16話 予見と予言
「ちょっ……鈴佳?」
ぐんぐんと歩いていく鈴佳に手を引かれ、僕は講義棟に向かっている。
——三分前、僕は食堂でご飯を鈴佳と共に摂ろうとした。
一口目を食べようとした時、突如鈴佳が真っ赤になって押し黙ってしまった。その後、ご飯をそのままにして鈴佳が僕を連れ出したのがさっき。
何かいつもと様子が違い、彼女のどこか気が強く能天気ないつもの面持ちは失われていた。
どちらからというと、少し切羽詰まった恥ずかしそうな顔で僕を引っ張るので、強く抵抗するのも気が引けて素直に鈴佳に付いていった。
鈴佳の手汗はいつもより湿っていて、その様相を表すようだった。
「あっくん——」
鈴佳が立ち止まり僕の名前を呼ぶ。
なんだか久しぶりな気がした。
「と、着いたか。って——」
そこは、講義棟の人気が無いトイレ。
男子、女子、多目的トイレがあった。
なるほどと思い、先を促す。
自宅で——トイレに連れ込まれた時に覚悟は決めていた。
誰かに見つかる前にと、多目的トイレに鈴佳を先に行かせる形で、向かおうとする。
「ううん、あっくん——」
鈴佳が口をぱくぱくさせながら、何か言葉にならないものを伝えるみたいに、手振り身振りで僕に何かを訴える。
こんなにおたおた狼狽えている鈴佳を見るのは初めてだった。
「さ、三メートル以内なら、セーフだから!」
そういきなり宣言した鈴佳は手を離し一人で多目的トイレに入った。
「あれ……?」
一人取り残された僕は、廊下で鈴佳が出てくるのを待った。
(いや、確かに二人で入るのはおかしいんだけど)
ただ執拗なまでにルールに拘ってきた彼女が、ここでそれを投げ出す理由が分からなかった。
けれど、充分悩んでいたように見えたので、投げ出すというのは言い過ぎか。
何かと天秤にかけた上で、別のものを優先する判断をした、というのが正しいだろう。
体調が悪そうだったことと、何か関係があるのだろうか。
「何か変なものでも食べたかな……」
というか、まだそちらの方に立ち会ったことは無いから、それか?とも一人思う。
——数分し、トイレから出てきた顔面蒼白の鈴佳を見て、僕はそれまでの思考をかなぐり捨てて肩を貸した。
× × ×
自宅。もう手を繋がなくなった僕らは、それでも一緒に過ごしている。
出来ることを考え外に出ようとすると、ベッドの上、布団の中で丸まっている鈴佳に声をかけられた。
「あっくん……いっちゃうの? これなら——無理にでも手を繋いどくべき、だったかな……」
少し胸が痛むが、これが何の感情なのか僕には分からなかった。
「鈴佳が今できないことを、僕はやるから、今は休んでいて」
そう言って、鈴佳を撫でると、仕方なそうに、僅かに嬉しそうに——彼女は目をつぶった。
「……うん、わかったよ。あっくん」
僕は急いでスーパーに行き、ポカリと——うどんを作るために材料を買った。
鶏肉、人参、干し椎茸、冷凍うどん、出汁の素。
(ポカリは常温。野菜は……生姜も入れとくか)
他人のために何かしようと思うと、いつもより頭が回る気がした。
これも鈴佳と過ごして気づいたことの一つ。
× × ×
「熱は……無いか」
鈴佳に咥えさせていた体温計の表示を読み取り、少し安心した。
「まぁ、環境の変化があったし、疲れたのかな」
軽く鈴佳の頭を撫でると、子犬のように嬉しそうに目を瞑った。
いつもより、大人しく、しおらしい。
鈴佳の根本にある溌剌とした元気さが、何かに抑圧されているのだと感じる。
「今日は早めに寝なよ」
こくりと頷く鈴佳だった。声を出すのも少ししんどそうに感じる。
× × ×
鈴佳は僕の作ったうどんをゆっくりと三分の一ほど食べた。
そのあと、申し訳なさそうにこちらを見たので、ぶんどって残りを全部僕が食べた。
ここまでしんどそうだと、風呂は体力を使うと思い、身体を拭くための蒸しタオルをいくつか作った。
部屋は暖房をかけ、湿度を保つためにヤカンを沸かした。
枕元にはポカリ。洗面器。
ベッドは明け渡し、僕は床に夏布団を敷いて寝ることにした。ガンガンに暖房をかけているから、大丈夫だろう。
落ち着いたら、彼女の家から布団を持ってきても良いかもしれない。それでも敷布団は買う必要があるが。
ベットで横になっている鈴佳の方に目をやると、何かに耐えるように苦しそうな表情を浮かべながら、背中を丸め肩で息をしていた。
「……鈴佳、病院行く? 何かして欲しいことはある?」
自分がまさかこれを言う立場になるとはと、小さい頃実家で病気になった時のことを思い出す。
「——ぁは。心配、してくれるんだ」
「そりゃね……。こんな鈴佳、僕は見たこと無かったし」
「でもあっくん、大丈夫だよ……。鈴佳、いつもだから……」
途切れ途切れの声。強がりのような、にへらと笑う鈴佳。
「でも、そうだ。鈴佳が寝るまで、こうしていて」
一度離したその手を、もう一度握る。
——そうして、鈴佳から安らかな寝息が聞こえる頃、その瞬間を見計ったのように僕のスマホに着信があった。
そう、自由になると予言した、彼女から。




