ヴィエラキ内外の出来事
モルデカイは、片眼鏡の奥の瞳を少し細めている。
ヴィエラキの「敵」となったラタレリークの軍が城壁まで迫っていた。
能力を使わなくとも視界に捉えられる距離だ。
「んで? たかが2万なんだろ?」
「シア様のお手を煩わせるまでもないわ」
「オレらで、やっちまおーぜ」
「それはそうなのだけれどね」
モルデカイの少し物憂げな口調に気づいたのだろう。
ヘラとロキが、首をかしげている。
敵が押し寄せて来ているのは確かだが、彼らにとっては「たかが」でしかない。
3人で「きれいさっぱり」できる。
「こちらは我々で対処する」
言ってから、モルデカイは振り向いた。
フィデルを指揮官として2千人ばかりの「精鋭」が集まっている。
カリスの眷属は3万ほどいるが、あまり大勢が殺されてしまうと、カリスが困るかもしれないと思った。
なので、フィデルに人数を絞るようにと言っておいたのだ。
「きみたちに、してもらいたいことができたのだが、いいかね?」
「もちろんでございます! 我らにできることであれば、なんなりと!」
「というより、きみたちにしかできないことなのだよ」
フィデルが驚いたような顔をする。
だが、事実だった。
この「仕事」は、彼らにしかできない。
「坑道に行ってほしい」
「坑道、ですか? 採掘現場の?」
「そうとも。少し前まで、きみたちがいた場所さ」
「それは……いったい……いえ、不満があるわけではありませんが……」
モルデカイには、フィデルにいちいち説明する義務などない。
とはいえ、彼らをカリスはモルデカイにあずけている。
あまりぞんざいに扱うわけにもいかないのだ。
(本当にちゃっかりしているな。遊びに出る前に眷属を私にあずけておくとはね)
モルデカイは、カリスが「好奇心」からラタレリークに行ったと考えていた。
トランスファーケージでどこまで行けるかを試すという、いわば「遊び心」だ。
仕事をサボったことについて咎める気持ちはない。
ロキだって、しょっちゅう遊んでいる。
特定の役割のないカリスの場合、果たしてサボったことになるのかすら、判断しかねるところだ。
なので、カリスが戻るまでは、モルデカイが「眷属管理」せざるを得ない。
真面目に。
「あの坑道が、ヴィエラキの南端にある山脈内にあることは知っているね?」
「はい。坑道で崩落があった際は、山脈の裏側に退避できるようになっていると、カリス様より教わっております」
ふむ、とモルデカイはうなずく。
カリスの「眷属管理」は、なかなかにいきとどいていると、少しだけ感心した。
「ほかには?」
「は、はい! 坑道には並行して通気用の道がありますが、その奥に退避用の扉が設置されております!」
「場所はわかるかね?」
「カリス様と私で確認いたしましたので、把握しております!」
フィデルの、やたらにかしこまった口調の意味はわからないが、多くを語らずにすむことに気分が良くなる。
モルデカイは、元々、単独行動派。
ヘラやロキへの指示も必要最小限だし、彼らに多くを語る必要はなかった。
だが、カリスの眷属にはそうもいかないだろうと、ちょっぴり憂鬱だったのだ。
「では、フィデル。その退避扉が開かないよう手を打ってきてくれ。ああ、方法は任せる。どういう手段でもかまわない」
「……外からの侵入を防ぐため、でしょうか?」
「さすがカリスの側近だ。彼は察しがいいのが美徳だからねえ」
鉱山となっている山脈の背後は断崖絶壁となっている。
だが、数ヶ所に「避難場所」として人が身を寄せられる空間があるのだ。
坑道内の崩落がどこで起きるかによって、断崖側にしか逃げ場がなくなることも想定して用意されている。
「なんだよ、それ」
「海側からも敵が来ているということ?」
ロキとヘラが口を挟んできた。
モルデカイは軽く言う。
「百隻以上、近づいて来ているよ」
「せ、戦力は……あの……」
フィデルが、口を挟んでいいのかどうか迷っているといった様子でありながら、声をかけてきた。
背後からの「敵」が気になるのは当然だ。
しかも、訊けるはずのカリスが「迷子中」なのだから、それほど遠慮することはない、と思うのだけれども。
モルデカイは、フィデルが「モルデカイを」恐れているとは考えていない。
なにしろ「発想にない」ので。
「ざっと4万というところかな。兵の数としてはね」
正面からの敵が2万、背後からは4万。
背後の敵のほうが多いし、海上から攻撃されることになる。
当然、砲撃されるだろうが、断崖も簡単に打ち崩されはしない。
万が一があるとするならば「退避場所」から坑道に、坑道から国内に侵入される可能性だ。
「これは、きみたちにしか任せられないのだよ、フィデル」
「かしこまりました! 命を懸けてでも扉を封鎖してまいります!」
「いや、命を懸けてもらっては困る」
「え……?」
「カリスの眷属でもあるし、きみたちを頼りにしている民もいるだろう?」
フィデルが、深く頭を下げる。
周りにいた眷属たちも同様だ。
その姿を眺めつつ、モルデカイは思っていた。
(カールの大鍋を、シア様はいたく気にしておられたからな)
たかが2千人、されど2千人。
採掘の日程がずれ込むのは困る。
そして、フィデルにだけは魔法で防御をかけておいた。
ギゼルのお気に入りを父に持つフィデルが死にでもしたら面倒なことになる。
(蘇生するにしても素材は必要だ)
死体とか。
*****
同時刻
グレゴールは、大型の帆船から離れて追走している。
まだ気づかれていないのか、山脈側に人影は見えない。
正面の兵たちは、完全に捨て駒と見做している。
十万の軍で落とせなかった城を、たかが2万で落とせるとは思っていなかった。
城内にいる「なにか」の目を正面に向けさせることが目的だ。
その間に、背後から強襲する。
兵の数としては4万と少ないかもしれない。
が、こちらには「砲台」があるのだ。
(砲台で攻撃しつつ、兵に崖を登らせる。坑道には待避所が不可欠だからな)
そこから坑道に侵入できれば城を落とす必要などなくなる。
一気に市街地を狙うつもりでいた。
背後からの接近に気づいていないのであれば、強襲されて混乱もするはずだ。
慌てて対応しようとしても、砲台の攻撃に即座に対処できるとは考えにくい。
(だが、相手はファルセラスだ。なにを仕掛けてくるかは、わからない)
上手くいく「理由」をいくつ頭の中であげてみても、安心できずにいる。
もとより「上手くいく」などとは思っていなかったグレゴールだ。
百隻以上の船も、4万の兵も、内心ではアテにならないと感じている。
ただ、それでもグレゴールは、ここに来た。
たったひとつの「勝機」を信じている。
いや、信じるしかなかったのだ。
皇帝の命に逆らえば、どの道、殺される。
ならば、わずかにでも可能性のあるほうに賭けることにした。
グレゴールの乗る船は、周囲の船に比べて、小さく見劣りするため、旗艦だとは気づかれないはずだ。
そして、自軍の兵にも教えていない特別な仕掛けが施されている。
グレゴールにとって、ほかの誰が死のうが関係ない。
自分さえ生きてラタレリークに帰れればいいと思っている。
皇帝の命令だったとしても、結果が出せないことは「罪」ではない。
ファルセラスが相手であれば、失敗は失敗にならないのだ。
今までにも散々あったし、ほかのどんな国も敗北してきている。
ファルセラスに負けたからといって責められる理由には成り得ない。
(私さえ国に帰れれば勝ったも同然。兵を失うのは痛いが、軍は、また立て直せばいいことだ。しばらく徴兵すれば賄えるだろう)
ラタレリークは西帝国からの恩恵により、国として栄えている。
人口も150万はいるし、平民は貴族よりも多いのだ。
兵とするのにちょうどいい年頃の者も少なくない数いる。
(やるだけやったというところを見せれば、それでいい。今は国に帰ることだけを考えるとするか)
ふと、国に残したティタリヒの王女のことが頭に浮かんだ。
美しい女ではあったが、野心家に過ぎた。
今頃、生きているか、死んでいるか。
いずれにせよ「西皇帝の妃」になろうなどと、おこがましいにもほどがある。
だが、その野心のおかげで、リザレダの元国王を引き寄せられた。
実際には確認していないが、ジズが、自信たっぷりに言っていたので、間違いはなさそうだ。
胡散臭い男であっても、ジズの持つ知識と道具は信用できる。
『彼はティタリヒの王女を助けに来ますよ。絶対にね』
なぜかと問うたグレゴールに、ジズは「カリスティアン・リザレダが、そういう男だからだ」と返答した。
その言葉に、グレゴールは一定の納得感を得ている。
そういう男だったからこそ、グレゴールはリザレダの王が嫌いだったのだ。
西皇帝に諂うことなく牽制し、自国を守ってきたカリスティアン・リザレダ。
ティタリヒと同盟を組むことで、西帝国への依存を最小限に抑えていた。
完全に西帝国に依存しているラタレリークとは違う。
ラタレリークは西帝国に背を向けられれば、国を維持していけない。
それほどまでに依存している。
グレゴールは安易な手段に飛びついたせいで、西帝国に逆らえなくなった。
だからこそ、リザレダの王を憎々しく感じる。
(下僕に身を落としたあげく、味方と思って助けに行った女に刺し殺される。いい末路だな、リザレダの王。目障りな奴だったが、最期は憐れなものだ)
思いながらも、溜飲が下がっていた。
これで、自分の治世を恥じることもなくなる。
ほんの少しだけ緊張がほぐれた。
目の前に断崖が迫って来ている。
グレゴールは自身の城にいるすべての兵が命を落としたことを、まだ知らない。




