緑の瞳を持つ下僕
皇帝が取り縋って来るのをカリスが制し、リーシアは皇宮を出ていた。
カリスの腕に手をちょこんと乗せ、馬車溜まりまでの道を歩いている。
来た時には騒がしかった貴族たちは、2人を見ても黙りこくっていた。
「あなた、皇帝に対しては厳しかったけれど、殴れられたのが頭にきていたの?」
皇女には殴られても礼儀正しく振る舞っていたのに、皇帝には、ぞんざいな口をきいていたのだ。
それを、リーシアは少し不思議に思っている。
「話のわからない者は、あとでなにを言い出すかわかりません。こちらに非があるなどと申し立てられては面倒だと思いました。ですから、皇女には礼儀正しく振る舞ったに過ぎません」
「そういうものなのね。それなら、皇帝は話のわかる人、ということ?」
「少なくとも、ヴィエラキ大公国を見くび……疎かにしていい国ではないと思っていたようです。本当に、なにか手違いだったのでしょう。東皇帝も、あんな事態になるとは予想もしていなかったと感じました」
意図的に嫌がらせをしたのではない、ということらしい。
だとしても、皇女はカリスを殴った上に、リーシアから奪うと言ったのだ。
当然ながら、自分の物を奪われたことなんて、リーシアにはない。
それは、彼女にとって「宣戦布告」に等しい発言だった。
「良いではないですか。皇女は無礼でしたが、おかげで早く帰れます」
カリスに言われ、そう思うことにする。
思い出すと、この辺一帯を「うっかり」消し飛ばしてしまいかねない。
十万のモブ兵でさえ、皆殺しはやり過ぎだと父は言ったはずだ。
東帝国を消し飛ばしたら、間違いなく小言をもらう。
「お疲れさまにございました、シア様」
「あまり待たせずにすんで良かったわ、シャルマ」
シャルマの開いてくれた扉から馬車に乗り込んだ。
行きと同じく、カリスと向かい合って座る。
カリスの頬は、まだ赤かった。
気づいて、リーシアは即座に治癒をする。
「どう? 痛みは引いたかしら?」
「治癒してくださったのですね。あの程度、明日には治っていましたよ」
「だって、私が嫌だったのだもの」
カリスが少し驚いた顔をしていた。
なにを驚いているのか、リーシアにはわからない。
カリスはモルデカイたちとは反応が違うので、わからないことが多いのだ。
(カリスの頬を見ていると、皇女を思い出して、皇女を思い出すと……)
うっかりやらかしてしまうかもしれない、と思う。
なので、そうならないために治癒した。
思い出さなければ、やらかして小言をもらうこともないだろうと。
「お訊きしてもいいでしょうか?」
「なに?」
「シア様は……どのような職業能力を持っておられるのかと……」
カリスは訊いていいことなのか迷っているらしく、言葉尻を濁している。
が、リーシアにとって隠すほどのことでもなかった。
リーシアの下僕である他の3人は知っているのだ。
カリスだけ知らないのは不公平かもしれない。
「カリスは、ソードマスターとシューターの職業能力を持っているそうね」
モルデカイから、そう聞いている。
加えて、職業能力とは別の「称号」持ちだった。
「それがレベル2の職業だってことは知っている?」
「いえ……知りませんでした。レベル2ですか? では、下位職の黒騎士、聖騎士などがレベル1という?」
「そうよ。その2つの職業を極めたから、あなたは上位職のソードマスターを身につけられたの」
レベル1の下位職は全部で16種類。
特定の2つの職を極めると職業レベルが上がるのだ。
たとえばカリスの言った「黒騎士」と「聖騎士」を極めればソードマスター、「弓使い」と「猟師」を極めるとシューターというレベル2の上位職になれる。
そういう仕組みになっていることは、リーシアも知っていた。
けれど、ファルセラスは職を「極める」ために習熟する必要がない。
上位の職業を身に着けて生まれてくるからだ。
「レベルは……いくつまであるのでしょう?」
「6よ」
「6……っ……?! では、俺は……」
「普通はレベル1なのだから、大したものじゃない。しかもレベル2の職を2つも持っているなんて、あなたが相当に努力したのはわかっているわ」
モブは職業を持っていない者が多い。
なので、カリスの連れて来たウィザードに対して「モブのくせに」とリーシアは思ったものだ。
普通は、ひとつの職業を極めるのにも苦労する、らしい。
リーシアに実感はないが、父が、そう語っていた。
「それに、レベル5と6の職を持っているのは私だけなの」
「え……? しかし、大公閣下は……」
「レベル4までよ。兄様たちもね。レベル5と6は初代様のお力らしいわ」
それでも、レベル4の職業を身に着けた者がいるという話は聞いたことがない。
レベル2はともかく、それ以上になると、さらに大変、らしいのだ。
なにが大変なのかは知らなかったけれども。
「では……では……あの時に使われた力は……」
「ああ、ウィックドリッパーのことね。あれはレベル4よ」
「……レベル4……あれの、まだ上が……」
「そう言えば、あなたの眷属を蘇生したけれど、あれが、レベル5のリザレクターという職業なの。眠らせたのが、レベル4のバードプロフェッサー。まぁ、これはあまり使うことはないけれど。だって、眠りこませるなんて普通は邪魔になるだけだもの。あ、でもね、バードプロフェッサーは、毒をばら撒くことができるから、使えない職業ってほどでもないのよ?」
攻撃に特化した職業や能力値を上げる職業は様々ある。
だが、回復や治癒、蘇生に関しての職業は圧倒的に少なかった。
レベル1の白魔法使は治癒しかできないし、その治癒にも限界がある。
レベル2のウィザードは、大勢を1度に治癒することができ、自動で治癒できる能力も持っていた。
ただし、自動治癒は常に1人にしか適用できないし、蘇生は不可能。
レベル3の魔導士になって初めて、蘇生ができるようになる。
ウィザードが王族や貴族に囲い込まれているのは、ひとえに治癒能力を持つ者が極端に少ないからなのだ。
とはいえ、カリスと同様、彼らは魔導士なんて存在は知りもしないだろう。
ファルセラスではめずらしくもないけれど。
「レ、レベル、6とは、いったい、どのような……」
カリスの顔色が悪くなっている。
レベル4くらいまでとしておけば良かっただろうか。
きっとカリスは、自らのレベルが低いのを気にしているに違いない。
ファルセラスの従属者でもなかったカリスがレベル2に到達できたのは、本人の努力の賜物だし、称賛されるべきことだ。
気にすることはないのに、と思う。
いや、むしろ胸を張ってほしいくらいだった。
「ジャッジメント」
「……聞いたことが、ありません……」
「使われたことがあるのかも知らないわ。私も、かなり気をつけているから」
「そ、それは……やり過ぎる、から、ですか?」
「そうね。たぶん、そうだと思うわ。ジャッジメントでは、私が赦しを与えたもの以外の生き物を殲滅してしまうもの」
カリスの喉が不自然に上下している。
額に汗が浮かんでいた。
ハンカチは持っているだろうか。
自分が拭いてあげるべきだろうか。
思いながら、リーシアは話し続ける。
「ヴィエラキの民や民たちに属するものは平気よ? たとえば、ピートのニワトリとかね」
「それ以外は……」
「死ぬわ。植物は枯れるし、昆虫も魚も。砂地になるんじゃなかったかしら」
「砂地……」
「そう言えば、東と西の帝国の間には、昔は大きな砂漠地帯が広がっていたみたいだけれど、初代様がジャッジメントを使われたのかもしれないわね」
あっけらかんと、リーシアは言う。
遠い過去のことには、あまり興味がなかったのだ。
仮に、そうだったとしても使いたくなる気持ちもわかる。
今日のように不愉快な出来事があった日にやなんかには。
「そうだったわ。ねえ、カリス、気を落とさないでほしいのだけれど、城外の兵を7万ほど殺さなくちゃならないのよ」
「な……っ……7万……っ……? な、なぜですかっ?! 私1人の罪だと……」
「そうよね。あなたのがっかりする気持ち、とても良くわかるわ」
カリスは1人で罪を購っている。
が、あろうことか兵たちは「下僕になった」ことを批判しているという。
眷属にあるまじきことだ。
カリスが落胆するのも無理はない。
「彼ら、あなたを……残して国に帰りたいらしいのよ。そんな者たちは、眷属とは言えないわよね。モブのくせに、私の下僕のあなたに不満を持つなんて、私も気に入らないわ」
見捨てて国に帰る、とは言えなかった。
すでにカリスは、かなり傷ついているはずだ。
ひどく顔色が悪いし、体も小刻みに震えている。
開いた口から出た声も震えていた。
「シ……シア様……お、俺の気持ちを、もし、もしも……汲んでいただけるなら、彼らを……ほ、放逐しては、もらえませんか……」
「でも、またヴィエラキに攻撃してきたり……」
「そ、そのようなことはいたしません! いえ、俺が絶対にさせません!」
がばっと、カリスが馬車の中で跪く。
顔を上げリーシアを見つめる瞳には、うっすら涙が浮かんでいた。
よほどショックだったのだ。
自らの眷属に裏切られたのだから、傷ついてもしかたがない。
可愛げのないカリスではあるが、少し気の毒になる。
「つまり、あなたは、彼らの顔も見たくないということね。砂漠で野垂れ死にでもすればいいと思っているの?」
「そ、そうです。い、一瞬の死では、な、生温いかと……」
確かに、と思った。
カリスが、あの可愛げのないカリスが目に涙を浮かべるほど傷ついたのだ。
殺すのは簡単だが、苦しむかと言えば、そんなことはない。
死んだことにさえ気づかないくらいの楽な死にかただと言える。
「今夜、あなたは、とても役に立ってくれたわよね。これからも、きっと私の役に立ってくれるはずよ」
リーシアは、手を伸ばし、カリスの頬にふれた。
皇女に殴られたほうの頬だ。
リーシアは思う。
可愛げのないカリスだったから、なんとかあの場をしのげた。
あれがモルデカイだったら、一瞬で、東帝国を消し飛ばしていたに違いない。
(お父様は、いつも正しいわ。お父様がカリスに慈悲を与えなかったからカリスはここにいて、カリスがいたから、面倒なことにならなかったものね)
そう思うと、なおさらカリスの言うことが、もっともに感じられる。
リーシアは、カリスに微笑みかけた。
「彼らは、砂漠に放逐しましょう。生き残るために、殺し合いになるかもしれないけれど、それは彼らの勝手だわ」
「あ、ありがとうございます、シア様……」
「いいのよ、カリス。あなたの気持ちを考えれば、当然だもの」
カリスが、リーシアの手を取ってくる。
その手の甲に口づけをして言った。
「俺は、シア様の下僕であることを光栄に思います。今後、必ずや、お役に立ってみせます」
リーシアは、顔を上げたカリスに、にっこりしてみせる。
濃い緑色の瞳を、じっと見つめた。
「カリス、あなたの瞳って、やっぱり、とても綺麗ね」
全20話まで、お読み頂きまして、ありがとうございました。
ほんのちょっとでも、楽しんで頂けていれば、幸いでございます。
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書くことの楽しさを、いつも感じさせていただいております。
お忙しい中、足をお運びいただけましたこと、心から感謝しております。
皆々様、おつきあい頂きまして、本当にありがとうございました!




