17話 手品の種は——
あれを予言した、水無瀬さんからの着信。
鈴佳が寝息を立てているのを見届けてから、僕はゆっくりとアパートの外に出て着信を受け取った。
部屋には鍵をかけ、近くの公園に向かう道すがら、携帯越しに話す。
「哲です」
——夜風が、少し寒い。
電話越しの彼女は、自宅にいるんだろうか。
「ふふ、久しぶりの哲さんの声です。——その様子だと、囚われの身の上からは、脱せたようですね」
上機嫌な彼女の声。彼女はこうなることを知っていた——。
「水無瀬さん、何で」
その理由が知りたくて、彼女に声をかける。けれど、何とも言えない答えが返ってきた。
「私は貴方以上に、鈴佳さんのことを知っているんですよ」
上機嫌で水無瀬さんは続ける。
「それは、どういう——」
「ふふ、教えてあげません。哲さんが思い出すまでは」
煙に巻くような彼女の言葉。
やはり、彼女は僕の知らない何かを知っている。あるいは——僕が見落とした何かを見つけている。
まぁ、今はそれはいい。
取り敢えず今は、事態が進展したことを喜ぶべきだろう。
「でもこれで、教室で水無瀬さんともまた話せるようになったかな」
それは本心だった。
けれど彼女はにべもなく返す。
「私——哲さんのこと嫌いです」
しかし、少し優しい声で言った。
「でも、今は——それでいいですよ」
その言葉の意味を考える。
彼女は続ける。
「けれど鈴佳さんとの関係は、このままでいいのか、いけないのか、それが問題です」
説教するような、彼女の言葉。
「私も、立派に生きろとまでは、言いませんが、それで失うものは考えてください」
僕は、耳に痛いそれが戯曲の一節を指していることに気づいた。
古典と哲学書は僕のベースだから。
「ハムレット。水無瀬さん、古典読むんだ」
また、自分と似たところを見つけて、僕は少し嬉しくなった。
「——っ……今日はこれで失礼します」
電話越しでも分かるぐらい、一際大きく水無瀬さんが息を呑んだのが分かった。
僕は、なにか間違ったことでも言ってしまっただろうか。
「まだ私には、貴方と向き合う覚悟がないのかもしれません——」
上機嫌だった水無瀬さんは、トーンダウンした声で続ける。
言葉の真意は分からない。何も分かっていない僕は、戸惑ったまま声をかけられなかった。
「哲さん、おやすみなさい」
けれど——どうやら、まだ次はあるようだった。
「おやすみ」
挨拶をして、電話を切る。
数分のその電話が、僕にはなんだかとても嬉しかった。
× × ×
次の日——Amazonから届いた荷物を開けると、頼んだ覚えが無いものが入っていた。
実家で見たことがある、トイレの隅に設置してある小さなゴミ箱。
そして今いる部屋には設置していなかったもの。
「あ」
サニタリーボックス、生理用品。汚物入れ。
僕が環境の変化による風邪だと思ったものは、彼女の生理によるもの——。
(水無瀬さんが——ああ言うわけだ)
あの頃とは、違う。
サニタリーボックスを手に取る僕に、鈴佳が後ろから声をかける。
「あっくんの、バカ……。しられたく、なかったのに」
少し体調の良くなった鈴佳は、時たま寝床から起きて、家事をしている僕に絡む。
僕は鈴佳の頭をぽんぽんと叩いて言った。
「ごめん」
鈴佳は顔を少し赤くして俯く。
あの頃のように、頬を赤くして俯く彼女は、小さな声でぼそりと言った。
「ずるいよ……」
× × ×
僕たちはあの頃とは違って成長している。
心も——身体も、大人になりつつある。
それなのに、僕はあの頃を引きずって、そして同じくあの頃を引きずっている鈴佳と、こんなことをしている。
その先に何があるのか、ちゃんと考えているのか?自問自答する。
このまま進めば……どうなるか多少は予測がつくだろう。
でも僕は——それが分からなかった。
いや、考えないように、していた。
二人の間で許し合っていたら、ずっと緩い関係を続けられるなんて、そんな空想を抱いていた。
『このままでいいのか、いけないのか、それが問題です』
水無瀬さんの声を思い出す。
——変わらないといけない時は、近いように、感じた。




