7話 嘘と原罪
昨日までの心配はどこへやら、守備良く男子集団に紛れ自己紹介した僕は、想像した通りの大学生活を過ごしていた。
とはいえ、まだ仲間内で馬鹿をやるまでは打ち解けていないけれど。
「次の講義、何処だっけ?」
誰かが問う。ここのところオリエンテーション続きで、僕たちは学内の至る所を回っていた。
国内屈指のキャンパスの広さであり、キャンパス内と言えど、離れた棟への移動は一苦労だ。
他の誰かがシラバスを開き、あからさまにテンション落ち気味の声で言った。
「……あ、三学だ……」
「えー、まじかよ」
三学はここから離れたエリアの名前で、歩いていくとそれこそ三十分ほどかかってしまう。
僕のそれまでの一仕事やりきった気分は霧散し、気が重くなりつつも口を開いた。
「……あー自分、まだ自転車買えてないから、バスで、行くわ」
そう僕が言うと、軽い返事があり、僕は少し安堵した。
「そんなことじゃ、この広い学内でやってけないぞー。じゃあ、また後でなー」
教室から出て行く今日できたばかりの男友達を見送った。
教室に静寂が戻る。
——実のところ、自転車が無いというのは嘘だった。本当は少し離れた所に止めてしまっていただけ。
ただそれを説明して、みんなでゾロゾロとそこまで行くことが自分は嫌だった。
……自分のことで、他人を煩わすのは、苦手だった。あの頃からずっと。
これは持病のようなもので、これがある限り人とは親しくなれないんじゃないかと少し憂鬱になった。
そんな風に少し落ち込んでる時に、後ろから声をかけられた。
「哲さん、どうしたんですか?」
——水無瀬さんだった。頭の切り替えが追いつかず、数秒固まる。
「……水無瀬さん、おはよう」
デジャヴか、こんなやりとりが前にもあったような。
「もう、こんにちはの時間ですよ」
彼女はふふっと微笑する。
「バス、行きませんか?」
意外だった。彼女はてっきり、もう仲良くなった同級生の女の子達たちと、一緒に行ってるものだと思っていたから。
「水無瀬さんも自転車まだなんだ」
「いえ、私は……」
水無瀬さんは恥ずかしそうに、言いにくそうに言葉を濁す。
「もしかして——」
「……? どういうことですか?」
僕は少し興奮しながら、さっき起こったこと、思ったことを説明する。
すると水無瀬さんは少し呆れた顔で言って、苦笑した。
「なんですか、それ……。哲さん、私よりも重症かもしれませんね」
彼女はじっと足元を見て、軽く頬を染めた。
「——私、自転車乗れないんです」
× × ×
恥ずかしいやら自分が情けないやらで、僕はバスの中で項垂れていた。
隣には、水無瀬さんが座っている。
「もう、顔をあげてください」
「いやー……」
勝手に期待して、勝手に落ち込んで、非常に面倒くさい性格だなと自分に対して思う。
水無瀬さんはしょうがないなぁと言った風に、話題を変えた。
「鈴佳さんはどうしたんですか?」
そう言えば、姿を見なかった。
僕は自分のことに精一杯だったから、気づいてないだけかと思っていたが、水無瀬さん曰くそうではないらしい。
「鈴佳さんは……決して悪い意味ではなく、元気な方なので、いたら絶対気づくと思いますよ」
違いなかった。
居ようものなら、講義中に教室の後ろのドアをガラリと引き、背中をパシンと叩いて名前を呼んでくるあいつの姿が頭に浮かんだ。
……それは、自惚れかもしれないけれど。
「二日酔いかな?」
可能性の一つだが、昨日のことを考えると確度的にそれが一番高そうだ。
逆にあれで二日酔いにならなかったら、どれだけザルだという話になる。
「確かに昨日の鈴佳さんを見れば、否定は出来ないです……」
と、水無瀬さんは思い付いたように、手を打った。
「あ、話は変わるのですが——」
水無瀬さんがさっき仲良くなった女の子達と、僕のさっき出来た知り合いを集めて、新入生同士ご飯でもいかないかというお誘いだった。
「——どうですか? 入ったばかりですし、同じ学部の知り合いを増やしておくのは、悪くないと思いますよ」
僕は彼女の積極性に少し驚く。
あるいは——同じコミュ障仲間だと思っていたのに、自分とは違っていたという、疎外感なのか。
口をついて、それが出てしまった。
「思ったより……」
「思ったより、コミュニケーション能力がある、ですか?」
……彼女は言いにくい先を言ってくれるので助かるが、それに甘えてしまう自分もどうかなと思う。
彼女は続ける。
「そうした方が楽だから、してるだけです」
なるほど。あくまでも、必要だからというわけ。
「そりゃあ、あいつらも喜ぶだろうから、断る理由はないよ」
昨日とはうって変わって、順調なスクールライフを歩んでいるように思ったのだ、この時は。
× × ×
「あーっくん!」
水無瀬さんと別れた直後、後ろからタックルかましてきた鈴佳に僕は非常に驚いた。
じゃれるようにゆるく抱きつかれる。
「ちょ……、離れて」
少し離れた水無瀬さんが何かの間違いで後ろを向いた時に勘違いはされたくなかったし、男友達に早々変な先入観を植えつけてしまいたくもなかった。
取り敢えず少し強引にでも、鈴佳の身体を引っぺがした。
あの頃とは違って、自分が本気を出せばすぐに彼女を、引き剥がせた。
「……むー、鈴佳のこと、嫌いなの?」
二回目となると昨日のこともあり、僕はあからさまに軽くいなす。
「あーはいはい、苦手だから、少し離れようね」
「むー……」
鈴佳はむくれて俯く。アシンメトリーで片側だけ長い前髪が、片目を隠す。
ちらりと赤いインナーカラーが見える。
「一限どうしたの?」
「起きたら、お昼だった……」
予想は的中していた。
「昨日飲み過ぎだって、鈴佳のことだから僕は特に何も言えないけどさ」
そう諫めると、鈴佳は自信満々に言った。
「起きたら、家だったから大丈夫だよー」
……え?
「……まさか、覚えてない?」
鈴佳は言っていることの意味がわからないという様子。
「何がかな?」
「……お酒、程々にした方がいいぞ」
渋々頷く鈴佳。分かってるのか、分かってないのか。
万華鏡のように鈴佳は、今度はパッと顔を明るくして、何かを思い付いたかのように言った。
「あっくん、今日終わった後、ご飯いかない?」
今日はさっき約束した水無瀬さんとのご飯会があった。
鈴佳を呼ぶことも考えたけれど——昨日の新歓みたいになったら嫌で、悪いけれど鈴佳には黙っておくようにした。
少し心を傷ませつつ、夜は予定があるから無理だと告げた。
食い下がると思いきや、意外に素直に鈴佳は引き下がった。
「そっかー、わかった!」
ふと——何か鈴佳が隠しているような、そんな違和感を覚えたものの、単なる気のせいだと思って、それ以上触れなかった。
その後、鈴佳はトイレに行くと言って、どこかに行ってしまった。
——そして次の講義に男友達や水無瀬さんは無論いたけれど、鈴佳は最後まで現れなかった。
少し居心地の悪さと胸騒ぎを感じつつ、夜のご飯会を楽しみにしながら、僕は講義を受けた。




