疲労困憊後の外食
今夜は、城で夕食をとらないのだそうだ。
さっきリーシアに、そう言われた。
カリスは、すっかりくたびれ果てている。
はっきり言って「カールのビストロ」になど行かず、城に帰りたい。
(しかし、そうもいくまい……彼女の、あの様子では……)
リーシアは、街が好きなのだろう。
農場には長居をしなかったが、ロンダのパン屋では、ひとしきり女性たちと話をしていた。
パン屋の中には座れる場所があり、店員であるはずのポーラも座って「お茶」を始めたのだ。
そこに、ナナリー、ロゼット、エンナにセレアと、名を覚えきれないほど次々に入れ替わり立ち替わり女性が現れては、話し込む。
その間、カリスもリーシアの隣に座らせられていた。
最初は3人だったので、まだ耐えられたのだが、増えたり減ったりしながらも、常に4,5人に囲まれ始めてからは苦痛の連続。
なにしろ女性たちは、カリスの存在を無視する。
にもかかわらず、時々、カリスを「話題」にしてくる。
嘲っていたのではないようだが、笑われるのは嫌だった。
彼女たちは、リーシアよりも「穏便」なのは間違いない。
だが、カリスがなにを言っても笑うことには閉口させられた。
当然のように、リーシアはカリスを放置。
女性たちとのお喋りを、ひたすら楽しんでいたのだ。
(出征で長旅をした時よりも疲れた……ヴィエラキの男は大変だな……)
人の好さそうなピートを思い出す。
ポーラに惚れているらしいが、ポーラには婚姻の意思がない。
カリスには、よくわからないことだった。
王族や貴族の婚姻は、たいていが政略的なものによる。
身分のつり合いがとれており、かつ、惚れた相手と婚姻できることは稀だ。
とくに女性には、そもそも選択肢がない。
親や親族に決められた相手と婚姻するのが一般的だった。
男側の身分が高い場合、否も応もなく受け入れるのが常識。
平民であっても、似たようなものだ。
貧富の差により、選択肢が狭まる。
裕福な男の愛妾になる貧しい家の女性も少なくなかった。
それを、カリスはごく一般的なこととして受けとめている。
(女が働いて己の生活をたてること自体がめずらしい……婚姻すれば男の稼ぎで暮らしてゆけるものを……)
比較的、裕福であったリザレダでも、女が1人で働き、生活していくのは難しいことだったのだ。
もとより働き口が限られている。
ほとんどは下働きで、給金もわずか。
(1人で暮らしてゆけるほど稼ぐとなれば、体を売るしかない。が、まぁ、それは男でも同じであったがな)
どこの国であれ「体」は、ひとつの個人資産だ。
どう使おうが、本人の自由とされている。
なので、娼館が存在しており、そこでは娼婦や男娼が買われていた。
それも生きていくための手段だと、カリスも疑問に感じたことはない。
「……ポーラは、1人で生きてゆけるのですか?」
「実際、1人で生きているじゃない。彼女は、成人してすぐ実家を出て、自立しているのよ? 家も借りて、ちゃんと生活しているわ」
「パン屋の店員というのは、それほど給金がいいのですね」
「そうでもないわよ。だから、ポーラは売れ残りのパンをロンダにもらって、節約しているもの」
「では、ピートと婚姻すれば、暮らしが楽になるのでは?」
「そうね。でも、ポーラも言っていたでしょう? 生活を変えたくないって」
「節約が必要でも、ですか?」
リーシアに呆れたような目で見られた。
が、カリスには、その意味がわからない。
誰でも良い暮らしを望むものだと思っている。
買いたいものを買い、食べたいものを食べられる生活をしたがるものだ、と。
「わかっていないのね。婚姻しなくちゃ生きていけないってほど貧しい民なんて、ヴィエラキにはいないの。少し我慢をすればいいだけなのに、望んでもない婚姻をしたりはしないわ」
その時、ふっとカリスの頭に「そうか」との思いがよぎる。
ヴィエラキは、類を見ないほど裕福な国だ。
男女に関わらず働き口があり「貧困」にあえぐ民はいない。
身分の差もなく、婚姻も自由意思による。
リーシアの言うように「生活のため」に、身売りをするような真似をしなくてもいいのだ。
(これほど豊かな国の人口が、なぜ、わずか20万なのかと思っていたが……裕福であるからこそ、なのだな)
女性は婚姻により生活の安定を望み、男は後継ぎを求める。
貧しい国では、子供も労働力と成り得た。
ヴィエラキには、そうした「理由」がない。
「一生……婚姻しない者もいるのですね?」
「大勢いるわ。ロンダだってそうだし、今、向かっているビストロ店主のカールも独り身でいいって、いつも言っているわね」
と、いうことなのだ。
人口に制限をかけているわけでもないのに、増加しない理由。
男女双方にとって、婚姻自体の「利益」が大きくない。
婚姻しても、子をもうけない夫婦だっているのだろう。
知れば知るほど、ヴィエラキが、いかに「特異」かがわかる。
同時に、どれほど自分の「常識」にあてはまらないかも実感した。
(城の中だけではなかったのだ。この国全体が、俺の理解の枠を越えている)
今までは「ファルセラスの者たちはおかしい」と思ってきたが、違う。
ヴィエラキとは、こういう国なのだ。
つまり。
自分がおかしい。
これは大変なことだと感じる。
自分がおかしいとなれば、フィデルたち「眷属」もおかしい、となるのだ。
早めに教えておく必要があった。
でなければ、誤った対応をして殺されるかもしれない。
カリスですら、民より雑に扱われている。
眷属ともなれば、推して知るべし。
そもそもが、まだなんの役にも立っていないのだから。
「ここよ、カリス。見て、あの看板。素敵でしょう? サイモン製なの」
サイモンというのは、確か、リーシアのテーブルセットを作った木工細工店の現店主だったと記憶している。
見上げた先にある看板に 施された彫刻は素晴らしい。
それを、カリスも否定はしないけれども。
「あれは……ファルセラスの……」
「紋章よ。あれには、ファルセラスご用達って意味もあるの」
モルデカイからは「蝶」だと聞かされていた。
だが、どう見ても「蜘蛛」にしか見えないのだ。
体の両脇には上に向かって弧を描く鎌のようなものが伸びており、そこに、7本ずつの足がくっついている。
その「鎌」は、おそらく羽なのだろうが、不規則な穴がいくつも空いていた。
穴といっても綺麗な円ではない。
まるで、指で適当に空けたみたいな形なのだ。
恐ろしく不気味。
どんなに美しい彫刻が施されていても、あれが目に飛び込んできたとたん、ゾッとする。
なぜ、あんな紋章なのかと、モルデカイに訊いたのだが「初代様がお決めになられたことなのでね」の、ひと言で片付けられてしまった。
正直、リーシアは美しい。
目を惹かれずにはおられないほどだし、 見惚れるほどでもある。
が、内面は「化け物」だ。
思うと、この紋章は、リーシアそのものを表している気がする。
リーシアも、友人と語らい合う姿は、年相応の女性らしさを感じた。
さりとて、彼女は「普通」ではない。
蝶を模しているのに蜘蛛にしか見えない紋章を見ると、それを肝に銘じなければと、思い知らされる。
リーシアは綺麗なだけの「蝶」ではないのだ。
カランと音を立て、リーシアがドアを開く。
自分がドアを開くべきだったと、出遅れたことに、カリスは焦った。
こんなことでは、供すらまともにできない、と評されそうだ。
「こんばんは、カール!」
「やあ、来たな、お嬢」
「モルデカイから聞いていた?」
「お供が粗相をしても、目くじらを立てないでほしいと頼まれてるぜ」
行く先々で同じことを言われる。
善意か好意か、悪意なのかは知らないが、よけいな世話だと思った。
ますます不愛想な表情になるカリスに、ビストロの店主カールが大声で笑う。
大柄な体に相応しい声量だ。
オレンジの髪に茶色の目をしたカールは、面白そうにカリスを見ている。
「まぁ、座んなよ、兄ちゃん」
リーシアは、さっさと席についていた。
テーブルではなく、カウンターの前にイスが並べられている。
そのひとつに座っているのだ。
くたびれ果てた体を引きずるようにして、隣に座る。
背もたれのない丸いイスなので、気を抜くと後ろに倒れそうだった。
「お嬢は、オムレツとカボチャのスープ、蒸し鶏のソテーってとこか」
「ええ、デザートも含めて、カールに任せるわ」
「ちょちょいと野菜もつけとくよ。そんで、兄ちゃんには、俺の特製だ」
カリスは、どう答えればいいのかわからず、軽くうなずいておく。
というのも、事前に食事のメニューを聞かれたことがなかったからだ。
王宮でもファルセラスの城でも、出されたものを食べている。
リザレダで街に視察に行った時も、やはり出された食事を口にしていた。
が、街にある店で飲食をしたことはない。
王族とは、そういうものだ。
史実に記されているような「毒殺」を警戒する。
街の店主に過ぎない「カールに任せる」なんて有り得なかった。
「なんせ、この兄ちゃんは人の眷属を持ってるらしいじゃねぇか。恩を売っといて損はねぇだろう。なぁ、お嬢」
「かもね」
ざわっと、店内がざわめく。
なにか視線が自分に集まっているのを感じ、落ち着かない気分になった。
そんなカリスに、リーシアが初めて「普通に」笑いながら言う。
「あなた、みんなに期待されているわよ」




