眷属の待遇
「と、いうように、やっとカリスも立ち直れた様子にございました」
モルデカイの報告に、リーシアは口元をほころばせる。
3万ものモブ兵を気にかける必要がなくなったからだ。
もとより眷属は、彼女自身が扱う物でも、彼女の持ち物でもない。
そのため、眷属をどうするかは、リーシアの考えることではなかった。
リーシアの持ち物なのは、あくまでも下僕だけだ。
眷属の管理は、その持ち主である下僕がする。
そう決まっている。
「そう言えば、カリスのほかに名付きが1人いたけれど、残っている?」
「フィデルにございます、シア様。その者は、かなりカリスに忠誠心が厚いと言えるでしょう」
「あら。それは良かったわね。名付きにまで見捨てられていたら、カリスは長く立ち直れなかったと思うわ」
夕食後、カリスは早々に私室に引き上げていたが、リーシアは居館の中にある、小ホールでくつろいでいた。
壁にはレリーフが刻まれ、天井にはファルセラスの紋章が描かれている。
4人で座っても、あまりあるほど大きなカウチはやわらかく、リーシアをつつみこむように、その体を受け止めていた。
「名付きにまで見捨てられちゃ散々でしょ? 泣いてたんじゃねーすかね?」
「そうよねえ。みんなも知っていると思うけれど、彼、意外と繊細だもの」
モルデカイのほかに、ロキとヘラもカウチの 傍に 跪いて控えている。
お互いに顔を見合わせ、うなずいていた。
リーシアは、目に涙を浮かべていたカリスを思い出しつつ、デザートをひと口。
濃厚な卵、ふんわりとした香りのバターを感じ、民に感謝する。
(ピートのニワトリと、マロリーの牛のおかげね)
ピートとマロリーは、ともに農場で働いていた。
そこでとれた卵や牛乳から、このケーキはできている。
夕食後のデザートは、リーシアの「楽しみ」のひとつだ。
彼女は遅寝、遅起きを信条としている。
夕食後に何時間も起きているため、こうして夜にデザートを食べていた。
そのたびに、民に感謝する。
きちんと支払いはしているが、当然に受け止めたことはない。
リーシアにとって、民は、いつだって「楽しみ」を与えてくれる存在なのだ。
「そんじゃ、そろそろ城内に入れてやんのか?」
ロキの声に、ハッとなる。
また、すっかりカリスのことを忘れていた。
カリスも、カリスの眷属も、たいして興味がないのでしかたがない。
だからこそ、モルデカイに丸投げしているとも言える。
存在すら忘れていて、うっかり餓死させた、なんてことにならないように。
「眷属たちは、街と丘陵地帯の間に住まわせることにしたよ」
「草抜きくらいは、自分たちでするようになればいいけれど」
「カリスが責任を持って面倒をみると言っていたからね。そのくらいはさせるさ」
「そのくらいしかすることねーじゃん」
「それはそうだが、なにもないよりはいいだろう?」
ロキが、ははっと笑う。
城外のことなので、ヘラは城内のことほど関心は寄せていないようだ。
モルデカイの言う街と丘陵地帯の間は平野部ではあるが、これという資源もない草地だったため「片付ける」ものもない。
「それはそうと、家はどんくらいになりそうなんだ? あの辺りは、海風も入って来るし、定期的に殺菌しねーと病になるヤツが出るぞ?」
「そう言えば、そうよね。衣服や食器、家具にも影響があるかもしれないわよ?」
ヴィエラキは、南に丘陵地帯、東には海に通じる湾がある。
丘陵地帯の奥には鉱山があり、資源にはことかかない。
国自体が南の端にあるため、逆に北側には国内から続く肥沃な平野部が広がっている。
もっとも、自然を操る能力持ちのファルセラス4人がいれば、大寒波や大水に 旱魃など、どうにでもなるのだけれども。
むしろ、些細な「海風」や「小虫」の発生のほうが生活に影響をもたらす。
それらによって被害が出たり、病が発症したりすることも少なからずあるのだ。
たとえば海風の塩気に鉄が錆びて荷馬車が壊れたり、おかしな虫が風に運ばれてきて、病の原因になったり。
「私は、5人に1軒くらいで考えていたのだが、どうやら、それではカリスが納得しなさそうでね。前に、城外で5百人に1軒だと言ったら、不満そうにしていた」
ヘラやロキは、自ら眷属を作る。
そのため、眷属に生活の必要はない。
必要な時に出し入れできるからだ。
対して、カリスの眷属には生活の必要がある。
「5人に1軒は狭過ぎるんじゃないかしら? 共同で使うこと自体、気を遣うし、病にかかったら、あっという間に広がってしまうでしょう?」
リーシアが言うと、モルデカイが納得したのか、すぐにうなずいた。
正直、モブ兵が病で死のうが、どうでもいい。
民に広がる前に手を打てばすむ。
彼女が守るべきは、ヴィエラキの民だけなのだ。
だが、カリスが不満だというのなら、満足のいく「支度」をすべきだろう。
剣のある目つきで見られると、どうにも居心地が悪くなる。
カリスはリーシアの持ち物なので、不満を持たせたくはなかった。
管理不足を、父に問われるかもしれないし。
カリスの不愛想に、ますます拍車がかかるかもしれないし。
これ以上、可愛げがなくなったら、本気で山奥に捨てることを考えなければならなくなるし。
「かしこまりました、シア様。1人1軒、物置小屋もつけておきましょう」
「大変ではない? あなたに無理はさせたくないわ、モルデカイ」
「少しも大変ではございません。2階建ての家を3万造るほうが、5百人収容できる施設を2百造るよりも容易いことにございます」
「そうなの。あなたが言うのなら、きっと大丈夫ね」
モルデカイがティーポットを片手にしながらも、反対側の手を胸にあて、器用に恭しく頭を下げた。
自信がある、という意思表示だ。
それなら、モルデカイに任せてしまおう、と、やはり丸投げにする。
「家と物置の掃除と殺菌は、オレ担当だな」
「では、私は室内品と食材などを担当するわね」
ヘラとロキの2人も、簡単そうに言った。
実際、簡単なことなのだろう。
ピサロの下僕の建築屋や、ラズロの下僕の運び屋の手を煩わせるまでもない、と考えているに違いない。
そもそもカリスは、リーシアの下僕だ。
同じ主を持つ自分たちが支援すべき、と思っているようだ。
たった4人しかいない下僕。
カリスは、その中で最も新参。
なににしろ手助けを必要としている。
が、リーシアは面倒くさがりなので、とても面倒は見切れない。
「あなたたちって、本当に素晴らしいわ。いつも私のことを気遣ってくれていて」
3人が嬉しそうに、にっこりする。
リーシアは、3人が、彼女に「面倒」をかけないように動いてくれているのだと知っていた。
とくにモルデカイは。
「明日中には準備が整いますので、ご安心ください、シア様」
「そうね。お父様たちが、いつ帰還されるかはわからないけれど、城外をあのままにはしておけないわ。散らかっているって、お小言をもらうのは嫌だもの」
「移動も短期間で終わりますから、すぐにさっぱりするでしょう」
移動後の眷属たちは、カリスが面倒を見る。
これで、こちら側の「戦後処理」は終わりだ。
リーシアは、頭の中が少し「さっぱり」したのを感じる。
これからの毎日は、以前と同じく、平穏でのんびりしたものになるだろう。
あとは、父や兄たちの帰還を待っていればいい。
3人が帰ってくれば、外交もせずにすむ。
リーシアは、外の者と関わるのが嫌いなのだ。
わけのわからないことをする者が多過ぎる。
ファルセラスは、侵略目的で他国に攻め込んだことはない。
とはいえ、不愉快な者たちに優しくする気もない。
リーシアは大公女ではあるが、身分に重きをおいていなかった。
ヴィエラキにいるのは、ファルセラスと民だけなのだ。
貴族はいないし、彼女は民よりも自分のほうが立場が上だと感じたこともない。
なので、貴族だの王族だのと言われても、ピンとこなかった。
不愉快な者は不愉快。
それしか感じられずにいる。
自分自身のことをあれこれ言われるのは、まだしも我慢ができた。
我慢がならないのは、国や民を侮辱されたり、傷つけられたりすることだ。
そして、自分の領域に手を出されること。
初代ヴィエラキ大公が、丹精込めて造った城への落書きや、下僕をないがしろにするような態度。
それらは、リーシアの領域に土足で踏み込んでいるのと等しい。
ヴィエラキを侮る行為であり、脅威となる第一歩。
相手の国を侵略する気など毛頭ないが、牽制のための制裁を加えることはある。
彼女にとっては、自分の領域を守るための、当然の行為だ。
ピートのニワトリに手をつつかれても笑っていられるが、東帝国の第1皇女に、カリスが殴られたことには笑っていられなかった。
カリスに止められていなければ、東帝国を消し飛ばしていたに違いない。
それが、リーシアの不愉快な者に対する制裁の「程度」なのだ。
父や兄たちに「やり過ぎ」と言われる「程度」ではあるのだけれども。
(でも、これで東帝国に出向くこともないでしょうし、当面、お父様からお小言をもらう心配をしなくてすみそうだわ)
リーシアには、父の小言が、なによりつらい。
父は、厳しく叱責するわけでも手を上げるわけでもなく、のんびりとした口調で 諭してくる。
それが、胸にグサッとくるのだ。
謝っても罪が残る気がして、悲しくなる。
そのせいで、いつも3日3晩、泣き通しに泣く。
誰かしらが 宥めに来てくれるのだが、心が晴れることはなかった。
なので、平穏な毎日を、ありがたいと思う。
「あ、そうだわ。お父様に連絡を入れて、街に出てもいいか聞いてみるわね」
こちらの収拾は終わったのだ。
侵略軍が来るまで5日も城で待っていて、あげく、東帝国に出向くことになり、半月以上も街に出ていない。
いつもは、もっと頻繁に街に出ているので、そろそろ民に会いたくなっていた。
彼女が望めば、ファルセラスの3人と下僕にはいつでも連絡が取れる。
早速に、許しをもらうため、父に連絡をした。
「あ、お父様。こちらは、あらかた片がついたの。だから、街に出ても……え?」
リーシアのはしゃいだ声が、途中で止まる。
みるみる声のトーンが下がっていった。
「ええ……そうね……お父様の仰る通りよ……はい……ええ……もちろん……」
連絡をせず、街に出てしまえば良かった、と思う。
が、もうそういうわけにはいかない。
父と「約束」をしてしまった。
「どうかなさいましたか、シア様」
モルデカイに、リーシアは「がっかり」を隠そうともせずに、言う。
「カリスを供連れすることになったの……私の下僕として、街を知っておく必要があるから……」
瞬間、ヘラとロキは姿を消す。
取り残されたモルデカイが、リーシアを慰めてくれる、一応。
「それは……とんだことにございますね……」




