15話 ミッシングリンク
——大学の講義は、高校のそれと違って空気が緩い。
席は自由で途中入室退室も咎められず、ぱらぱらと時折私語も聞こえている。
ただそれでも——講義をしている先生に遠慮はしつつの緩さだ。
こいつを除いては。
講義中に大胆にも机に突っ伏す鈴佳の髪は一部机からはみ出ていてむしろ怖い。
机からはみ出た髪を少し整えた後、鈴佳の肩を軽く揺する。
彼女の肩は細く、服越しに柔らかな肌を感じ、ゆすると言うよりは大切に撫でるような形になった。
逆に気づかれないのではと思ったが、それは杞憂で眠そうな声が聞こえた。
「……んん、鈴佳は眠いんだってば、あっくん」
机に突っ伏したまま、こちらを向きにへと笑う鈴佳。
その声で多少の衆目を集めてしまい、僕は諌めるように彼女にしーっと目くばせをする。
僕も眠いは眠いが、どちらかというと先生への申し訳なさや、義務感が募ってなんとか起きられていた。
——方や、鈴佳はそんな事は気にしていないようだった。いや、登校初日から遅刻してきたから、そういう奴だとは思っていたけど。
「だから、鈴佳は寝るね……」
一応、一縷の望みをかけて、起きることを打診してみる。
「あと、十五分で終わるぞ」
にべもなく、鈴佳は言った。
「終わったら、起こしてねー」
ぷらぷらと振られる鈴佳の右手は完全にやる気のないそれだった。
しょうがないなと思い、再度机に突っ伏す鈴佳をやれやれと見送る。
× × ×
特段、昨日と変わりはなかった。
違うのは、昨日とは違って話しかけようとしてくれる級友もいないこと。
昨日の——水無瀬さんとのやりとりを見て、こいつらは駄目だと思ったのかもしれない。
孤立するのは、怖い。
怖いけれど——だからと言って群れて本当に気になっていることを、有耶無耶にして生きていくのも、辛いということをこれまでよく知っている。
小学校を出てからの、中高六年間——僕はそれを嫌というほど知っている。
僕はその過去と訣別するために、いま、こうしている。
× × ×
——と、鈴佳が寝入った瞬間、人影が隣に見えて僕はびくりと慄いた。
それは人影が見えたのもそうだけれど、鈴佳が寝入った瞬間だったのが大きい。
——なぜなら、僕は鈴佳の挙動を逐一チェックしているからその瞬間は分かる。
だって、スマホ一つ触るのにも、鈴佳を気にしなければならないから。
警戒したのは——それを僕以外に見て、その瞬間を狙って僕の隣に来たからだった。
柑橘系の匂いがふわりと香る。香水というには仄か過ぎる、どちらかというとニュアンスのような香り。
(ああ——)
それは——水無瀬さん、その人だった。
彼女の横顔は凛としていて、まるでこうしてるのが当然だとでも言うように——僕の左隣に座っていた。
(こういうのは、久しぶりだ)
こうなってから、そもそも同級生は僕たちと距離を置くようになってしまった。
当然の如く、僕は鈴佳と話すしか無く、僕は鈴佳以外の人間と向き合うこと事態が久しぶりなっていた。
だから——、いやそれがあのやりとりをした水無瀬さんだったからこそ、僕は少し嬉しくなった。
ただ彼女の名前を呼ぼうとすると——彼女は人差し指を自分の口のつけ、先程の僕の行動をなぞるようにしーと横目に鈴佳を見ながらジェスチャーした。
僕の右手は鈴佳と繋がっている。
気取られるな——ということだろうか。
途端——水無瀬さんは指を絡めるように僕の左手を握った。
緩く握られる手は、鈴佳とは違って熱や水分は少なくて、さらりと心地よい冷たさが感じられた。
右手と左手の感触は、まるで対照的なコントラストだった。
(何を——)
僕が混乱する中、彼女の挙動を観察すると、机の下で上手く周りから隠しているのが窺えた。
つまり——僕と鈴佳のような、同級生達を遠のけるような、あからさまな行為は行わないという意思表示。
社会性があれば——もちろん、そんな迂闊なことはしない。
ただそこに、それでもこういうことをしているという矛盾が生まれる。
僕が意図を測りかねていると、彼女はルーズリーフに文字を小さく書いた。
『あきらくん、』
——その文字を見た途端、僕の頭の中を何かが駆け巡った。
教室の雑音が消え、まるでその言葉だけが取り出されたように、その言葉に何か意味があるかのように、僕の心はそれに束縛された。
音が戻ったのに気づいて時計を見ると、数分進んでいて、代わりに僕の心臓はバクバクと脈打っているのが分かった。
何かが頭の中で引っかかっている。
——直後に、水無瀬さんが続けて書いた文章を見て、僕は言葉を失った。
『たぶん、もう少しで自由になれますよ』
水無瀬さんは——彼女は、何だろう。
何を、知っているのか。
彼女と共有する思い出なんて、そんなに無い、はず。
鈴佳が誘って、新歓で飲んで、鈴佳を送って、あんなことになった後話しかけてくれて、電話、メッセして……。
僕が見落としている、あるいは忘れている何かが、その中に、あるのか?
『ごめんなさい。困らせるつもりはなくて』
左利き、なのだろう。さらさらと踊るペン先には迷いがない。
そう言われて当然だと思っていたけれど、こうしている水無瀬さんに比べると、昨日の電話越しの彼女は意地悪だと捉えることも出来る。
『また夜、電話しますね』
そう彼女は書いたかと思うと、ルーズリーフを持って元いた席へと戻った。
途端——チャイムが鳴る。
鈴佳は何も無かったかのように、起き抜けに言った。
「あっくん、鈴佳お腹へった!」
(はは……)
鈴佳は何も気づいていない。
水無瀬さんは——何かに気づいているのだろうか。
夜の彼女との会話、あるいは一方的な対話に思いを馳せながら、僕は鈴佳と食堂に向かった。




