新参眷属の躾
「冗談じゃない! なぜ僕が……っ……」
東帝国第4皇子シリル・ラモーニュが騒ぎ立てている。
真っ青で艶やかだった髪は、ぐしゃぐしゃ。
薄い紫色の瞳には、怒りと怯えの混じった色が漂っていた。
颯爽としていた雰囲気は、見る影もない。
カリスは赤褐色の短めの髪を手でかきあげ、深い緑色の瞳を細める。
溜め息をつきたくなるのを我慢しているのだ。
(歳はフィデルと変わらないようだな。確かに情けない奴だ)
リーシアは、シリルを「惨めったらしく情けない」と 詰っている。
カリスにも、うなずけるところがあった。
(フィデルは目の前で、何万という味方が肉の塊にされたのだぞ)
カリスだって似たようなものだ。
ヴィエラキを侵略しに来て、到着後わずか数時間。
戦争とも呼べないほど、あっさりと敗北した。
その際、側壁塔に連れて行った50人以上の兵を、一瞬で肉片にされている。
そして、その血肉を、カリスは全身に浴びたのだ。
(たかだか5人……しかも、戦場であれば見慣れた光景ではないか)
シリルが連れていた護衛騎士5人は、首を斬り落とされている。
5人一緒というのはともかく、戦場ではめずらしくもない光景だ。
少なくとも「人の体」として残されていた。
カリスやフィデルの見た「死」と同列では語れない。
なのに。
シリルは怒りを滲ませながらも、怯えている。
護衛騎士たちの「死」が忘れられずにいるのだ。
隣でフィデルも、西帝国側の者としては珍しい薄茶色の目を細めていた。
瞳や髪の色は様々だが、西に行くほど、その色は暗くなる。
フィデルは髪も薄茶色だ。
ただし、東帝国側の者のような鮮やかさはない。
昨晩、フィデルには、シリル訪問により起きた事と次第を話している。
だからだろう、フィデルの目が、カリスの内心を代弁していた。
明らかに、シリルを蔑んでいる。
その目が言っていた。
たかが、その程度で。
周囲の者たちも、似たり寄ったりだ。
なにしろシリルは尻もちをついたきり、立ち上がろうともしていない。
2回目なのだから慣れていてもいいはずだ、と思う。
昨日は「トランスファーケージ」と呼ばれる道具で、フィデルたちのいる「眷属宿舎」に、シリルを移送した。
フィデルは初めての「移送」でも、たいして揺れなかったと言ったほどに余裕があったのだが、シリル違う。
「ケージ」の中で昏倒していた。
あげく昼前まで起きなかったのだ。
もっとも「ここは王宮か?」と錯覚しそうになるようなフカフカのベッドが備えつけられているので、熟睡してしまう気持ちもわかる。
とにかくヴィエラキは生活水準がおかしい。
他国民にとっては「王宮か?」でも、ヴィエラキでは「普通」なのだ。
ヘラ曰く、眷属宿舎にある生活品は、どれも「民と同等か、それ以下」らしい。
ファルセラスの城内にあるものだけが「高級品」だとされている。
これは、ファルセラスにしか使えなかったり、身に着けたりできなかったりするため「市場」には出せないのだそうだ。
「カリス様……私が思うに、この者は役には立たないのではないでしょうか?」
自分も同感だ、と言いたくなる。
が、そうもいかなかった。
情けない男ではあるが「死ねばいい」ほどではない。
ここでカリスが「いらない」と言えば、絶対に殺される。
リーシアが「眷属ごとき」直接に手を下すことはないだろうから、モルデカイがサクッと殺しに来るに違いないのだ。
面倒を背負い込むことになるのはわかっていても、見殺しにもできなかった。
目の前で「サクッ」とされたくはない。
側壁塔でのことを思い出すことになる。
「僕は……っ……僕は、ひ、東帝国の……」
「第4皇子であらせられるんだろ?」
フィデルの横からネリッセが馬鹿にしたような口調で言った。
ネリッセは、青緑色の髪と目の元貴族の男で、歳はフィデルよりも上。
大柄で力も強く、ウォーリアーという職業能力持ち。
職は違うが、ウィザードと同じく「レベル2」の能力だ。
が、悲しいかなネリッセは「モブ」だった。
カリスは「モブ」については、フィデルにしか説明していない。
フィデルは「モブ」ではなく「名付き」だからだ。
ほかの「モブ」たちには、到底、話せる内容ではなかった。
まさか、その他大勢のどうでもいい「名無し」として扱われているだなんて。
「けどな、ここじゃ、そんな身分は意味ねえんだよ。わかんねえなら、あんたも、1回、死んでみりゃあいい」
ネリッセは城外に待機させていた軍の中にいたため、1度、殺されている。
その後、リーシアの力によって「生還」はしたものの、自らが「死んだ」ことは覚えているらしかった。
なので、ぐずぐずとしたシリルの態度が腹に据えかねたのだろう。
「ぶ、無礼だぞ! お前たちの王は、下僕に成り下がり、命乞いをしたと言うではないか! どうせ大公女の寵愛が目当て……っ……」
「この野郎っ!! 陛下がどのようなお気持ちで……っ……」
「やめろ、ネリッセ」
「ですが、陛下!」
今にもシリルに殴りかからんばかりのネリッセの肩を、軽く叩く。
誰もネリッセを止める気はなかったとわかっていた。
周りの者もネリッセと同じ気持ちなのだ。
自国の兵さえわかってくれていればいい、と思う。
それに。
ほんの少し、カリスの心に羞恥心がよぎっていた。
夕べのことを思い出している。
リーシアが、カリスの私室と同義の寝室に現れた。
かなり深夜のことだ。
フィデルとの話が終わり、シリルをどうするか考えていたところに、リーシアが訪れている。
体が透けるような寝間着姿で。
しかも、カリスが腰掛けていたベッドで、隣に座ってきた。
その上、耳元に、あれこれと囁きかけてきたのだ。
カリスが「勘違い」してもしかたのないようなことを。
(……彼女に、その気はない……わかっていたはずなのに、俺という奴は……)
最初にモルデカイに釘を刺されていた。
その後、カリスも、リーシアは「色事」を好む性質ではないと判断している。
むしろ、最も遠い場所にいそうな気さえしていた。
人の恋愛に関心はあるようだが、彼女自身のことには無関心。
(彼女は……下僕という存在を、無条件に信用している……誤解されたり、下心をいだかれたりするなどとは思いもしないのだ……)
なのに、カリスは勘違いして、危うくリーシアを抱きしめそうになった。
おそらく、抱きしめてもリーシアは「貞操の危機」とは思わなかっただろう。
そもそも彼女は「危険」に対しての認識が無いに等しい。
民に及ぶ「危険」以外、危険と 見做していない節がある。
それにしても、恥ずかしい。
思ったことを実行に移す前に「勘違い」に気づけて良かったのだ。
きっと、これは確実に言えることだが、リーシアを抱きしめたり、押し倒したりしていたら、絶対にモルデカイに襟首をひっつかまれて壁に叩きつけられていた。
あげく、こんこんと説教をされていたに違いない。
そんな「恥」があるだろうか。
思い出すのも恥ずかしくて、カリスは夕べのことを頭から叩き出す。
改めて、シリルに向き直った。
「その下僕よりも今の貴様の命は軽いのだ、シリル」
「な……っ……僕を呼び捨……っ……」
「死にたいのなら好きにしろ。俺が貴様を庇うのは、これが最初で最後だ」
ぱく…と、シリルが口を閉じる。
が、しかし、大人しくはならなかった。
尻もちをついた無様さをものともせず、言い放ったのだ。
「い、今、リザレダが、どうなっているのか、ぼ、僕は知っているぞ! お、お前だって知……っ……」
「知りたくはない」
ぴしゃりと言い切る。
たとえシリルの言葉が本当だったとしても、訊こうとは思っていない。
フィデルや周りの者に広がった動揺が、すぐにおさまっていくのを感じた。
カリスの言葉に重きを置いているからだ。
意味もなく、カリスが「リザレダの現状を知らなくていい」と言うはずがない。
同じくらい、ヴィエラキへの忠誠心からでもないと理解してくれている。
当然だが、リザレダの状況を知りたい気持ちはある。
だとしても、不確かな情報に振り回されている余裕はなかった。
自分の元に残ってくれた者たちを守るだけで精一杯なのだ。
彼らの命はピートのニワトリよりも軽い。
「所詮、下僕は下僕というわけか。国王としての責務も放棄し……」
「手こずっているのかい?」
しん…と、その場が静まり返った。
シリルも言葉を止めている。
モルデカイを見たのは初めてのはずだ。
だが、異質なものを感じとってはいるのだろう。
「あまり煩わしいようならサクッと……」
「いや、それにはおよばない。これから仕事を始めるところだ」
「だがね、きみは我々と同じく、シア様の下僕なのだよ? そのきみに従わない、というのはどうにもねえ。気に入らないな。ヘラとロキも同じ考えを持っている」
モルデカイに、ちらっと視線を投げられただけで、シリルの顔が蒼褪めていた。
凍えるような坑道内だというのに、額に汗が滲んでいる。
モルデカイの、いかにも「殺したい」といった目つきに怯えているのだ。
フィデルたちは黙っているが、顔を蒼褪めさせたり、冷や汗をかいたりしている者はいない。
敗北後に城外で過ごしていた間も宿舎に移ってからも、モルデカイと接することがあったからだ。
そもそも「眷属」の選別をしたのは、モルデカイだった。
モルデカイが「普通」ではないことくらい、とっくに知っている。
『執事風の男に、侍女風の女、それに若葉色の少年? 彼らは私たちが大人しくしている限りは、丁重に扱ってくれました』
フィデルは、そう言っていた。
ほかの者も、モルデカイたちに対し、どういう態度を取るべきかを知っている。
黙って大人しくしていること、だ。
「俺は、まだ気が晴れていない。それにサクっとやるなら、俺がやるさ」
「寛容と忍耐は努力する者に支払われる対価だと思うがね」
納得したのかはともかく、モルデカイは小さく肩をすくめ、姿を消す。
少しばかり癪に障ったが、モルデカイが現れたことで、シリルは「素直」になりそうだった。




