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8話 課せられた唯一のルール

「かんぱーい!」

 

 水無瀬さん含めて四人の女子と、僕含めて五人の男子が一堂に会した。

 

 特段なにもない居酒屋。ただ客も学生、店員も学生、値段は手頃でかつメニューも手書きで、悪くない雰囲気の飲み屋。

 研究学園都市——言い換えれば、研究所と大学しか無い都市、それは学生と研究者、それに扶養される人間しかいない都市と言う意味だった。

 

 僕たちは早速飲み物をオーダーし、ドリンクが程なく全員の手に渡った。

 もちろんみんな未成年ということでアルコールは無し。昨日の新歓に辟易してた僕は、居心地の良さを感じていた。

 

「水無瀬さん、今日は企画ありがとー」

 

 主催者である彼女にお礼の言葉が飛び交う。

 ……僕は彼女が主催者か疑っていたのだけど、どうやら本当らしかった。

  

「みなさんのお陰ですよ。哲さんも、ありがとうございます」

 

 彼女は彼女でそう()()()()

 いや、あくまで僕にそう見えているだけで、他の人には心からの感謝に聞こえているだろう。

 ……自分でも捻くれた見方に思えるが、()()を聞いた後だと、そう捉えてしまう。

 

(というか、そこで僕の名前が出るのか?)

 

 あまりこういうものに慣れていない僕は、傍観者に徹することが多かった。

 唐突な水無瀬さんからの振りに少しうろたえるも——

 

「高崎も、良くやった!」

 

 男友達が茶化したことで事なきを得た。

 

「……気になってたんだけど、二人とも前から知り合いなの?」

 

 一つの疑問が呈される。

 水無瀬さんは『はてな?』と言った感じで、さきほどの社会的なコミュニケーションから外れた表情を浮かべる。

 

「いや、高崎のこと下の名前で呼んでるから」

 

(そういえばそうだった)

 

 ただ、完全に彼女のは鈴佳と僕のやつが伝染したからだと思ったものの、それを僕が言うのもなんか違う気がした。

 

「あ、そうですね……。特に理由は無かったのですが……」

 

「じゃー、俺も!」

 

 そこからそれぞれの下の名前を呼び合うよく分からない会になったけれど、それはそれで楽しかった。

 

 × × ×

 

 ご飯会の終わり、帰り道。

 

 社会的なコミュニケーションを行うことで張り詰めてしまった緊張を解きほぐしながら、僕は帰路についていた。

 

 順当な大学生活、順当な滑り出し、僕の心は浮ついていた。

 男女問わずこうした気兼ねないコミュニケーションが取れるのは小学校以来——だったからだ。

 

 ——ふと、あの時のことを思い出し、頭をぶんぶんと振った。

 

(あの時とは違う——)

 

 そうやって、僕は家に帰るためバス停に向かっていた。

 暗い夜道。まだ肌寒いけれど、夜風は透き通っていて気持ちよかった。

 

 もうこの時間になると、バスの乗客はゼロか、数人程度、遠くに見えるバス停のベンチには一人覚えのあるような人影が見えた。

 珍しいなと思いつつ、バス停に近づく。

 

 少し違和感を覚え目を凝らすと、バス停のチカチカする明かりに照らされていたのは、紛れもなく——鈴佳だった。

 

 心なしか彼女のいつものような元気溌剌で奔放とした雰囲気はなく、無表情で何か思い詰めた顔をしているように、見えた。

 

 ——心拍数が跳ね上がる。

 

(なぜ?)

 

 僕は嘘を——いや、嘘と取られかねないことを彼女に言っていたけれど、それを彼女は知らないはずだと、心を落ち着けようとする。

 バス停までの数歩が非常に長く感じられた。

 

 そして何にも無かったかのように、鈴佳に挨拶をしようと——

 

「——ご飯会、たのしかった?」

 

 瞬間、鈴佳はトドメの様な一言を言った。

 僕は冷や水を浴びせられたような気分になる。

 

「あ……」

 

 声が出てこない。弁解をしようにも、筋が通った言い訳が思いつかない。

 

「鈴佳のこと、()()なんじゃなくて、()()なんだよね?」

 

 僕が彼女の誘いを、最初に断った時の言葉だった。彼女は続ける。

 

()()時も同じ。都合の良いことだけ言って、騙して、棄てて——」

 

 彼女のアシンメトリーな前髪が揺れる。感傷を刺激する熱っぽい声が耳に響く。

 

「もう鈴佳は、()()()()()()()のに——」

 

 どういうことだ、と疑問を呈する暇もなく、彼女は顔をぐしゃぐしゃにしながら、言葉を紡ぐ。

 

「もう、いいよ。……もしかしたら、今は、今度こそはって思ったのに。鈴佳はずっと、あっくんのこと想い続けてたのに」

 

 その——ある意味吹っ切れたような表情が僕には怖かった。

 彼女はボロボロの便箋を取り出す。小さな小瓶に入った、丸めた小さな便箋。

 

 見覚えがあった。

 

 僕がまだ付き合うという言葉を知らなくて、彼女に結婚を申し込んだ時の便箋。

 

 自分は何をした?

 

 鈴佳の気持ちに一度だって向き合ったことがあるか?

 僕は自分の記憶に、向き合おうとしたことはあるか?

 

「……そうだよね。鈴佳のことなんて、興味ないんだから、忘れちゃってるよね」

 

 違う、と言いたいが、言葉が出なかった。

 完全に状況に気圧されていた。

 

 けれど、それは違うと、言いたかった。

 声を絞り出すように言う。

 

「ちが……う」

 

「何が違うの? 事実だよね? ——実際あのあと一度も、連絡なんてくれなかったのに」

 

 畳み掛けるような鈴佳の言葉。

 けれど、僕もこれまで積み上げてきた——縛られてきた過去があった。

 どうしても——反論したくなった。

 

「違う——怖かったんだ。鈴佳といると否応なしに、気になってしまうから、一緒にいるのが怖かっただけ」

 

 ひくんと鈴佳が驚いたように、目を見開き、不意打ちを食らったようにこちらを見る。

 

 僕は負けじと続ける。

 

「ずっと——これまで、小学校を出てから中学に入り、高校に進学し、大学生になるまで、忘れたことは無かった、よ」

 

 思い出しつつ、苦笑いしながら僕は続ける。

 鈴佳の目がさっきの無表情とは異なり、熱っぽくうるつくのが分かった。

 

「そう——だったから、鈴佳から逃げてしまったけれど、普通になろうって——鈴佳を避けてたけれど、今も僕は鈴佳に惹かれ続けてるのは——本当だ」

 

 ぽたりとこぼれ落ちる鈴佳の涙と、僕の涙。

 

「ただそれは、鈴佳のことを裏切る理由にはならないから——どんな償いだって、する」

 

 一瞬、言い切っていいのか躊躇った。

 こんなことに意味があるのか、後戻りするだけじゃないかと。

 でも——僕はあの過去に決別するために、そうしなきゃいけない気がして——言い切った。

 

「じゃあ——じゃあ、それがわかるまで、あっくんは鈴鹿とずっと一緒にいてくれる?」

 

 鈴佳はただそれだけを前もって用意したかのように言った。答えはそれしか無いと言った様に。

 

 僕はその言葉に——頷いた。

 

 途端、鈴佳が僕を抱きしめた。

 

 あの頃のような、彼女の熱っぽい熟れた桃のような呼気、あの頃よりは大きいけれど小さな手、手汗でじっとりとした肌、あの頃とは違う女の子らしい身体。

 

 そうして彼女が耳元で囁いて提示したルールは一つ——答えが出るまで、鈴佳から片時も離れてしまわないこと。

 そしてそのために——鈴佳と僕がずっと繋がっていること。

 

 僕はその時、鈴佳のその言葉に頷く意味をちゃんと考えられていなかった。

 

 二人の人間が常に繋がりを持ったまま、生きることの難しさと、そこに必要とされる意志。

 

 そして——そこで向き合う僕の過去の重さを。

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