後追いでくる本音
カリスは、少々、不機嫌だった。
これでも、なかなかに「忙しい」のだ。
作業を指示したり、シリルを「 宥めすかし」たりと、肩の荷は増える一方。
自分でも、シリルを助けたのを後悔しそうになるほどには手間がかかる。
もっとも「下僕」の自分に選択肢などないことはわかっていた。
だからこそ「少々、不機嫌」なのだ。
眉根を軽く寄せ、リーシアに視線を向ける。
彼女は、とても気分が良さそうだった。
なにしろ、ちょっぴり足が床から離れている。
なにかの職業能力を使ってまで「浮かれ」ているのだ。
「カリス、あなたは、とてもよくやっているわ。だから、ご褒美をあげる」
「褒美、ですか……?」
自分でも、自分が「よくやっている」いや「よくやれている」と思ってはいる。
だが、リーシアに言われるようなことは、なにもしていない。
東帝国から帰った時と同様、功績をあげたという気分にはなっていなかった。
お荷物をひとつ背負いこんだくらいのものだ。
それも、自分から申し出たことなので、功績とは言えない。
「リティレザ」
聞き覚えがあるような、懐かしい「音」だと感じる。
瞬間、気づいた。
「新しい、国名……」
「そうよ、カリス。ティタリヒとリザレダが併合してできた新しい国の名。それがリティレザというのですって。さっき、お父様から聞いたの」
「そう、ですか……新しい名……」
これで、完全に「リザレダ」という国名は地図からも歴史からも消える。
カリスが消したも同然だ。
クヌートは命を持って償ったが、自分は、のうのうと生きている。
罪の購いとして下僕になったものの、生活は快適に過ぎた。
「た、民は……」
「普通に暮らしているに決まっているでしょう? 民が望んだ戦争でもあるまいし、なのに、拒否したり反対したりできる立場でもないのよ? 気の毒だわ」
カリスは、少しうつむいて、両手を握りしめる。
リーシアの言う通りだった。
民は、王や貴族の決めたことに逆らえない。
そうしたことを決める場に、民はいないのだ。
カリスは、治めていたリザレダ王国で、余剰とも言える兵をかかえてきた。
なるべく戦争に民を駆り出さずにすむようにと考えてのことだ。
だとしても、兵は貴族だけで構成されてはいない。
素質や職業能力を持つ民の中には、家族を養うために兵となる道を選ぶ者もいる。
「でも、あなたはこうして罪を購っているし、民を放り捨てて逃げようとした貴族たちとは違うじゃない? だから……」
「逃げた者がいた……民を守ろうともせずに……」
カリスも、リザレダの全貴族が誠実だとは思っていなかった。
中には身分だけを振り回すような者もいたと知っている。
それでも、危機に瀕した際に逃げ出すとまでは予想していない。
貴族は民を守る者であり、民もそれを信じて税を納めているのだ。
(貴族としての誇り……自尊心すらない者がいたとは……)
気づかずにいた自分が情けなくなる。
即位後3年、ようやく腐敗を取り除けたと、これからの国造りに夢を描いていたのだが、間違いだったらしい。
腐った根は、まだ残っていた。
「そうなのよね。だから、いくらあなたが責任を1人で負うと言っても、お父様は赦しを与えることはできなかったの。民を見捨てて逃げる貴族なんて存在している意味がないし、それって、死んでも誰も困らないってことでしょう?」
「……そう、ですね……死んだほうがマシです」
自分が国にいたら、自ら手を下していただろう。
民は自衛の手段を持たないのだ。
貴族が守らずして、誰が守るのか。
これがファルセラスではなく、ほかの国の軍だったら、リザレダとティタリヒの街も民も蹂躙され尽くしていたに違いない。
(ファルセラスは民には寛容だ……それが自国であれ他国であれ……)
だが、ふと疑問が浮かぶ。
今まで侵略してきた国に、ファルセラスが「居残る」ことはなかった。
少なくとも史実には、そう記されていた。
砂漠で戦闘が行われ、誰も戻って来なかった。
侵略国の王は、その国の城門に吊るされた。
戦争の結果として知り得た情報は、この程度。
その後、侵略国はバラバラになり、西帝国にのみこまれていったのだ。
今回、リザレダとティタリヒは新しい国「リティレザ」になったが、そんな話は聞いたことがない。
(しかし、そのおかげで……もしかして大公閣下は、我らの助力をしてくださっておられるのか? 大公軍が駐留していなければ、我らの国は、とっくに消えていたはずだ。民が生きているのであれば……そうだな、国は滅んではいない)
気持ちが少し上向きになる。
西帝国に好き放題され、国をバラバラにされていた可能性を考えれば、敗戦国であるにもかかわらず、民が「普通に」暮らせていることに感謝すべきだろう。
死人が出ているとしても、民を見捨てて逃げるような貴族は殺されてもしかたがないと割り切れる。
「そうそう、新しい国の名は、イルディがつけたそうよ? お父様がとても褒めてらしたわ。イルディは優秀なのね」
「イルディ……」
「フィデルの父親だったと思うけれど?」
イルディナート・ポルティニのことか、と思う。
領主であったため殺されているのではないかと危惧していた。
同じ気持ちだったのだろう、フィデルも父親のことは口にせずにいる。
(そうか……イルディナートは殺されずにすんだのだな。フィデルも安心する)
フィデルの忠誠心の厚さは、父親譲りだった。
フィデルの父は、たった1人、今回の城攻めに難色を示した貴族だ。
だが、カリスの断れない立場を理解し、最も多く精鋭を出してくれている。
もとよりポルティニは騎士の家門で、フィデルにも騎士の素質は十分にあった。
その能力を伸ばしていれば、ソードマスターになれていたはずだ。
「これって、いい報せ? ご褒美になったかしら?」
「はい。大きな褒美をいただきました。フィデルも安心させてやれますし、ほかの者も民が無事と聞けば喜びます」
「そうなの? あなたのご褒美ではなくて、眷属へのご褒美みたいね」
「俺は、それで満足です」
実際、フィデルたちが喜ぶ姿を想像すると、カリスも嬉しかった。
なにより国が滅びずにすんだのだ。
そういう意味では、カリスにとっても「褒美」だと言える。
(気がかりな者は、ほかにもいるが……ひとまず民が無事だとわかったのだ。今はこれで肯としておかなければ。それにしても、イルディ、か)
自分と同じく「ヴィエラキ風」な名に改めたようだ。
長い名は、ヴィエラキでは好まれない。
5文字を越える名はない、とも聞いている。
「ギゼル様は、名をおつけになるのを苦手とされておられますから、その点でも、お役に立てていると存じます」
「お父様にも苦手なことってあるのよね。それを補完してくれる者がいるっていうのは、とても喜ばしいわ」
「仰る通りにございます、シア様」
モルデカイはリーシアの隣で深くうなずいていた。
カリスを坑道から有無を言わさず連れて来たことなんか、なんとも思っていない。
指示については、フィデルが上手くやってくれているはずではある。
だが、説明くらいしてほしかったし、服も着替えてからにしてほしかった。
(俺が薄汚れた格好をしていても、気にしていないようだがな)
リーシアは嫌な顔をするでもなく、平然としている。
自らのドレスを汚された時には、ひどく嫌そうな顔をしていたのに。
(まぁ、彼女が気にならないのであれば、俺はどうでもいい。どの道、坑道に戻るのだから、着替えの手間が省けたというものだ)
リーシアの機嫌を取る気はないが、悪い印象を持たれるのも困る。
彼女の指先には、カリスの「眷属」たちの命が乗っかっているのだ。
なにをきっかけに殺されるか、わからない。
リーシアにとって「眷属」は、下僕ほどの価値がないとわかっている。
「カリス……あなた……」
リーシアのハッとした表情に、内心を見透かされたかと、カリスは思わず視線をそらせた。
リーシアが近づいて来る気配がする。
いきなり殺されることはないだろうが、罰くらいはあるかもしれない。
リザレダの話を聞いたせいか、自分の立場を強く意識してしまう。
側壁塔でのことも思い出された。
あの日、あの夜に、自分は王ではなくなったのだ。
罪の購いとして下僕になったのだから、立場をわきまえなければならない。
たとえ民たちと親しくなれたとしても、罪を負っていることに変わりはないのだ。
(彼女に対しての不敬は……心の中であっても許されることではない……)
正直、リーシアのことは未だ理解不能。
誤解することも多かった。
だとしても、彼女は自分の「主」なのだ。
フィデルが自分に見せてくれているのと同じくらい忠誠を尽くすべき相手。
「カリス、少ししゃがんでちょうだい」
「はい、シア様」
しゃがめと言われたが、カリスはリーシアの前に 跪く。
ヘラやロキは、よく跪いているが、実はカリスはあまり跪いていなかった。
モルデカイはともかく、最も新参の下僕としては有り得ないことかもしれない。
誰もなにも言わないし、ともすればイスを勧められたりしていたので、貴族たちのようなこだわりはないのだと思い込んでいた。
(そうだ、本来、俺は……)
なでなで。
カリスの思考が、ぱたっと止まる。
体も、かちっと固まっていた。
なでなで。
リーシアがカリスの頭を撫でている。
そのことに気づくまで、時間がかかった。
意味がわからなかったからだ。
なぜ、どうして、今、頭を撫でる?
気づいても、わけがわからず、混乱した。
思考回路の途中が切れたみたいに、同じところをグルグルしている。
そのカリスに、リーシアが「なぜか」呆れ口調で言った。
「本当は、あなただけのご褒美じゃなかったのが不服だったのでしょう? でも、拗ねないでね。あなたがよくやっていることは、私、わかっているから」
「シア様は、本当に、きみを気にかけていらっしゃるのだよ? こうやって褒めてくださっているのが、その証だ」
「そうよ、カリス。私は眷属を褒めたりしないって言ったわよね?」
ぼんやりと理解する。
リーシアにとって「褒美」は「褒めること」なのだ。
それは間違ってはいないし、否定もしない。
だが、カリスにとっては「褒美」にはならなかった。
(……不敬ではあるが……あるが……このような褒美なら……いらん!)
黙って頭を撫でられているカリスの顔が、ぶわっと赤くなる。
子供のように「拗ねている」と誤解されて、頭を撫でられていることに、今さらながら、羞恥心が追いついてきたのだ。




