モブの戯言
リーシアは「アラーム」の意味に気づく。
発信源となっているカリスの元に、すっ飛んできたのだけれども。
「なんてこと! カリス!! ああ、なんてことなの!!」
カリスの傍に駆け寄り、その体を膝に抱く。
周りのことなど、まったく目に入っていない。
というより、カリス以外は、どうでもよかった。
完全無視。
なにしろカリスは心臓近くを刺されており、血塗れになっている。
道理で「アラーム」が激しく鳴っているわけだ。
カリスの命が消えようとしていた。
「シア様……申し訳あ……」
「いいのよ、私、わかっているから。謝ることなんてないの」
カリスは、ヴィエラキに来て初めてアイテムを知った。
きっと、ものめずらしかったに違いない。
(街に出た時もそうだったわ。お散歩首輪をつけて、あんなにはしゃいで……)
それを思えば、こうなると予測できてもよかったのだ。
新しい物を見つけた時、はしゃぎたくなる気持ちは、リーシアにもある。
彼女だって、職業能力のすべてを最初から理解していたのではなかった。
成長とともに知ったものもあり、気づけば使いたくなる。
未だジャッジメントを1度も使ったことがないのが不思議なほどに。
気づいたのは十歳だったが、幼いなりに「父に叱られそうだ」と感じた。
なので、使いたくなっても、グッと我慢している。
ゆえに、本当によくわかるのだ。
ぽちっ、としたくなる気持ちが。
カリスは新しく見つけた地図に、好奇心を抑えきれなかったのだろう。
果たして西帝国側まで「移送」できるのか試したくなったのだ、きっと。
そして知っている場所の名を「ぽちっ」とした。
まさか迷子になるなんて思ってもいなかったはずだ。
「この状況に、とても動転したでしょうね、カリス」
ラタレリークまで移送可能とわかったあと、帰ろうとして、カリスは気づいたに違いない。
ヴィエラキの地図が表示されないことに、さぞ動転しただろうと思う。
職業能力のレベルについてすら知らなかったカリスだ。
アイテムにリチャージという制約があるなんて知っているわけがない。
「でも、あなたが生きていてくれて、本当に良かった。安心したわ」
カリスが、ゆっくりと瞬きをする。
不愛想ではあるが、とても綺麗でやわらかな緑色をした瞳。
性格はともかく、この瞳だけはリーシアも気に入っている。
「あなたを死なせたりはしないわよ、絶対に」
そう、絶対に、だ。
命さえあれば、いや、なくても、リーシアにとってカリスを「元に戻す」くらい簡単なことだ。
さりとて、死なれたら、父に叱られる。
西皇帝と話し込んでいて、カリスを見つけるのが遅れたのだから。
(お父様とお母様の話だったから、つい……でも、うっかりカリスのことを忘れていたなんて言えないわ。早く傷を癒して、ヴィエラキに帰らなくちゃ)
リーシアは職業を魔導士に切り替える。
治癒だけなら、ウィザードで十分なのだが、レベル3以下の職業など、ほとんど使ったことがなかった。
それにウィザードでは、治癒と回復の2種類の魔法を使わなければ、完全に癒すことはできない。
魔導士なら即座に完全回復できて、手間いらず。
こういうこともあるので、リーシアにとってレベル2以下は「無能」なのだ。
カチャン、カチャン!
まさにカリスを癒そうとした時だった。
周囲の音が、初めてリーシアの耳に入ってくる。
見回せば、騎士に取り囲まれていた。
「私の話を少しも聞いていなかったようね、大公女様?」
「今はモブの相手をしている場合ではないの」
騎士の間に、1人の女性が立っている。
深緑色の髪で、栗色の瞳をした、西帝国側特有の顔立ち。
長い髪をひと括りにしており、露出度の高い服を着ていた。
見た目には「踊り子」のようだ。
けれど、リーシアは、まったく興味が惹かれない。
その女性の頭上に、名は見えなかった。
つまり「名無し」の「モブ」だということになる。
周りの騎士にも名付きはいない。
どうでもいい連中ばかりだ。
と、同時に、イラっとした。
どうして「アラーム」が鳴ったのか、事態を完全に理解している。
アラームが鳴ったのはカリスが死にかけたからだ。
が、カリスが死にかけているのは、この「モブ」たちのせいだ。
「あなたが、カリスを傷つけたのね」
リーシアの声が平坦になっている。
相手が唇の端を吊りあげて笑った。
「カリスティアンが大公女の下僕になったのは本当だったみたい。カリスなんて、名まで改めさせられて、笑ってしまうわ」
「そう。カリスが私の物だと知っていて傷をつけたのね」
「敵に寝返った者は殺されて当然。そいつを殺せば、ヴィジェーロ様の妻にするとグレゴール様は約束してくださったの。わかる? 私が西皇帝の……」
「そう。あなたは、カリスの敵なのね」
であれば、リーシアにとっても敵だ。
なにより、相手はカリスを「殺す」と言った。
リーシアの下僕だと知った上で、殺そうとしている。
「私は、兄とは違う! ティタリヒの中で終わりはしない! 私はヨルディスタ・ネルロイラトルになるのよ!」
その「踊り子」が、なにになろうが関係ない。
なりたいものになればいい。
ただし、自分たちに関わらないところで、だ。
リーシアの銀色の髪が、小さく揺れる。
モブの女を赤い瞳に映しながら、カリスの手を握った。
それをどう思ったのか。
「騎士をここに集めなさい! カリスティアンは、放っておいても死ぬ。大公女は生け捕りにして、グレゴール様に献上するわ!」
カチャカチャとうるさい音に苛々する。
女のキンキンと喚く声にも神経を逆撫でされた。
どうやって始末してくれようか。
思うリーシアの手が握り返される。
パッと、カリスのほうに顔を向けた。
緑の瞳には力強さが戻っている。
女の戯言に苛々しつつも、カリスを癒していたのだ。
「ああ、良かった。カリス、大丈夫? もう痛いところはない?」
「はい、シア様。本当に申し訳ありません。俺が浅はかであったために……」
「あなたの気持ちはわかる、と言ったでしょう? どうしようもないことってあるものよ? ちっとも気にする必要はないの。大事なのは、あなたが生きていてくれたってことだもの」
本当に。
カリスが生きていてくれたおかげで、リーシアは父の「小言」を免れられる。
それが最も重要なことだ。
ぽちっとしたくなる気持ちも理解できるし。
「シア様、足手まといになるのは承知していますが、どうか俺にカタをつけさせてください」
「でも、カリス、あなた死にかけていたのよ?」
リーシアが完全回復させたので、カリスに力がみなぎっているのはわかる。
だとしても、心の問題は別だ。
迷子になったあげく死にかけるなんて、繊細なカリスにはショックが大きい。
絶対に「メンタルケア」が必要だ、と思ったところで思考が止まる。
(思うようにさせてあげるのが、メンタルケアになるかも……? 迷子だなんて、恥ずかしくてたまらないでしょうし……汚名返上したいのじゃないかしら)
リーシアが傍にいる限り、カリスが死ぬことはないのだ。
ならば、メンタルケアを優先させるべきだろう。
ヴィエラキに帰ったあと、言葉を尽くして慰めるより面倒がない。
「いいわ。あなたに任せる」
「ありがとうございます、シア様」
「あ、そういえば、あなたはソードマスターを持っていたわね」
リーシアは「お道具箱」からカリスに良さそうな剣を取り出した。
とても貴重な品らしいが、少しも惜しくはない。
上位の職業になればなるほど、物理的な武器は使わなくなるからだ。
たとえば、ソードマスターの上位職ブラックファントムでは、自分の体を武器に変えることができる。
要は、剣なんて必要ない。
「せっかくだし、こういう時こそ職業能力を有効に使うべきよ」
「わかりました」
カリスが剣を受け取る。
細くてスラッとした刀身の長い剣だ。
うっすらと青紫色の光を纏っている。
(リジンオブダークネス。アイテムって、長い名が多くて嫌ね。変えることもできないし、いちいち覚えておけないわ)
が、いつものごとく、ふっと別の名が頭に浮かんだ。
『心臓抉りの剣』
リーシアはカリスが剣を構えるのを見ながら、うなずく。
長ったらしい名より、スッキリ分かり易くていい。
カリス自身も、青紫の光につつまれていた。
剣には魔法を吸い取る効果がついている。
(微量のダメージでも対象の心臓を破裂させることが可能。注:精錬度8で付与。精錬度なんて気にしたことがないのよね。でも、初代様はこだわりを持っておられたって話だったわ。だから、精錬度8以下の武器も防具もないのかしら)
武器も防具も不要なリーシアには、たいして必要のない知識だ。
サイモンが作った木工細工と、弟子の作ったものとでは質が違うのと同じように「精錬」された物のほうが性能は良いのだろう、程度にしか思っていない。
彼女は「初代様」のようなこだわりは持っていないし。
(帰るのは簡単だけれど、カリスの気のすむまでやらせてあげなくちゃね)
室内に騎士は20人ほど。
塔全体でも5百人、塔の外を三千人程度の騎士が取り囲んでいる。
それも段々に増えつつあった。
(外は、私が始末しておくべき? でも、私が手を貸したと気づいたら、カリスは力不足に傷つきそうだし……かと言って、あの人数だと、カリス1人では難しそうだし……悩むわね)
手を出すべきか否か。
リーシアは、そんなことで悩んでいる。




