外交官としての初任務
カリスは、東帝国の第4皇子を観察している。
この場に、リーシアがいなくて良かったと思いながら見ているのだ。
(東帝国の皇帝は、なにも学んでいないのだな。また、このような無礼な者を使者として寄越すとは……)
カリスは、自分自身を 貶されたことについては、どうとも感じていない。
リーシアの下僕になったのは事実だし、戦争に負けたのも事実。
その事実を歪曲してまで、自分を庇うつもりはなかった。
戦争の責任を、カリスは1人で負っている。
だから、ここにいる。
それに、シリルに評価される必要なんて、カリスにはないのだ。
フィデルを含め、3万の元リザレダ兵が、自分を信じてくれた。
なぜティタリヒとの同盟を切って戦争を回避しなかったと、罵られてもしかたのない状況だったにもかかわらず、カリスの元に残ってくれている。
あの3万の中には、1度、死んだ者もいるのだ。
側壁塔でのことを、カリスは聞き取り調査させていた。
フィデルの報告によると、詳細は記憶していないらしかったが、自らが命を落としたことだけは鮮明に感じたという。
むしろ、フィデルのように生き延びた者のほうが精神的な打撃を受けている。
(目の前で、あれほどの惨劇が起きたのだ……忘れられるはずがない)
カリスとて忘れてはいない。
そのため、シリルが「馬鹿」に思えてならないのだ。
ヴィエラキを 見下すような発言をするなんて自殺行為に等しい。
カリスは、元々、自分を高く評価していなかった。
特別に秀でたものを持っていると思ったことがない。
上位職も、才能ではなく努力で得たものだと考えている。
下位職とはいえ3つの職業能力を持つフィデルのほうが、自分より優秀だとさえ感じていた。
そうした謙虚な姿勢が、幸いしている。
側壁塔で、カリスはヴィエラキを「下に見る」発言はしなかった。
あの頃はまだ「普通の女性」だと思っていたリーシアが、自死しないよう説得を試みていただけだ。
先に「降伏勧告」などしていたら、もっと早く「片付け」られていたはずだ。
対話の余地すらなく皆殺しにされていたに違いない。
街に出て、カリスは、リーシアがいかに民を慈しんでいるかを知った。
同時に、民が「善良」であることも知った。
(確かに……成り下がる、というのは……不快な言い草だ……)
ともあれ、カリスもカリスの「眷属」も虐げられてはいない。
西や東の帝国にいる「奴隷」や「捕虜」とは違う。
警戒していた眷属たちも民に気さくに話しかけられ、かなり戸惑っていた。
それほど、その差は大きい。
(たかだか半月だが、フィデルは農場の者たちと、すっかり打ち解けているしな)
戦場で苦楽を共にする兵同士が親しくなることは、ままある。
それと似ているのだろうが、ここでの「苦楽」は明るさの中にあった。
ヴィエラキは、良い国だから。
カリスの濃緑の瞳が、スッと細められる。
少し「礼儀」をわきまえさせる必要があると判断した。
「成り下がるとは、どういう意味でしょうか? 聞きようによってはヴィエラキやファルセラスを見下していると受け止めてしまいそうなのですが」
「国は関係ないさ。きみだって、国王から下僕に身を落としたことを、栄誉だとは思っていないだろう?」
「いいえ、栄誉だと思っております」
ピシッと言い切った。
シリルが不愉快そうに眉をひそめる。
カリスの言葉を、ただの反論と思っているのだろう。
だが、カリスは本気だった。
(でなければ、俺も彼らも死んでいる)
リーシアの下僕になれたからこそ、生きていられるのだ。
それと、カリスは、しみじみと自分の「無能」を思う。
誓約した時には知らなかった。
ファルセラスの下僕に、レベル3以下の者はいない。
訊いてはいないが、おそらくリーシアの下僕3人はレベル4には到達している。
モルデカイは、もっと上かもしれない。
そう考えると、リーシアの下僕になるのは、非常に難しいと言える。
最早、有り得ないと言っても過言ではないくらいだ。
それを栄誉と言わずして、なんと言うのか。
嬉しいかどうかはともかく。
「命乞いをした甲斐があったようだね」
「ありましたね」
「どうやら砂漠で喘いでいた兵たちは、真実を話していたらしい」
大昔に比べれば、砂漠地域は小さくなっている。
とはいえ、指揮官も副指揮官も不在な中、兵だけで歩き回れば迷うのは必然。
リザレダに帰るつもりが、誤って東帝国側に向かった者もいたのだろう。
シリルが、そうした兵を捕らえたのだと察した。
「この季節、天候を把握しておかなければ、砂嵐に見舞われることもあるけれど、彼らは運悪く、そうなってしまったみたいだ。僕が拾ったのは4,5人だったよ。ほかの兵は、リザレダに帰れているといいね」
カリスは、両手を握り締める。
7万の兵を砂漠に放逐するようリーシアに頼んだのはカリスだ。
そのほうが「まだしも」生き残れる可能性があった。
シリルに結果を聞いても、その判断は覆らない。
リーシアは、殺すと言ったら殺すのだ。
そこにあるのは、絶対的な死。
生き残れる可能性なんて微塵もない。
7万のうち、どの程度が生き残れるかわからないとしても、ゼロよりはマシだ。
「彼らが、味方の食糧を奪い合い、殺し合っているのに……いい暮らしをしているようじゃないか、きみは」
じろじろと、わざとらしくシリルが眺め回してくる。
だが、シリルの「煽り」にも、カリスは動じなかった。
自分は、すでに国王ではないし、助けに行く余裕もないのだ。
彼らの「選択」は、彼ら自身がしたことでもある。
(パディオが言っていたな。俺のためだけに残ったわけではない、と)
パディオとは、カールの店でウエイターをしている部下の1人だった。
城外の施設が「捕虜収容所」の印象とはかけ離れており、待遇も良かったので、ひとまず残ることにしたと聞かされている。
国に残した家族も心配だったが、わずかな食糧と水しかないのではリザレダまで帰れるとは思えなかったのだそうだ。
『もちろん陛下のことも心配しておりましたが……自分が生き延びるのに精一杯でしたので……申し訳ありません……』
パディオの、しゅんと肩を落とした姿を思い出し、口元が緩む。
そんなことで怒る気はなかった。
家族がいれば、なおさら自分の命の心配をするのもわかる。
より慎重に状況を見定めた結果、パディオは「残る」選択をしたのだ。
パディオが内心を打ち明けてきたのは、カリスに、以前よりも親近感をいだいたからに違いない。
なにしろ、カールの店で毎日のように顔を突き合わせている。
「私は、大公女殿下の代理という役目を担っております。相応の身なりで、使者をお迎えするのが礼儀でしょう。たとえ、相手が無礼な態度であったとしても、同じ振る舞いをするのは、あまりにも無邪気に過ぎるではないですか」
シリルの白い肌が赤く染まった。
余裕のある態度を見せてはいたが、腹の中では憤慨し続けていたはずだ。
半月以上も城外で待たされたあげく、出迎えたのは敗軍の将。
しかも、大公でもなく、その代理である大公女でもなく、その代理ときている。
腹を立てるのも不思議ではないが、そもそもシリルは「勝手に来た」のだ。
カリスが口を挟んでいなければ、間違いなく延々と放置され続けていた。
もしくは、ヘラの我慢が限界を越え、「片付け」られていたかもしれない。
「とにかく、ご用件をお訊きしなければ、こちらも対処のしようがありません」
「直接、大公女殿下にお伝えしなければ意味がない!」
「まさか先日の出来事の謝罪にいらしたのですか?」
「まさかとは、どういう意味だ?」
「過ぎたことは蒸し返さないほうがいい、ということです」
あんな心臓がキリキリするような思いは、2度としたくなかった。
あのことについては、リーシアに、できるだけ早目に忘れてもらいたいのだ。
思い出した途端、東帝国を消し飛ばすかもしれない。
ビストロの手伝いやら「眷属管理」やらで忙しいのに、東帝国が消し飛ばされる心配までしながら毎日を過ごしたくもなかった。
カリスは、内心「まずい」と思っている。
挨拶くらいはしてもらうつもりだったが、リーシアには会わせず、シリルを追い返したほうが良さそうだ。
「そういうことですので、お帰りくださって結構です」
「ふざけるなっ! 僕が、なんのために半月も黙って待っていたと思う?! お前ごとき下僕に会うためじゃない!」
シリルが立ち上がり、カリスを見下ろして怒鳴っていた。
カリスは、そんなシリルを見上げ、淡々とした口調で言う。
「命が惜しければ、お帰りください」
カリスにとっては、単純な「事実」だ。
シリルは、今、己の命を自ら危険に 晒している。
いや、東帝国を危険に晒している。
(馬鹿め……またしても、東帝国存亡の危機ではないか……いいかげんにしろ……俺とて忙しいのだ。毎日、遊んで暮らしているわけではない)
リーシアが面倒に感じるのも、わかるような気分になってきた。
東帝国には「馬鹿」しかいない。
詫びに来ておいて、自国を滅ぼそうとしているのだから。
「貴様……僕を脅すのか? 下僕の分際で!」
カリスは、微動だにせず、シリルを見上げ続けている。
ソファの周りに騎士が集まっていた。
あまりやる気はなさそうだが、一応、剣に手をかけている。
その光景に、つくづくと、この場にリーシアがいなくて良かったと思った。
のだけれども。
「いいかげん口を閉じたらどう?」
え?と振り向いた先に、リーシアが立っていた。
銀色の髪が、微かに揺れている。
赤い瞳に冷たさがあふれていた。
「シ…………」
「大公女殿下……っ……」
カリスが声をかける前に、なんとシリルが先に動く。
カリスの後ろに立つリーシアに駆け寄ったのだ。
「このような者を側に 侍らせるよりも、僕が従者なりペットなりに……っ……」
「馬鹿野郎っ!!」
「な……っ……んぐっ……っ?!」
全身が総毛立つ。
冷や汗が、どっとわいてきた。
心臓は、ばくばくと脈打っている。
カリスは、必死でシリルの口を押さえていた。
瞬間、シリルの護衛騎士が切りかかってくる。
まずい。
思ったが、遅かった。
目の前に、粒状の血球が広がる。
時間が引き延ばされたように、その散らばりが、ゆっくりと見えた。
どんっ。
5回繰り返された音。
綺麗に騎士の首が胴体と離れている。
血しぶきは上がらず、血の粒が浮遊しているだけだ。
胴体は剣に手を置いたまま、まだ立っている。
「……っ……ひ……ひぃ……」
シリルの口から細い悲鳴がこぼれた。
腰が抜けたのか、床にへたりこんでいる。
気持ちはわかるが、これはシリルのせいだ。
殺された騎士たちも悪い。
もとより他国の城内で剣に手をかければ、殺されても文句は言えないのだ。
「下僕の分際って、どういう意味? あなた、カリスの持ち主が誰かわかっていて言ったのよね? それに、なんなの? さっきから、ずいぶんカリスを虐めていたけれど、あなたに、とやかく言われる筋ではないわよ?」
リーシアに見られていたとは想像もしていなかった。
モルデカイに「監視」されていないとわかり、気が緩んでいたのだ。
だいたいリーシアが、この謁見に興味を持つとは思いもせずにいた。
「東帝国って、本当に 碌でもない者しかいないのね」
リーシアの瞳は、どこまでも冷たい。
無機質な声音に感情のない視線。
これが、彼女の恐ろしいところなのだ。
「いいこと? 少なくとも、あなたは、カリスを馬鹿にすべきではないわ。彼は、あなたのように惨めったらしい悲鳴なんてあげなかったもの」
床に転がる5人分の頭。
室内には、赤色の雪のごとく血の粒が舞っているが、リーシアとカリスを 避けているのがわかる。
逆に、シリルの体には、びちゃびちゃとぶつかっていた。
そのせいで、シリルは血塗れだ。
「た、た、た、たい……」
なにを思ったのか、血塗れのシリルが、リーシアに手を伸ばす。
その手を、カリスは即座に掴んだ。
カリスのほうに顔を向けたシリルを、きつくにらむ。
「シア様は、ドレスを汚されるのがお嫌いだ。気安くふれるな」
ドレスを掴まれる前に、リーシアがシリルの首を 刎ねることができるのは知っていた。
だが、頭でわかっていても、体が動いたのだ。
長年、騎士をしてきた習性と言える。
彼女が強いとわかっていても「女性」と 見做していた。
「まあ、カリス! あなたってば……見違えるほど成長したわね」
「……恐縮です……」
「気にすることはないのよ? あのドレスは、洗濯屋のサルースが、元通り綺麗にしてくれたから。それより、あなたは大丈夫? 酷く虐められていたじゃない」
ふわりと、リーシアの瞳に感情が戻ってきたのを感じる。
少し落ち着いたようだ。
シリルがドレスを掴んでいたらと思うと、ゾッとした。
距離があっても、リーシアは簡単に東帝国を消滅させられる。
レベル6の職業能力「ジャッジメント」で。
ピートのニワトリの「モミジ」は生き残るだろうが、外の被害がどれほどのものになるかは、彼女の気分次第なのだ。
たぶんリーシアの父である大公がいるリザレダも「赦し」を得られる。
だが、近隣諸国は、どうだかわからない。
「この際、東帝国なんて消し飛ばしておく? 今後も、こんな調子だと面倒だし、あなたのメンタルケアも必要だし」
やっぱり。
やはりそうなるのか、とカリスは心で呻く。
また心臓がキリキリと痛んだ。
メンタルケアがなにかはともかく、自分のためらしいというのは理解できた。
(正直……東帝国など消えてしまえば、と思わなくもない……毎回毎回、なぜ俺を窮地に立たせるのだ。元は敵であった者の尻拭いをしなければならないとは……)
東帝国がなくなれば、西帝国との勢力図が壊れる。
リーシアにとっては西帝国を消すことも容易いだろうが、そうなるとほとんどの「人間」が死に絶えることになるのだ。
その罪悪感に、カリスは耐えられそうにない。
どうやら「自分」が引き金になっているようなので。
いつも持ち歩いているトランスファーケージを、ポケットから取り出す。
非常に不本意極まりない。
が、しかたがない。
「シア様、この者の処遇は俺に任せていただけますか?」
「あら、どうするの? 手足をちぎる? 魂を抜く?」
「いえ……俺は……無能ですので……一般的な方法で、この者を眷属にします」
「眷属に? なぜ? だいたい、あなたのために働くかしら?」
「働かせます。それが、俺を……虐めた報復となるでしょう」
リーシアが、ぱちんと 瞬きをする。
それから、納得したように、うなずいた。
「あなた、意外と意地悪なのね。殺してあげたほうが慈悲となるのに」
「そうですね。俺は、意外と意地が悪いので」
「いいわ。その者の処遇は、あなたが決めてちょうだい」
返事を聞くなり、カリスは「1人用」としたトランスファーケージに、シリルを押し込んだ。
有無を言わさず「眷属宿舎」へと移送する。
(あとでフィデルに、このことを伝えておかなければ……)
トランスファーケージが消えると同時に、室内に舞っていた血が、バタバタッと床に落ちた。
あとで、ロキが掃除に来た時、文句を言われるかもしれない。
「それにしても情けない人だったわね。執行官はレベル3の職なのよ? あなたはレベル4を目にしても、悲鳴なんて上げなかったのに」
カリスは、床に転がる「頭」を見る。
自分は「無能」で良かったのかもしれない、と思えた。
レベル3以上になると、人としてのなにかを失うような気がしたからだ。




