し眉を寄せ、リーシアが顔をしかめていた。
そのしかめ面さえ綺麗だと感じる。
「なにか変なのよね……なにかしら……」
「シア様は……」
「ええ、今、ステータスを見ているの。とりあえず鳥かごに閉じ込めて、逃げられないようにはしているし」
リーシアの説明が耳を素通りしていた。
そもそも「ステータス」がなにかも、カリスは知らない。
だが、それを聞き返す気にもなれずにいる。
リーシアが話すたびに動く唇へと視線は釘付けだ。
(彼女は、これほどに美しかったのか……なぜ俺は、恐ろしい化け物などと思っていたのだ……彼女は俺の命を救い、気遣いの言葉をくれて……)
瀕死の自分を、その膝に抱いてくれた。
ドレスが汚れるのも厭わずに、優しいまなざしを向けてくれた光景が蘇る。
「ステータスに飼い主の名が出ないなんて、ペットは情報が少ないのね。レベル5だから、お父様の九尾や、兄様たちの猫又や鵺と似たような類のはず……なのに、長時間、外で動き回れるって、どういうこと?」
リーシアが独り言のようにつぶやいている。
その言葉に、カリスも無意識に反応していた。
「ペット……」
「ペットは下僕とは違うの。ペットボックスから外に出すと、戦闘中でも餌をあげないと死んでしまうのよ? 24時間持続する、自動餌やり機っていうアイテムはあるけれど……お父様だって使うのを躊躇うほど高価なアイテムを誰が使える?」
カリスに返事をしているつもりが、あるのかないのか。
リーシアは、カリスの知らない単語を次々に出してくる。
しかし、カリスも、そうしたことを気にしていない。
「シア様は、ペットを……」
「そうなのよね。ペットって、始終、世話をしたり、可愛がったりしなくちゃならないから、私は飼っていないの。それで、あまり詳しくないわけだけど」
リーシアに、始終、世話を焼いてもらい、可愛がってもらえたら、どれほど幸せだろうか、と思った。
カリスの頭に幻想が浮かぶ。
リーシアの膝に頭を乗せ、彼女に撫でられている自分の姿だ。
(今までも、彼女は、俺の頭を撫でてくれていた……もっと喜んでおけば良かっただろうか……そうすればもっと……)
ふらふらっと、カリスはリーシアに近づく。
リーシアは、まったく警戒していない。
その背後に忍び寄った。
そして。
「なに? どうしたの、カリス?」
カリスは、リーシアを後ろから抱きしめている。
両腕をしっかりと腰に回していた。
そして、彼女の肩に頬をくっつける。
「シア様……俺は……」
「カリス、あなた……」
ちく。
ちくちくちくちく。
なにかが体に小さな痛みを与えていた。
だが、リーシアをかき抱く腕の力を弱める気にはなれずにいる。
最早、なにがどうでも良かった。
リーシアと、ずっとこうしていたい。
「前にも言ったと思うけれど、あなた、一応、大人なのだし、そんなに怖がることないじゃない。レベル5と言っても、ペットなのよ?」
「嫌です……離れたくありません……」
「まったく……しようがないわねぇ……あなたが、そんなに怖がりだなんて思っていなかったわ。知っていたら、先に帰しておいたのに」
「そんなことを言わないでくれ。俺は、きみの傍にいたいのだ」
「あなたこそ、駄々っ子みたいなことなこと言わないでちょうだい」
いっそう、リーシアの体をぎゅっとした。
その瞬間。
びしっ!
体に激痛が走る。
それでも、まだリーシアを放さずにいた。
が、しかし。
意識の端で「おかしい」と感じる。
確かに、リーシアへの認識に変化は生じ始めていた。
だとしても、これほど「劇的」なものではない。
彼女の言動には、理解不能な部分も多々ある。
勘違いしている可能性があると、自ら言い聞かせていたほどだ。
「シ、シア様……これは、俺の意思では……っ……」
ようやく体を離そうという気になった。
が、しかし、体がいうことをきかない。
なんとしてもリーシアを放そうとしないのだ。
「いいのよ、カリス。そりゃあ大人としてどうかとは思うわ。でもね、誰にだって苦手なことってあるもの。あなたが死霊じみたものが怖いからって……ちょっぴり呆れる程度の話よ」
「い、いえ、そうではなく……本当に、俺の意思では……!」
「わかるわ、こういう時って虚勢を張りたくなるものよね。恥ずかしいのでしょう? ラタレリークの件もあるし、その上、これだもの」
リーシアの言う意味とはまったく違うが、恥ずかしくてたまらない。
早く誤解を正したかった。
カリスは実際に死霊を見たことはないが、恐れたりしないと断言できる。
死霊使いという職業能力があるくらいなのだ。
対処方法がないとは思えなかった。
それを探せばいいだけの話で、存在自体を恐れる必要はない。
死霊を恐れ、主人にしがみついていると思われるほうが、よほど「危機的」だ。
下僕になった身ではあれど、人として大人として、男としての尊厳まで捨ててはいない。
リーシアが平然としているので、なおさら恥ずかしいのだ。
彼女を放そうとしない我と我が身に腹が立つ。
「魔法でもなんでもかまいませんから、俺を弾き飛ばしてください!」
「まぁ、嫌ね。そんなことをしたら、あなたを殺しちゃうわ」
「かまいません! このような無様を晒すなら……っ……」
カリスは本気だ。
本気で「死んだほうがマシ」と思っている。
フィデルたちはモルデカイにあずけてあるし、クヌートの仇も討った。
国のことは心配だが、民は大公が良い采配をしてくれるはずだ。
後顧の憂いはない。
思うカリスのほうへと、肩越しにリーシアがチラッと振り返る。
カリスは、いよいよリーシアの体を強く抱きしめてしまう。
頭もぐらぐらして、おかしな妄想に憑りつかれかけていた。
(最期に……彼女と口づけを……いや、違う! 愛の告白を……そうではない!)
自分で自分が制御不能だ。
明らかに、別の意思が働いている。
「絶対に嫌よ。私はモルデカイと違って、加減が得意ではないの。心配しなくても大丈夫。誰にも内緒にしておいてあげるから」
「ち、ちが……」
「早く片付けたほうがいいみたいね。あなた、とても顔色が悪いわ。ローレライは死霊とは違う魔物だし、怖がることないのに」
リーシアが話している間にも、カリスは体を引き剥がそうと必死だった。
こうも堂々と勘違いを繰り返されては、顔色も悪くなる。
それさえ誤解されているのだから、成すすべがない。
あげく、説明をしたくても、口を開くと、別の言葉が転がり出そうなのだ。
口づけたいだとか、愛しているだとか。
婚姻してくれ、だとか。
そんなことは考えていない。
だが、はっきりとは言い切れない。
自分の意思とそうでないものとの判別ができなくなっていた。
ともすれば、本当は「そっち」が本音なのかもしれないと思えてくる。
「殺し、殺してください……っ……!!」
「ええ、そうね」
ぶわっと、風が噴き上がった。
目線の先に大きな黒い渦が広がっている。
ラタレリークの帆船がいた辺りを覆っていた。
しゅうん……。
楕円をしていた黒い渦が空間に吸い込まれるようにして消える。
その途端。
ばったーんっ!!
カリスはひっくり返って倒れ、地面にしたたか背中をぶつけた。
痛みに、小さく呻く。
「カリス! 大丈夫?!」
リーシアがびっくりしたように駆け寄って来た。
しゃがみこまれる前に、無理やり体を起こす。
「へ、平気です、シア様……」
「本当に大丈夫なの?」
「本当に大丈夫です……それより、ローレライは……?」
「だから、たいしたことないって言ったでしょう? 能力が厄介なだけで強いってわけじゃなかったのよ? レベル3で十分だったわ」
「あの黒い渦を出す能力ですか?」
「ダーククラフトマン。闇を作って、そこに放り込んだの。日頃は、使いどころがないけれど、ローレライみたいな相手には都合がいいのよね」
リーシアの意識が「怖がり」から離れたのを感じて、ホッとした。
彼女は興味のないことは、すぐに忘れる性格をしている。
きっと明日になれば「カリスは怖がり」だなんて記憶はなくなっているはずだ。
が、ここで蒸し返すのは得策ではないので、今の話題をあえて引っ張る。
「日頃は使いどころがないというのは、どういうことですか? あれならば遺体も残りませんし、粉も落ちませんし、殲滅向きに思えますが」
リーシアが、ふう…と溜め息をついた。
きっと「面倒くさい」と思われている。
だが、そういうそぶりを見せつつも、説明を続けた。
「駄目なの。ダーククラフトマンなんて名の割に、そこにこだわりがあるのかなんなのか……ともかく、影のない相手にしか使えないのよ。実体がない相手向きの職ということね。だって、実体があるのに影がない者なんていないでしょう?」
「俺もシア様の職業能力について学んでおくべきですね」
リーシアが肩をすくめる。
どちらでもいいと思っているのだろう。
思い返すと、カリスも含めてだが、彼女は下僕に「あれをしろ」「これをしろ」と言うことがない。
『我々は訊かずとも、シア様の望まれることをし、嫌がられることはせずにすむよう自主的に動くことにしているの。でも、あなたには無理なのよ。シア様を知りもしないのに、お役に立てると思う? あまり、おこがましいことは言わないほうがいいわ』
以前、ヘラに言われた言葉だ。
(俺はシア様のことを知らずにいる。知ろうともせずにいた。彼女は強く、俺の力など必要としていないと思っていたからだ)
『シア様は、オレたちを使う気なんかねーんだよ』
ロキの言葉も頭をよぎる。
少しだけ、その意味を理解した。
(彼女が、俺たちに命令することはない。だが……それでも、彼女は俺たちを守るのを当然としている……俺が裏切るなど有り得ない、か……)
リーシアは強く、相手が人だろうが魔物だろうが、簡単に「処理」してしまう。
そこだけを見れば、下僕なんて必要なさそうに思える。
けれど、リーシアがモルデカイたちを「必要」としているのは確かなのだ。
彼女はとても面倒くさがりなので。
「不肖ながら、誠心誠意努力する所存です」
リーシアのことを知っていけば、いずれはモルデカイたちのように「自主的」に動けるようになれるはずだ。
カリスは「努力」することには自信がある。
「ですから……」
リーシアのことを知りたい、と言おうとしたが、言えなかった。
ぎしっと肩を掴まれていたからだ。
驚いて振り向く。
「久しぶりにクレイジーバタフライが使えて、楽しかったわ、モルデカイ」
「それは、よろしゅうございました、シア様」
「ヘラとロキは、まだ片付け中?」
「よろしければ、お声掛けいただけると2人も喜ぶでしょう」
「そうね、そうするわ。あとはお願いね、モルデカイ」
「かしこまりました」
肩を掴まれたまま、カリスは固まっていた。
2人の会話に口を挟むこともできず、心拍数を上げている。
カリスは察しがいいのだ。
固まっているカリスを放って、リーシアがパッと姿を消した。
「きみにかけておいた魔法がある」
カリスにも思い当たる節がある。
「きみに、ある種の注意喚起をするためのものだ。その魔法が、3段階目まで発動したのは、なぜかな?」
あの「ちく」や「ちくちくちくちく」や「びしっ」が、それだろう。
最後の「びしっ」で、ようやくカリスは我に返ったのだ。
それでもリーシアを放さなかったのだけれども。
「ちなみに……その魔法は3段階で終わりか?」
「いいや、5段階で作用する。4段階目は、私がシア様の寝室できみにしたことと同程度の衝撃を受ける」
ということは、襟首をひっつかまれて壁に叩きつけられるのと同義。
そのさらに上があることに、心臓がキリキリする。
「……5段階目は……あなたが直接、現れる……」
「やはり、きみは察しがいいな。ところで、私の質問に答えていないようだが」
モルデカイが赤い瞳を、すうっと細めていた。
殺されはしないだろうが「殺されそう」にはなるかもしれない。
「ロ、ローレライに惑わされたのだ!」
「おや、そうだったのかい? 私はまた、きみがおかしな勘違いをしているのだとばかり思っていたよ。魅了にかかっていたのなら、しかたないな」
「しかたないのか?」
「しかたがないね。私たちでさえ、あれの最上位能力の誤認は防げない。むしろ、魅了程度ですんで良かったじゃないか。幻惑にかかっていたら、魔獣と見間違えてシア様を攻撃していた可能性が……しかし、なぜ上位の幻惑でなく、下位の魅力に掛かったのか……」
カリスは察しがよかった。
あの時、自分の心に隙があったことや、その「方向性」から察している。
(俺の中にわずか……そう! わずかに!だが、不埒な考えが……)
それを不埒とするかはともかく、カリスはリーシアに「ときめいて」いた。
だから、彼女を「敵」として認識することはできず、結果として魅了に掛かってしまったらしい。
「まぁ、いいさ。きみには、なにか特別な素質があるのだろう」
リーシアにも言われたが、それとこれとは話が別だ。
モルデカイの誤解は正しておきたかったが、正すことはできなかった。
絶対に、こんこんと説教をされる。
リーシアにときめいたことで説教をされるなど、絶対にごめんだ。
なので、黙っておいた。
「それにしても、外に出るなら出ると言っておけばいいものを。眷属の管理を私に押しつけてまですることかい? それについては、あとでじっくり話をしよう」
背筋に冷や汗。
カリスはつくづくと、しみじみと思う。
(そうか……やはり俺は慣れてしまったのだな。こんな脅威が傍にいれば、普通の殺気ごとき認識できなくなるのも当然だ……)




