修正すべき認識
驚くべきことに、カリスの予想は当たっていた。
さっきの会話で確信したのだ。
(……彼女は、俺を励ましているつもり……なのだな……)
正直、あの言いかたはどうなのか、と思う。
しかし、リーシア本人に「悪気」はない。
それは、わかった。
言いかたはどうあれ。
だいたい、あんな話を聞いてしまっては、腹も立てられない。
ロキの言う「無能と言ったシア様の気持ちもわかる」が、カリスにも、わかる。
ファルセラスの者たちは、自分が、到底、辿り着けない高見にいるのだ。
そこから見れば、自分の存在などトウモロコシ1粒分の大きさにも満たない。
(だが、当面、殺される心配はなくなったと考えていいだろう)
リーシアは、カリスからすると、とても極端な性格に思える。
ヴィエラキの民と接している時は表情もやわらかかったし、感情も伴っていた。
なのに、相手を「敵」と認識した瞬間、がらりと雰囲気が変わる。
瞳から感情は消え失せ、口調も平坦になるのだ。
冷酷無比の虐殺魔。
きっと民は、そういう彼女を知らずにいる。
とはいえ、知ったとしても、他国の者のように動揺しない気もした。
ファルセラスは、ヴィエラキだけを守護する者だ。
頼もしくはあっても恐れる必要がない。
(ヴィエラキの民もまた、異質なのだ。他国の者を、城下に立ち入らせないのも、当然だな。彼らは……善人に過ぎる)
カリスが「元リザレダ出身」だとは知っているようだ。
戦争があったことは知らされていないとのことだが、リザレダは西帝国側だ。
敵と言えば、敵。
にもかかわらず、敵意をぶつけてくる民はいなかった。
自然に受け入れ、気さくにつきあってくれている。
(彼女の下僕だからというだけではない。俺が、1人で行くようになってからも、彼らの態度は、なにも変わらなかった)
残念ではあるが、カリスの治めていたリザレダの民にも、悪事を働く者はいた。
仮に、ヴィエラキに、そういう者が入りこんだなら、街の者たちは騙され放題になるだろう。
ようやくカリスも納得した。
(法の改正など必要ない。ここには、大きく秩序を乱す者がいないのだ)
カリスは、私室にある衣装室に戻っている。
このところ街に出ていたが、モルデカイに「見立て」を頼んだのは、リーシアに同行した最初の1回だけだ。
ヘラの眷属を呼んで着替えを手伝わせたりもしていない。
自分は「無能」だと、カリスは自覚した。
とはいえ、職業能力の向上は諦めざるを得ないのも現実。
結果、自分でできることは自分でする、と決めたのだ。
国王として侍従に世話をされていた頃とは立場が違う。
(……いつまでもモルデカイの世話になるのも癪に障る……)
無能と思われるのは、まだ「しかたがない」と思えた。
が、子供のように扱われたり、おかしな角度から同情されたりするのは心外だ。
カリスは、できるだけ、ほかの3人に頼りたくないと考えている。
「本来なら正装で出迎えるところだが、そこまですることは……いや……」
途中で思い直し、カリスは正装用の「衣装」を手に取った。
シャツもタイも、すべて一式、揃っている。
黒のモーニングコートに、グレーの生地に黒の縦縞が入ったコールズボン。
控え目な光沢の銀のウエストコートと、ウィングカラーの白いシャツ。
ウエストコートと似た色のモーニングタイ。
それを、カールのビストロで働くモンソルに教わった方法で結ぶ。
「ボウタイより見慣れてきたな」
モンソル曰く「ウエイターはタイを蝶結びにはしない」のが、ヴィエラキの伝統なのだそうだ。
代わりに、結び目が逆三角で、襟元をきゅっと締める形になっている。
横に結ぶボウタイとは異なり、余った部分が下がるのだが、ウエストコートで、きっちり押さえているので問題ない。
鏡で全身を、くまなくチェックする。
黒の革靴もピカピカだ。
片付けるのはヘラ担当だが、「磨き上げる」のはロキ担当。
ロキは、カリスの私室に来ると、カリスをからかいながらも、床を磨いていたりするのだ。
わずかでも汚れを感知すると、気になるらしい。
モーニングコートのポケットチーフの先を少し直し、小さくうなずく。
これで「ヴィエラキ流正装」の出来上がり。
軽く息を吐いて、カリスは衣装室を出た。
私室の扉を開き、廊下を見回す。
「やはりな」
ふんっと鼻を鳴らし、扉近くにあったハンドベルを掴んで鳴らした。
廊下に誰もいなかったからだ。
「応接室まで案内を頼む」
「かしこまりました。カリス様」
ヘラの眷属の侍女が、頭を下げてから、体を返した。
私室を出て、侍女の後ろについて歩く。
一応、城内の「地図」は頭に入っていた。
が、実際には行ったことのない場所ばかりだ。
自分の足では。
(半月近く書斎にこもっていて、そのあとは東帝国、その後すぐ街だ。城内を見て回る時間などなかったと、奴ら、わかっているのか? ああ、そうか。あれがあるから案内はいらないと思ったのか)
街でも、あちこち移動できるのは「首輪」のおかげだった。
とはいえ、正装したあとでは使えない。
移動場所を指定するためには「輪っか」を引っ張る必要がある。
移動はできても、せっかく結んだタイを崩すことになるのだ。
(まったく……色が気に入らなければ変えるなんぞと言っていたが、それより形のほうが問題だろうが。もっとマシな物はないのか……?)
厳密に言えば、ムービングチョーカーは「首輪」ではない。
移動用の「アイテム」だ。
だが、現実には「首輪」にしか見えないし、リーシアだって「首輪」と言う。
なので、どうあっても人前で首を 晒したくなかった。
(今はともかく、夏場はどうすればいい? スカーフを巻くのも変だ。仮に変だとしても、そこは、まぁ……誤魔化せるとして……かなり暑いのではないか?)
思った時、ハッとなる。
カリスがヴィエラキに来たのは1ヶ月ほど前だ。
なのに、もう半年後のことを考えている。
国には帰れないし、帰る国がなくなっているのも重々承知していた。
それでも、半月前までは、ヴィエラキに「永住」する実感はなかったのだ。
することも、できることもない役立たずなまま、老いさらばえてゆく。
そんなふうに感じていただけだった。
だから、書庫に閉じこもっていたとも言える。
拘束されていたわけでもないのに、城内を見て回りたいとは思わなかったのだ。
どうせ「監視」されている、とも思っていたし。
(カール、モンソル……ピート、マロリー、ポーラ、ロンダ……この城の奴らは、どうだか知らないが、彼らは、俺たちを必要としている……)
ヴィエラキは豊かな国なのだ。
豊か過ぎて、過度に人口が増加しない。
民は、それぞれに己の「選択肢」を持っている。
婚姻するもしないも、子を成すも成さないも、本人の考え次第。
つまり、需要に対して圧倒的に「労働力不足」なのだ。
かと言って、ファルセラスの眷属では役に立たない。
前を歩く侍女を見ていれば、それはわかる。
前に書庫でも思ったが、眷属というのは、どうもそういうものらしい。
必要なことだけをし、必要なことだけを言う。
それは、指定された行動以外「なにもしない」ということだ。
カールのビストロで眷属をウエイターにしたら、大混乱に陥るだろう。
モンソルは、過労で死ぬかもしれない。
(眷属は、ウエイターやウエイトレスではないからな)
料理を言われた番号のテーブルに持って行けと言えば、完璧にやり遂げる。
カリスの配下のように、おぼつかない様子でウロウロしたりはしないはずだ。
さりとて、料理を運んだテーブルの客が「追加注文」しようとしても、聞いてはくれない。
スタスタとカウンターに戻る姿が目に浮かぶ。
要は、応用力や臨機応変さがない。
その場しのぎ程度のことすらしないのだ。
眷属とは、元々そういう概念を持たない存在なのだろう。
(もしかすると……試したことはあるのかもしれない……人の眷属を、あれほどに歓迎していたのは、試して使い物にならなかったせいか?)
有り得る。
リーシアが、民の困り事を放置していたとは思えなかった。
彼女について、唯一、カリスが確信を持って言えるのは、常に民を1番に考えているということだ。
街にいる時のリーシアは、側壁塔や東帝国での姿が幻だったのではないかと錯覚さえさせる。
そのくらい、表情も口調も雰囲気も違っていた。
だからだろう、民の誰1人としてリーシアに恐れをいだく者はいない。
(……そう言えば、カールに、とぼけていると言われた時も怒ってはいなかった。だが、なにか不満そうな…………まさか、俺が肯定したから、か……??)
確かに、モルデカイであれば「シア様はとぼけているのではなく云々」と、なにかしらリーシアを庇う発言をしただろう。
カリスは、あの時、あっさり肯定している。
30歳にもなる男の頭を撫でて褒めようとするリーシアの態度は、とぼけているとしか思えなかったからだ。
カールの「男心がわかっていない」との言葉に、内心ではうなずいていた。
のが、表面にも出てしまった。
当然、庇おうとの発想なんて浮かびもしなかった。
(わかるような、わからないような……彼女と接するのは難しい……)
物思いにふけっていたカリスだが、侍女が足を止めていることに気づく。
ちょうど扉を叩いていた。
「シア様の代理、外交官のカリス様にございます」
言ってから、侍女が扉を開く。
どうやら城中に「カリス外交官着任」が知らしめられているようだ。
面白がってロキが言いふれ回ったに違いない。
(なににしろ、少しは貢献しておかなければな)
カリスは表情を引き締め、室内に足を踏み入れた。
応接室の中には、東帝国で目にしたのと同じ「正装」をした男がいる。
相手のしかめ面に、ほんの少し、カリスは嫌な感じを覚えた。




