親子それぞれの出来事
ピサロは、元リザレダ王国の国王の執務室にいる。
それなりに広いが、室内は質素と言えた。
とても好感の持てる部屋だ。
とかく王族や貴族は、民に労苦を押しつけておきながら、自らは贅沢をする。
「まだ会ってはいないけど、いい国王だったようだね」
母譲りの金色の髪に、父譲りの青い瞳。
双子の兄と同じ背丈だが、かっちりした体躯なので、がっちり系の兄ラズロより細く見える。
青い瞳には、理知的な光が漂っていた。
どちらかと言えば頭脳派であり、武闘派の兄とは、そこでも役割分担している。
かと言って、軟弱なわけでもない。
ラズロにしても、戦闘寄りなだけで、けして馬鹿ではなかった。
でなければ、大公 世子など務まらない。
「はい。カリスティアン陛下は……あ、いえ……」
狼狽えた様子を見せるのは、隣に立っている元リザレダ王国ポルティニ領主だ。
今は爵位を捨て、名を「イルディ」と改めている。
民からの嘆願を受け、父ギゼルが命の保証をした男だった。
薄茶色の髪と目をした、いかにもな騎士の職業能力持ち。
「そんなに気を遣うことはないよ、イルディ。僕たちは、誰彼かまわず殺したりはしないし、情報統制しようとも思っちゃいないからね。長く慣れ親しんできた呼びかたを、いきなり変えるってのが無理な話さ」
「そう仰っていただけると、気が楽になります」
「僕たちは、きみらの支配者ではないってことだ」
他国の領土に踏み込んで、いくらかの貴族は殺している。
民を見捨てて逃げようとしたり、民にそっぽを向かれたりした貴族たちだ。
隣の国のティタリヒにおいては、国王を城門に吊るしてもいる。
それでいて「支配者ではない」と言っても、信用はされないだろう。
だが、事実、ファルセラスは、この2つの国を支配する気はない。
ファルセラスの史実を紐解けば、わかることだ。
今回は、父の言う通り、少し「手を貸している」に過ぎなかった。
ヴィエラキを侵略しようとしたティタリヒとリザレダを無罪放免にはできない。
だとしても、西帝国に蹂躙させるのもしのびない。
なにもせず、彼らがヴィエラキに帰還すれば、この2国は西帝国に従属しているラタレリークに占領される。
実質、西帝国の領土にされるのと変わりないのだ。
もとより西帝国皇帝ヴィジェーロ・ネルロイラトルの目的は、そこにあった。
「やあ、調子はどうかな、イルディ」
「これは、大公閣下!」
イルディが慌てた様子で 跪く。
頭も深々と下げていた。
そんなことをしなくてもいいのにと、内心、ピサロは思っている。
父は、立場や身分というものを、まるで重視していないのだ。
「そう形式ばった挨拶は抜きにしようじゃないか。ちょいと様子を見に来ただけのことさ。それと、きみに朗報を伝えたくてね」
父が気さくな口調で、イルディに声をかける。
肩に手を置き、立ち上がらせていた。
下僕ならともかく、イルディは爵位を捨て、最早、民なのだ。
見下ろして話すことに、居心地の悪さを感じたのだろう。
「きみの息子フィデルは生きている。今後もカリス、ああ、この国の元国王だが、カリスと命名されてね。そのカリスの元で働くことになったようだ」
「なんと……陛下……あ、いえ……カリス……様も生きておられたのですね」
「彼は、私の娘の下僕となったのだよ」
「げ、下僕にございますか……」
「落胆しないでくれたまえ。主人に仕えるという意味において、騎士も下僕もそう変わりやしないさ」
ピサロは父の言葉に、思わず吹き出す。
父は遊び心があり、気まぐれでもあった。
罠を張る時には遊び心で 細々としたことをするくせに、なにかを説明する時には気まぐれで大雑把。
「父上、それでは説明不足ですよ」
「おや、そうかい?」
「イルディが困惑しているではないですか」
ピサロは笑いながら、イルディに説明を加える。
「父上が仰ったのは、ヴィエラキでは似たようなものだって意味でね。奴隷にしたという意味ではないんだよ」
「当然だろう。ヴィエラキに奴隷なんていないじゃないか」
「残念ながら、他国には大勢います」
父が、ピサロに軽く肩をすくめてみせた。
知っていて、あえて東西の帝国を皮肉っているのだ。
「ともあれ、カリスは私の娘の下僕で、きみの息子は、カリスの眷属なのだから、暮らしに困ることはないよ」
「ああ、眷属っていうのは、配下みたいなものかな」
「さ、さようにございますか……それは、なによりでございます」
まだ多少の戸惑いは見受けられたが、イルディが安堵しているのもわかる。
家族である息子と、仕えてきた王族の後継者、その2人の生存を知って、ホッとしているに違いない。
「それで? 父上、外はどうだったのですか?」
父は罠を仕掛けに外に出ていた。
ティタリヒとリザレダの領地周りには、様々な罠が張り巡らされているはずだ。
「ラタレリークの偵察隊が来ていたがね。今頃は、居もしない猛獣の檻に閉じ込められたと思って、味方同士で殺し合いでもしているのじゃないかな」
そう言って、ピサロの父である、ヴィエラキ大公国大公ギゼル・ファルセラスは爽やかに笑った。
*****
同時刻
フィデルは落ち着かない気分で、ソファに座っていた。
リザレダの兵は大半が帰還を望み、残ったのは半数にも満たない3万人。
帰還の望みが叶えられたのか、彼らは放逐されている。
殺されなかったのが信じられないくらいに、あっけなかった。
残された者は、半月前から生活している施設にいる。
その中で、フィデルただ1人が呼ばれたのだ。
落ち着かない気持ちになるのは当然だった。
なぜ呼び出されたのか、理由も聞かされていないのだから恐ろしくもなる。
(陛下は、どのようにお過ごしだろうか……下僕にされたとの話だったが……)
膝の上に置いた手を、ぎゅっと握り締めた。
惨い扱いを受けているに違いない、と思う。
城外に待機していたフィデルは、なんの前触れもなく、目の前で、人間が肉塊になって飛び散るのを目撃していた。
あの凄惨さは忘れようとしても忘れられない。
目にも脳裏にも、くっきりと焼き付いている。
そのため城内に踏み込んだ国王が、どれほどの目に合わされているかを心配せずにはいられなかった。
手足を切り落とされてはいないか。
目を潰されているのではないか。
まともに、衣食も与えられていないのではないか。
フィデルたちは、気づくと施設の中にいた。
驚くべきことに、食事は日に3度も与えられている。
最初は、毒でも盛られているのではないかと勘繰りもしたが、空腹に耐えかねた兵が出された食事に手をつけて以降、その疑いは払拭された。
捕虜の扱いとしては、有り得ないほどの厚遇。
しかし、それは国王の犠牲による対価なのではないか。
国王を近くで見てきたフィデルには、そう思えてならない。
心苦しくはあったが、生き抜かなければ国王の実情もわからないままになる。
そう考え、施設での暮らしを続けてきたのだ。
「フィデル!!」
扉が開き、名を呼ばれた。
バッと立ち上がって駆け寄り、すぐさま 跪く。
見上げた先には、フィデルの知る緑色の瞳があった。
半月しか経っていないのに、懐かしさを覚え、目に涙がにじむ。
「陛下……っ……ご、ご無事で……っ……」
「お前も無事で、なによりであった」
国王がしゃがみこみ、フィデルの肩に手を置いていた。
その仕草に、胸がいっぱいになる。
国王カリスティアン・リザレダという人物は民や臣下を大事にし、自らを律することのできる優れた王だった。
「さあ、座って話をしよう、フィデル」
差し出された手を取り、フィデルは立ち上がる。
向き合ってソファに座ったところで、改めて、国王の姿を見てみた。
虐げられていたようには見えなかったが、外見だけでは判断できない。
服の下は痣だらけ、傷だらけかもしれないのだ。
「……陛下……こちらでは、どのように……あの……」
下僕になったと聞いた、とは口にできず、言葉を濁す。
待遇の心配をしているのだが、屈辱的なことであるのは間違いない。
国王との立場から下僕に身を落とすだなんて。
「お前の言いたいことはわかる。俺は、大公女の下僕になったのだ」
「し、しかし、それは我らのためだったのでしょう?!」
カリスティアンという王は、自らの命の嘆願などしない。
むしろ、己の首ひとつでおさめられるのなら、と考えるような人物だ。
その王が、下僕になる選択をした理由は、ひとつしかなかった。
自分たちを救うためだ。
「フィデル、恩に着せるつもりはないのだがな。事実として言う。お前も、あれを見たはずだ。そうしなければ……皆殺しにされていたと、わかるだろ?」
ゾワッと背筋が凍る。
肉片になって飛び散った仲間たち。
少しの間のあと、その者たちは蘇ったが、その少しの間に国王が「契約」をしたのだと理解した。
「……へ、陛下……陛下だけに、そのような……私は……私は……」
自らの主に屈辱的な思いをさせるくらいなら、殺されたほうがマシだ。
いっそ国王とともに討ち死にしたかった。
思う、フィデルに、国王が苦笑いをもらす。
「フィデル、生きていてこそできることもある。まだ国のほうが、どうなったかもわからない。それに、まぁ……下僕といっても……奴隷でないのは確かだ」
「奴隷ではない、のですか?」
「まったく異なる類の立場だ。俺も困惑することは多いが、虐待はされていない。なんというか……ここの連中は変わっているのさ」
変わっている、というところには、うなずけるものがあった。
白い髪の男女は、いつも忙しなく施設を「片付け」ている。
食事を運んだり、引いたりする。
が、ほとんど口をきかない。
「あの、陛下……」
「俺は、最早、国王ではないのだ。ここでの名はカリス。そのように呼べ」
「かしこまりました……それでは、カリス様、けんぞく、とは、なんなのですか? 白い髪の者に陛……カリス様のことを訊いても、まだ我らは、けんぞくとして承認されていないので答えられないと言われ……」
問いを口にしつつ、フィデルは実感していた。
カリスティアン・リザレダは、もういないのだ。
ここにいるのは「カリス」であり、それは国が滅んだということと同義だった。
「お前も、そのうち理解するだろうが、簡単に言えば、俺の配下だという意味だ」
「え……? だとすると、これまでと同じでは……」
カリスとなった国王が、両手を軽く広げ、肩をすくめる。
「そうだ。ここに残った3万の兵は、今まで通り俺の配下として働くことになる」




