東西の思惑動く出来事
東帝国第4皇子シリルは、帝都を出てすぐに、早馬を走らせていた。
先触れのためだ。
なんの連絡もなく他国を訪問するのは、無礼である前に、危険なことだった。
攻撃目的かと疑われてもしかたがない。
(ヴィエラキは、城攻めを受けたばかりだ。いくら少人数とはいえ他国の者が急に現れたら、敵と 見做される可能性がある)
少人数で、東帝国の旗も掲げている。
だが、戦場ではありがちな戦法でもあった。
味方の振りをして、城門が開くとともに押し入る。
門を開かせるための常套手段であり、昨今、こんな手に引っ掛かる国はない。
とはいえ、ヴィエラキは父が恐れているほど「戦争」はしていないのだ。
常に、大公軍は砂漠で敵を討つ戦法を取っている。
今回の城攻めで、ファルセラスは大勢の敵兵を取り逃がしていた。
きっと城を攻められることに慣れていなかったからに違いない。
主戦力は抑止できたが、城外の兵までは手が回らなかったのだろう。
大公軍が出はらっているのだから、それもうなずける。
今は、外からの「客」に過剰な警戒をしているはずだ。
と、シリルは考えている。
なので、その警戒を緩和するため、自分たちが到着する前に早馬で連絡させた。
敵と誤認されて殺されたくはない。
嫡出子の兄弟たちに、虐め抜かれて殺されるよりはマシかもしれないけれど。
(ここで功績をあげなければ、僕の立場は変わらない。死ぬまで卑しい身の皇子と蔑まれる。あいつらだって功績なんてあげてはいないのに)
心の中でだけ、シリルは兄弟を罵る。
数は少ないが「一応」は護衛の騎士が十数人。
自分の味方をするわけでもないのに「護衛」とは笑わせる。
その、たった十数人ですら、誰もシリルを本気で心配はしていないのだ。
城に雇われていた平民の侍女の子。
つきまとう出自が恨めしくなる。
侍女だった母に手をつけたのは父だ。
皇帝である父に、母が逆らえるはずもない。
幼い頃はわからなかったが、今ならわかる。
立場や身分により「できること」と「できないこと」の差の大きさ。
平民は、平民であるというだけで、王族や貴族に好き勝手をされても受け入れるしかない存在なのだ。
嫌も応もない。
髪の色が気に食わないという理由だけで、殺されることもある。
同じことが皇宮内でもまかり通っていた。
貴族では大きな家門が小さな家門を足蹴にし、王族であれば、嫡出子が非嫡出子を足蹴にする。
大きな顔ができるのは、ごく一部の王族や貴族の特権なのだ。
(それを振り回した結果が、これだ)
皇位継承第1位と目されている第2皇子の妹。
家柄のいい正妻の愛娘、ミラジュアンヌ・ラモーニュ。
ミラジュアンヌは第1皇女としても、大いに身分を振りかざしていた。
社交の場では独壇場。
さりとて、政治と社交は似て非なるもの。
社交の場を上手く使えば、政治にも役立つ。
が、ミラジュアンヌは、ただただ己を誇示し、権力に陶酔していた。
シリルのことも「非嫡出子のお兄様」などと呼んでいたものだ。
されてきたことを思えば、きっと誰も同情していないだろう。
シリルとて「無期限蟄居」とされたミラジュアンヌを気にかけてはいない。
むしろ、いい気味だ、と思っている。
人を踏みつける真似をしてきたことに対する当然の報いだと言えた。
(それに引きかえ、ちらりと垣間見えた大公女は美しかったな。可憐で儚げで……護衛にくっついていたのは、きっとミラジュアンヌが恐ろしかったからだ)
詳細までは知らされていなかったが、ミラジュアンヌが大公女を罵ったのだとか。
ほとんど国の外には出ない大公女だ。
さぞ驚き、恐れ 慄いたに違いない、と思う。
狐に牙を見せられ、怯えない兎はいないのだから。
(さっさと帰ってしまったのも……まるで兎が巣穴に逃げ込むようで……)
はっきりと見たわけでもなく、話したこともないのに、愛らしいと感じた。
そういう女性ならば、自分を嘲ったりもしないのではないか。
そんな期待すらわきあがってくる。
東帝国で、シリルを本気で相手にする女性はいないのだ。
少なくとも高位の貴族令嬢の中には、いない。
(……なんとしても、彼女を手に入れたい)
東帝国がどうなろうと、正直、シリルには関係なかった。
常々、滅亡すればいい、と思っている。
野心も未練も、なにもないのだ。
なので、大公女が望むのであれば、ヴィエラキに移住してもかまわない。
銀色の結い上げられた髪と、綺麗な首筋。
飾り気がないのが、大公女の慎ましやかさを印象づけていた。
わずかに見えた横顔には、美しさとともに幼い少女のようなあどけなさもあり、なおさらシリルの心を掴んでいる。
(もうすぐ彼女に会える……リーシア・ファルセラス……)
大公女を妻とする自分を思い描きながら、シリルは馬上で口元をほころばせた。
どの道、東帝国にいても、なにも手に入れられない。
ならば、ヴィエラキに属するのも悪くはない。
思うシリルは、大公女のことを、なにも知らなかった。
*****
同時刻
西皇帝ヴィジェーロは、皇帝の間の玉座に座っている。
いつもと変わらず、イスに肘を置き、頬づえをついていた。
親指で顎を支え、人差し指を頬に沿えている。
わずかに首を傾け、玉座から続く階段下にいる男を見ていた。
淡い銀髪が、いかにもな東帝国人。
瞳は水色で、俊敏そうな細い体型。
肌の色も白く、西帝国人から見れば、病にかかっているのではと疑いたくなる。
が、表情には病らしいところはない。
高くて小さな鼻に、艶めいた赤い唇。
髪が短くなければ、女だと思ってもおかしくないほど美麗な顔立ちだ。
広間にいる騎士の中には「そういう目つき」で、その男を見ている者もいた。
ここに入れる騎士ともなれば、高位の貴族出身ばかり。
およそ奴隷にでもしたがっているに違いない。
さりとて。
ヴィジェーロは、その男を誰かに渡す気はなかった。
男を好む嗜好はないが、東帝国側の者であることが重要だったのだ。
ヴィジェーロを西皇帝だとわかっていながら、臆さない態度と物腰。
あえて西帝国に来た、その精神性。
(使える間は使ってやるか。どうやらオレに重用されたがっているようだしな)
きっと野心家なのだろう。
だが、東帝国では報われることがなかったと推測できる。
なにしろ東帝国は平穏で「変わる」のを望んではいない。
変化を求める者が異端扱いされ、排除されるのは当たり前だ。
ヴィジェーロ本人も、それを経験している。
そのため、変化を望む気持ちがわからなくもない。
自らの現状に納得できず、不満があったのなら、東帝国に見切りをつけることは有り得た。
瞳には、それを感じさせる野心の灯がともっている。
その男の名は、ジズ。
おそらく平民か、貴族であっても「正当」な待遇をされていない者だ。
王族や貴族は、とかく長い名を好む。
短い名は「不本意」な状況によりなされた子を意味していた。
ジズの所作は貴族のそれだが、確信はできない。
芝居役者なら真似できるからだ。
「お前が有益な者だと示せれば、オレの近くに置いてやる」
短い言葉に、騎士たちのほうが動揺していた。
ジズは自信ありげに、赤い唇に笑みをのせる。
本当に、美麗な男だった。
動揺していた騎士の大半が、ジズの笑みに目を奪われている。
(これだけでも戦力に成り得るな。こいつを囮にすれば、どんな奴でも引っ掛かりそうだ。それを自軍の兵が証明しているというのは、情けないことだが)
「リザレダの兵の内、7万近くが砂漠に放逐されたことは、ご存知でしょう?」
それに近いことは、グレゴールから聞いていた。
ただし、グレゴールは「どうやら」と言ったのだ。
確定的な情報としては、まだもたらされていない。
だが、ヴィジェーロは、軽くうなずくだけにしておく。
何者ともわからないジズに、手の内を見せたりはしない。
「しかし、それは城外にいた兵のみにございます。城内に踏み込んだ千人ほどは、皆殺しにされました」
「それは、確かな情報か?」
「私は砂漠でさまよっていたリザレダ兵から直接に聞いております。城外の兵も捕虜とされ、半月も閉じ込められていたそうです。その間に、ファルセラスの臣下の1人が、城内に踏み込んだ者の死を告げてきたと言っておりました」
ほう、とヴィジェーロは小さく答えてみせた。
グレゴールの「曖昧な」情報より、よほど確度が高い。
その曖昧な情報と符合する点もあるため、ジズの話が事実だと感じた。
「しかし、城外の兵も捕虜にしたのだろう? なぜ殺さなかった?」
これまでヴィエラキに侵攻して還って来た者は、ただの1人もいない。
歴史上、初めてのことだ。
それだけの力が、ファルセラスにはある。
「リザレダ兵は約十万。全員を殺すのには無理があったと、陛下なら、お気づきになられるのではないでしょうか?」
「なるほどな」
ジズが、にっと笑った。
その笑みの理由を、ヴィジェーロは悟る。
(城に、奴はいなかった……)
大公軍は出征中だったのだ。
城には、千人のリザレダ兵を排除できるだけの有力者はいたのだろうが、城外の十万もの兵を相手にできる余力はなかった。
そのため、放逐せざるを得なかったのだろう。
大公女には、ギゼル・ファルセラスほどの力はない。
「しかしながら、陛下」
「なんだ? 申せ」
「カリスティアン・リザレダは、ファルセラスの下僕となったそうにございます」
思わず、口から、はっという笑い声が出た。
ギゼル・ファルセラスにも劣らず、忌々しい存在。
それが、カリスティアン・リザレダだったのだ。
リザレダの民に信頼されていた王だったため、ヴィジェーロも強硬な手段をとることができずにいた。
「あのカリスティアン・リザレダが下僕に成り下がるとは、笑える」
赤褐色の若き国王。
ヴィジェーロは、その凛々しかった姿を思い出し、声を上げて笑った。




