11話 バスルーム未満、たらい以上
ぽちゃんと天井から雫が水面に落ちる音が聞こえる。
浴室の湿度は高く、今にものぼせてしまいそうだった。
「——あっくん、めーあけてってば」
彼女の声が反響する。
ぐしぐしと彼女が僕の顔を触るのが分かる。
僕は観念して目を開けた。
× × ×
一時間前——
「もー、鈴佳、昨日入れなかったしお風呂入りたいな」
水無瀬さんとの一騒動の後、彼女がそんなことを言った。
たしかに、なんだかんだで、一日以上お風呂に入っていない。
「お風呂沸かそうか」
幸い、お風呂は上がる時に掃除したので、お湯を溜めるだけで済む。
この狭い浴槽を、手をつなぎながら掃除するのは無理だろう。
……次はその無理を通さないと気づいたが、それは気づかなかったことにした。
お湯が溜まると意気揚々と鈴佳は服を脱ごうとした。が——
「……ぬげない」
朝のように、鈴佳には何か考えがあるんだろうと思ったが、特になかったようだった。
僕は自明なことを言う。
「手を繋いだまま服を脱ぐのは、無理な気がするけど……」
鈴佳は、んーと唸りながら部屋の中を見渡す、そして段ボールをまとめるのに使っていたビニール紐を手に取った。
それを器用に片手でそれを数メートルほどに切り、割いて細くなったそれを使って僕と彼女の足首を繋いだ。
「これなら、セーフだよね?」
物理的に繋がっていることがルールなのだから、必ずしも手を繋ぐ必要はない、と。
(これはセーフなのか?)
……それが分かっていれば、昼間のことも回避できた気がするが、後の祭りだった。
僕たちは、一日ぶりに手を離す。
鈴佳が名残惜しそうに僕の手を見つめていた。
手には、じっとりと鈴佳の垢がついているように思えた。
彼女の手首を見ると、ぷつりと赤い汗疹のようなものができている。
(肌、大事にしてやらないと)
——と、鈴佳ががばりと上着を脱ぎ始めた。
「ちょっと待てって——」
僕は急いで目をつぶる。
心なしかむわっと生暖かい蒸気に、凝縮された鈴佳の匂いが乗って香った。
「あっくんも、ほら、ぬぐのー」
鈴佳に服を掴まれ、自分でやると言ってなんとか自分も服を脱いだ。
……鈴佳の手が肌に触れた時、情けない声をあげてしまったが。
そして今度は手首に紐が結ばれる感触がした。
そしてすとりと肌から何かを抜き取る音がして、順当にズボンを脱がされそうになったので、自分で脱ぐ。
「ほらー、はいろう?」
意気揚々と浴室に向かう鈴佳。
「あっくん、さきねー」
彼女は僕を浴槽に追いやろうとする。
鈴佳は身体を先に洗いたいのだと察して、僕は先に浴槽に使った。
——察せていなかった。
少し落ち着いたと思った時、ざぶりともう一人が浴槽に入って——きていた。
× × ×
目の前には鈴佳が、僕の膝にまたがる形で湯船に浸かっていた。
肌色。首筋とそこから繋がる鎖骨。ゆるりとささやかな乳房が見えた。
「っ——!」
恥ずかしくなってかぶりを振る。
「——あっくん、どーてーなの?」
ずがんと頭を殴られた気分になる。
なんだろう、逃げ場のない尋問。
「いいんだよ。それでも、鈴佳がおしえてあげるから」
彼女の手が僕の頬に添えられ、僕自身がびくりと震える。
「ふふ、かーわい」
僕は思考を逸らそうと、必死に話題を探した。
なんだかんだ、これまでゆっくり話をすることを避けていた気がしたのだ。
会話からあの時のことを思い出す、糸口が見つかるかもしれない。
「鈴佳はさ——あの頃から考え方とかは変わった?」
「んー、あの頃かあ。一周して戻ってきた感じはあるかも」
彼女は思い返すように言った。僕は先を促す。
「と言うと?」
「あの頃も——幸福論とかの哲学書は読んでたけど、その後存在とか定義とかプリミティブなものを読み漁った後、またそこに戻ってきたかな」
「それに——変わってたら、こんなことしてないよ」
鈴佳が前屈みになり、僕の肩に顎を乗せる形で寄りかかる。
上半身が緩く密着する。
「身体は——成長したけどね」
自嘲気味に鈴佳は言った。
僕は諌めるように言う。
「……まだ未成年だ」
「ふふ、あの頃はあっくん、そんな考え方はぜーったいしなかったのに」
確かにあの頃の僕は、子供は無論、周りの大人全員、自分より頭が悪いと思っていた節があった。
——その中で、数少ない対等だと認めた相手が鈴佳だった。
「僕だけじゃない、鈴佳だってそうだった」
鈴佳はルールを決めて、それに則って彼女自身を賞品として、周りの男子に奪い合わせていた。
——その中で、奪い合いに乗らなかった自分。
(どうしても、考えてしまう)
「……あの頃僕が違った行動を取っていたら——違った今もあったのかな」
「あっくんは、いましあわせ?」
僕はそれに答えられなかった。
彼女は言葉を続ける。
「鈴佳は——」
数十秒、たっぷり含みがあった後に彼女は言った。
「——でも、今は——いいかな」
今の鈴佳の静かな物言いを聞くと、普段の自由奔放な姿は、何かを紛らわそうとした演技な気がしてしまう。
僕は——僕たちは、幸せになれるんだろうか。
浴室の外から聞こえる、スマホのバイブ音を鳴らしている相手のことを考えながら、僕は目をつぶりひとりごちた。




