称賛という名の褒美
リーシアは、1人で私室にいた。
モルデカイは坑道の様子見に行っている。
ヘラとロキは、それぞれの仕事をしているのだろう。
近くにはいなかった。
(モルデカイがいないのは不安だけれど、私も大人なのだし……)
意を決して、腰かけていたソファから立ち上がる。
必要はないのだが、両手を握り締めた。
「やあ、何日ぶりかはわからないが、久しぶりだね、シア」
「ええ、お父様。そちらは、お変わりない?」
「まずまずというところかな。ところで、シア」
なぜか、ぎくっとする。
別に「小言」を言われるようなことは、なにもしていないはずだ。
父の「ところで」に、思い当たる節があるような、ないような。
「城攻めに行っていた兵たちが、こちらに出戻っているのだが」
「あ……」
「ざっと1万人というところかなあ」
「あ、あの、お父様、殺しておくべきだったって思っているのでしょう? 私も、1度は殺したのだけれど、カリスの眷属かもしれないと思って生き還らせて、でも眷属にならない者は砂漠に放逐したの! だって、カリスを見捨てたのだもの! 彼、すごく繊細なのよ? とっても傷ついていたわ! だから、生温いことでは、到底……っ……到底…………許すべきではないと思ったのよ、お父様……」
申し出たのはカリスだが、リーシアはそれを「もっともだ」と思った。
なので、当然に「自分の考え」としている。
主としての責任感からではない。
下僕たちは、リーシアの持ち物だというのが基本的な認識だが、しかし。
感覚としては「体の外にある内臓器官」に近い。
持ち物といっても、小銭入れやドレスとは違う。
腹痛があれば、人は「薬」を飲む。
けれど、飲まずに耐えるか、飲んで癒すかを決めるのは「体の持ち主」だ。
胃腸が勝手に手足を動かして、薬を飲んだりはしない。
もちろんリーシアは腹痛など起こしたことはなかったし、彼女の「内臓=下僕」たちは「勝手に」動くのだけれども。
リーシアにとっては、そのくらい自然な思考となっている。
要は、下の者のしたことは上の者の責任なんて原理で行動はしていない、ということなのだ。
普段は下僕たちがなにをしているのか把握してもいないのに、結果は自分のこととして受けとめている。
「シア」
「はい、お父様……」
「出戻った者たちは、カリスの眷属ではないのだね?」
「はい、お父様……」
「彼らがヴィエラキに再び侵攻してくる可能性は考えてのことかい?」
「それはカリスがさせないわ!」
カリスが、そう言ったのだ。
絶対にさせない、と。
「それならいいさ」
父の軽い口調に、ホッとする。
だが、少し残念でもあった。
(1万人も生き残ったなんて……思ったほどの成果が出なくて、きっとカリスも、がっかりするわね。全員、死ねば良かったのに)
残された6万人の兵が、未だ砂漠をさまよっているのか、殺し合っているのか、飢え死んでいるのかは、どうでもいい。
1万人の兵が生き残っていることが「確実」になったのが癪に障る。
せっかく気を取り直させたカリスを、また落ち込ませることになるだろう。
ならば、リーシアもまた「メンタルケア」しなければならなくなるのだ。
「今からでも、私、そちらに行こうかしら? 私が処分すべきよね?」
「いいや、こちらのことは、私たちに任せておきたまえ。それよりも、きみには、カリスに伝えてほしいことがあってね」
「カリスに?」
「シア、カリスは努力しているのではないかね?」
「ええ、とても努力しているわ。この前も東帝国からの使者に、とても傷つけられたっていうのに、事を自分で処理しようと……」
「東帝国から使者が来ていたとは知らなかったな」
あ…と、思った。
元々、その話をするために、父に連絡をしている。
が、うっかりすっかり忘れていた。
「用件がわからなかったものだから、しばらく放っておいたのよ、お父様」
慌てて、言葉を添える。
父が、のんびりとした調子で「ふぅん」と答えたので、胸を撫でおろした。
父の小言は、強大な力を持つリーシアの最大の「弱点」なのだ。
「最近になって対処することにしたのだけれど、本当に、よくわからなかったわ。カリスを虐めに来たみたい。だから、カリスが処理して、私に出番はなかったの」
「使者を殺してはいないのだね?」
「そうよ、お父様。殺したほうがいい?」
「シア、私が訊いたのは、カリスが殺したのかどうかだよ。きみは、使者の対処をカリスに一任した。ならば、そいつを殺すかどうかも、彼の判断に任せなさい」
「そうね。わかったわ」
父の言うことは正しい。
現に、モルデカイの「対処」に対して、あとから手出しをしたことはなかった。
カリスにも同様に接するべきだ。
同等とするのは難しくても。
「話が逸れてしまったな。これから話すことを、カリスに伝えてくれるかい?」
「はい、お父様。もちろん」
「努力には、寛容と忍耐、加えて褒美も必要だ。彼は今、リザレダやティタリヒがどうなったか、気にしているだろうからね」
「そうなの? そんなふうには見えないけれど、カリスは不愛想だから」
父が爽やかな笑い声をあげる。
そのあとで「カリスに伝えてほしいこと」を話し出した。
リーシアには重要だとは思えなかったが、カリスには違うのかもしれない。
なにせ父が「褒美」と言ったくらいなのだ。
「ところで、お父様たちは、まだ帰ってらっしゃらないの?」
ひと通り聞き終わったあとで、切り出す。
また東帝国から、あれこれ言ってきたら面倒くさい。
外交は、カリスに丸投げする予定ではあった。
が、父たちがいてくれれば、カリスは「眷属管理」に専念できる。
(民も、カリスの眷属に頼り始めているし、そっちに力を入れてほしいのよね)
1年の終わりが近づいていた。
この時期は、街もなにかと忙しない。
眷属の手を借りたいと思う民も増えるはずだ。
東帝国になんてかまってはいられない。
「1度、年末年始に帰る必要はあるが、それまでは帰らないよ」
「え……それって、ギリギリまで、ということ?」
「そうとも」
あっさり言われ、がっくりきた。
父は「遊び心」で動く人だと知っている。
帰らないと言ったら、帰らない。
ということは、あと1ヶ月以上も、城はリーシア管理だ。
実際的な「管理」を、リーシアがしているかどうかは別にして。
「なにか不都合があるのかな?」
「まったくないわ」
即座に答える。
管理を怠っていると判断されたくなかったからだ。
小言を言われたくないのもあるが、それ以上に「ちゃんとできている」ところを見せておきたかった。
「そのようだね。城攻めに対しても、きみはとても辛抱強く対処した」
「まったくよ。たった千人ぽっちしか殺さなかったもの」
「上出来じゃないか、シア」
「ありがとう、お父様」
褒められて、胸が、ぽっぽっと暖かくなる。
小言だけではなく、父は、よく褒めてもくれるが、そのたびに嬉しくなるのだ。
それで張り切り過ぎると、たいていは「やり過ぎて」しくじるのだけれども。
「カリスのことも気にかけているようで安心した。彼はルーキーだからね」
「メンタルケアも、バッチリよ」
「見事なものだ。きみに城を任せて良かったな」
リーシアは、私室で1人、にこにこしている。
軽く、とんっとんっと床を蹴って飛び跳ねていた。
今すぐ飛んで行って、父に抱きつきたくなる。
そのくらい浮かれていた。
「私たちが帰るまで、城を頼んだよ」
「ええ、任せておいて、お父様」
なにやら、なんでもできる気になっている。
自分が、いかに面倒くさがりかも忘れていた。
父との連絡を終えても、気分が高揚している。
早速に、父の言いつけを守ることにした。
「モルデカイ」
「お 傍に」
モルデカイが、リーシアの隣に現れる。
胸に手をあて、深々と頭を下げていた。
そのモルデカイの両手を握る。
顔を上げたモルデカイに、にっこりした。
「ねえ、聞いて。お父様に褒められたのよ、私」
「それは喜ばしきことにございますね」
モルデカイが、片眼鏡の奥の瞳をわずかに細める。
口元も、ごく微かに「笑み」を浮かべていた。
ほかの者、とくにカリスの眷属たちが見れば、ゾッとするような笑みだ。
だが、リーシアには、モルデカイが自分の気持ちをわかってくれている、としか感じない。
下僕たちを、リーシアの「内臓」とするなら、ヘラは胃、ロキは腎臓、そして、モルデカイは心臓といったところだ。
カリスは、今のところ「なんとなく内臓っぽくなってきた」程度なので、果たす役割をたとえようがない。
「そうなの。とっても嬉しかったわ」
こうしてモルデカイに話してしまうところが、リーシアの中の幼さだった。
自分の心に秘めておくことができない。
加えて、一緒に喜んでもらいたがる。
モルデカイが、自分の心に寄り添っていると、無意識に感じているからだ。
「ギゼル様も、シア様を誇りに思っておられるでしょう」
「そうね。そうだといいわね」
にこにこしながら話していて、思い出す。
ずっと父に「誇り」に思ってもらえるように、言いつけは守らなければ、と。
「今すぐ、カリスと話さなくちゃ」
「かしこまりました。直ちに連れてまいります」
「カリスには連絡がつかないから、面倒よね」
「アイテムを渡しておきましょう」
「いえ、いいの。必要があれば、あなたに頼むわ」
「シア様の御心のままに」
言って、モルデカイが姿を消した。
なぜ通信用の「アイテム」を、カリスに渡す必要がないと言ったのか、理解してくれているのだ。
(お父様たちも持ちたがらないものね)
ほとんどの通信用アイテムは「双方向」となっている。
要は、カリスから自分に、いちいち連絡が入るのが面倒、ということ。
リーシアは、アイテムなどなくても、父たちや下僕3人とは、好きな時に連絡をすることができた。
だが、父たちに対しては、あまり使わない。
本当に、必要がある、と感じた時だけだ。
些細なことで、父たちを煩わせたくはなかった。
3人が、あえてアイテムを持たずに出かけるのは、自分のことは自分で対処するというのが、ファルセラスでは基本とされているからだ。
とくに「遊び心」で動く父は、縛られるのを好まない。
そして、リーシアの傍には、いつもモルデカイがいる。
ほかの者と連絡を取る「必要があるかどうか」も、モルデカイが判断していた。
リーシアが下僕たちとしているのは「連絡」ではなく、お喋りの類だ。
必要があるかどうかなど、気にしてはいない。
「モルデカイって、本当に素晴らしいわ」
「お褒めにあずかり恐縮にございます」
「あら、帰っていたのね」
モルデカイがカリスを連れて戻っていた。
カリスは、薄汚れた格好をしているうえに、不愛想な顔で立っている。




