言えない事実
リーシアは、美しいとの言葉を口にしていながら、なにも感じてはいない。
敵がどういう死にかたをするかになど関心がなかった。
船団は蝶に覆われ、船さえも半分以上消えている。
間もなく海面から船影はなくなるはずだ。
けれど、彼女はラタレリークの王がいた船から視線を動かさずにいる。
その船も蝶に食われていた。
甲板は、すでにない。
「……俺がお訊きすることではない、とは思うのですが……リザレダの時は、なぜこれを使わなかったのですか?」
カリスは魔法が使えないのだ。
持っている知識もレベル2までのものに限られているのだろう。
どれほど上級職であっても、剣や弓と同じで状況によって向き不向きがある。
魔法だからといって、なんでもできるわけではないし、制約だってあるのだ。
「こういう場所でなければ使うのを躊躇ってしまうからよ」
「躊躇われることが……いえ、失礼いたしました」
「私だって多少は気を遣うこともあるわ」
「敵に……ではなさそうですね」
当然、敵に「気を遣う」なんて発想は、リーシアにはない。
黙って、指先で海面を示す。
キラキラと光っているのは蝶の落とした鱗粉、それに。
「あの子たちは役割を終えると死んでしまうの。鱗粉もだけれど、3,4日は残るのよね。自然に消えるものではあっても、ロキやヘラが我慢できると思う?」
「思いません」
「でしょう? さすがに、あの量だと気が引けちゃうわ」
蝶の死骸もさることながら、鱗粉は「粉」だ。
しかも、拭き取るのが容易はでないのだから、いくら眷属にやらせるとしても、どうしたって申し訳なさは感じる。
ロキは鱗粉の1粒まで掃除しようとするだろうし。
「では……その……ラタレリークで……」
「なぜ処刑人を使ったのかってこと?」
「……処刑人……ええ、それを選んだ理由が知りたいのです」
ちょっと面倒くさい。
あとでモルデカイに訊いてくれと言おうか。
そう思ったのだが、溜め息ひとつ。
せっかくここまでカリスの「メンタルケア」に力を注いできたのだ。
もうほんの少しくらい「頑張って」みることにする。
「城の中には敵とは言えない人もいたし……たぶん、料理人とか侍女とかではないかしら。そういう判別をクレイジーバタフライはしないのよね。その点、処刑人は敵の命を奪う能力だから、積極的な戦意のある者に限定できるの」
クレイジーバタフライの能力は、見た目の華麗さとは逆に繊細さに欠けるのだ。
蝶たちは、指定した領域内の対象を食らい尽くすまで止まらない。
物であれ人であれ「消滅」させるまで、ひたすら貪る。
だが、ラタレリークの城内が鱗粉だらけになるのはともかく、兵ではない者まで食らい尽くさせる気はなかった。
ヴィエラキに手を出そうとした時点で、ラタレリークは敵国と化している。
だとしても「民」ごと殲滅などしようものなら、父に叱られるだけではなく落胆させるに違いない。
(国ごと消し飛ばしたかったし、そのほうが民にとっても良かったのじゃないかと私は思うけれど、お父様は、そうは思わないでしょうし)
国を治めている者が死ねば、民は混乱する。
民の中から統率者が出てくれば纏まることもあるだろうが、可能性は低い。
王族や貴族が統治している国で、民は政治的な関りを持たずに暮らしていた。
横並びの立場では、誰が手を挙げたとしても不満が出る。
おかしな話だとは思うが、身分のある者に「従う」ほうが納得できるのだ。
統治者と自らとを切り離し、立場が違うのだと割り切れるらしい。
そのため、統治者を失うと、どうしていいのかわからなくなるのだろう。
結果、法や秩序を無視し、暴動を起こす者も出てくる。
(今後、ラタレリークの民がどうするかは、私が考えることではないわ。彼ら自身が進む道を選ぶだけのことだもの。頭の悪い者が上に立つ国の民は気の毒ね)
「あの時……処刑人ではなく、ウィックドリッパーを使われたのは……遺体の……処理の問題があったためですか……?」
「それが1番の理由なのは確かね」
リーシアは感情のこもらない口調で答える。
側壁塔で処刑人を使わなかった最大の理由は、カリスの言った通りだ。
処刑人で敵の命を刈り取るのは一瞬。
だが、山積みになった死体を片付けるのは、ヘラやロキ。
「どの道、掃除が必要になるとしても嵩張らないようにしておこうと思ったの」
「ほかにも理由があると?」
「あら、話していなかった? あの時は、私、ラズロ兄様から加減が必要だと言われていたのよね。だから、まぁ、少しは生かしておかなくちゃいけないのかもって悩んでいたのよ。ウィックドリッパーは属性が物理だから、魔法属性の処刑人より1度に殲滅できる数が少ないの」
そう言えば、と思った。
もし側壁塔で処刑人を使用していたら、ここにカリスはいなかったのだ。
処刑人もウィックドリッパーも敵の命を奪う能力ではある。
だが、前者は「敵への戦意」を対象とし、後者は「彼女への敵意」を対象としていた。
あの時、カリスはリーシアに「敵意」を向けていなかったから生き残ったのだ。
同じレベルの職業能力であっても、それぞれに特性があり、その狭間でカリスは命を繋いだと言える。
リーシアが別の選択をしていたら、カリスもカリスの眷属もヴィエラキにはいなかった。
彼女は知らずにいるが、実のところフィデルが生き残った理由も、そこにある。
フィデルは側壁塔に立つ銀髪の女性のことよりカリスを心配していた。
(なんだか不思議ね。これが初代様の仰っていたという因果応報?かしら)
善い行いには良い結果が、悪い行いには悪い結果がついてくる、らしい。
カールにポーラ、ピートなど民の笑顔が思い浮んだ。
結果的に、カリスたちは民のためになっている。
自分の選択が偶然に過ぎなかったとしても、カリスを下僕にしたのは間違いではなかったと思えた。
「どうだった?」
「……なにが、でしょう?」
リーシアは、ここに立ってから初めてカリスのほうに顔を向ける。
お気に入りの深い緑の瞳を見つめ、小さく笑った。
「あれは、私のとっておきなの。モルデカイだって私があれを使っているところは見たことがないのよ?」
「1度も使われたことがないのですか?」
「いいえ、でも、使ったのは1回だけ。お父様と山賊狩りをした時ね。私が7……8歳くらいの時かしら。夜だったから、金色の粉雪が降っているみたいで、それは美しかったわ。朝になったら……夏だったのに、森が秋っぽくなっていたけれど」
以来、クレイジーバタフライは使っていない。
父に止められていたわけではなかった。
ただ「秋っぽく」なった森を見て、城の近くでは使えないと思ったのだ。
使うのであれば、山奥や砂漠、そして「海」にしよう、と。
「あなたに見せてあげたかったのよ」
カリスは無能を恥じている。
ほかの下僕と比較して、しばしば落ち込んだりもしていた。
ラタレリークでは殺したかった相手を「殺させ」られてもいたので、さぞ不本意だったに違いない。
ゆえに「とっておき」を見せてあげたのだ。
美しい光景とともに、ほかの下僕たちに「自慢」できることを。
「あなただけにね」
「……俺にだけ……」
「そうよ。だって、あなたは……特別だから」
外から来た者として下僕になったのは、カリスが初めてだ。
無能なのもカリスだけだ。
眷属を自作できないのもアイテムを使いこなせないのも、うっかり殺されかかったり、いちいちメンタルケアが必要なのも……と、枚挙にいとまがないほどカリスは「特別」だ。
「どうかしら? 少しは、私の気持ちが伝わったのじゃない?」
「…………あ……ええ……はい……」
返事をしつつも、カリスは握り込んだ手を口元にあてて、顔を横に向けている。
夕陽に照らされているせいか、カリスの頬が少し赤い。
(海風に晒されて、風邪を引きかけているのかもしれないわ……カリスは体も弱いものね。見せるべきものは見せてあげたし、先に帰しておくべき?)
リーシアには、まだやるべきことがあった。
一緒に帰ることはできない。
ちょっぴり迷っているリーシアに、カリスが声をかけてくる。
「と、ところで……モルデカイたちは大丈夫ですか? 正面が片付いたのあれば、こちらに来ているはずですが、苦戦しているということは……」
「もうとっくに終わって、今は片付け中よ」
「え…………」
カリスの驚きように、リーシアは、きょとんとした。
たかだか2万の「モブ兵」相手に、なにを心配することがあるのか、わからずにいる。
確かに1人だけだったら、時間はかかったかもしれないけれど。
心配なんて必要ない。
ただ「時間がかかる」だけで、彼らはカリスのように殺されかかったりはしないのだ。
しかも、実際は3人いたのだから、短時間で終わるのは当然と言える。
リーシアはカリスと話しながらでも、索敵の能力を自動発動しておけるのだ。
正面の敵が、みるみる減って行くのを把握していた。
下僕が、どこでなにをしているのかは把握していなくても、敵に対しては自分の役割をちゃんと心得ている。
「向こうの掃除が終わっても、3人は来ないわよ?」
というより、ファルセラスの下僕の誰1人として、ここには来ない。
それが、リーシアがここに残っている「理由」だ。
「こっちにはローレライがいるから」
「ローレライ?」
「少しばかり厄介なのよね。ローレライの敵と味方を誤認させる能力って、範囲に制限はあっても“誰かに従属している者”が対象になるの」
「では、俺も……」
「え? あなたは大丈夫よ」
言ってから、ハッとなる。
カリスに「正式な登録をしていない」なんて言えるわけがなかった。
また落ち込むに決まっている。
それは、メンタルケアにつぎこんできた労力を無に帰す行為に等しい。
「あなたは……ええと……ほら、さっきも言ったでしょう? 特別だって……」
カリスが眉をひそめていた。
本当のことを知れば、繊細なカリスの心を傷つけてしまう。
せっかく不愛想が少しマシになってきたところなのだ。
後戻りはしたくない。
またあんな手間をかけるのは、絶対に嫌だ。
面倒くさい。
その思いに突き動かされる。
とにかくカリスを宥めなければと。
「あなたにはモルデカイたちにない…………素質が! そうよ、素質があるの!」
「モルデカイたちにない、素質が……俺に……?」
「ええ、そうよ! だって、あなたは特別だから!」
口約束だけの下僕という意味では、かなり特別。
カリスは正式な「従属者」ではない。
だからこそ、ローレライの能力が効かないのだ。




