眷属の管理
「本当に、いけ好かない連中だったわ」
彼女は昼食後のお茶をしながら、2日前のことを思い出して言う。
ほっそりとした色白の指で、ティーカップのハンドルをつまんでいた。
白い丸テーブルとイスはセットで、彼女のお気に入り。
たいていは食事もティータイムも、これを使う。
長い銀色の髪が、イスの座面より下に流れ落ちていた。
出かける時には結んだり、結い上げたりするが、それは必要に応じてのことだ。
彼女は自分の外見にも服装にも、さしたるこだわりがない。
華美なものより素朴なものを好んでいるという程度だった。
ひらひらのドレスより、今、着ているシンプルなベージュのワンピースドレスのほうがいい、といった具合。
その「ひらひらのドレス」より、実は何倍も高価なのだが、本人は知らない。
服自体の見た目はどうあれ「質の悪い」物を身に着けたことがないので、気づかないのだ。
「それは、とんだことでございましたね」
ティーポット片手に、彼女の隣に立つ片眼鏡をつけた執事風の男性が、耳障りのいい涼やかな声で答える。
彼女の下僕の1人、モルデカイだ。
テーブル脇に 跪き、控えている男女も、うなずいていた。
銀色の髪を指で捻じりつつ、彼女は、暗く赤い色をした瞳を少しだけ細める。
「ええ、まったくよ、モルデカイ」
モルデカイは、彼女の最も信頼している下僕だ。
面倒くさがりな彼女の代わりに、ほとんど「なんでも」やってくれる。
下僕ではあるものの、むしろ、モルデカイに「どうしたらいい?」と訊くことのほうが多かった。
「オレは、東が消し飛んでても、驚きゃしなかったすよ」
笑いを含んだ声で言ったのは、ふわふわとした若葉色の髪を持つロキだ。
そばかすのある顔と、悪戯っぽさの隠しきれない口調に愛嬌がある。
ロキは掃除屋で、あらゆるものを綺麗にしていた。
たとえば、飛び散った肉片だとか地面の血溜まりだとか。
「お気持ち、お察しいたします。私も、東の者たちに迷惑をかけられましたから」
声に怒りを滲ませているのは、片付屋のヘラ。
ヘラは黒い髪の上に黒のヘッドドレスをつけ、ロング丈の黒いメイド服を着ている。
両手で白いエプロンを握りしめていた。
成人の祝儀でのことを思い出しているに違いない。
あの時は、散々だったと、彼女も思う。
外から人を招くのも、外に出て行くのも嫌いだ。
外の者たちは、彼女の理屈に合わないことばかりする。
城内の管理をしているヘラも、祝儀の出席者に手を焼かされていた。
許可さえあれば、きっと彼らを「片付けて」いただろう。
(私ならヘラの好きなようにさせてあげたでしょうけど……)
兄たちに止められたはずだし、なにより父が許さなかったはずだ。
彼女は、父から「小言」をもらいたくなかったので、ものすごく我慢した。
ともすれば、ヘラより先に、彼女が「ジャッジ」しそうだった。
なので、ヘラの気持ちが、本当に、よくわかる。
彼女の下僕は、3人とも彼女と同じ暗い 赤瞳。
彼女にだけ従う下僕だからだ。
とはいえ、彼女は面倒くさがりなので、いちいち命令したりはしない。
3人は、それぞれの判断で動いている。
ロキとヘラは、立場的に上位であるモルデカイに指示を受けることもあった。
が、従属してはいない。
単に、そうすべきと思うから、従っているだけのようだ。
3人は手がかからなくて、とても助かる。
「私は、東帝国がヴィエラキに宣戦布告をするつもりかと思ったわ」
現在、大陸には2つの勢力があった。
東帝国エンディルノと西帝国バルドゥーリャ。
そのどちらにも属さない国、それがヴィエラキ大公国だ。
人口約20万人、総面積4万平方キロメートルの小さな国で、彼女は生を受けている。
大公女リーシア・ファルセラス。
今年22歳になった、れっきとした大人の女性。
だが、リーシアは外交を好まず、他国との関りは、ほとんど無い。
そして、ヴィエラキ以外に興味もなかった。
そのため、心の奥に、まだ幼さを残している。
「ねえ、カリス?」
リーシアは、向かい側に座るカリスに声をかけた。
相変わらず、不機嫌そうな顔つきをしている。
しかたがない。
カリスは不愛想な性格なのだ。
「ああいう手合いの女性は、さほどめずらしくありませんが……無礼であったのは確かです」
赤褐色の短い髪が、ゆるい秋風に揺れている。
深い緑の瞳に、憂鬱げな雰囲気が漂っていた。
座っていてもわかる高い身長に、かっちりとした体躯。
いかにも「騎士」といったふうだ。
実際、カリスは騎士だった。
というより、騎士の職業能力を身に着けた「国王」だったのだ。
少し前、ヴィエラキの侵略を試み、リーシアに 退けられている。
その際、罪を 購うために下僕になってはどうかと、リーシアは提案した。
本気ではない。
拒絶前提の提案だったのに、あろうことか、カリスは承諾してしまったのだ。
そのせいで可愛くともなんともない、いや、むしろ可愛げの欠片もないカリスを下僕にしなければならなくなった。
常々、自分のものには責任を持つように、と父に言われている。
なので、可愛くないからといって、カリスを山奥に捨てることもできない。
リーシアにとっては本当に、いたしかたなく、でしかなかった。
それでも、前回は役に立ってくれたのだ。
完全に「いらない」とまでは言えないかもしれないと、ちょっぴりだが、考えを改めている。
カリスも「役に立ってみせる」と意気込んでいたし。
「ともあれ、カリスが、シア様のお役に立てたことは喜ばしいことです」
「本当に、そうね」
モルデカイの言葉に、リーシアはうなずく。
なぜかカリスが、居心地が悪そうに体を動かした。
お気に入りのテーブルセットだが、カリスには小さ過ぎたのかもしれない。
昼食 時、少し遅れてカリスが現れた。
そして、4人を見て、どうすればいいのかわからないという顔をしたのだ。
だが、その理由が、彼女にはわからなかった。
リーシアは、カリス以外の3人に、ああしろこうしろと言ったことがない。
モルデカイが立っているのも、ヘラとロキが跪いているのも、各々の好きにしている結果に過ぎないのだ。
なので、カリスの戸惑う理由を、こう解釈した。
『イスがなくて困っている』
カリスは元国王であり、王族という「称号」持ちだ。
食事はイスに座ってするものと思っているに違いない。
そのイスがないで戸惑っているのだろうと、そう考えた。
だから、イスを出してあげたのだ。
リーシアにすれば、自分の「お道具箱」から物を取り出すほうが容易い。
カリスに「命令する」なんて発想には至らなかった。
なにしろ、彼女は今まで下僕に命令らしい命令をしてこなかったので。
「ところで……シア様……俺の兵……いえ、眷属は、どうなったのでしょう?」
「眷属3万は城外にいるよ。あとの7万は、今朝、砂漠に放逐したがね」
モルデカイが代わりに返答をしてくれて、ホッとする。
3日ほど前、父の代理として東帝国エンディルノに出向いた。
リーシアの思う「いけ好かない連中」の祝儀のためだ。
その帰りの馬車で、カリスと取り決めたことを、モルデカイに話している。
そのあと、どうなったのかは知らない。
モルデカイに丸投げ状態。
いつものことなので、気にしていなかった。
当然だが、訊かれても、リーシアの中に答えはない。
どうでもいいモブ兵のことなど完璧に忘れきっていた。
「……俺が、残された者たちに会う機会はありますか?」
「なにを言うの、カリス!」
リーシアは、思わず腰を浮かせそうになる。
カリスが、ハッとしたように頭を下げた。
「申し訳ありません……出過ぎたことを……」
「そうよ、カリス。あなた、そういうことを言うべきではなかったわ」
カリスの気落ちした姿に、少しだけ落ち着く。
納得した様子が感じられたので、安心したのだ。
「お前さぁ、シア様に、よけいな面倒かけんなよなー」
「ロキの言う通りだわ。あれは、あなたの眷属でしょうに」
「まったくだね。きみが管理すべきだよ、カリス」
「…………え……?」
うなだれていたカリスが顔を上げる。
ロキが立ち上がり、カリスの肩に肘を乗せ、体をかがませて言った。
「そりゃあ、お前の気持ちはわかるぜ? 7万もの奴らが、お前を見捨てて、国に帰ろうってんだからな。傷つきもするさ。けど、会う気になれなくたって、残ったヤツらは、お前の眷属なんだぞ。しかも、オレたちの眷属と違って世話しなけりゃ死ぬんだ。それをシア様にさせるってのは、いくら傷ついてても感心しないぜ?」
まさに。
リーシアが飛び上がりそうになったのは、そのことだ。
まさか3万もの眷属の世話を自分にさせようと言うのか。
そんな面倒なことが、できるはずがない。
カリスの管理だってモルデカイたちに任せているようなものなのに。
うっかりすると、カリスのことを忘れてしまうというのに。
「確かに、あなたが傷ついてもしかたがない状況だわね」
ヘラも立ち上がり、ロキとは反対側のカリスの肩に手を乗せる。
めずらしく非常に同情的な目つきをしていた。
ロキやヘラは眷属を自作しているため、裏切られるということがない。
眷属となるべき存在に裏切られたカリスの気持ちを慮っているのだろう。
「だけど、眷属は自分で管理をしなければね。もっとも、あなた自身、まだ不慣れでしょうし、私たちに協力できることはしてあげるから安心なさい」
モルデカイが、とぽとぽとカリスのティーカップに紅茶をそそぐ。
そして、落ち着いた口ぶりで言った。
「あとで、彼らの管理方法について話し合おうじゃないか。差しあたり、衣食住の世話は私たちがするさ。だが、きみの眷属であり、管理責任者はきみだというのを忘れないように」
「……あ、ああ……わかった……」
カリスがうなずくのを見て、心底、安堵する。
3万もの眷属の面倒をみるなんて、絶対に無理だし、したくなかったからだ。




