chapter2-1 まさに異世界
次に目を開いたとき、私は草原を見下ろす小高い丘の上に立っていた。雲一つない晴天、暖かな日差しが肌へ落ちる。穏やかな風が吹き、土と草のにおいを運んできた。その後を追いかけるように草原の葉が波を作り、私の脛をくすぐっていく。
一瞬、私は本当に別の世界へ来てしまったのではないかと思った。確かめるために開閉した掌の感触すらも、まるで自分のそれのよう。それほどまでに、体に覚える感覚がリアルだったのだ。
SODY社のフルダイブ型VRは次元が違うということは知識として知っている。若い社員が興奮気味に語っていたことがあったのだが、そうはいっても、という気持ちが拭えなかった。
だがしかし、これは、まさしく次元が違う。
興奮や期待よりも不安が勝った私は、思わずホームボタンを探した。本当に焦っていたのだろう、視界の下から上にスワイプをすれば呼び出せると思い出すまで、しばらくあたふたと動き回っていた。
指でスワイプをすると、滑るようにホーム画面が現れた。右上にはしっかりとログアウトのボタンがある。
それでようやくほっと一息吐けた。よかった、これはちゃんとゲームだった。
落ち着いたついでにホームの設定を済ませる。現実の時間の表示とアラームを設定。ゲート・オブ・バスティアンの世界は現実の三倍の速度で時間が進むらしいので、よく時間の感覚が狂うそうだ。より異世界感を味わいたい者は非表示にするといいらしいのだが、流石に不便だろう。
諸々の設定を終えて、さあ冒険しようかと思った矢先、ふとした疑問が沸いた。
これからモンスターと対峙することになるだろうが、痛覚はどうなっているのだろう?
もし痛みまで本物と同じように感じるのなら、私は年甲斐もなく、泣き叫ぶ自信あった。
試しに腰に佩いた短剣を抜き、指を切ってみる。安心すべきというべきか当然というべきか、痛みは感じなかった。若干の圧迫感と僅かな熱、切り口は赤い線が走るだけでグロテスクな表現は緩和されている。
もっと大きなダメージを受ければ痛みに似た感覚を覚えるのかもしれないが、それも僅かだろう。
不安も解消されたところで、さあ冒険だ。
もう一度周囲を確認する。
正面には広い草原が広がり、それを囲むように森が広がっている。私の立っている丘は後ろへ向かってなだらかに続き、途中から先は見えない。しかしその更に遠方には山脈と思わしき尖った山々が連なっているのが見えた。
森に入ることは何となく避けたかったので、とりあえず丘の頂上を目指して歩きだす。
しかし、それにしても。
「本当に現実みたいだな」
踏みしめる草の柔らかさや、地面に混じる石の感覚まではっきりとわかる。初期装備なので簡易的な靴しか履いていないせいもあるのだろうが、それにしたってだ。
ここまで技術が進歩していると、いっそ恐ろしさを覚える。
情報に直に触れていないと、未知とはこうも手ごわいものだったか。
「食わず嫌いなどしている場合ではなかったかもなあ」
まあ今更な話なのだが、こうして今体験できているので、存分に味わおう。 それはともかく。
「初期位置はランダムなんだろうか?」
私はてっきり最初の町のような場所からスタートすると思っていただけに、これが普通なのか分からなくなった。
そういえばホーム画面に掲示板機能があったが、そこを確認すればもしかしたら他のプレイヤーの初期位置が判明するかもしれない。
とはいえ、それは後でもいいだろう。まずは周りを確認してからだ。
丘の頂上へたどり着いた私は、周囲を見渡してみた。
草原の周りを囲む森はやはり深そうで、高い位置から見ても向こう側が見えない。山脈が見えた方向にはなだらかに坂が続き、途中から大きな岩が増えていた。そこから先は天然の道のように、森が分かれている。
恐らく森はしばらく続くのだろうが、岩が転がっている方向に進めば山には向かっていけるはずだ。死角の多い森の中へいきなり入っていくのは、流石に勇気が必要で、とりあえず視界の開けたところを辿るように進んでいくことにする。
「あ、マップはどうなっているんだ?」
ホーム画面を呼び出すと、左上のマップをタッチする。 表示された地図には先ほどまでいた草原や森が映っていて、それぞれアーバンス草原とコアンの森と書かれていた。
しかし、それ以外の場所はすべて灰色になっている。行ったことのない場所は分からない仕様のようだ。 といっても、表示をワールドマップにすればなんとなくの位置は分かる。
今居るのは恐らく大陸中央部からやや南東で、向かおうとしている場所にはやはり山脈が存在していることが見てとれる。単純に考えれば森を抜け、大陸の中央を目指せば町があるのだろうとは思う。
分かってはいるのだが。
「手入れされてない森は怖いんだよなあ……」
トラウマというほどではないが、まあ、昔怖い思いはしたことがあるのだ。
伊達に歳はとっていない。
そんな経験無い方がいいとは思うが。
とにかく、ひとまず山を目指していこう。というよりも、開けたところがその方向以外にない。
それにせっかく種族をドワーフにしたのだから、やはり山へ向かわないといけないだろう。そうだろう。
内心ウキウキとしながら、私は丘を降りて行った。
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