西と東の出来事
西帝国皇帝ヴィジェーロ・ネルロイラトルは苛ついている。
が、それを表情にも態度にも出さないようにしていた。
ヴィジェーロは、自分の感情を人に読まれるのが嫌いなのだ。
もちろん、皇帝たるもの、簡単に心を見透かされるなどあってはならない。
(父上は民に好まれる王ではあった……)
どこを訪れても大歓迎されていた父。
民に慕われていたのは、ヴィジェーロも知っている。
幼い頃は誇らしく思っていた。
けれど、父は、別の意味では「暴君」だったのだ。
民を思うのはいい。
とはいえ、国の資産には限りがある。
そもそも、その国の資産とは、どこから来ているのか。
誰が捻出しているのか。
父は、民の「要望」を叶えるようにと、たびたび貴族らに命じていた。
当然、従わざるを得ない貴族諸侯は、なんとか辻褄を合わせようとする。
一見、民の「要望」は叶えられたかに見え、父は称賛を受けた。
だが、実際には、回り回って苦しむのは、いつも民だ。
王族や貴族は、物理的な「労働」をしないのだから。
西帝国は、大陸の北に位置しており、背後には高い山脈がそびえている。
元は不毛の地だったのを開拓し、ようやっと人が住めるようになった国も多い。
そういう国々を統一してできたのが、西帝国なのだ。
今では、東帝国と勢力を2分しているものの、常に「貧しさ」と戦っている。
民を思うのはいい。
だが、目先のことで良い顔をしても、結果、民の困窮を招く。
それを父は考えもしなかった。
ヴィジェーロは、繰り返し「無意味」なことはやめるように言った。
しかし、父は聞き入れようとはせず、むしろ、ヴィジェーロを「貴族の手先」と罵り、 疎ましがったのだ。
そして、ヴィジェーロを皇太子とするのも遅らせ、結局、彼は40歳になるまで帝位につくことはできなかった。
(おかげでオレは、随分と手を汚すはめになってしまった)
ヴィジェーロは、父に疎まれ始めてから、少しずつ帝位継承者の命を、ひそかに奪っている。
最後には、父も病に見せかけ、毒殺した。
長くいだき続けてきた危機感が、そうさせたのだ。
こんな治世が続けば西帝国は滅ぶ。
ヴィジェーロは、はっきりと感じていた。
その父が後継に選ぶ者は、父の治世を受け継ぐ者だ。
西帝国は滅びの道を辿っている。
その危機感から、ヴィジェーロは自らの手を汚してまでも、帝位についた。
「グレゴール、お前の役目はなんだ?」
皇帝との謁見の間で、グレゴール・ラタレリークは 跪いている。
玉座から、その姿を冷たい銀色の瞳で、ヴィジェーロは見下ろしていた。
頬杖をついた手の、指の間に濃紫色の髪がからんでいる。
大陸には、赤や緑、紫や黄色といった目や髪色はめずらしくない。
ただ、その色は、西寄りになるほど濃く暗く、東寄りになるほど明るく鮮やかになるのが特徴だ。
ラタレリークは帝国とくっつくようにしてある南西の国であり、グレゴールも燻した栗のような色の髪と目をしている。
年中、ほとんど陽が射さないような土地柄では、こうなるのだろう。
肌が褐色なのも、日焼けではなく、雪焼けだ。
それでも西帝国が、西側を制することができたのは、バルドゥーリャだけが山脈越えをしなくても、海に出られるからだった。
ふっと、輝く銀色の髪と澄み切った空のような青色の瞳を思い出す。
ギゼル・ファルセラス。
同じ歳の、小国の主。
たかが「大公」に過ぎない男。
にもかかわらず、誰に 阿ることもなく、東皇帝でさえ頭を下げるという。
「も、申し訳ございません……偵察部隊は……どうやら全滅……」
「どうやら、とはなんだ? そんな推測を語りに来たのか、貴様」
ラタレリークは、ヴィジェーロの庇護なくしては存続しえない国だ。
帝国以外の国としては、唯一、水産物を取り扱うことを認めている。
取り上げれば、たちまち民は飢え、暴動を起こすに違いない。
真っ先に吊るされるのは、グレゴールだ。
「ティタリヒとリザレダ……とくにリザレダが、西帝国にとって貴重な財産だという認識がないようだな」
「そ、そのようなことは、ご、ございません……偵察部隊は全滅いたしましたが、ひとつ重要と思える、ご報告が……」
くいっと顎を上げて見せる。
たいしたことでなければ、首を落とす、という意味だ。
ラタレリークの国王は、なにもグレゴールでなくてもかまわない。
「さ、砂漠方面に、リザレダの敗残兵どもがおりまして……どうやら、リザレダに帰還している模様……」
「貴様は、どうやら、が好きらしいが、オレは違う」
ヴィジェーロは、暗い銀の瞳を細める。
グレゴールに脅しをかけはしたが「面白い」情報ではあった。
スッと、右手を前に出す。
「次は、どうやら、ではない話を持って来い」
「か、かしこまりました、陛下!」
頭を下げ、猫に追われるネズミがごとく、グレゴールが飛び出して行った。
ヴィジェーロの頭からは、すでに「ネズミ」のことなど消えている。
(リザレダは肥沃な土地……あの男にも欲というものがあったのか)
たった1度、会ったことのある男。
その、たった1度で、自分を屈辱の沼地に叩き込んだ男。
ヴィエラキ大公国大公ギゼル・ファルセラス。
ヴィジェーロは、その男を心の底から憎んでいた。
そして、その同じ心で。
無意識に、憧憬をいだいている。
*****
同時刻
東帝国皇帝カルデルク・ラモーニュは、頭をかかえている。
皇帝の私室には、4人の息子が集まっていた。
大きな大理石のテーブルには彫刻が 施され、金や銀で装飾されている。
それに見合う、ふっくらしたクッション付きの座面に、質のいい生地の張られた背もたれのある幅広のイス。
正面はカルデルク、その右隣に3人、左に1人の息子が座っていた。
3人は正妻および側室の産んだ嫡出子。
1人は一夜限りの相手との間にできた非嫡出子。
3人が、非嫡出子である息子を邪険にしてきたことは知っている。
知っていて放置してきた。
非嫡出子とは、そういう扱いを受けるものなのだ。
カルデルクにしても、人々の目を気にして引き取ったに過ぎない。
それにより「責任は果たした」と思っている。
「父上、いずれにしてもヴィエラキに謝罪は必要にございます」
長男のフェルンターヌが言った。
カルデルクと同じ紫の瞳に、母親から受け継いだ水色の髪をしている。
その髪を、悩み深そうにかきあげていた。
「このようなことは前代未聞ですからね」
口調には、わずかな棘がある。
次男でありながら、己よりも父寄りに座るセディルジールに対するものだ。
セディルジールは正妻の子であり「例の」事態を引き起こした第1皇女ミラジュアンヌの兄だった。
彼女と同じ正妻の血を表す金色の髪に、やはりカルデルクと同じ紫の瞳。
明らかに「正当なる」継承者といった風貌をしている。
だが、妹の「大失態」に口を挟むこともできず、押し黙っていた。
「しかし、ヴィエラキが、そう簡単に受け入れてくれるとは思えませんがねぇ」
皮肉じみた口調で言ったのは、三男のレアドルモーネだ。
瞳は琥珀で、白に近い髪色はカルデルクの血を受け継いでいる。
カルデルクも若かりし頃は、今のレアドルモーネと同じ色だったのだ。
歳を追うごとに、少しずつ灰色に近くなった。
「シリル、お前は、どう思う?」
カルデルクは、四男シリルに声をかける。
真っ青な髪が、シリルの母親を思い出させた。
その美しい青色の髪に惹かれ、カルデルクは一夜の「過ち」を犯したのだ。
もしシリルの瞳が紫がかっていなければ、引き取りはしなかっただろう。
たとえ薄くても、西帝国の勢力範囲内で「紫」は皇帝の血筋にのみ受け継がれる瞳の色だった。
そのため、カルデルクも認めざるを得なかったと言える。
とはいえ、自分の子だと思ったことは1度もない。
どんなに美しい女であったとしても、所詮は身分の卑しい者。
そんな卑しい者との間に子を成してしまったこと自体、カルデルクは恥じている。
なので、その子に対して、愛情など微塵もいだけずにいた。
むしろ、目にするたび不快になる。
「父上、このような者にお訊きになられても無駄でしょう」
「そうですよ。だいたい、やらかしたのは第1皇女……おっと、これは失礼」
フェルンターヌの言葉にレアドルモーネが追随し、セディルジールを追い込んでいた。
長男と三男は、次男セディルジールを継承者から引きずり落そうと必死なのだ。
ことあるごとに、足を引っ張ろうとしている。
カルデルクが最も寵愛しているのは、最後に側室としたレアドルモーネの母だが継承順位となると話は別になる。
長子でなくとも、正妻との子、セディルジールと心の内では決めていた。
正妻は、王家の流れをくむ名家の娘なのだ。
ないがしろにできるような家門ではない。
「2人とも黙れ。私は、シリルに問うておるのだ」
言うと、渋々といった様子で、2人が黙った。
セディルジールは、ここに来てから、ずっと黙ったままでいる。
王妃に泣きつかれでもしたら面倒だ。
カルデルクは最適な解決方法を見出していた。
「シリル、私は、お前の意見が訊きたいのだが、どう思う?」
ミラジュアンヌのしでかした大公女に対する無礼は取り返しがつかない。
ヴィエラキに謝罪し、許しを得なければ、国内貴族はもとより諸侯たちに影響がおよぶのは確かだ。
東帝国は長くファルセラスによって守られてきた。
皇家の落ち度により、その庇護を失うとなれば、カルデルクの立場さえ危うい。
「僕がヴィエラキにまいります」
言葉少なに、シリルが答えた。
これこそが、カルデルクの「望む」返事だ。
3人の嫡出子の誰も失いたくはない。
が、シリルであれば、万が一、命を持っての謝罪となっても惜しくはなかった。
大公ギゼル・ファルセラスの銀髪と青い瞳を思い出す。
気さくで人当たりが良さそうに見えるが、彼はヴィエラキの大公なのだ。
歴代ヴィエラキ大公は「笑顔で殺す」と聞かされている。
その大公の娘に無礼を働いたのだから、殺されてもおかしくはない。
「では、シリル。お前に、その重要な役目を与える。その働き、この父に、しかと見せてくれ」
非嫡出子とはいえ、皇子は皇子だ。
その命は、それほど安くはないだろう。
東帝国、いや、カルデルクにとっては安いものだが。
(このために取っておいた命とでも思えば、認知したのも無駄ではなかったか)




