心得違いな出来事
カリスはベッドに腰かけ、うなだれている。
その前で、モルデカイは両手を後ろにして立っていた。
見るからに落ち込んでいる様子に、モルデカイはうんざり気味だ。
けれど、同じ下僕との立場から、カリスを放ってもおけない。
というより、カリスの面倒をリーシアに見させるのは「酷」過ぎる。
下僕は、モルデカイやヘラ、ロキだけではない。
ギゼルや、ラズロ、ピサロの下僕も城内にはいる。
ギゼルに同行しているヴァルカンしかり、ラズロの下僕シャルマに、ピサロの下僕クレーニュと、とにかく大勢だ。
が、こんなに手のかかる下僕はいない。
外の者なので、しかたのない面はあるだろう。
にしても、いちいち拗ねられたり落ち込まれたりするたびに構っていたのでは、モルデカイ本来の仕事に支障をきたす。
リーシアと同じくらい、モルデカイはカリスが誓約書に署名したことを忌々しく思っていた。
「……許されるのであれば……教えてくれ……」
カリスは、うなだれたままだ。
地の底から這い出て来たみたいな声で言われると、爽やかに返すしかない。
「いいとも。私にわかることなら」
「俺の……俺の兵は……どうなる……?」
「どうなる、とは?」
「半月も捨て置かれれば飢え死にしてしまう……」
モルデカイは、カリスの言わんとすることを理解する。
それは、モルデカイなりに、ということであり、カリスの心情とは無関係。
カリスが「役に立てていない」ことを気にしているのだと解釈していた。
前にカリスに言ったことが、モルデカイ自身に跳ね返ってきている。
発想にないものは考えつかない。
「きみが役に立っていないからといって眷属を捨て置いたりはしないさ。城よりは不自由があるとしても、食と住は与えている」
「……食事と住む場所を? あの数だぞ?」
「あまり無茶を言わないでほしいな。1人1軒は、いくら私でもそれほど短期間で造れやしないよ。1人1部屋、5百人に1軒がせいぜいというところだ」
カリスが、じわりと顔を上げる。
安堵しているのか、怒っているのか、判然としない表情を浮かべていた。
「食事も1日3食、ヘラの眷属が届けていてね。死人は出ていないと聞いている」
カリスには不満があるかもしれないが、きちんと眷属認定がされるまで、城内に入れるわけにはいかない。
ヘラの眷属から病人や死人は出ていないと報告を受けているので、とりあえず、今はそれで我慢してほしいものだ、と思う。
後々、待遇は考えるつもりだと説明する前に、カリスが口を開いた。
「この国の財はどうなっている?」
「財? 民たちが働いて稼いでいるよ?」
「そうではなく!」
ガバッと、カリスが立ち上がる。
その勢いに、モルデカイは少し体を後ろに引いてしまった。
片眼鏡を、また直すはめになりそうだ。
「教育や医療全般にかかる費用だ! 国庫のことだ!」
「ああ、それならファルセラスの私財で賄っているね」
「…………私財……??」
「ヴィエラキでは、初代様の頃より私財が国庫と同義なのだよ」
「で、では……ご、5百年も、し、私財で……」
「それがどうかしたかね?」
「独自通貨を使っているのではないだろう?」
「独自通貨? そのようなものを使っている国があるのかい? どこの国も、大陸通貨を使っていると思っていたが」
カリスが、ぱくっと口を閉じた。
モルデカイが知る限り、大陸通貨以外の通貨は見たことがない。
当然、ファルセラスの私財も大陸通貨によるものだ。
ヴィエラキ以外の国では、民から税を納めさせている。
それを国庫とし、様々な用途に充てていることは知っていた。
とはいえ、ヴィエラキは他国とは違う。
建国以来、民に税を求めたことはないし、その必要もなかった。
「だいたい、なににそれほど財がいるのか、わからないな」
「教育や医療、それを成人するまで20年も補償するとなれば、かなりの額になるはずだ。到底、私財で賄える額ではない」
「そうなのかね。とは言っても、現にファルセラスの私財で賄っているのだよ」
見せたほうが早いだろうか。
思って、モルデカイは後ろにしていた左手を前に出し、床にかざす。
リーシアは「透かし手鏡」と呼ぶが、正式には「ミラースクリーン」という。
床に円が描かれ、地下が透けて見えている。
カリスは、それを見て目を見開いていた。
「こ、こんなものが地下に……??」
「そうとも。ヴィエラキの地下には……」
「ヴィエラキっ?! 全土ではないだろうっ?!」
「いや、全土だよ。初代様が、なにより苦慮されたのは、この大陸通貨の置き場所でね。だから、街をお創りになる前に地下を金庫とされたわけさ」
スっと、ミラースクリーンを閉じる。
モルデカイは財の管理には携わっていない。
できなくはないが、それは大公であるギゼルの下僕の役目なのだ。
モルデカイが管理しているのは、リーシアに掛かる費用くらいだった。
その中には、下僕の管理費も含まれている。
「ああ、眷属に掛かる費用を心配しているのだね。それなら、シア様のお小遣いで十分に賄えるから、心配はない」
「……小遣い……十万人の費用が……」
「シア様は気になさらないと思うが、きみが気になるのなら、役に立つことだよ、カリス。エスコート役をきっちりとこなすのが、目下、きみに与えられた役目だ」
ファルセラスの私財を食い潰すには、万年単位の時間が必要だ。
そんな先の心配をするより、目先のことを考えてほしいと思う。
カリスが、またがっくりとうなだれた。
「……わかった。精一杯、努力をしよう……」
そうしてもらわなければ困る。
自分がついて行ければいいのだが、今回、リーシアに同行はできないのだ。
カリスの眷属たちの管理もあるし、敵襲がないとも限らない。
さすがに城をガラ空きにするのは不用心に過ぎる。
なにより、ギゼルの提案をリーシアは受け入れたのだ。
「きみには、本気で頑張ってもらわなければ……」
うなだれているカリスを見つめ、少し心配になる。
ともあれ、祝儀は半月後。
その間に、モルデカイは、カリスの眷属の選別や管理方法などを詰めておかなければならない。
同時に、カリスの頭に「心得」を叩きこむ必要もあった。
仕事が山積み。
(次から次へと……ギゼル様は酷いおかただ、まったく……)
リーシアは、次期大公候補でもなんでもないのだ。
なにも無理をして1人立ちをさせなくてもいいのに、とモルデカイは思う。
*****
同時刻
東帝国の大きな私室のひとつ。
そこは、第1皇女ミラジュアンヌ・ラモーニュの部屋だ。
大きくて広々としたベッドに腰掛けている。
近くには侍女長が控えて立っていた。
長くて艶のある金髪に、宝石のような紫の瞳をした皇女。
ほっそりとしているが、男性の目を惹く肉感的な体つき。
年齢の割には大人びた、目鼻立ちのくっきりとした顔立ち。
妹が3人いるが、ミラジュアンヌは自分が最も美しいと信じている。
東帝国皇帝カルデルクの正妻には子供が2人。
1人は第2王子のセディルジール26歳。
側室達も最初の子は男の子で、女の子はミラジュアンヌが最初だった。
兄とは5歳違いの、今年21歳になったばかり。
下の妹2人は14歳と12歳で、まだ成人していない。
今回の祝宴に出席できる皇女は2人だけだ。
ミラジュアンヌの3つ下の妹。
だが、妹は欠席するだろう。
そのように言い含めてある。
たいして容貌にも恵まれなかった側室の娘だ。
ミラジュアンヌが少し威圧するだけで、体を縮こまらせていた。
見るたびに、自覚する。
東帝国で最も高貴な令嬢は自分なのだ。
多くの諸侯を従え、頂点に君臨している父と、名家の出であり正妻の母。
そんな2人の長女として生まれたミラジュアンヌは、常に自分が最上段に立っているとの意識がある。
ミラジュアンヌが見上げなければならないのは両親と兄たちくらいだ。
ほかの人々は彼女を見上げるべき存在だと認識している。
ミラジュアンヌは、けして教養や礼儀を知らないわけではない。
令嬢教育は受けていたし、王族としての立ち居振る舞いも身に着けている。
だが、同時に自己主張が過剰なところがあった。
平たく言えば、自己顕示欲が強いのだ。
とくに相手が女性となると、母親以外は認めていない。
父の側室に対しても「側室ごとき」と考えている。
なので、当然、皇女の身分である側室の娘はもとより貴族の令嬢達に対しても、自分が上だと誇示していた。
大きな声で叱責したりする必要はない。
相手の大事な物を差し出させたり、軽く嫌がらせしたりするだけで良かった。
たとえば婚約者との最初のダンスを譲らせる、だとか。
皇女の申し出を断れる者などいないので、必ず受け入れられる。
ミラジュアンヌは、相手の顔に悲壮感が滲むのを見るのが好きだ。
自分にとっては些細なことでしかない。
なのに、大袈裟に憂いている姿が滑稽に思えた。
「今度の祝宴には、ヴィエラキから大公女が出席するのだったかしらねえ」
「そのようにございます」
知っているのに、さも興味がなさそうに言う。
ミラジュアンヌは、大公女について、ほとんどなにも知らないに等しい。
知っているのは、ひとつ年上であることと、銀髪に赤い目だということだけだ。
というのも、大公女は外交に力を入れていないのか、滅多に外に出て来ない。
普通の令嬢は、東帝国で成人とされる16歳を越えると、社交に外交にと、力を入れ始める。
なにしろ令嬢に課せられた使命は、いかにより良い家門に嫁ぐか、なのだ。
どこの家門と縁を結べば役に立てるかを考えて行動する。
ヴィエラキの初代大公は女性だったらしいが、今現在、爵位を持とうとする女性なんていない。
法の上では可能でも、周囲からの目というものがある。
仮に継承者が娘1人しかいなかったとしても、ほど良い子息と婚姻させたのち、娘の夫に跡を継がせるのが慣例となっていた。
結果、令嬢達の役割は、ひとつに集約される。
「彼女が、どういう人かは知らないけれど、嫁ぎ先を見繕いに来るのよ、きっと。もしかすると、お兄様たちの誰かを狙っているのかもしれないわ」
父は50歳と、まだ健在。
4人の息子の誰を皇太子とするかは決めていなかった。
非嫡出子の兄に望みはないとしても、長男だから皇太子になれるとは限らない。
東帝国では「嫡男長子」であることが皇太子の条件にはなっていないのだ。
「田舎者の考えそうなことよねえ」
フッと、ミラジュアンヌは鼻で笑う。
ヴィエラキ大公国は、国と言っても小さな国だ。
帝国史にも「ほんの数行」出てくる程度の国だった。
どこの国もヴィエラキとは親交を持っていない。
取るに足らない国だからだろう。
「なにかで武功を上げたらしいけれど、もう5百年も前のこと。東帝国が爵位を与え、土地を割譲してあげたから、今のヴィエラキは存在しているというのに」
立場もわきまえず欲を出している。
それが鼻についた。
たとえ非嫡出子の兄であれ、そんな小さな国の令嬢との婚姻なんて不釣り合いも甚だしい。
嫡子の兄たちであれば、なおさらだ。
「立場をわからせる必要がありそうだわ」
ミラジュアンヌは、大公女と会ったことがない。
政治に関与していないため情報も少なく、自分勝手に想像している。
彼女は東帝国の第1皇女であり、たいていのことは許されてきた。
だから、本当に知らなかったのだ。
自分が誰を相手にしようとしているのかを。




