決定が決定となる出来事
モルデカイは、カリスの話を、ほとんど聞き流している。
職業能力の解説をするために、ここに来たのではないからだ。
能力不足は最初からわかっていたので、今さらな話だった。
「ところで、私がここに来たのは、きみの話し相手になるためではない」
カリスが伏せていた顔を上げ、ちらっとモルデカイを見て、嫌な顔をする。
不愛想というのとは違う「嫌な」顔だった。
「なにか面倒事を、俺に押しつけようとしているな?」
「面倒事というほどのことではないさ」
「それなら、あなたが対応すればいいはずだ」
「これは、ある意味では、きみの役目でね」
カリスが、大きく溜め息をつく。
顔を、ぼすっと枕に押しつけていた。
「……外の関係か」
「察しがいいところは、きみの美徳と言える」
「そのくらいしかないからな。察するほどのこともない」
実のところ、モルデカイたちが「対応」してもかまわない内容ではあった。
とはいえ、彼らは「リーシアの」望むように対処をする。
それを、ギゼルが肯としなくても、だ。
リーシアは満足するだろうが、あとで小言をもらうのもリーシアとなる。
モルデカイは、それを回避すべく、カリスに任せることにしたのだ。
「また東帝国に行かせる気か? 今度はなんだ?」
「いや、あえて行く必要はない。呼びもしないのに、向こうから来たのでね」
「は……?」
カリスが顔を上げる。
モルデカイは、現状を手短に説明した。
「きみが街に出るようになった頃だったかな。東帝国から使者が来た」
「使者? どういう使者だ?」
「さあ、知らないね」
「知らないとは、どういうことだ?」
両手を上げ、肩をすくめてみせる。
実際、知らないのだから、しかたがない。
「城に入りたがっているが、放っている。すると、彼ら、どういう理由か、城外に陣を張ってねえ。さっさと諦めて帰ればいいものを」
それを期待して無視しているのだが、いっこうに帰る気配がなかった。
ロキは我関せずといった様子でいる。
が、ヘラは今にも「片付け」そうな勢いだ。
リーシアが叱られる可能性を示唆し、なんとか抑えているだけだった。
「おい、ちょっと待て……俺が街に出始めた頃からだと?」
「そうとも。そう言っただろう」
「ならば、すでに半月近くになるではないか!」
「だから、なんだと言うのかね?」
「食糧はどうしている? 飲み水は?」
「我々の知ったことではない」
呼びもしないのに、勝手に来た者たちに、 施す物などありはしない。
勝手に来て、勝手に陣を張ったのだから、ほかのことも勝手にすればいい。
飢え死にしようが、病になろうが、どうでもよかった。
リザレダ兵に食と住を与えていたのは、カリスの眷属候補だったからだ。
東帝国の使者なんて、リーシアにとって、ただの「面倒の種」に過ぎない。
そんな「種」を育てる必要があると、モルデカイたちが思うわけがなかった。
むしろ「一掃」したいくらいの気持ちでいる。
きっとリーシアだって邪魔に思うだろうし。
「シア様は、どう仰っておられるのだ?」
「話していないさ、そんなこと。当然だろう? 聞いて、シア様が喜ばれると思うかい? あえて不愉快なお気持ちにさせることはないじゃないか」
「だが……東帝国からの使者なのだぞ?」
そう、それが問題だった。
東帝国は、西帝国のように、あからさまな侵略行為はして来ない。
というより、どちらかと言えば、ヴィエラキに 阿っている。
そのため、無闇に「一掃」もできないのだ。
「使者を死なせたとなれば……大公閣下から絶対に小言を食らう。間違いない」
「なぜかね? 勝手にやって来た者を城に入れる理由はないはずだ。それで勝手に飢え死んだところで、我々の責任ではない」
「いいや、俺の考えでは、大公閣下は東帝国との関係維持をお望みになっている。でなければ、ご自身の出征中に、シア様を代理にしてまで祝儀に出席などしない」
にわかには信じがたかった。
さりとて、カリスの言い分にも一理ある。
城をモルデカイたちに任せ、リーシアを東帝国に行かせたのはギゼルだからだ。
だとしても。
「東帝国との関係維持が、それほど重要とは思えないのだがねえ」
ヴィエラキと東帝国は、同盟国でも友好国でもなかった。
初代ヴィエラキ大公との、わずかな縁だけで繋がっているようなものだ。
その証拠に、すべての招待に応じるわけではなく、必要最小限に 留まっている。
即位だとか、婚姻だとか、子の誕生だとか。
「モルデカイ、東帝国の影響範囲にいる諸侯たちが押し寄せて来たらどうなるか、それを考えみろ。東帝国がアテにならないとなれば、きっとそうなるぞ」
カリスの言葉に、ぎょっとした。
モルデカイらしくもなく動揺する。
そんなことになったら、リーシアは卒倒する程度ではすまないだろう。
錯乱するかもしれない。
ましてや、それが原因でギゼルに「小言」をもらうことにでもなったら。
大変なことになる。
3日3晩、リーシアが泣くだけでも、モルデカイの心は傷むのだ。
それ以上のこととなると、胸が張り裂けてしまうかもしれない。
すぐに動揺を抑えこみ、状況を打開する方法を考えた。
目の前に、適任者がいる。
「カリス、きみの言いたいことは理解した。それなら、やはり、きみの出番だ」
「なんだと?! なぜ、そうなる?!」
「きみが外交官だからだね」
「いつ決まった?! 俺は聞いていないぞ!」
「では、ほかにできることがあると?」
ぐっと、カリスが言葉を詰まらせた。
それは「引き受けた」という返事に等しい。
*****
同時刻
「これは、いい」
ギゼルが、手にした紙を見て、大きくうなずく。
元リザレダ王国の、元国王の執務室だ。
執務机の前にあるソファに腰掛けている。
テーブルを挟み、向かい側には、長男ラズロとイルディが座っていた。
次男ピサロは、机とセットのイスに座って、ギゼルたちを見ている。
「イルディに任せて良かったですよ」
「そうだね。両国を良く知っているからこそ、良いものができた」
「少々の戸惑いはあるでしょうが、だんだんに民も慣れていくかと存じます」
イルディの言葉に、ギゼルは微笑む。
正統な騎士らしいイルディを、ギゼルは気に入っているのだ。
一本気で頑固なところはあるが、誇りを持って己の役割に徹する。
領主だったからか、イルディにはファルセラスの思想と似た感覚があった。
イルディの剣は、民を守るために有る。
けして、武力を誇るためのものではない。
民のため、必要があれば、自らの剣さえ捨てる。
ギゼルは、それこそが、本物の「自尊心」だと捉えていた。
「領主……領主的な役割を担っている者らとの協議が必要でしたので、ご報告が、このように遅い時間となってしまい、申し訳ございません」
「申し訳なくなんかないさ、イルディ。あちこち駆けずり回ってくれていたのは、知っているからね。こういうことって、僕たちではできないことだから」
「ピサロに言う通り、きみの働きは、とても大きいのだよ? 私たちに気兼ねなどしないでほしい。どうせ、いつも遅くまで無駄に起きているしね」
そう言って、ギゼルは軽く笑う。
イルディを始め「領主的」な立場の、元貴族たちや、ティタリヒとリザレダの民たちが、ファルセラスを「庇護者」だと思っていないのは、わかっていた。
中には、武力でねじ伏せられたと考えている者もいるはずだ。
そして、それは、あながち間違いでもない。
(攻撃を仕掛けられたのは我々だが、力が有り過ぎるというのも考えものだね)
圧倒的な差。
ギゼルたちは、たった5百騎の軍とも呼べない人数で、2国を制圧している。
政治を担っていた貴族に、彼らが考える「責任」を取らせてもいた。
目にした者たちは、ファルセラスを恐れずにはいられないだろう。
残された「領主的」な立場の者も、イルディ以外、王宮には寄り付きもしない。
(しばらくすれば、落ち着いて日常を取り戻すさ。日常は、戦よりも強い)
倒壊させた建物は多くもないし、今はギゼルの下僕の修繕屋ヴァルカンが復旧にあたっている。
壊れた貴族屋敷はなくなり、民の家や市場、店の連なる街路になる予定だ。
景色の変化も慣れてしまえば日常に飲み込まれる。
なにしろ人は生きていかなければならないのだから。
「リティレザ。いい国名だね。両国の雰囲気が、バランス良く配分されている」
ティタリヒとリザレダの名を混ぜた、新しい国名。
これは、イルディが考えたものだ。
発布を滞りなく行うために、ここ何日もイルディは「駆けずり回って」いた。
音の響きや綴りなど、これならどちらの民もそれなりに受け入れ易い、といったイルディの言葉には、ギゼルも同意している。
そもそも、ギゼルは自分が新国名を決めるつもりなどなかったし。
ファルセラスは、他国を侵略も支配もしない。
今回のことは、西帝国に好き勝手をさせないための一時措置だ。
ティタリヒとリザレダが、ヴィエラキを攻撃したのは事実であり、本来ならば、駆逐して終わりにするところだった。
「ティタリヒの王が選択を誤っていなければなぁ」
ぴくっと、イルディの指が震える。
ティタリヒとリザレダは同盟国であり、人種も言葉も同じ。
言わば兄弟のような関係国だったのだ。
そのティタリヒの国王を、ギゼルたちは城門に吊るしている。
「戦争では……誰かが責任をとらねばなりません……実行と敗北の責任を……」
「まぁ、そうだね」
「ですが、父上、ヴィジェーロの、やり口が汚いのはお認めになるでしょう?」
「まぁ、そうだね」
「俺だってシアを引き合いに出されたら……うーん……やっぱり選択ミスかぁ」
「そうだよ、ラズロ」
だから、残念だと思っていた。
ティタリヒもリザレダも「良い国」だ。
ヴィエラキに侵攻などしなければ、平穏に暮らせる道もあった。
「それは、いったい……」
「ああ、ヴィジェーロは、ティタリヒの国王の妹君を口実にしたのだよ。そのせいで彼はヴィジェーロに膝を屈したのさ」
「なんという……西帝国の皇帝ともあろう者が……前皇帝陛下はそのような……」
「驚かせたくはないが、今後のためにも、きみには話しておかなくちゃ。実際、前皇帝を殺したのは、ヴィジェーロでね。よほど皇帝になりたかったらしい」
イルディの顔色が蒼白になる。
思ってもみなかったに違いない。
西の前皇帝は「善人」として名を馳せていた。
息子であるヴィジェーロがどう思っていたかはともかく、民や諸侯には慕われていたのだ。
「もし、もしも、だ。クヌートが、ヴィジェーロの話を蹴って、我々を頼ってきていたならば、違った結果があった。私は、それが残念でならない」
もちろん西帝国の影響範囲にあるティタリヒの国王が、縁も面識もない遠方の国ヴィエラキを頼るとの発想に至らなかったのは当然だった。
それでも、とギゼルは思う。
「我々は、東帝国の臣下ではないのでね。西だの東だのは、どうでもいい。我々にとって重要なのは“誰が”ヴィエラキを脅かそうとしているのかなのだよ」
「では……もしクヌート陛下が、ヴィエラキ侵略を西帝国に強制されていると、ギゼル様に助力を求めておられれば……」
ギゼルは、ほんの少し眉を上げてみせた。
言うまでもない。
推測だけで西帝国を攻撃することはできないが、ティタリヒの国王からの「言質」があれば別だ。
西帝国をどうするかはともかく、少なくともティタリヒがヴィエラキのために不利益を被らないよう手は打った。
国の名を 貶めないこともまた、ヴィエラキを守るという思想に含まれている。
よって、ヴィエラキ侵略の圧力を受け、助力を求めてきた国を見過ごしにしたりはしない。
「……カリスティアン陛下も……選ぶべき道を間違われたのですね……」
「いやいや、彼は間違っちゃいない。行き先を間違えた船に乗らざるを得なかっただけだ。だが、なんというか……彼は、実に独特だね」
ギセルの娘は、父親や兄たちよりも、ずっと大きな力を持つ。
あげく面倒くさがりときている。
カリスは城内に入り、リーシアと相対し、恐ろしい光景を目にしたはずだ。
なのに、その状況の中、ギゼルに連絡するように働きかけ、事を成している。
(それほど、自軍の兵を救いたかったのだろうな。あの 娘の手を止めさせることは、容易いことではない。ラズロたちですら難しいというのに)
兄2人は、どうこう言っても、妹に甘い。
リーシアが「面倒くさかったの」とでも言えば、十万の兵を虐殺しても、しかたがないと、苦笑いする程度ですませてしまう。
叱るのは、実質、キゼルだけだった。
「なんでも、最近は、ヴィエラキの民の仕事を手伝ってくれているらしい。きみの息子、フィデルと一緒にね」
「フィデルが……そうですか……元気にしているようで安心いたしました」
「健康ではあるだろうが、忙し過ぎて騎士をするより疲れているのじゃないかな」
言って、ギゼルは爽やかに笑う。
当面、ヴィエラキに戻るつもりはなかった。




