下僕としての初任務
カリスは、リーシアをエスコートし、皇宮の入り口までやって来た。
周りには、きらびやかな男女が集っている。
2人と同じように、入宮手続きを待っているのだ。
その列に並びながら考える。
(東帝国でのヴィエラキの扱いは特別だと聞いていたが……)
この半月、祝儀の衣装選びと「心得」を覚えるために時間を費やしていた。
ザッとではあるが、モルデカイに東帝国との関係性についても教えられている。
東帝国において、ヴィエラキは西帝国に対する緩衝的立場。
ヴィエラキがなければ、直接に侵略を受けていてもおかしくないそうだ。
カリスは、西帝国側に位置した国の王ではあったが、東帝国の侵略なんて考えたことはない。
西帝国が東帝国に手を出さなくなって久しく、当時どのような状況だったのかも知らずにいた。
前西皇帝が、戦争を仕掛けるような人ではなかったこともある。
東帝国との関係は良くも悪くもない、といったふうだった。
(特別な招待客を、こんなふうに列に並ばせるとは……無礼ではないか)
リーシアは気にしていない様子で、列に並んでいる。
が、カリスは苛々していた。
西と東では文化が違うのかもしれない。
だとしても、モルデカイの話が事実なら、当然、事実だろうが、東帝国は、ヴィエラキをもっと尊重すべきなのだ。
もとよりヴィエラキは大公国であり、自治権を持つ独立国。
ほかの諸侯とは格が違う。
それを同じ列に並ばせるなど、王族として育ってきたカリスにすれば有り得ない話だった。
(ファルセラス無しには繁栄も約束されていない国だぞ。皇帝自ら出迎えに来てもいいくらいだというのに……東帝国の者は礼儀をわきまえていない)
カリスは、心身ともにヴィエラキに染まっているわけではない。
目の前で万単位の兵を殺されたことや、クヌートの死も心に残っている。
リザレダが、今どうなっているのかも、毎日、気にかけていた。
それでも、自分の立場は身に染みている。
リーシア・ファルセラスの下僕。
カリスは、もうリザレダの王ではないのだ。
そして、当初ほどリーシアに嫌悪感はいだいていない。
恐ろしい化け物だとの認識は変わっていなくても「侵略」のための虐殺をしないことだけは信じられる。
彼女は「純粋に」ヴィエラキを守っているだけなのだ。
ファルセラスあってのことではあるが、ヴィエラキは良い国だと思う。
ましてや東帝国は恩恵にあずかっているのだから、尊重してしかるべきだろう。
モルデカイから聞いたところによると、東帝国には職業持ちが少ないようだ。
仮に、ヴィエラキではなく東帝国を攻めていたら、案外、あっさりと陥落させることができていたかもしれない。
「もうすぐね、カリス」
声を掛けられ、カリスはリーシアに貸していないほうの手で招待状を取り出す。
ふと、思い立って訊いてみた。
「大公閣下も、こうして並んでおられるのですか?」
「さあ? 私がここに来たのは、十歳の時以来なの。あの時、並んでいたかどうか覚えてはいないわ。とにかく早く帰りたいって思っていたから」
「では、今夜もなるべく早めに帰ることにしましょう」
モルデカイからも言われている。
長居をしても碌なことにはならない。
挨拶とダンスを1曲披露する程度でいいとのことだ。
「こ、これは……っ……なぜこちらに……っ……」
招待状を渡した途端、入宮の手続きを行っていた者が顔色を変える。
リーシアは、ちらとも相手を見ていない。
カリスに「お任せ」と言った様子で、今にも欠伸をしそうだ。
「出迎えもなかったからな。列に並べということかと思っていた」
「そ、その、そのようなことは……っ……こちらの、て、手違いで、た、大変な、ご無礼を……どうぞ、こちらに! 貴賓室をご用意しております!」
大きな声に、周囲から何事だとばかりの視線を向けられる。
早々に立ち去るほうがいいだろう。
思ったカリスに、リーシアが、ぽそっとつぶやいた。
「嫌ね、大きな声で……あのモブ侍従ったら……ねえ、カリス?」
「このままだと目立ちますから貴賓室にまいりましょう」
モブというのは、ファルセラスの中でしか使われていない言葉だという。
どうでもいいとか、その他大勢、名無しといった意味なのだそうだ。
皇宮の侍従であれば名くらいあるだろう、とは思うが言わずにおく。
カリスはリーシアとともに、案内された貴賓室に入った。
途端、リーシアが、また嫌そうな顔をする。
いかにも贅を尽くした室内に、侍女が何人も並んで控えていた。
大きな赤いカウチと、金で縁取られた大理石のテーブル。
壁には絵画が掛けられており、そこかしこに彫刻の像が置かれている。
帝国のような大国の貴賓室に相応しいと言えば、相応しい。
だが、リーシアが顔をしかめるのも理解できた。
下品。
内心、カリスも、そう思っている。
リザレダは肥沃な土地を持ち、比較的、裕福な国柄だった。
とはいえ、王族は贅沢三昧していない。
必要最低限の品位保持に努めていたのだ。
大地が肥沃でも、毎年の豊穣が約束はされていない以上、常に飢饉に備えるよう心掛けていた。
「悪いが、大公女殿下はお疲れだ。必要なことは俺がするので、下がってくれ」
侍女達は顔を見合わせたあと、困った顔をしつつも退室する。
2人だけになると、ようやくリーシアが大きく溜め息をついた。
一応、我慢はしていたらしい。
「こんな趣味の悪い部屋、嫌だわ……これだから、ここはいけ好かないのよね」
「どこの王族も見栄を張りたい時があるものです。とにかく、そちらに、お掛けになってください。なにか飲み物を……」
言いかけた言葉をかき消したのは、ドアを開く音だった。
声も掛けず、了承も得ず、誰かがドアを開いたのだ。
カリスは思わず腰に手をやる。
が、いつも身に着けていた剣が今はない。
同時に思い出す。
一体、誰がリーシアを傷つけられるというのか。
彼女は守られなければならないような弱者ではなかった。
ゆえにカリスが剣を持つ必要なんてないのだ。
「あなたが、ヴィエラキの大公女ね」
金髪に紫の瞳の女性が室内に入って来る。
後ろには大勢の侍女を連れていた。
なぜか、リーシアが、カリスの横にくっついてくる。
そして、視線を、ちらっちらっとカリスに向けていた。
『シア様は面倒なことを嫌っておられる』
モルデカイの言葉が頭に浮かぶ。
居丈高な態度に高慢な口調。
明らかに「面倒な」相手だ。
「いきなり現れて、挨拶もないとは、少々、無礼ではないですか?」
「挨拶をする必要があるとは思わなかったわ」
自分のことを知らないのか、と言いたげに派手な赤色のドレスの女が言う。
髪を結い上げているので見えている耳や首元にも、宝飾品がずらり。
中には、めずらしい宝石もあった。
リザレダは土地が肥沃なだけではなく、金や宝石の産地でもある。
外貨を稼ぐ資源だったため、どういう品かは、見ればわかった。
「たとえ皇女殿下だとしても、こちらは賓客として招かれております」
「私は、ただの皇女ではないのよ? でも、まぁ、いいわ。挨拶くらいはしてあげましょう。田舎から出て来たのでは帝都の事情に疎くてもしかたがないものねえ。私は、ミラジュアンヌ・ラモーニュ。東帝国の第1皇女よ」
道理で偉そうにしているわけだ。
カリスは、客に対する礼儀のなさに、ほとほと呆れる。
西帝国でも、時々いる性質の女性だった。
こういう女性は、たいてい身分を振りかざし、自らの立場を誇示する。
本人に力があるわけでもないのに、勘違いをしているのだ。
「さっきの質問に、まだ答えてないようだけれど?」
「こちらはヴィエラキ大公国大公女殿下リーシア・ファルセラス様にございます」
リーシアは、ずっと黙っている。
皇女を怖がっているとは考えられなかった。
面倒はごめんだと思っているに違いない。
いつも露払いをしてくれるモルデカイはいないのだ。
その代わりを自分は努めなければならない、と思う。
「あなたは?」
皇女の視線が、カリスに向いていた。
頭は下げず、胸に手だけをあてて答える。
モルデカイに教わった「心得」のひとつ。
ファルセラスに属する者は、主以外に頭を下げてはならない。
そうでなくとも、勘違いしている無礼な皇女に頭を下げる気にはなれなかった。
だが、礼儀正しい口調で言う。
「私は、カリスと申します。大公女殿下のエスコートを任されております」
「あなた、まさか平民?」
「さようにございます」
平民どころか下僕だ。
ヴィエラキでは、民は大事にされている。
民に不遜な態度を取ろうものなら、殺される可能性すらあるのだ。
他の国の民とは扱いが異なる。
むしろ、下僕の自分より民のほうが立場は上とも言えるだろう。
「ああ、そういうこと」
皇女の視線が煩わしかった。
リーシアとの関係を、変に勘ぐっているのは明白だ。
カリスは、なんとも言えない気分になる。
この皇女と同じ「勘ぐり」を自分もしていた。
今では、リーシアに、そんな考えはないと知っている。
ヴィエラキに「奴隷」はいないのだから。
他国での奴隷についての扱いを聞き、カリスを脅したに過ぎない。
脅したという意識があったかも疑わしかった。
この半月、カリスは放置されている。
部屋に引きこもっていようが、書庫で勉強していようが。
リーシアからはなにも言ってこなかったし、そもそも呼ばれもしなかった。
「それなら、大公女、あなた、この者を私に献上なさい」
なにを言い出すのか。
カリスは、どう答えたものやらと悩む。
が、悩んでいる暇はなかった。
「献上? それは、カリスを渡せということ?」
「その通りよ。どうせ平民なのでしょう? それなら私が飼ってあげる」
リーシアが、カリスの横で、体を小刻みに震わせている。
まずい、とカリスは焦った。
モルデカイとのやりとりが頭をよぎっていく。
『きみは、シア様がやり過ぎないように注意をはらわなければならないよ』
『やり過ぎ?』
『シア様がやり過ぎれば、ヴィエラキ以外の国が消し飛ぶ可能性があるのでね。もちろん、それはかまわない。他国などなくてもヴィエラキは存続し続けられるのだから、些細なことだ』
『……些細なことではないと思うが……』
『我々、シア様の下僕にとっては、些細なことさ。重要なのは、やり過ぎれば、ギゼル様から、お小言をもらうことでね』
『大陸中が焼野原になるより小言のほうが重要……』
『ギゼル様にお小言をもらうと、シア様は3日3晩泣き通しに泣かれる。私にもどうにもできない』
『彼女が泣くことで、なにか大変なことでも起きるのか?』
『なにを言っているのかね、きみは。シア様が泣かれるのだよ? これほど心の痛むことが、ほかにあるかい? シア様が泣かれるよりも、大陸が消し飛ぶほうがマシだろう?』
意味はわからなかったが、モルデカイの言いたいことは伝わった。
とにかくリーシアが大公から「小言」をもらわないよう、やり過ぎを制止する。
それが自分の役目でもある、ということだ。
「カリスは、私の物なの。あなたにあげるつもりはないわ」
「あなたから奪うことなんて、私にとっては簡単なことなのよ?」
「奪う? 私からカリスを……? 奪う……」
リーシアの声が冷たくなっていた。
側壁塔の時と同じだ。
無感情で、平坦な口調。
(この皇女は死にたいのか?! 皇女が殺される程度ですめばまだしも……)
大陸中が消し飛ぶかもしれない。
そこまでではなくとも、東帝国は消える1歩手前まで来ている。
そう直感した。
すかさず、カリスは皇女をリーシアの視界から隠すべく、前に出る。
「私がお仕えするのは、大公女殿下、ただお1人。たとえ皇女殿下であろうとも、お仕えする気はありません」
瞬間、皇女の顔に朱が散った。
平民に馬鹿にされたと思ったのだろう。
振り上げられた手が見える。
避けることも掴むこともできたが、カリスは、そのどちらもしなかった。
避ければ不敬だとされ、掴めば暴行と見做される恐れがあったからだ。
パンッ!!
所詮、女性の平手打ち。
さほど痛くはない。
この程度で皇女が引き下がるのなら安いものだ。
と、思ったのだけれど。
「カリスッ!」
なんとリーシアが、カリスの顔を両手で掴んできた。
赤い瞳に感情が戻っている。
「なんてこと! あなた、今、殴られたのよ?! ああ、なんてこと! 頬が赤くなっているじゃない!」
「たいしたことではありません。お気になさらずとも……」
「あなたは私の物なのよ! なのに、こんな真似をするなんて……!」
リーシアが憤っている理由がわからない。
自分は下僕に過ぎないのだ。
リーシアからも、はっきり言われている。
とはいえ。
さっきより、まずい状況になっている気がした。
カリスとて、リーシアがヴィエラキの民に思い入れがあるのは知っている。
だが、民に対してだけだと思っていた。
何万もの兵を虐殺しても、平然としているのがリーシアなのだ。
まさか平手打ちくらいで激怒しかけるなんて想像もしていなかった。
「ずいぶんと、その平民にご執心なようね、大公女様は」
癇に障る笑い声が、なおさらにカリスの焦燥を煽る。
東帝国は滅亡したいのか、と東皇帝の認識の甘さに腹が立った。
招待をしておきながら出迎えにも来ず、あげく、こんな礼儀知らずな皇女に好き勝手させている。
正気とは思えない。
『ギゼル様に叱られることを、シア様は、なにより恐れておられるのです』
だとすれば、大公を引き合いに出せばリーシアは止まるのではなかろうか。
そんな思いが、一瞬、よぎった。
が、言えずにいる。
3日3晩、泣いた。
あの冷酷無比とも言えるリーシアが、だ。
それほど大公の「小言」は、リーシアには堪えるに違いない。
自分の頬をさすってくれながら、瞳に怒りを滲ませているリーシアを脅すような真似はしたくなかった。
自国の兵達を殺された恨みがないとは言えないが、自分の責として購うと決めたのはカリス自身なのだ。
なによりカリスは元王族であり、それに見合った「称号」を持っている。
「シア様、落ち着いてください。あのような些末な者のために、シア様の手を煩わせたとあっては、自分の不甲斐なさに情けなくなります」
「でも……あなたは私の物なのに……」
「その通りです。ですから、どうか俺を落ち込ませないでください」
「そう……そうね。わかったわ」
ほう…と、胸を撫でおろす。
これで東帝国の滅亡は阻止できた。
リーシアが大公に「小言」を言われることもないはずだ。
これ以上、皇女が碌でもないことを言わなければ。
心の中で、カリスは思う。
もう、ひと言も口をきいてくれるな、と。
そして、皇女が口を開きかけた時、ばたばたと足音が聞こえてきた。
侍女を押しのけ、小柄な男が室内に飛び込んで来る。
「大公女殿下っ!! これは、なんとしたこと……」
「そちらの第1皇女が、大公女殿下に大変な無礼を働いた」
「お父様! その者は、たかが平民……っ……?!」
「お前は黙っていろ! いいや、出て行け! 衛兵、すぐに皇女を連れ出せ!」
「お父様っ?!」
おそらく、この小柄な男が東皇帝に違いない。
リーシアの到着を知り、慌てて駆けつけてきたようだ。
「我が娘が、大公女殿下を不快にさせたのであれば申し訳なく思う。あれには罰を与えるので、なにとぞご容赦願えないか」
「事が起きる前に対処すべきであったな」
いつ大陸が消し飛ぶかと、カリスの心臓はキリキリ痛んだのだ。
こんな軽い謝罪程度で許してなるものか。
思う、カリスの袖が引っ張られる。
見ると、リーシアが、つまらなさそうな顔をして言った。
「ねえ、カリス。もう帰らない?」
「そうですね。挨拶も終わりましたし」
後半は、皇帝に向けて言ったのだ。
皇帝は蒼褪め、ひっくり返りそうになっている。
その顔を一瞥し、カリスはリーシアに腕を差し出した。
「では、帰りましょうか、シア様」




