胡散臭い者たちの出来事
「陛下、直接のお目通りをお許しくださり、感謝の言葉もございません」
ここは、西帝国バルドゥーリャの皇帝ヴィジェーロ・ネルロイラトルの私室だ。
それも奥まった場所にある秘密の部屋であり、1対1のやりとりしかしない。
イスは2脚、ヴィジェーロと向かいに、もう1人。
この部屋には、見聞きされないよう、ウィザードに魔法をかけさせている。
そのウィザードたちの身内は、ヴィジェーロの手の内にあった。
おかしな真似をすれば、本人だけではなく家族も皆殺しだと脅してある。
そうまでして「内密の話」ができる部屋を作ったのだ。
基本的に、ヴィジェーロは、自分しか信じていない。
「前置きはいい。内密の話があるのなら、はっきりと言え」
東帝国人らしい淡い銀髪に、水色の瞳の男が口元に笑みを浮かべる。
肌は白く、俊敏そな体もほっそりとしていた。
男を好む嗜好がなくても、目を奪われそうなほど美麗な顔立ち。
赤い唇に浮かんだ微笑には、艶めかしさを感じる。
が、ヴィジェーロは、すでに1人の女性の虜となっていた。
最早、ほかの誰にも入りこむ余地はない。
「では、まず2つの対価をご確約くださいませ」
「条件提示なしに、対価の要求とは無礼だな。オレを舐めているのか?」
言いながらも、腹は立てていなかった。
東から来た男、ジズの様子見をしているだけだ。
ジズは、あの「ファルセラス城内」を他国の者の目にふれさせるという 大業を成し遂げている。
それだけでも「対価」を要求するに相応しい。
ヴィエラキ建国以来、ファルセラスに手を出して無事に戻った者はいなかった。
国内どころか領土を囲っている城壁すら越えられていないのだ。
城内が、どうなっているのか、知っている者などいるはずがない。
たとえ、わずかな時間であれ、見えたということには、大きな意味がある。
大公女リーシア・ファルセラス。
現在、ヴィジェーロの心をとらえて離さない女性だった。
彼女を妻にできるであれば、憎々しく思うヴィエラキ大公ギゼル・ファルセラスですら許せるほどだ。
42歳にもなって20歳も年下の女に血道を上げていると嘲られてもいい。
それが誰であれ、首を 刎ねるまでだ。
帝位につくまでの暗澹たる日々、そして帝位につくための非道、その後、帝位についてからの粛清に追われる毎日。
側室は大勢いても、ヴィジェーロの心が休まる時はなかった。
さらには、側室の誰かに毒を盛られるかもしれないと、常に警戒していたのだ。
側室たちは、そのほとんどが属国とした諸国の王女だったので。
つまり、ヴィジェーロは帝位につく前も、今も、誰にも心を許さずにいる。
にもかかわらず、大公女に、ひと目で恋をしてしまった。
銀色の長い髪も暗い赤色をした瞳も、垣間見えた程度に過ぎない。
じっくりと見定めたわけではないのだ。
それでも、胸が高鳴り、視線を外せなかった。
ジズの持っていた「道具」がなければ、彼女の姿を知ることもなく生涯を閉じていたかもしれない、と思う。
なので、対価の支払いについては 吝かではないのだ。
「まぁ、いい。言え」
「私の命と自由の保証、グレゴール・ラタレリークの犠牲」
聞いて、ヴィジェーロは眉をひそめる。
ジズの思惑が、まったく予想できなかった。
「その対価の対価を、オレに差し出せるのか」
「陛下が、さらに、その対価を私にくださるのでしたら」
「なるほど……今の対価は、もっと大きな対価のためのもの。強欲な奴め」
「それはそうなのですが、必ずしも成功するとは限りませんので、身の安全は確保しておきたいと思っている次第にございます」
「その2つの対価を支払ったなら、オレは何を手に入れられる?」
ジズが赤い唇を横に引いて笑う。
妖艶さが増していた。
グレゴールのような淫蕩な男であれば、喉を鳴らしたかもしれない。
が、ヴィジェーロはジズよりも、ジズの返答に関心がある。
「大公女殿下とのご縁にございます」
「なんだと……」
思わず、腰を浮かせた。
できるはずがないとの思いと、ジズの自信に満ちた視線の間で心が揺れていた。
兄弟たちの首を刎ねる時ですら動揺しなかったヴィジェーロが動揺している。
「私が東帝国の者であるのはお分かりかと存じます。大公女殿下に掴みかかろうとしていた男、あれは、東帝国エンディルノの第4皇子シリル・ラモーニュ。陛下、私は彼にある細工を 施してございます」
「細工とはなんだ?」
「私は流浪をするようになって以来、めずらしい道具を手に入れてまいりました。ドールリーフと書かれたインク瓶も、そのひとつにございます」
「ドールリーフ……なんだ、それは? 聞いたことがないが」
「今回、第4皇子がヴィエラキに向かったのは、私が、そのように操ったからなのです。彼に近づくきっかけがあった際、ほんの少し、肌に“書き込み”をいたしました。私の名です。彼は、自らで判断したと思っているでしょうけれど」
そのインクには、人の心を操る力があるらしい。
東帝国の第4皇子は、ジズの「操り人形」となっているのだろう。
だが、本人は操られていることに気づいていないのだ。
自らの意思で動いていると思っている。
「お前が使うのは道具のみ。魔法ではない。ゆえに、気づかれないのだな?」
「さすが鋭くていらっしゃいますね、陛下は」
「普通にわかることだ」
もし道具でも気づかれるのなら、先日の「映像」の段階で気づかれていた。
気づかれていたら、ギゼル・ファルセラスが黙ってはいるとは思えない。
しかし、なんの動きもなく、丸1日が過ぎている。
「あの指輪に注意をはらっている者は誰もおりませんでした。近くにいたシリルも護衛騎士の指になど関心をはらっていなかったでしょう」
「そいつを使うとなると……ジズ」
「はい、陛下」
「ティタリヒの王女も必要なのではないか? 対価にはしていなかったがな」
ジズは微笑みを浮かべたまま、深く頭を下げた。
そして、抜け抜けと言う。
「それは、陛下より賜れると存じておりました」
*****
同時刻
フィデルは、 槌と 鏨を使い、岩壁に割れ目を作っている。
隣で、ネリッセがツルハシを使い、鉄鉱石を打ち崩していた。
(ネリッセの職業能力はレベル2だと、カリス様が仰っていたな)
初めて聞いた話だが、職業能力には「レベル」というものがあるそうだ。
自分の身に着けている黒騎士や盗賊、それに赤魔法使はレベル1。
3つの能力を持っていても、レベル2にはなれないと教わっている。
もとより、自分が「特化型」ではないのは自覚していた。
フィデルは、カリスの役に立てそうな職業能力を選んだだけだからだ。
西帝国には、職業能力を持てる素質のある者が多い。
素質を認められれば、その国の教育機関に「見習い」として所属できる。
フィデルの父は、騎士の道を選んでいた。
フィデルにも騎士の素質はあったが、同時に複数の素質を持っていたのだ。
隣にいるネリッセを、チラッと見る。
ネリッセは、最初は拳闘士の職業能力を伸ばしていた。
物理攻撃的な能力だ。
それを極めたのか、次は同じく物理攻撃系の気功士の能力を伸ばし始めている。
こんなふうに、だいたいは似た能力を伸ばすのが一般的だった。
とはいえ、やはり、そこには「素質」がなければならない。
1種類の職業能力さえ極められない者は大勢いるのだ。
軍に加わっていた兵たちも、大半が「レベル1」だろう。
フィデルも、その1人。
3種類の能力を1度に習得し始めたため、どれも中途半端。
極めきれた職は、1種類もない。
だが、それで良かった。
フィデルは、カリスの支援さえできればいいと考えていたので。
その3種類のうちの「盗賊」の能力が騒いでいる。
情報や目的の物を手に入れたり、敵の口を割らせたりするのを得手とする職だ。
「お前も、あいつが気に食わねえのか?」
「胡散臭い」
ネリッセの言う「あいつ」とは、シリルを指している。
2人は元西帝国の人間で、シリルは東帝国の第4皇子。
気に入らないとの思いは、相互にあるはずだ。
だとしても、カリスの配下になった以上、無闇に手は出せない。
「陛下……カリス様は、なんであんな奴を引き入れたんだ?」
「反動を回避されただけだろう」
「反動ってのは?」
「殺されるのは、あいつだけではなかった、という意味だ」
ハッとしたように、ネリッセが口をつぐむ。
1度は死んだ身なので「彼女」の恐ろしさが骨にまで刻まれているのだ。
配下の3人でさえ恐ろしいのに、彼女は、そのさらに上をいく。
名を口にするのも 憚られるくらいに。
「私も、あんな光景は2度と見たくはない」
運良くと言えるのかはともかく、フィデルは死ななかった。
生きて、血の海の只中に立っていた。
思い出したくもない。
死んでいたネリッセを羨ましく思う。
あの光景を見ずにすんだことのほうが、幸運だったのではないか。
フィデルには、そう感じられるのだ。
それほど凄惨だった。
「だが、あいつは、事の重大さがわかってねえんだろ?」
「だろうな。私たちは、カリス様を慕っていたこともあって、ここに残った者だ。だから、そもそもカリス様に口答えなんかしない。それでも、仮に口答えする者がいれば、どうなるか。それも知っている」
「あんな馬鹿を寄越しやがって……東帝国は消し飛ばされたいのかよ」
「そうなったとしても、きれいさっぱり片付けられて、掃除されるだけだ」
言いながら、背筋がゾッとなる。
と、同時に安堵もしていた。
カリスは「あの3人」と対等なのだ。
彼女の下僕として同格に扱われている。
「カリス様は、すげえお人だよな。あんな恐ろしい奴らを前に、平然と対等な口を利いておられる」
「……我らを守るためだ。それが先にあるから、恐怖も恐怖でなくなる」
カンっと、ひと際、力を入れて槌をふるった。
岩壁に、パキパキと亀裂が入る。
「そうだな。俺が生きていられるのも、カリス様のおかげだ」
しみじみと言った口調で、ネリッセが言った。
ヴィエラキでの暮らしは、大変だが、大変ではない。
兵士としての役割はないが、仕事はあるし、民はいたって友好的。
なによりカリスがいることの安心感がある。
「あんな奴らと渡りあわなけりゃならねえカリス様に比べりゃ、俺たちは楽させてもらってるぜ。みんな、そう思ってる」
「だからこそだ。我らは、カリス様を害する者を許してはいけない」
槌をふるいながら、シリルに視線を投げた。
カリスの監視の元、文句を言いつつ、ちびちびと土をバケツに入れている。
労働力になっていないのは、一目瞭然だ。
カリスに手間をかけさせている分、足手まといとも言える。
「やはり、どうにも、あいつは胡散臭い。ネリッセ、私も監視はするが……」
「交代で目を離さないように、だろ?」
「そうだ。奴は、いつかなにかやらかす」
フィデルの職業能力が騒いでいるのは、そういうことだった。
今までにも何度かあったので、わかる。
要注意人物が近くにいると、自然に視線が動いて、対象を捉えるのだ。
調べたいという欲求も高まってくる。
この能力については、カリスにしか知らせていなかった。
諜報の能力なのだから、人に知られては意味がない。
ネリッセを信用していないわけではないが、これは「職業病」なのだ。
ヴィエラキでは、そう表現すると、フィデルはピートに教わっている。




