吹けば飛ぶ命
カリスは混乱している。
いや、かなり混乱している。
(なぜ、ここの連中は、俺を同情的な目で見る……??)
ある意味では。
同情的な目で見られてもおかしくはない。
侵略目的で来た国に、これ以上ないというほど、あっさり敗北を喫した。
その上、国王の身分を剥奪され、下僕に転落。
完全に屈服させられた者を憐れだと思うのは「普通」の感情と言える。
が、しかし。
彼らも、彼らの主も、そういう意味での同情は、まったくしていない。
ほんのわずかな憐憫の情すらない。
確信している。
全員、自分の境遇に同情なんてしていない。
にもかかわらず、同情的な視線をおくってくる。
理由は「眷属の裏切り」にあるようだ。
カリスは、ヴィエラキ侵略の際、十万の兵を率いてきた。
リーシアにより、たちどころに数万もの兵が殺されている。
が、同じリーシアの力により、ほとんど全員が蘇生されてもいた。
蘇生されなかったのは、城内に踏み込んだ千人のみ。
千人と聞けば大層に感じるかもしれない。
だが、総勢からすれば、わずか1%。
だから無視していいとはならないまでも、戦争における死者数としては少ないと言えた。
そして、生き還った城外の兵たちは食と住を与えられている。
飢えることも寒さに震えることもなく、毎日を過ごしているはずだ。
とはいえ、そのうちの7万人が帰還したがったという。
カリスが治めていた、今はなくなっているだろう、リザレダ王国に。
(彼らには国に残して来た家族がいる……帰還したがるのも当然だ……)
戦争にはケリがついている。
自国がどういう状況かもわからず、家族の安否も不明。
王であるカリスは膝を屈し、大公女リーシア・ファルセラスの下僕となった。
つまり、今のカリスに仕えている意味はないのだ。
家族を優先させるのは、けして「裏切り」ではない。
カリスには帰還したがった兵たちの気持ちが、非常によくわかる。
むしろ、それを「裏切り」とする理屈のほうが理解できずにいた。
ゆえに、そのことで自分が同情される意味もわからない。
カリスにとっては、裏切りでもなんでもないからだ。
もちろん残った3万人の兵たちと関わりを持てるのは願うところではある。
だが、的外れに情をかけられるのは不本意だった。
(それで、彼らを俺の管理下に置き、安全を担保できるなら、納得すべきではあるのだろうがな……どうにも釈然としない……)
同情するとしても、もっと別の理由があるだろう。
そう言いたくなる。
リーシアも含め、ファルセラスの者はカリスの思考のおよばないところにいた。
彼らの考えかたや動きに、カリスはついていけないのだ。
カリスの培ってきた知識や理屈が、まるで通用しない。
「おや、まだ思い悩んでいるのかね?」
ここはカリスの寝室。
夕食後、早々に引き上げてきた。
なにをしているということもないのに、彼らといると、くたびれる。
それに、モルデカイが来ることは予想していた。
「俺の……眷属の管理について……考えていた」
大きな広い部屋の真ん中にある大きなベッド。
そこにカリスは寝転んでいたのだが、体を起こし、イス代わりに腰掛ける。
その前にモルデカイが立っていた。
どういう理由かは知らないが、モルデカイの立っていない姿は見たことがない。
いつも立っている。
執事風の服装にそぐわない細いリボンタイ。
これも、いつも通り緩く結ばれ、左右の輪の調和がとれていなかった。
半月も経つと、見慣れて気にならなくなっている。
「きみの眷属が減ったのは悪いことではないさ。戦時に十万程度の兵を率いるのはともかく、今後は年単位で管理しなければならない。そう考えると、大変だろう? むしろ、減ったことで、きみの負担は軽減されるのだからね」
まただ。
また、ズレた同情をされている。
感じてはいたが、もうそこにはふれないことにした。
自分が「傷ついている」ほうが、彼らにとっては納得し易いのだ。
カリスも、自らの常識や感情を、モルデカイが理解できるとは思えずにいた。
ファルセラスは、外とは違う価値観の中にある。
勉強途中ではあるが、カリスもヴィエラキやファルセラスについて学んでいた。
国も、民も、ほかの国とは違う。
それは比較のしようもないくらいだ。
ヴィエラキだけが特殊なのだが、ここにいる以上、言っても無駄。
「これを渡しておこう」
モルデカイが、カリスに分厚い書類を渡して来た。
サッと目を走らせただけで理解する。
カリスの「眷属」と認められた者たちの一覧だ。
「フィデル! 生きていてくれたのだな……フィデル……」
名簿の最初にあった名に、カリスは胸が熱くなる。
自分が下僕の身になったと知っても、フィデルは残ってくれたのだ。
そのことに感動していた。
(イルディナートは領主だ……殺されているかもしれないというのに……)
フィデルの父、イルディナート。
イルディナートはリザレダが国として存在していた時、ポルティニという地方の領主を務めていた。
リーシアの父であるヴィエラキ大公が、領主たちの処遇をどうしたのか、カリスは知らされていない。
だが、侵略国の領主なのだから殺されていてもおかしくはなかった。
「もう1人の名付きだな。きみの側近かい?」
「ああ……フィデルは、俺の最も信頼する部下だ」
「彼は、きみに対する忠誠心が、とても強いようだね。でなければ、そんな効率の悪い職業を選ぶ理由がない」
カリスもそうだが、素質のある者は職業能力というものを身に着けられる。
たとえば、カリスはソードマスターとシューターという職業能力を持っていた。
東帝国からの帰り、リーシアに教えられたのだが、これらはレベル2だという。
下位職である、黒騎士と聖騎士の能力を極めたので、上位職のソードマスターを身に着けられたのだと聞かされた。
「しかし、フィデルは下位職ながら、3つの職業能力を持っているのだぞ?」
「それが、効率が悪いと言っているのさ」
「どういうことだ?」
職業能力にレベルがあることさえ、カリスは知らずにいた。
リーシアは当たり前のように話していたが、そんな話は聞いたことがない。
おそらくヴィエラキ以外で、知っている国はないだろう。
「そこに書かれているが、フィデルは黒騎士、盗賊、赤魔法使の職業能力を持っているね? だが、それではレベル2の上位職は身に着けられないのだよ」
「黒騎士は、聖騎士との組み合わせになっているからか?」
「その通り。同じように盗賊は殺し屋、赤魔法使は青魔法使と対になっている」
「片方の職業能力だけを極めても上位職にはなれない、ということだな」
モルデカイが、軽く肩をすくめた。
そして「なぜか」やけに片眼鏡の奥の瞳を「優しく」細めている。
「フィデルは、きみを支援するために、あえて中途半端な職業能力を選んだのではないかな。黒騎士は、きみも知っての通り、前衛で戦う能力、盗賊は情報収集能力、赤魔法使は敵の能力値を下げる能力を持つ。どれも、きみの援護をするための力だとは思わないか? 自らの身を守るため、というよりは」
「確かに……そうだな……」
「せっかく3つの職を身に着けられるほどの才能がありながら、種類の似通った職業に特化しなかったのは、きみへの忠誠心が強かったからだ。フィデル自身には、さしたる恩恵はないのだからね」
モルデカイの言葉に、なおさら胸を打たれた。
若い側近を置くことに周囲から反対されたが、押し切って良かったと思える。
職業も然り、この3万人の中に残ってくれたことも然り。
「フィデルを……私の眷属のまとめ役……指揮官にしてもいいだろうか?」
「きみの眷属だ。好きにすればいいじゃないか」
「あ……まぁ、それは、そうか……」
「そうとも。私たちは、あくまでも当面の衣食住の協力をするだけで、使いかたも含めて、どうするかは、きみの考えるべきことだ」
「ならば、彼らの管理は、責任を持って俺がする」
「わかってくれたようで、ありがたいね。まぁ、フィデル以外はモブ兵なのだし、そう気負うことはないさ。うっかり死なせても責任を問われることはないだろう」
カリスの思考が、ぴたっと止まる。
手にした書類の束を見た。
そこには、びっしりと名が連なっている。
モブというのは、ファルセラスだけが使う用語らしい。
その他大勢とか、どうでもいい者とか「名無し」という意味だそうだ。
「モブ兵とは、どういう意味だ? ここに名が書いてあると思うが……」
「それは、私たちには意味のない名だ」
「意味がない?」
3万人分の「名簿」があるにもかかわらず、モルデカイはフィデル以外を名無しと 見做している。
それが、やはりカリスには理解できない。
「たとえば、川岸には小石がたくさんあるが、それに誰かが名を書いたとしても、石は石だ。そういう名に、きみは、いちいち意味づけをするかい?」
「……いや……おそらく……しないな」
カリスは、少し考えたのち、そう答えた。
名が書かれていても、石は石に過ぎないのだ。
誰が書いたかもわからない名で呼びはしない。
「では、名付き、というのは?」
「石の中にも、宝石という名の石がある。その違いはなにかね?」
「宝石には……別につけられた名が、ある」
「そうだね。宝石が宝石であるのは間違いないところだが、逆に宝石という総称で呼ぶより、エメラルドとかアメジストといった、固有の名で呼ばれることのほうが多いのではないかな。名付きというのは、そういうことだ」
ざっくりと、ではあるが、モブと名付きの違いを少しだけ理解する。
同時に、そこまで「どうでもいい」と思われていることに戦慄した。
道理で、リーシアが平然と数万もの兵を虐殺したわけだ、と思う。
邪魔な石ころを蹴飛ばした、くらいの意識だったに違いない。
(フィデルはともかく……迂闊なことをすれば、ほかの者たちは……)
簡単に殺されてしまう。
それが、よくわかった。
とはいえ、彼らはカリスの眷属なのだ。
これまでの話からすれば、ある程度、命の保証はされていると思っていい。
(すべては俺次第……俺が彼女の下僕でいる限り、彼らを守ることができるのだ)
確信は持てなかったが、そこに 縋るしかなかった。
自分たちの命は、常にリーシアの手の中にある。




