10話 状況説明/再発
「……何かあったんでしょうか?」
チャイムが終わった頃に話しかけてくれたのは、水無瀬さん。
知り合ったばかりの男友達は、遠巻きに僕たちを観察していた。
「いや、特に何かがあったという訳では無いんだけど……」
鈴佳は隣で変わらずにこにこしていた。
以前と変わらない、鈴佳の様子。
ただ、鈴佳と僕はそうしている間も手を繋いでいて、座っている僕らのそれは——立っている水無瀬さんから見えていた。
(どう——説明すればいいのか)
言葉を続けない僕に水無瀬さんは少し怪訝な素振りを見せた後、席に戻っていった。
ただ去り際にちらりと僕を見たことだけが、記憶に残っていた。
× × ×
講義が一通り終わった後、僕たちは二人の家へと帰った。
その途端、携帯が震える。ちらと鈴佳を見るが、んー?といった感じで特に意思表示は無かったので、僕は電話に出た。
実家からだと思っていたのだけれど、それは水無瀬さんからの着信だった。
メッセンジャーアプリの音声通話。
「こんばんは、水無瀬です。哲さん、今大丈夫ですか……?」
恐る恐る、けれど大学でのような怪訝さは感じられない、真っ直ぐな声色だった。
所作の丁寧さは、昔の固定電話を思い出させた。
(大丈夫では、無いのだけれど……)
「あー、哲です。どうしたの、って……昼間のことかなとは思うんだけど……」
受話器越しに、小さく喉を鳴らす音が聞こえた。恐らくは当たりだったのだろう。
彼女はノータイムで言う。
「そうです。私は——哲くんとはもう少し分かりあえると思ってました……。あ——もちろん、人間的な意味で、ですよ」
反論したい。僕もあの時はそう思っていた。彼女が『人が苦手』と言った時、共感を覚えていた。
——けれど入学も早々、再会も早々、これでは説得力が無かった。
僕はあーとかうーとか口ごもってしまう。水無瀬さんはそれをフォローするように続けた。
「……すみません、落ち込ませてしまうつもりは、無かったんですよ。ただ、ただ私とは違う論理で動いているかなって、思っただけなんです」
「いや——、あれは理由があって——」
僕がなんらかの弁解をしようとすると、左手がぎゅっと握られたのが分かった。
見ると、鈴佳がむーといった感じで、ぶんぶんと首を振っていた。
「……いや、申し開きは出来ないかな」
「——私だって、まだ哲さんと知り合ってから日が浅いですから、昔からお知り合いの鈴佳さんとの関係なんて無理には聞けません」
「ただ——ただ、ですよ? あの時、私も少しは哲さんに心を許して自分を開示しました。友達として、理由、教えて頂くことはできないんでしょうか?」
僕の掌には、いつのまにか鈴佳の爪が立っていた。
頭を捻って返答を考える。
「——水無瀬さんは小さい頃、大事にしていた物ってあった?」
「……なんの話でしょうか?」
また昼間と同じように、怪訝そうに彼女は問う。
僕は怯まないように続けた。
「例えば、僕は砂場で拾うガラス片が好きだった。……あの頃は本当にそれさえあれば幸せだった」
少し声のトーンを落とす。
「今はあの時より感情は薄まっているけれど、未だに見ると心惹かれるものがある。ただ——年齢を重ねても、未だに説明できない感情が生まれることというのはあるんだ」
「そう言うものに、改めてこの歳になって、向き合いたいなと思うことがあるんだ」
自分で言っていて不安しかなかった。
水無瀬さんは、一呼吸、たっぷり考えたように言葉を返す。
「——それは言い方を変えると——昔恋仲にあった女の子とまたヨリを戻したい、ということを婉曲に言っただけ、ですよね」
ザクザクと言葉が突き刺さる。
「……端的に言えば」
「端的も冗長もありません……はー。でも、さすがに大学ではもう少し自重した方が良いと思いますよ。これは——友人としての助言です」
「……気をつけます」
「……いいんですよ。私には、関係ない事柄ですから」
少し寂しいなと思ったが、そんなことを思う間も無く、左手を強く引っ張られた。
——当然それは鈴佳、だった。
「——あっくん、なーがーいーよー」
——水無瀬さんの『えっ』という驚きが耳に残ったまま、携帯は床に落ちた。
鈴佳は匂いをつけるかのように、顔を身体を、僕に擦り付ける。
首に手を回し、鈴佳が僕にキスをしようとした。
「ちょっと、待っ——」
塞がれる唇と、侵入してくる鈴佳の舌と唾液。鼻から彼女の匂いが抜ける。
口内で交わる彼女の唾液と僕の唾液。それを彼女はすっと吸って飲み下した。
僕はというと、塞がれた口で息が出来なくなっていて、ぜーぜーと呼吸をしていた。
「あっくん、やっぱりキス、下手だねー。息、完全に止めちゃうんだもん」
「——誰とも、してなかったのかな? ううん、そうだよね」
「でも、これからはいくらでも、鈴佳が教えてあげるからね」
その時——鈴佳の目が、あの頃のように爛々と輝いているのに、気が、ついた。




