会話から深まる勘違い
フィデルとの会話は、2時間そこそこで終わった。
もう少し話していたかったが「昼食時間」となってしまったのだ、フィデルが。
カリスは、フィデルに「眷属」たちの指揮を任せている。
今日の午後には城外から城内に「移転」する予定なのだ。
話した内容に、フィデルは唖然としていた。
それはそうだろう、と思う。
カリスだって、モルデカイに聞かされた時には唖然となったのだから。
(1人1軒、物置付き……家具も食器も……食材は配給、だと……?)
3万人と言えば、ちょっとした村の規模だ。
それを 瞬く間に用意した。
が、それはいい。
一夜にして、5百人収容できる施設を2百も造れるのがモルデカイだ。
3万の家を造ったと言われても、そのくらいできておかしくない、と思える。
今となっては。
カリスが唖然としたのは、そこではなかった。
室内品は、おそらくヘラの眷属が用意しているはずだ。
だが、食材や衣類など、生活に欠かせない物を「配給」するとの話に、カリスは耳を疑った。
(……大公女の小遣いとは、いったい……3万人だぞ? しかも、どうせ1日3食だと抜かすのだ、ここの奴らは……)
それだけの食材費だけでも、かなりの額になる。
あげく「必要な物があれば用意する」とのこと。
フィデルを通じて取りまとめしてからでもいいし、急ぐのであれば、フィデルに伝書鳩を飛ばさせれば、すぐに調達する、と言われた。
(いや、この際、金のことはいい。あれだけの私財……を持っているのだからな)
以前、カリスは、モルデカイにファルセラスの「私財」を見せられている。
ヴィエラキ4万平方キロメートルの地下は金庫なのだ。
そこには大陸通貨が、文字通り山積み。
ヴィエラキ建国より5百年、ファルセラスの私財と国庫が同義だという話にも、うなずける量だった。
とはいえ。
まったく常識外れも、はなはだしい。
いくらカリスがリーシアの下僕となり、その眷属とはいえ、元敵兵。
おまけに「することがない」のだ。
ヴィエラキに「戦力」など必要ないのだから、彼らの能力は役に立たない。
この半月も、1日3食をとり、ただ施設内で、じっとしていただけだろう。
ただし、これまでは自分たちの処遇に悩んでいたはずだ。
なのに、それも今後は、ほとんどなくなる。
(……リザレダで貴族をしているより優雅な暮らしではないか……)
なにもせずとも衣食住が与えられるなど有り得ない。
対価というのは、働いて初めて与えられるものなのだ。
リザレダにも貧しい者はいたし、そういう家では子供でも働いていた。
民からの税で生活を維持していた貴族とて、民の揉め事や請願の対応をしたり、時には無法な者たちから民を守ったりしていたのだ。
まるっきり、これっぽっちも働かずして対価を手に入れていた者などいない。
カリスは、書庫のソファで頭をかかえている。
ヘラの眷属の侍女が淹れてくれた紅茶が湯気を漂わせていた。
そのことにすら、葛藤を覚える。
自分も同じだからだ。
カリスも「なにもせず」対価を手にしていると言えた。
役目と言えば、リーシアと東帝国に出向き、祝儀に出席したことくらいだ。
東帝国が消し飛ぶのを防いだのは「手柄」なのかもしれない。
だが、カリスからすれば、当然のことをしたに過ぎなかった。
確かに無礼な連中ではあったが、東帝国を消し飛ばされたら、カリスの罪悪感のほうが勝っていただろう。
つまり、特段にリーシアのために「働いた」との実感がないのだ。
それは、なにもしていないのと同じではなかろうか。
にもかかわらず、書斎で「優雅に」茶を飲み、1日3食。
睡眠も十分にとっているし、広い部屋もあてがわれている。
誰もカリスに強制はせず、むしろ、放置。
以前、モルデカイに言われたように「いつ起きようが寝ようが」勝手。
これという決まった役目がないので、することがない。
書斎に来て、ヴィエラキやファルセラスの勉強をしてはいるが、それは仕事とは言えない。
仕事をする以前の「下準備」だ。
たとえば、騎士になるのに剣の種類や扱いかたを学ぶのと同じ。
が、見習い騎士は最低限の保障しかされず、狭い官舎に押し込まれている。
厳しい訓練と、日に1度の質素な食事で、毎日を過ごしていると知っていた。
比較すれば、自分の「優雅さ」が情けなくなってくる。
今は、これでいいかもしれない。
さりとて、ずっとこのままでいいわけがない。
いつリーシアの気が変わるか、わかったものではないからだ。
彼女の心ひとつで、自分たちの命は簡単に消されてしまう。
兵はともかく、自分だけはリーシアの役に立つ必要がある。
惰眠を貪る存在ではないと、証しなければならない。
「また思い悩んでいるのかね? きみには悩み事が多いようだ」
ふっと、モルデカイが現れた。
カリスがどこにいて、なにをしているのか把握しているに違いない。
モルデカイなら「なんでもあり」だと思える。
なので、皮肉っぽく言った。
「知っていると思うが、フィデルに今後のことについて話をした」
「きみは頻繁にわけのわからないことを言っては私を困惑させるが、それを楽しみにでもしているのか?」
「わけがわからないとは、なんのことだ?」
「きみときみの眷属が何を話したかなんて、私は知りやしないよ? きみの管轄に、いちいち私が口を挟まなくちゃならない理由などないだろう?」
呆れたように言われて、呆れる。
モルデカイの行動からすれば「監視」されていると思ってもしかたがない。
どこにいようと、問いかけもなく、唐突にひょいと現れるのだから、常に見られていると感じるのも当然だ。
「これ以上のことを、私に求められても困る。いいかい、協力するとは言ったが、限度というものがあるのだよ? きちんと3食とっているかとか、心を病んでいる者がいないかとか、そういうのは、きみが管理すべきだ」
「それは……もちろん、そのつもりだが……」
「では、なにかね? ペットを飼いたいとでも言う者がいるとか?」
「いや、そのような者はいない」
「ああ、きみが飼いたいのか」
「違う。俺にペットは無用だ」
「確かにね。あれは、なかなかに手がかかる。ギゼル様たちは好んでおられるが、私には、どうにも向かないな」
モルデカイとは話が通じているのだか、わからなくなる時があった。
リーシアと話している時には、この感覚に陥ることが頻繁にある。
だから「くたびれる」のだ。
すでに頭痛がし始めている。
「おおまかな管理は、フィデルに任せた。俺は、報告を受けて対処することになるだろう。だが、今のところ、なにをさせればいいのか、考えつかなくてな。それで悩んでいたところだ」
「草抜きでもさせればいいじゃないか」
「草抜きだと? そんなもの、あっという間に終わるし、そもそも、これから冬になるのだから、自然に枯れる」
モルデカイが、わざとらしく肩をすくめた。
カリスの眷属には興味がないらしい。
なにをさせるかもカリス次第と、丸投げする気だ。
当然と言えば当然なのだが、助言もくれないとは、と憎たらしくなる。
「……俺の、眷属だからな。俺が、考える」
「そうしてくれると助かるね。それはそうと、きみに渡す物があって来たのだよ」
モルデカイは、早々に話題を切り替えてきた。
本当に、関心の欠片もありはしないのだ。
衣食住を与えつつ、その実、死のうが生きようがどうでもいいと思っている。
とはいえ、文句を言うのが筋違いだと、カリスにもわかっていた。
捕虜と言える立場の自分たちが、ここまで「厚遇」されているのだから。
フィデルが唖然としていたように、ほかの兵たちも戸惑うに違いない。
兵の中には「太らせて食うつもりかもしれない」と言う者がいたという。
カリスも、内心、有り得そうだと思った。
リーシアの持つ最大の能力で大陸中を消し飛ばしても、「ピートのニワトリ」は生き残ると言ったのだ。
もしかすると、自分たちは「ピートのニワトリ」の餌になる道を突き進んでいるのかもしれない。
「ほら、これだ」
差し出された物に、ぎょっとする。
直後、怒りに体が震えた。
険しい表情で、モルデカイをにらみつける。
「やはり……こういうことか……」
自分の考え違いに、腹が立った。
この半月の待遇は、けして「厚遇」などではなかったのだ。
自分とモルデカイたちのような「下僕」は立場が異なる。
所詮、捕虜の下僕。
はねつけることができないのは、わかっていた。
だからこそ、なおさら屈辱に身が震える。
カリスは、モルデカイの手にあるものを、むしるようにして受け取った。
「そう怒ることはないじゃないか」
「怒ってなどいない。これが俺の立場なのだと身に染みているだけだ」
「待たせたことについては悪かったと思っているよ。だが、しかたなかったのさ。こればかりは、シア様の一存でできることではない。ギゼル様の承認が必要でね」
「大公閣下の……そうか……大公閣下も認めて、おられるのか……」
なぜだが、とてもがっかりする。
ヴィエラキは良い国で、その国を治めている大公ギゼル・ファルセラスならば、きっと立派な人物に違いないと、勝手に思い込んでいた。
尊敬に値すべき理想像を、頭の中で作り上げていたのだ。
なにより、大公の言葉がなければ、皆殺しにされていたこともあるし。
「そうとも。それで、ようやくきみに渡せることになった。せっかくだし、つけてみてはどうかな? その色が気に入らないのなら、別の色を用意しよう」
カリスは、手に握りしめた「それ」を見つめた。
やわらかいが、ほんの少しザラついた感触に、質のいい革だと思う。
その黒革でできた輪に、 細々とした植物の細工が 施された金具。
金具には、ちょうどカリスの親指が入るほどの輪っかがついている。
誰がどう見ても「首輪」だ。
首輪にしか見えない。
「……俺に、これをつけろと言うわけだな……」
「強制はしないさ。つけることが、きみのためになる、というだけのことだ」
「俺のため……そうか……確かにな……俺は、彼女のペット……」
「カリス! きみ、なんてことを言うのだい?!」
モルデカイらしくもなく、焦ったような声を出している。
白い手袋をはめた手で、せかせかと片眼鏡をいじりながら、気分を落ち着かせるためか、反対の手で胸を押さえている。
「シア様に、ペットなんて飼えるわけがないだろう。きみがペットになりたがっているなどと聞けば卒倒されてしまう。いいかね、このことは私の胸にだけとどめておく。だから、絶対に、いいかい、絶対にだ、シア様にペットにしてくれとせがんだりしないでくれ」
カリスは、当然だが「ペットになりたい」わけではない。
思ったこともない。
ただ「首輪」を与えられたので、リーシアが、自分をペット扱いしているのだと考えただけだ。
「きみは、まだわかっていないのか。私が、あれほど説明したというのに……」
モルデカイは片眼鏡から手を離し、額を押さえ、天を仰いでいる。
口からは、深い溜め息をこぼしていた。
「シア様が、いかに面倒なことが、お嫌いか。きみは、もっと深く頭に叩き込んでおく必要があるな」
カリスは、だんだんに自分が「勘違い」をしていたのではないかと思い始める。
どうしても自分の常識や知識で思考が働いてしまうのだが、ここでは、そうしたものが役に立たないのだ。
そのせいで「また」意味を取り違えてしまったらしい。
「いきなり首輪を渡されたのだ。そういうご要望かと……冗談のつもりであった」
「きみ、冗談も度が過ぎると、笑えないものだと覚えておきたまえ」
「わかった。だが、俺は、これがどういうものか知らないのだぞ」
「確かに、きみがこれを見るのは、初めてだったな。そうか。私の配慮が、少々、足らなかったようだ」
モルデカイが、あっさりと引く。
カリスを罰することもなく「冗談」との言葉を、簡単に受け入れていた。
「これは、ムービングチョーカーという。身に着けていれば、思うところに簡単に移動ができる道具だ。正式な総称は、アイテムというのだが、そこは気にしなくてかまわない。便利な道具だと思っておけばいいさ」
「この間、東帝国に行った時のような……?」
ヴィエラキと東帝国は、最短で5百キロメートルほどの距離がある。
だが、リーシアとともに訪れた際は魔法で移動、一瞬で到着した。
「残念ながら、ムービングチョーカーでの移動は特定の国内だけとの制限がある。ヴィエラキにいればヴィエラキ内、東帝国にいれば東帝国内、といった具合だ」
「では、今はヴィエラキ国内ならば、どこにでも行けるのか?」
「きみの頭に地図が描けていなくてもね」
さっきまで「首輪」にしか見えなかった物が、今度は類まれな価値ある「道具」に見えてきた。
見た目はどうあれ、魔法の使えないカリスにとっては有り難い代物だ。
これを身に着ければ、フィデルたちの様子を見に行くのも容易になる。
「ヘラやロキの眷属が使う移動用の魔法では、きみを城外に連れて行くことはできない。かと言って、いつも私たちが連れて行くのもねえ。きみが、どう思っているかは知らないが、存外、私たちも忙しいのだよ」
「ああ、いや……これを使って、今後は自分で移動する」
「それなら、これも渡しておこうか」
なにかサイコロのような物を渡された。
手に握りしめられる程度の小さな物だ。
「トランスファーケージと言って、数を指定して地面に置くと、見合った大きさの柵になる。ムービングチョーカーは、あくまでも、きみの移動用だ。眷属の移動が必要な場合には、こちらを使いたまえ」
「あ、ああ……そうだな……必要があれば……」
「まったく眷属管理というのは大変だ。ヘラやロキは、日々のことだというのに、よくやれていると感心する。私には無理だね」
「あなたは眷属を持っていないのか?」
「何事も自分1人でするのが好きなのさ、私は」
少しわかるような気がした。
眷属に、あれこれ指示を出すよりモルデカイが動いたほうが早い。
そして、確実だ。
モルデカイは、リーシアの側近と言える立場でもある。
眷属任せにできることなどないのだろう。
「であれば、午後からの移転は、俺がすべきか」
せっかく「移送用」の道具をもらったのだ。
移動用の道具も使ってみたくなっている。
首輪にしか見えない代物を身に着けた元国王を、兵が、どんな目で見てくるかはともかく、すぐに用途は理解され、誤解も解けるに違いない。
が、しかし。
そわそわしているカリスに、モルデカイが言う。
「いや、その必要はない。今回の移送は、ヘラとロキが主導する」
「しかし、俺の眷属は、俺の管轄だ」
「きみには、もっと大事なことをしてもらわなければならないのでね」
「もっと大事なこと?」
モルデカイは、さも重要と言わんばかりに、深くうなずいた。
それから、非常にさっぱりとした口調で告げる。
「衣装選びさ」
「衣装……?」
また東帝国にでも赴くことになったのだろうか。
前回は、衣装選びに、かなりの時間を費やすことになった。
カリスにはよくわからないが、王族との「称号」が問題になるらしい。
あれこれと着せ替えさせられるのは気に入らないが、西帝国側の者だったカリスには、こちら側の「作法」がわからないのだ。
モルデカイの納得がいくまで、つきあうしかない。
思う、カリスに、モルデカイが今度は悩み深そうに言った。
「きみは、街に出向かれるシア様のお供をすることになったのだよ」




