緑の瞳が取り柄の下僕
リーシアはベッドに入りかけて、ハッとなった。
忘れていたことを思い出したのだ。
あのあとロキが来て、応接室はすっかり綺麗になっている。
面倒な使者もいなくなり、城外はヘラが片付けたと聞いていた。
夕食も、今夜は城内ですませている。
のんびりとした時間を過ごせたので、満足して眠りにつこうとしていた矢先だ。
「カリスのメンタルケアを忘れていたわ!」
ほかの下僕たちには必要のないことなので、つい忘れてしまう。
どうしようかと、迷った。
ベッドに入りかけていたところなのだ。
このまま放っておいても、問題ないのではなかろうか。
そんな気持ちに駆られる。
リーシアの中では「終わったこと」と認識されているからだ。
わざわざ手間をかけなくてもいいような気がする。
なんならモルデカイに頼んでしまおうか、とも思った。
が、しかし。
父の声が、リーシアを呼び止める。
叱られるのも嫌だが、落胆されるのも悲しい。
出来の悪い娘だと思われたら、との不安が募った。
(あの青髪ったら、本当に意地悪よね……罪を 購うために下僕になったのに、カリスは7万もの味方に見捨てられたのよ? 目に涙を浮かべるほど傷ついていて……なのに、その傷をつつき回すことないじゃない……カリス、もしかして、泣いているかしら?)
思うと、そんなような気分になってくる。
最初は疑問符付きだったが、徐々に確信に変わっていた。
1人の部屋で、さっきのことを思い出して泣いているに違いない。
ならば、やはり「メンタルケア」が必要だ。
リーシアは、入りかけていたベッドから離れる。
すぐにカリスの私室へと移動した。
「カリス?」
カリスはベッドに腰掛けていたが、驚いた様子でリーシアを見る。
ぎょっとしたような表情を浮かべたあと、即座に顔を背けた。
いよいよ確信する。
カリスは泣いていたのだ。
それを見られたくなくて、顔を背けたのだろう。
来て正解だったと思う。
心の傷は放っておくと深くなるので早目の対処が重要だと、父に言われていた。
なので、カリスを労い、励ましておくことにする。
(でも、どう言えばいいの? カールの店でも、散々、気にしなくていいと言ったのに、カリスは落ち込んでいたわ。あれ以上、どう励ませばいい?)
リーシアは、寝る直前だった。
当然だが「寝間着」を着ている。
衣装室にある寝間着にも種類があった。
ワンピース型や上下に分かれたパジャマやネグリジェ、なぜだか動物を模した頭からすっぽりかぶる形のものもある。
今夜のリーシアは、ネグリジェ姿。
お気に入りの中から順繰りに着ているだけで、意図するところは何もない。
そして、自分がどういう姿かも気に 留めていなかった。
なぜなら、カリスは「下僕」だからだ。
民に見られるのとは認識が異なる。
仮に、リーシアがペットを飼っていたら、よほど気を遣ったかもしれない。
そのくらい「下僕」は、リーシアの持ち物なのだ。
どちらかと言えば、体の外にある内臓器官という感覚に近かった。
リーシアのために勝手に動いて働いてくれる。
ただし、意思や感情があるので、メンタルケアが必要。
1日3食、適度な運動により体調管理をしているのと似たようなことだ。
と、リーシアは捉えている。
それでもマシになったと言えた。
最初は、カリスを「小銭入れ」程度にしか思っていなかったのだから。
なので。
自分が「男性」の前に出る格好ではない、などとは、ついぞ思わない。
どんな格好だろうが平気なのだ。
湯につかっている 最中に思い至っていたら、全裸で来ていた可能性さえあった。
なにせ内臓は、彼女に下心なんていだかない。
結果、リーシアは、カリスが泣き顔を見られたくないものと思い込む。
少しばかり気を遣い、そそっと近づいた。
ますますカリスが顔を背ける。
(まずいわ……相当に、しょげているじゃない……いっそ、あの青髪の首も 刎ねておけば良かったわね。カリスを虐めたからって言えば、お父様だって許してくれたかもしれないし……下僕の管理上のことだもの)
「ねえ、カリス」
リーシアはカリスの隣に腰掛け、手を伸ばした。
カリスの手に重ね、ちょっぴり体を寄せる。
カリスが顔を背けているので、話しづらかったのだ。
まったく他意はない。
「あなたに期待はしていないと言ったけれど……今は……そうね、ある種の期待をしているわ。あなたが役に立つかどうかはわからないとしても」
カリスの職業能力に期待はしていない。
だが、外交官としては期待できるのではないか。
虐められて傷つきはしただろうが、カリスは自らで制裁方法を考えた。
きっとリーシアの手を煩わせないようにとの配慮だ。
「シア様……ある種の期待、とは……まさか……」
「あなたにもできることがあるってことよ」
「できなく、は……ないと……思いますが……」
「カリス、どういうことであれ最初から上手くいきっこないわ。だから、不安がることなんてないの」
カリスが、じわりと少しだけリーシアのほうへと顔を向けた。
自分の「励まし」が効いて、立ち直ってきたのかもしれない。
これこそが「メンタルケア」だ。
自分だってやればできるのだと、リーシアは思う。
(面倒なのは確かね。モルデカイたちには、したことがないもの。でも、1人だけなのだから、それを幸いだと思わなくちゃ)
モルデカイたちは、今まで通りで大丈夫。
こうして面倒をみなければならないのは、カリス1人ですむ。
リーシアは心に誓っていた。
今後、絶対に「下僕」を増やしたりはしない。
カリスのことにしても、必要最小限のことしかしていないのに、この有り様だ。
寝しなに思い出したから良かったものの、そうでなければメンタルケアを怠り、すっかり寝入っていただろう。
そして、明日もカリスは暗闇を覗いて来たみたいに、しょげた顔をしていたかもしれないのだ。
そんな顔で民の前に出られては困る。
自分の下僕が民に心配をかけるのは、自分が民に迷惑をかけているも同然だった。
なので、カリスには「溌剌」としていてもらわなければならない。
(カールも、しょんぼりしているカリスに手伝わせるのは気が引けるでしょうし、カリスがいないと眷属たちは、まともに働けないし……)
ここは、自分がもっと「励まし」て、カリスを勇気づけるべきだろう。
カリスは、王族の称号持ちなので外交官には向いている。
だとしても、初めての「役目」に不安がるのもしかたがない。
青髪に虐められたせいで、自信を失っているとも考えられた。
「シア様は……俺に……そういう期待は持たれないと……」
「まあ、カリス! そんなことないわよ! あなたがちゃんとできるということはわかっているし、期待もしているわ!」
リーシアが期待していないのは、職業能力においてカリスが役に立つことだ。
外交官という役割とは意味が違う。
下僕にも向き不向きがあった。
ロキやヘラでさえ、父の下僕のヴァルカンのように「修繕」はできない。
期待したところで「できないものはできない」のだ。
「そ、そうですか……しかし……」
カリスが気まずそうに視線を泳がせている。
もうずっとリーシアを見ずにいた。
というより「見ないようにしている」ようだった。
「いいこと、カリス。もっと自信を持ってちょうだい。あなたが……」
無能でも捨てたりしないから。
そう言おうとしてやめる。
この「激励」は、以前、カールの店で言った台詞だ。
たいして効果はなかった。
同じ台詞を言っても、さらなる効果は見込めない。
「あなたが、そう……そうよ。私の期待に応えようと精一杯の努力すると、私にはわかっているわ」
カリスは、ヴィエラキの街衣装を着て、眷属の躾をしている。
まだまだ「使えない」眷属ではあるが、民は喜んでいた。
カリスの努力の賜物だ。
それに、リーシアはカリスが「努力する」ことだけは理解している。
ファルセラスにとっては「無能」でも、カリスは上級職を2つも身につけられたほど努力をしてきた。
なので、外交官という新しい役割に対して努力しないはずはない。
時間はかかるかもしれないが、きっと立派に成長するはずだ。
「……もちろん……努力は……怠りません……」
カリスが、ようやくリーシアへと顔を向け、まっすぐに視線を合わせてきた。
心の中で、リーシアは、ホッと息をつく。
(本当に手がかかるわ。カリスは繊細過ぎるのよ。すぐ傷つくのだもの)
思いながらも、にっこりした。
自分の「メンタルケア」が上手くいったことに満足しかけていたのだ。
が、そう言えば、と思い出し、いっそう満足のいくものにすることにした。
なでなで。
カリスの濃い緑色の瞳が見開かれる。
まさか褒められるとは思っていなかったのだろう。
もちろん落ち込んで主に面倒をかけるなんて褒められるようなことではない。
しかし、今のカリスには「過剰」なくらいが、ちょうどいいと判断したのだ。
「あなたが良い外交官になれることを、私は、とても期待しているのよ」
そうなれば、自分が外交をしなくてすむ。
カリスも無能を恥じたりせず、自信を持てる。
さっきよりも、大きく見開かれているカリスの瞳を見つめる。
そして、もう1度、にっこりして言った。
「あなたが無能でも、その緑の瞳を、私は、いつもとても綺麗だと思っているわ」




