森の洋館で肝試しって、不法侵入だからやめとけ。
三題噺です。お題は後書きに記載します。
額から汗が滴り落ちる。
全身から汗が噴き出てきて、どれだけ拭ってもキリがない。
あまりの気温の高さに体が適応できていないようだ。
そういえば今朝のニュースで気象予報士が、今年の夏は猛暑だか酷暑だかと言っていた。
毎年のように聞く文言だが、夏の暑さに慣れることはないように思う。
日が西に沈みかけている今も、暑さは一向にやわらぐことはない。
鬱蒼とした森の奥深く、汗だくになって歩く俺たち三人は、暑さと疲れでへとへとだった。
しかし、俺たちは歩みを止めない。
一歩一歩、着実に前に進む。
そして――。
「……っ着いたーーー!!」
木々が開けた場所に出た瞬間、先頭を歩いていた小野田が叫んだ。
ようやく目的地に到着したようだ。
そこには、どう見ても森の中に不釣り合いな邸宅が鎮座していた。いや、邸宅と言うか、洋館? 佇まいは立派だが、外壁は色褪せており蔦が乱雑に絡んでいる。人の気配もしないところを見ると、廃墟とも呼べそうなくらいだ。
「ここが、噂の『森の邸宅』……。けっこう、雰囲気あるね」
そう呟きながら、息を整えている福本。その声には疲れが滲んでいた。
それもそのはず。灼けるような猛暑の中、ここに辿り着くまでに結構な時間を費やした。
当然疲労困憊なはずなのだが、小野田だけは違った。ぜえはあと息を切らしている俺たち二人とは対照的に、小野田は疲れの色を一切見せず意気揚々と声を上げた。
「いいじゃん。肝試しにはうってつけの場所だな!」
そう、俺たちがこのクソ暑い中、人里離れた森の奥深くまで来た理由、それは肝試しをするためである。
発案者は小野田。「夏休みになんか楽しいことをしたい!」と思っていた小野田は、情報通の福本から『森の邸宅』という曰く付き物件の情報を聞きつけ、肝試しすることに決めたらしい。そこに、小野田といつもつるんでいる俺が巻き込まれた結果、小野田と福本と俺の3人で『森の邸宅』に肝試しをしに行くことになってしまった。
高校生にもなって肝試しとか、正直恥ずかしい。それに何より――。
「小野田、前にも言ったが勝手に住居に入るのは不法侵入だぞ。犯罪だ」
「固いこと言うなよ、霧島。どう見たって廃墟じゃん。人なんか住んでないって」
「いやそういうことじゃなくて……」
平然とした小野田の態度に、俺は溜息を吐いた。
今に始まったことではないが、小野田は言い出したら聞かない、好奇心の塊のような奴なのだ。今の彼には肝試しをすることしか頭にない。どんな制止も彼には届かないだろう。
ここまで辿り着いてしまったからには仕方がない。俺はいい加減腹を括ることにした。
黙った俺に目もくれず、小野田は福本に話しかける。
「なあ福本。この家って『曰く付き』なんだろ?どんな『曰く』があるんだよ」
「僕も詳しくは知らないけど。数十年前に住んでいた家族が無理心中を図ったとか、館の付近で殺人遺体が遺棄されたとか、森で自殺した人の幽霊が住み着いているとか。色々な噂があるよ」
「なんだよ、その一貫性のない噂は……」
思わず突っ込んでしまった。噂とはいえ、『曰く』の幅が広すぎるだろう。
内容が異なる噂がいくつもあることで、むしろ現実味が薄れているように感じる。
こういうものは、真実味があるからこそ怖いものなんじゃないか?
俺の指摘に、福本は唇を尖らせた。
「だからあくまで噂だって。僕だって噂で聞いただけだし。実際に『森の邸宅』を見に来るの今日が初めてだから。でもこの森自体、数年前に女の子が行方不明になったりして騒がれてたし、かなりの曰く付きだよ」
「いいじゃんいいじゃん!やっぱ肝試しはこういう所じゃないとな~」
渋い顔をした俺とは対照的に、小野田はご満悦だ。ホラー的な要素が盛りだくさんの『森の邸宅』が、大層お気に召したらしい。
長時間森の中を歩いてきたとは思えないほど、軽快な足取りで邸宅の正門へ向かっていった。
「はあ、まったく……」
「ははっ、大変だね。霧島」
「まあ俺はいつものことだからな。福本こそ大丈夫か?あいつの思い付きに、無理に付き合う必要はなかったんだぞ」
「いや~、実は僕も気になってたからさ、『森の邸宅』。噂を確かめてみたかったんだけど一人では行きづらいし。小野田の誘いは渡りに船だったんだよね」
笑顔で答える福本の言葉には、嘘がないように思う。どうやらこいつも小野田に負けず劣らず好奇心が強かったようだ。クラスでの福本と言えば、どちらかといえば落ち着いた印象が強かったのだが。
普段はあまり話さないクラスメイトの意外な一面に少し驚きつつも、話しているうちに汗は引き、疲労も回復してきた。
先に門前に着いていた小野田は、俺たち二人の到着を待ち、扉の取っ手に手を掛けた。
「おお、開いてるぞ!」
「え。戸締りどうなってんの」
「いいじゃん!やっぱり廃墟なんだって。ラッキー」
正門は施錠おらず、両開きの扉が小野田の手で簡単に開いた。
ギイイィ……と木の軋む音が邸宅内に響き渡る。
扉が開ききったのち、広がる静寂。
邸宅内には西日が差しこんでおり、広々とした部屋の中をオレンジ色に染め上げている。
扉を開けた拍子に舞った埃が、夕日に照らされてキラキラと輝いており、幻想的にすら見える。
森中に鳴り響く蝉の声が、遠く感じる。まるでこの邸宅内だけ、異世界のようだ。
先ほどまで意気揚々と喋っていた小野田でさえ、無言になっている。
皆それぞれに、この異様な雰囲気を感じ取っているようだった。
「……行くぞ」
意を決したように一言呟いて、小野田が屋内に入っていく。
俺と福本も、彼に続いた。
「ここは……エントランスホールかな?」
全体を注意深く見渡しながら、福本が呟いた。
吹き抜けのエントランスホール天井部には大きな天窓があり、そこから日の光が差し込んでいる。
正門から繋がるエントランスホールの左右には長い廊下、正面には大階段が見えた。
「てか、広くね!? この家、何部屋あるんだよ~」
「外から見て、部屋数多いことはわかってただろ」
「そりゃそうだけどさ~。何LDKだよって感じだわ。うへえ~」
「こら、あんま動き回んな」
うろうろ忙しなく動き回る小野田の首根っこを捕まえる。
こいつのことだ。ほっとくと勝手に調度品とか壊しそうだからな。
「外観の通り二階建てっぽいね。部屋多いみたいだけど、一通り見て回る?」
福本の提案に、小野田が「ちょっと待った!」と手を挙げる。
「せっかく肝試しなんだから、一人ずつ回ろうぜ!」
「却下」
「何でだよ霧島!」
「お前一人にするとロクなことにならないんだよ。絶対に一人では行かせない」
「うーん……。僕はどっちでもいいけど、霧島がそう言うなら、三人で行こうか」
「ええ~。いーやーだー。三人一緒なんて、スリルが半減するだろーが!」
「目的の『森の邸宅』には来れたんだから、それで良しにしとけ」
喚く小野田を宥めすかし、三人で邸宅を探索することになった。
夏の日照時間は長い。
日の入りまではまだ時間があったようで、探索している間はずっと日の光が室内に届いており、持参してきた懐中電灯の出番はなかった。
一階、二階と回ってみて、食堂、キッチン、浴室、洗面所、トイレ、物置部屋、寝室、書斎、その他用途不明な部屋が多数確認できた。
まず確認できたことは――。
「水が出ないな」
「多分、水道が通ってないよね、ここ。電気も通ってないっぽい」
「マジで!? 生活できないじゃん!」
「まあ、山奥だからな。電線引いてるようには見えなかったし」
この邸宅には水道も電気も通っていない。現代人が生活するうえで必要不可欠なライフラインがないのだから、当然人が生きられる環境ではない。
しかし――。
「なんか……。意外と綺麗だな。もっと散らかっているかと思ってた」
「そうだな~。全然廃墟じゃないじゃん」
福本の発言に、小野田が残念そうに同意した。
確かに、外観に似合わず、邸宅内は整然としている。
床板は軋んでこそいるが朽ちてはいないし、窓ガラスも割れたりしていない。蜘蛛の巣などは散見されるが、害虫・害獣などはほとんど見つからない。
なんとなくちぐはぐな印象を受けながら、俺たちは二階の角部屋、最後の部屋に辿り着いた。
ベッドが置いてあるので、おそらく寝室。とはいえ、一般的な家庭の寝室に比べればかなり広く、家具も調度品も高級そうなものが設えられている。どれも埃を被っており、この部屋で人が生活している様子は一切ない。
「うーん、何の変哲もない寝室だねえ」
「だな」
少し残念そうな福本に俺は同意した。
行ける範囲の全ての部屋を回ってきたが、噂されていたような『曰く』に相応しい要素を見つけることは出来なかった。ただの寂れた洋館といった風情だ。
「なんか拍子抜けだなあ」
「なんだ。案外、福本は肝試しを楽しみにしてたのか?」
「いや~。心霊体験をしたかったわけじゃないんだけど、もうちょっと『曰く付き』の邸宅感を出してほしかったっていうかね」
どことなく不満そうな顔をした福本。溜息を吐きながらベッドサイドの椅子に腰かけようとする。おっと――。
「福本、危ない」
「へ? ――うわっ!」
福本が少し体重を掛けた瞬間、木製の椅子の足がバキッと音を立てて折れた。
彼が座る前、ぎりぎり忠告が間に合ったようだ。
「わ、この椅子壊れかけてたんだ。ケガするところだった。ありがとう霧島」
「いや、大したことじゃない」
「にしても良く分かったね、この椅子が危ないって」
「ん? ああ。なんかガタガタしているように見えたからな」
「そうなんだ。っていうか、壊しちゃった……。大丈夫かな」
「……まあ、仕方ないだろ」
不可抗力だ。家具や調度品に損害を与えるようなことは控えたかったが。
俺達には直す手段もないので、そのまま安置しておくことにする。
ふと福本に目をやると、彼が部屋の扉付近をじっと見つめていることに気づいた。
「どうした、福本?」
「ここさ、人の住める環境じゃないよね」
「……ああ、ライフラインが通ってないからな」
「でもさ、なんか妙なんだよね。人が出入りしない家屋って、もっと荒れ果てているはずなのに、存外きれいだし。それに……」
「それに?」
「……行ける全部屋を回ってきたけどさ、どの部屋も内部は全体的に埃を被っているのに、扉付近は埃があまりかかっていないんだ。それって、近いうちに扉の開閉が行われたってことじゃない?多分、生活はしていないけど、出入りする人はいるってことじゃ――」
「――待て、小野田はどこだ?」
弾かれたように顔を上げる。そうだ、小野田は。この部屋に入ってから、一度も声を聞いていない。あいつは、一体どこに。
「ちょ、今一人ってやばいんじゃ――」
「っ! 小野田!」
急いで部屋を飛び出す。あいつが一人で行く場所。
階段を駆け下り、エントランスホールへ向かう。
すると、食堂の方から物音が聞こえた。まさか。
食堂の扉を開け放つ。その奥のキッチンのさらに奥、食糧倉庫の扉が開いていた。さっきは閉まっていたはずなのに。
「小野田! どこだ!」
薄暗い倉庫の中には、一人はぐれていた小野田の姿、そして――。
「……鳥?」
俺の後ろに付いてきた福本が、ぽかんと口を開く。
そう、小野田の目の前には、鳥がいた。柱に吊り下げられた大き目の鳥かごの中に収まっている。
「おお、霧島、福本! すげえよ、コイツ喋るんだぜ!」
「……は?」
「なあ、『こんにちは』!」
『コンニチハ!』
「な? すごいだろ~」
小野田の声に答えるように、鳥は喋った。人の言葉を。
「へえ、セキセイインコ……じゃないね、九官鳥かな? 流暢なものだね」
福本がしげしげと鳥を眺めた。
その間も、鳥は人語を話し続けている。
『コンニチハ。オハヨウ。オカエリ。アイシテル』
「おお、突然熱烈だな~」
『アイシテル。アイ。アイシテル』
「愛してるなんて言うんだなあ。俺も『あいしてる』ぞ~」
『アイ。アイシテル。アイシテル。アイ』
鳥と楽しくお喋りしている小野田。
はあ、と深く溜息を吐いた俺は、彼に近づいて首根っこを掴む。
「うおっ。何すんだよ!」
「何すんだよ、じゃないだろ。勝手にうろつきやがって。もう帰るぞ」
「ええー! やだよ、まだ帰りたくない~」
「あ、そうだよ小野田。ここに長居するのは……、やめた方がいいと思う」
「え、なんで?」
きょとんとする小野田に、先ほど福本が至った仮説を説明する。この家には住んでいる人はいないが出入りしている人がいる可能性が高いこと。その人物がいつ邸宅に帰って来るか分からない以上、長居は出来ない、ということ。
それを聞いても小野田はまだ渋った。
「でも、あくまで可能性だろ? なら、もうちょっとくらい……」
「……鳥かご見ろ」
「え?」
「餌が用意されている。つまり、この鳥の世話をする『誰か』が間違いなくいるんだよ」
「……」
俺の言葉に少し逡巡した後、小野田は肝試しを終わることに同意した。
まったく、手を焼かせる奴だ。
「やっぱ結構時間たってるね」
三人で正門を出ると、外は薄暗くなっていた。
西日の明るさで照らされていた邸宅内も、薄闇に包まれ始めていた。
もう夜の時間帯だが、夏の日は長い。とはいえ、空にはいくつか星が見える。完全に日が沈むまで、そう時間はかからないだろう。
懐中電灯を装備しつつ、帰るとしよう。
「肝試しって言ったら、これからが本番じゃんか~。夜暗い中でやるのが楽しいのにな~」
「まあまあ小野田、肝試しは別の機会にでもできるでしょ」
まだうじうじ文句を言っている小野田を、苦笑しながら宥めている福本。心なしか、少しほっとしたような顔になっている。
名残惜しそうな小野田を福本と二人で引きづるようにして、邸宅から離れ、森の中へ歩いて行った。
道中、少し心配だったので、福本に小声で話し掛けた。
「福本、大丈夫か?」
「え? ああ、大丈夫だよ。ちょっと怖かったけどね。廃墟なら無人だと思ってたからさ。人がいる可能性が出た瞬間、なんかぞわっとしてね」
「ああ……。まあ驚くよな」
「うん、小野田は凄いね。全然好奇心が変わらないっていうか」
「あいつは凄いんじゃなくて、単に何も考えてない能天気なだけだから。むしろ少しは恐怖心とか持ってほしい」
「恐怖心か……。僕さ、ホラーとか全然平気で、幽霊とか怖くなかった質なんだけど。今回みたいな『曰く付き』物件大好きだし。でもね、うん……、やっぱり生きている人間が一番怖いかも」
「今回のことに懲りたら、不法侵入はやめておけよ」
「そうだね、肝に銘じておくよ」
ははっ、と乾いた笑いを零す福本。
今回の経験は、彼にとって少し苦い記憶になったようだ。
人里離れた山の中。うるさかった蝉は静まり、蜩の鳴き声が物悲しく響いている。
こうして、俺たちの身に起こったひと夏の騒動は、何事も起こらずに幕を閉じたのだった。
◇ ◇ ◇
『――――次のニュースです』
『○○県××町の小学6年、末永愛さんが行方不明になり、今日で5年が経過しました。愛さんは、△△山付近で目撃された後、行方が………。現在まで有力な手掛かりもなく………。……引き続き捜索願が………心当たりの方は……』
◇ ◇ ◇
ガチャり、と。屋敷の正門を開く。
既に日は暮れているが、エントランスホールの天窓から差し込んだ月光が、屋敷内を青く照らしていた。
夕方の騒がしい来客が去ってから数時間、邸宅の中はひっそりと静まり返っている。
明かりを頼りに、ホールから廊下を通り食堂、その奥へ迷わず進む。
食糧庫の扉を開けた先は、暗闇だった。当然だ。この部屋には窓がない。先ほど小野田たちと来たときは、扉の外から入る光で明るく照らされていたが、夜の庫内は真っ暗だ。
懐中電灯をつけて周りを見渡し、見つけた燭台のろうそくにマッチで火を点ける。
ぼんやりとした明かりに、部屋中央、鳥かごの中の九官鳥が浮かび上がった。
「ただいま」
『オカエリ。オカエリ』
「うん、ごめんな。さっきは騒々しくて」
愛鳥はいつもと変わらず俺を出迎えてくれた。
夕方に騒がせたことを謝りながら、部屋の奥にあるクーラーボックスに近づく。
「愛、ただいま」
ボックスの中にいる、愛しい少女に声を掛けた。
5年前からこの屋敷にいる、今はもう、骨と化してしまった少女に。
彼女の白い頬を撫でて、俺は一方的に話しかける。
「さっきは煩くしてごめん。二人とも俺の友達なんだけど、肝試ししたいってこの家に来ちゃってさ。小野田が言い出したら聞かない奴で、仕方なかったんだよ。まあ、あいつは飽きっぽいから、すぐにここのことは忘れるだろうけど。一緒にいた福本も、もうここには近づかないだろうし。もう大丈夫。今まで通り、俺たちだけで静かに過ごせるよ」
もう返事が返ってくることはない。もう動くことはない。
それでも、構わない。
確かに彼女は、愛は、ここにいるのだから。
「愛、愛してる。ずっと、愛してるよ」
『アイシテル。アイ。アイシテル』
お題:邸宅 喋る鳥 骨
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