表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/29

11話 バスルーム未満、たらい以上

 ぽちゃんと天井から雫が水面に落ちる音が聞こえる。


 浴室の湿度は高く、今にものぼせてしまいそうだった。


「——あっくん、めーあけてってば」

 

 彼女の声が反響する。

 ぐしぐしと彼女が僕の顔を触るのが分かる。

 

 僕は観念して目を開けた。

 

 × × ×

 

 一時間前——

 

「もー、鈴佳、昨日入れなかったしお風呂入りたいな」

 

 水無瀬さんとの一騒動の後、彼女がそんなことを言った。

 たしかに、なんだかんだで、一日以上お風呂に入っていない。

 

「お風呂沸かそうか」

 

 幸い、お風呂は上がる時に掃除したので、お湯を溜めるだけで済む。

 この狭い浴槽を、手をつなぎながら掃除するのは無理だろう。

 ……次はその無理を通さないと気づいたが、それは気づかなかったことにした。

 

 お湯が溜まると意気揚々と鈴佳は服を脱ごうとした。が——

 

「……ぬげない」

 

 朝のように、鈴佳には何か考えがあるんだろうと思ったが、特になかったようだった。

 

 僕は自明なことを言う。

 

「手を繋いだまま服を脱ぐのは、無理な気がするけど……」

 

 鈴佳は、んーと唸りながら部屋の中を見渡す、そして段ボールをまとめるのに使っていたビニール紐を手に取った。

 それを器用に片手でそれを数メートルほどに切り、割いて細くなったそれを使って僕と彼女の足首を繋いだ。

 

「これなら、セーフだよね?」


 物理的に繋がっていることがルールなのだから、必ずしも手を繋ぐ必要はない、と。

 

(これはセーフなのか?)

 

 ……それが分かっていれば、昼間のことも回避できた気がするが、後の祭りだった。

 

 僕たちは、一日ぶりに手を離す。

 鈴佳が名残惜しそうに僕の手を見つめていた。

 

 手には、じっとりと鈴佳の垢がついているように思えた。

 彼女の手首を見ると、ぷつりと赤い汗疹のようなものができている。

 

(肌、大事にしてやらないと)

 

 ——と、鈴佳ががばりと上着を脱ぎ始めた。

 

「ちょっと待てって——」

 

 僕は急いで目をつぶる。

 心なしかむわっと生暖かい蒸気に、凝縮された鈴佳の匂いが乗って香った。

 

「あっくんも、ほら、ぬぐのー」

 

 鈴佳に服を掴まれ、自分でやると言ってなんとか自分も服を脱いだ。

 ……鈴佳の手が肌に触れた時、情けない声をあげてしまったが。

 

 そして今度は手首に紐が結ばれる感触がした。

 そしてすとりと肌から何かを抜き取る音がして、順当にズボンを脱がされそうになったので、自分で脱ぐ。

 

「ほらー、はいろう?」


 意気揚々と浴室に向かう鈴佳。

 

「あっくん、さきねー」

 

 彼女は僕を浴槽に追いやろうとする。

 鈴佳は身体を先に洗いたいのだと察して、僕は先に浴槽に使った。

 

 ——察せていなかった。

 

 少し落ち着いたと思った時、ざぶりともう一人が浴槽に入って——きていた。

 

 × × ×

 

 目の前には鈴佳が、僕の膝にまたがる形で湯船に浸かっていた。

 

 肌色。首筋とそこから繋がる鎖骨。ゆるりとささやかな乳房が見えた。

 

「っ——!」

 

 恥ずかしくなってかぶりを振る。

 

「——あっくん、どーてーなの?」

 

 ずがんと頭を殴られた気分になる。

 なんだろう、逃げ場のない尋問。

 

「いいんだよ。それでも、鈴佳がおしえてあげるから」

 

 彼女の手が僕の頬に添えられ、僕()()がびくりと震える。

 

「ふふ、かーわい」

 

 僕は思考を逸らそうと、必死に話題を探した。

 なんだかんだ、これまでゆっくり話をすることを避けていた気がしたのだ。


 会話から()()()()()()を思い出す、糸口が見つかるかもしれない。

 

「鈴佳はさ——あの頃から考え方とかは変わった?」

 

「んー、あの頃かあ。一周して戻ってきた感じはあるかも」

 

 彼女は思い返すように言った。僕は先を促す。

 

「と言うと?」

 

「あの頃も——幸福論とかの哲学書は読んでたけど、その後存在とか定義とかプリミティブなものを読み漁った後、またそこに戻ってきたかな」

 

「それに——変わってたら、こんなことしてないよ」

 

 鈴佳が前屈みになり、僕の肩に顎を乗せる形で寄りかかる。

 上半身が緩く密着する。

 

「身体は——成長したけどね」

 

 自嘲気味に鈴佳は言った。

 僕は諌めるように言う。

 

「……まだ未成年だ」

 

「ふふ、あの頃はあっくん、そんな考え方はぜーったいしなかったのに」

 

 確かにあの頃の僕は、子供は無論、周りの大人全員、自分より頭が悪いと思っていた節があった。

 ——その中で、数少ない対等だと認めた相手が鈴佳だった。

 

「僕だけじゃない、鈴佳だってそうだった」

 

 鈴佳は()()()を決めて、それに則って彼女自身を()()として、周りの男子に奪い合わせていた。

 ——その中で、奪い合いに乗らなかった自分。

 

(どうしても、考えてしまう)

 

「……あの頃僕が違った行動を取っていたら——違った今もあったのかな」

 

「あっくんは、いましあわせ?」

 

 僕はそれに答えられなかった。

 彼女は言葉を続ける。

 

「鈴佳は——」

 

 数十秒、たっぷり含みがあった後に彼女は言った。

 

「——でも、今は——いいかな」

 

 今の鈴佳の静かな物言いを聞くと、普段の自由奔放な姿は、何かを()()()()()とした演技な気がしてしまう。

 

 僕は——僕()()は、幸せになれるんだろうか。


 浴室の外から聞こえる、スマホのバイブ音を鳴らしている相手のことを考えながら、僕は目をつぶりひとりごちた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ