一般的な推察と結論
今頃、ヴィエラキではどうなっているだろうか。
きっと、すでに把握されているに違いない。
リーシアの許可も得ず勝手に出て来たのだ。
しかも、カリスは西帝国側にあるラタレリーク王国にいる。
「裏切り者、だな」
そう見做されてもしかたがない。
友好国ですらなくとも、ヴィエラキは東帝国側なのだ。
西帝国もそう考えているから、東帝国への直接侵攻をせずにいた。
東はヴィエラキの守護の元にある。
西帝国側の者なら誰でもが知る定説だ。
だから、西帝国は長くヴィエラキを攻略しようとしてきた。
すべてが失敗に終わっていたとしても、その事実は変わらない。
西帝国側にとって、ヴィエラキは大いなる敵なのだ。
逆もまた然り。
「俺は彼女の下僕になる誓約をした。にもかかわらず、敵国……にいる」
元は、ラタレリークは「味方」だった。
同じ側に属しているという意味しかなかったが、西帝国の影響から逃げられないという状況は互いに同じだと思っていたのだ。
したくもない戦争をするはめになったのも同じだと考えていたのだけれど。
「奴らは違う。違ったのだ。グレゴールの奴め……皇帝の手先に成り下がっているとは思っていたが、味方まで裏切るとはな」
両の拳を体の横で握りしめる。
握りしめながら、カリスは歩いていた。
ラタレリークの北の端だ。
赤褐色の髪が海風に煽られている。
いきなり王都の真ん中に姿を現わしたりはせず、人の少ない北端の村に移動。
トランスファーケージの地図で確認したので、間違いはない。
「本当に便利なものだ。地図上に人影が見えるとは」
地図には、小さな点が多数あった。
ほとんどはオレンジ色をしており、密集していたり、ぽつぽつとあったりする。
最初は意味がわからずにいた。
が、点が街に密集していることで「人」を表すものだと気づいたのだ。
大勢を移動させる時、トランスファーケージは、かなり大きな「檻」となる。
人の密集している場所に送れば、怪我人を出す恐れがあった。
おそらく、そうした事故を防ぐための機能だろう。
しかし、どういう理由かは知らないが、今は、その点は「灰色」になっている。
地図は西帝国だけではなく東帝国のものもあったため、念のために確認したが、そちらもやはり「灰色」だった。
「俺を裏切り者と判断したからかもしれない」
カリス自身がどう思っていようと、主人に黙って国を出たのは事実だ。
裏切り者だと見做されるのは当然で、弁明のしようもない。
連れ戻されるのは時間の問題だろう。
そして、戻れば「裏切り者」として殺される。
それでも、カリスはラタレリークに来る必要があった。
リーシアに理由を話し、許しを得ることも考えなかったわけではない。
カリスはリーシアの下僕なのだ。
どんな判断も行動も、リーシアの許しを得る義務がある。
もしくはモルデカイの。
リーシアは下僕の行動に関知していないところがあった。
モルデカイが報告する際、よく「あら、そうなの」と言う。
そのたびカリスは「知らなかったのか」と驚いたものだ。
2ヶ月目ともなると、最早、慣れたけれど。
だが、リーシアが把握していないからといって許しを得なくていい、ということにはならないと、わかっている。
リーシアの権限を委ねられているモルデカイに許しを得るべきだった。
さりとて。
「ファルセラスが他国のために動くことはない。ましてや敵国であった国の王女がどうなろうと、どうでもいいと思うはずだ。助けたいと言ったところで理解されることはあるまい」
まだしも縁のある東帝国の使者でさえ「勝手に来た」という理由で放置していたくらいなのだ。
きっと敵国の王女など「知ったことではない」と切り捨てられる。
だから、カリスは黙って出た。
少し前、トランスファーケージの地図が切り替えられると知ったこともある。
頭の隅に、ほんのわずか「全員で逃げてしまおうか」との考えがよぎった。
けれど、その考えは、すぐに打ち消したのだ。
収容人数に制限があると知っていたからではない。
誓約を破ることになると思ったからだ。
リーシアは誓約を守り、カリスの配下を生き還らせている。
そして、カリスの頼みを聞き入れ、眷属にならなかった兵を虐殺しなかった。
彼女は無慈悲ではあるが、それはヴィエラキの民を守るためだ。
自分とて自国の民を守るためにヴィエラキを侵略しようとした。
本来、皆殺しにされているはずの自分たちを救ったのは、あの1枚の紙。
リーシアとの誓約により生き残ることができている。
彼女は「この紙にはなんの制約もない」と言った。
けれど、己の意志で署名したことを、カリスは忘れていない。
本人は意識していないが、カリスは王族の「称号」持ちだ。
それに見合った資質を持っている。
ゆえに、誓約と署名の重みを捨てられずにいた。
「……俺は、クヌートのためにヨルディスタを助けたいだけで、ヴィエラキを……ファルセラスを裏切るつもりはないのだがな……」
だからこそ、配下は連れず、カリス1人でラタレリークに乗り込んでいる。
ヨルディスタを安全な場所に連れて行ったあと、ヴィエラキに帰るつもりだ。
受け入れられるとは、到底、思えないし、その前に殺される可能性もある。
リーシアはともかく、モルデカイなら自分の居場所を把握しているだろうから。
「ともかくヨルディスタを早く助けなければ……クヌートが浮かばれない」
クヌートが西皇帝に膝を屈したのは、妹ヨルディスタが囚われていたからだ。
シリルから、そのように聞いている。
シリルが「拾った」元リザレダ兵の中に、いったんラタレリークに捕らえられ、その後、逃げ出した者がいたらしい。
捕まっている間、ラタレリーク兵がそうした話をしているのを聞いたのだとか。
『だから、リザレダは巻き添えになっただけだ、と言っていたぞ。自らの意思で東帝国との戦に加わったのではなく、ラタレリークに嵌められたのだと』
信憑性のある話だ。
実際、ラタレリークは戦場に姿を現わさなかった。
これは、大公から報告を受けたリーシアから聞いている。
「ラタレリークはヨルディスタを使い、クヌートに戦を持ち掛け、裏切ったのだ。ティタリヒとリザレダを西皇帝に捧げるために」
キリッと、カリスの奥歯が軋む。
西皇帝に従属しているがゆえに、グレゴールが裏切ることはないと判断した己の未熟さと甘さに腹が立った。
自分たちは、もとより負け戦に駆り出されていたのだ。
クヌートは口止めをされていたに違いない。
ヨルディスタが人質になっていると、カリスは知らずにいた。
単に、まだ即位間もないクヌートが、西皇帝の要求を上手く受け流せなかったと思っていたのだ。
慙愧の念をいだきながら、手で首にふれる。
ムービングチョーカーの輪っかを引っ張った。
ラタレリークの地図が現れる。
今、カリスはラタレリークにいるのだ。
つまり、ムービングチョーカーの移動範囲はラタレリーク全域となっている。
地図には、大雑把に名が記されていた。
1箇所ずつ詳細な情報を開いていけば、それらしい場所を見つけられるだろう。
が、しかし。
「な……っ……???!」
カリスは自分の目を疑った。
地図上のとある個所を凝視する。
『ヨルディスタの幽閉塔』
そう記載されていた。
間違いなく。
「そ、そうか……まぁ、今、俺はラタレリークにいるのだから、な……」
ヴィエラキでも「ピートの養鶏場」とか「マロリーの放牧地」と記載されていたのを思い出す。
よく見れば「グレゴールの秘密部屋」「隠し宝物庫」などもあった。
そこを指定すれば、秘密だろうが、隠されていようが、無関係に即移動できるに違いない。
恐ろしい道具だ。
ヴィエラキでは便利なだけの代物だと思っていたが、間違いだったと気づく。
こんなものを使われたら、好き放題に荒らされてしまう。
どれほど堅固な城門も扉も意味をなさないのだから。
「しかし、直接に移動することに難がある。この道具では、移動先に人がいるかはわからないのだ。移動した瞬間、目の前に警備兵がいたのでは話にならない」
安全な地域で使うのであれば、なんの支障にもならないことだ。
とはいえ、ここは、ある意味「敵地」だった。
カリスを知っている者も少なからずいる。
トランスファーケージは周囲に人がいるか判別できるが、ムービングチョーカーほど詳細な地図は出ない。
しかも、必ず「移送」する必要があった。
1度「檻」状態になると、目的地に着くまで元の大きさに戻らないのだ。
加えて、少なからず「音」が出る。
見つかる危険性を加味すると、ここは、やはりムービングチョーカーを使うべきだろう。
カリスは、そう判断した。
「あちこちに火でも放って騒ぎを起こす手もあるが……」
それは、カリスが「見つからない」ことが確約されていなければならない。
万が一にも見咎められれば「ファルセラスが他国に手を出した」ことになる。
カリスの独断だと主張しても認められはしないのだ。
カリスがリーシアの下僕になったのを、シリルでさえ知っていた。
ラタレリークでもリザレダ兵は捕まっている。
であれば、西帝国にも同様の情報がもたらされていると考えて間違いない。
結果、カリスの独断ではすまなくなる。
なので、確約は望めないにしても「見つからない」ための努力はすべきなのだ。
当然、騒ぎを起こして攪乱するという派手な真似はできなかった。
「ヨルディスタの元に行き、すぐさま2人でリザレダ……リティレザに移動する。ヨルディスタは戸惑うだろうが、説明している時間はない。無理に押し込むことになったとしても、向こうに着けばわかってもらえるだろう」
クヌートの8つ年下のヨルディスタは今年20歳。
カリスとは十歳違いだが、クヌートを通じての面識はある。
時折、一緒に食事やお茶をする程度だったが、見ず知らずの相手ではないのだ。
戸惑いはしても、彼女を幽閉させているグレゴールより信用に足る人物だと判断するに違いない。
本当ならヨルディスタをヴィエラキに連れて行きたかった。
だが、リーシアは「外の者」を好ましく思っていないし、なによりも大公の許しなく他国民を入国させるのは、法に反する。
そのため、いったん大公のいる場所に移動することにした。
「……処遇は大公閣下に委ねるしかないのだ。俺はもう口を挟める立場ではない」
それどころか「裏切り者」として処断される可能性すらある。
カリスの主人はリーシアだが、大公は父親であり、ヴィエラキの統治者だ。
リーシアは大公に「小言」を言われるのを嫌っていたし、父親のすることに反論してまで自分を庇ったりはしないだろう。
「クヌートのため……できるだけのことはするまでだ」
ヨルディスタがどうなるかはわからない。
たとえ大公の「慈悲」が死であったとしても、グレゴールの元にいるよりはマシだと思えた。
ラタレリークは、戦争には「関わっていない」ことになっているため、敗戦国の王女への扱いは厳しいものになる。
「リザレダとティタリヒは、西帝国に従属していなかったからな」
それを理由に、ラタレリークはヨルディスタを奴隷にすることもできるのだ。
西帝国側の国であったとしても、ティタリヒとラタレリークは、明確な同盟関係にはない。
勝手に戦争を仕掛けて勝手に滅んだ国、加えて、西帝国側の国々を脅威に晒したとして「罪人」扱いする可能性は高かった。
カリスは「ヨルディスタの幽閉塔」に指でふれる。
今度は、その周囲の地図と文字が表示された。
「ここが監視部屋……こっちがヨルディスタの囚われている場所か」
監視役の騎士がいる部屋は、ヨルディスタがいる部屋と少し離れている。
間に「尋問室」があった。
文字では、そう書かれているが、現実には「拷問部屋」だ。
人の動きが見えないため、今、ヨルディスタがどちらの部屋にいるかは不明。
「とりあえずヨルディスタの部屋に行き……」
騎士がいたら始末する。
自分の存在が外にもれるのを防ぐ必要があるのだ。
そして、すぐに逃げると決め、カリスはヨルディスタの部屋に移動した。




