譲歩と妥協の接点
リーシアは、モルデカイの報告を聞いても、きょとんとしている。
なぜ、自分に、そんな話をするのか、意味がわからないのだ。
彼女は外交に興味はない。
モルデカイも知っている。
(きっとお父様がお帰りになるまで、放っておくってことね)
どういう理由かは知らないが、東帝国の使者が来ているという。
そして、城外に勝手に陣を敷き、居座っているのだそうだ。
ヘラほどではないものの、リーシアだって「散らかっている」のは嫌いだった。
とはいえ、侵略軍でもないのに、殲滅することはできない。
ファルセラスの思想に反する。
使者は陣を張っただけで、民を脅かしたり、ファルセラスの物に傷をつけたりもしていないのだ。
なにもして来ない相手なら放っておくしかない。
父が帰還したら、対処してくれるだろう。
「あ、そうだわ。お父様に連絡して、どうするか判断を仰ぐ?」
「いえ、その必要はございません」
「そうよね。お忙しくされているのに、こんなちっぽけなことで連絡するなんて、ご迷惑になるだけだわ」
リーシアは、基本的に東帝国の人間を「いけ好かない連中」だと思っている。
なので、この間のような公務以外では、儀礼的なことさえしたくなかった。
なにより面倒くさい。
(カリス1人だって手に負えないのに、使者の相手なんてできっこないわよ)
しかも、どうせ 碌でもないことを言い出すに決まっている。
客として招いておきながら、こちらの下僕を殴るような皇女のいる国が、まともであるはずがない。
比べれば、すぐに傷つく繊細なところはあるが、カリスは「まとも」だ。
(わけのわからないことを言ったりしたりするけれど、努力しようとしているのは伝わってくるもの。あんな、いけ好かない連中とは違うのよ)
可愛げはなくても山奥に捨てたくなっても、カリスが自分の「持ち物」だという認識はある。
最近は、民と一緒にいるカリスをよく目にしているので、うっかり忘れることも少なくなっていた。
「東帝国の連中って、本当に嫌ね。なにがしたいのかしら? 頭が悪いのは西帝国だけではないようよ、モルデカイ」
「仰る通りにございます、シア様」
「ですが、使者を放置することはできません」
言ったのは、カリスだ。
モルデカイの隣に並んで立っている。
ここは、リーシアの私室だった。
朝食用に室内をセットしている。
モルデカイは、いつも通り、ティーポット片手にテーブル脇にいた。
ロキとヘラも、いつも通り、 傍らに 跪いて控えている。
「今日は、街に行かなかったの?」
「いくつかの仕事は、明日以降にしてもらいました」
「そうよね。あなたもしたいことがあるでしょうし」
「いえ……そうではなく……急遽、仕事が入ったので断ったのです」
「仕事? カリス、あなた、ちょっと頑張り過ぎではないかしら? ちゃんと1日3食とっている? 睡眠は、8時間はとらなきゃ体を傷めるわよ?」
カリスが渋い顔をした。
ちらっと、横目でモルデカイをにらんだ。
ような気がした。
が、モルデカイは知らん顔をしている。
ヘラもロキも黙っていた。
急に、カリスの「仕事」が気になり始める。
なにをしてもかまわないけれど、仕事中に死なれては困るのだ。
ましてや、過労死などされては、もっと困る。
もちろん「父に叱られるから」ではあるけれども。
「それは、どんな仕事? 危険なことではないわよね?」
「危険はないと思いますが、不測の事態には備えておきます」
「なに、その不測の事態って……まさか木の伐採をする気じゃないでしょうね? あれは素人には危険だって、材木店のルピンが言っていたわよ?」
「……いえ、そういう仕事ではなく……外交官です」
また、カリスが、ちらっとモルデカイをにらんだ。
ような気がした。
が、そこに、こだわってはいられない。
「外交官? あなたが、そういう職業能力を持っていたなんて知らなかったわ」
「昨晩、そのようなことになりました」
「あなたは称号持ちだし、外との交渉にも慣れているでしょうから、適任ね」
リーシアは、カリスが「外交」を任されてくれるのだと思い込む。
今後、ますます外とのやりとりを、自分が必要はなくなったと、嬉しくなった。
父の代理など、そう何度も務められるものではない。
外とやりとりするのは、カリスに丸投げするつもりでいる。
が、しかし。
「このまま、東帝国の使者を放置することはできません。飢え死にでもされたら、ヴィエラキのせいにされかねませんので」
「そう。どうでもいいわ。あなたの好きにしてちょうだい」
「……そういうわけには……」
ぴたっと、リーシアの動きが止まった。
紅茶を口にする途中で、カップを握ったまま。
「そういうわけって……どういうわけ……?」
カリスではなく、モルデカイに視線を向ける。
モルデカイは、リーシアの嫌がることをさせたりはしない。
いつだって、そうだった。
してほしいことや、したくないことに対し、先回りして対処してくれるのだ。
「シア様、私も不本意ではございますが……」
「嫌よ! 無理よ! できっこないわ!」
「お気を確かに、シア様」
「私が、外交は嫌いだって、あなただって知っているでしょう?!」
「ですが……」
「嫌! 嫌ったら、嫌! なぜ私が我慢の限界を試されなければならないの?! うっかりすると、すぐに殺してしまいそうになるのに!!」
それで殺してしまったら、父に小言をもらうのは確実だと、わかっている。
わかっているから、外交とは無縁でいたかった。
我慢をするにも限度というものがあるのだ。
この間、やらかしそうになったばかりだと言うのに。
「モルデカイ! もう私……泣いてしまいそうよ……」
「シア様! そ、そのような、そのようなことは……っ……」
モルデカイの動揺が、ありありと伝わってきて、いよいよ泣きたくなる。
ヘラやロキも顔を蒼褪めさせ、体を震わせていた。
言葉もなくすほど 狼狽えている。
ということは、やはり自分も「外交」しなければならないのではなかろうか。
「お、おい、カリス! お前、外交官なんだろ! なんとかしろよ!」
「そう、そうよ、カリス! シア様が関わらずにすむようになさい!」
2人は、そう言うが、モルデカイは、なにも言ってくれない。
きっとカリスと打ち合わせができているのだ。
じわ…と、目に涙が浮かんでくる。
父に「小言」を言われる自分を想像してしまった。
「シア様、我儘を仰らないでください」
カリスの、ひと言に、その場が凍りつく。
リーシアの時間も止まった。
おかげで、涙も止まった。
「いいですか? シア様は、大公閣下から城を任されているのです。使者1人も、追い返せないようでは、恥をかかれるのは大公閣下なのですよ?」
「お、お父様が……?」
「そうです。大公閣下がおられたなら、使者を追い返すなど簡単だったはずです。シア様は、その大公閣下の代理なのですから」
「……でも……私が、我慢しきれず、使者を殺してしまったら……」
「我慢なさってください」
「自信がないわ」
「それが我儘だと言っているのです」
バッと、ロキが立ち上がる。
カリスに近づき、その顔をにらみ上げていた。
カリスのほうがロキより背が高いからだ。
「そりゃあ、言い過ぎじゃねーか、カリス? シア様は我儘なんかじゃねーぞ!」
「ならば、ロキ、お前は大公閣下が恥をかいてもいいと言うのだな?」
「恥くらいなんだ! シア様は、ギゼル様の娘だろ!」
「そうじゃない。お前たちは、シア様が嫌がることはしない、違うか?」
「そーだよ! だから……っ……」
「シア様が、なにを最も嫌がられる?」
「それは……っ……あ……」
ロキが、ぱくんと口を閉じる。
そのロキを、カリスが押しのけた。
いつになく堂々とした態度で、リーシアの前に歩み出てくる。
「大公閣下は、恥をかいたことについて、怒ったりはしないと思います。ですが、シア様は、それで良いのですか? ただ小言をもらうのが嫌なだけですか?」
訊かれて、小さく首を横に振った。
リーシアは父の小言にめっぽう弱いが、父のことが大好きでもある。
最も嫌なのは、小言をもらうことだ。
だが、父に恥をかかせるのも嫌だった。
「大公閣下が小言を仰るとするなら、使者の対応をシア様がしなかったことになるかと思います」
「……小言をもらうのも嫌、恥をかかせるのも嫌、でも、使者の相手も嫌っていうのは通らないわね……」
「どれかは諦めていただかないといけませんね」
うう…と、小さく呻く。
モルデカイの心配そうな視線を感じた。
ヘラは泣きそうになっている。
ロキも黙ってうつむいていた。
3人にまで心配をさせているのは、確かに自分の「我儘」だ。
「……わかったわ……自信はないけれど、できる限り、我慢してみるわね……」
「俺が先に対応します。シア様は、そのあと、挨拶をされるだけで……」
パッと、リーシアの心が明るく軽くなる。
使者の対応を、すべて自分がしなければならないのかと思っていたからだ。
「挨拶だけでいいの?」
「お顔を出されるだけでかまいません。実際的な話は、俺がします」
「まあ、カリス! あなた、存外、頼りになるのね! 私、あなたを下僕にして、本当に良かったわ!」
カリスは可愛げがなく、いつものごとく不愛想な顔をしている。
それでも良かった。
父に恥をかかせることもなく、小言をもらう心配もせずにすむのだ。
つくづくと「山奥に捨てなくて良かった」と思う。
「俺は……無能ですから……できることはしませんと……」
やはり、カリスは「無能」なことを気にしていたらしい。
ビストロで顔色が悪くなったのも、それを苦にしてのことだったのだろう。
リーシアは、そんな「傷つき易い」カリスに、にっこりしてみせる。
「あなたが努力しているってことはわかっているわ。今だって、そうでしょう? だから、城中の者に、あなたが無能だと思われていても気にしなくていいのよ」




