あなたの運命になりたかった
──貴方の『運命』になりたかった。
「コーデリア、僕と結婚してくれ」
そういって、私の大好きな花である、ガーベラの花束を差し出した、ジャレッドの声は緊張で震えていた。
ジャレッド。私の竜族の恋人だ。少しだけ、緊張しがちなところもあるけれど、そんな部分を含めて、大好きだった。
愛する人からの、嬉しい提案。頷かないわけがない。本当は、今すぐ花束ごと貴方を抱き締めたい。でも。
「私で、いいの? 私は──」
「番じゃないかもしれない。でも、僕は君を愛してる。君以上に、愛しい人なんていない」
ジャレッドは、迷うことなく言い切った。
竜族には、それぞれ、番という存在がある。それは運命で定められた結ばれるべき相手だ。その番と結婚すれば、竜族は生涯幸せになれるという存在だ。
けれど、私はジャレッドの、番ではなかった。
それでも、私たちは恋人として日々を重ねていた。
「僕に、君が必要なんだ。だから、傍にいてくれないか」
「!」
私は、たまらず今度こそ、ジャレッドに抱きついた。
「喜んで! 愛しているわ、ジャレッド」
「僕も、コーデリアを愛してる」
このとき、私は、間違いなく幸せだった。幸せ、だったのだ。
私は、幼い頃に両親をなくし、家族と呼べる存在を知らないまま施設で育った。
そんな、私にもうすぐ、家族ができる。それも、愛する人が夫として。これ以上の幸せはない。
結婚式は、三ヶ月後に行おう、とジャレッドは、いった。ジャレッドは竜騎士団に所属しており、現在の仕事が落ち着くのが、三ヶ月後、らしい。
私は、きっと、三ヶ月間。指折り数えて待つのだろう。そんなことを考えながら、その日、私は幸せな夢を見た。
翌日。私も仕事を終えると、いつものように、噴水の前で、仕事終わりのジャレッドを待つ。ジャレッドの仕事が終わったら、一緒に私の家に帰って、夕飯を食べるのがここ最近の決まりだった。
ジャレッドは、まだだろうか。
そうおもいながら、昨日花束と一緒にもらった、婚約指輪をさする。これは、結婚の約束であり、昨日のことが夢じゃなかった証明だった。
そんなことを考えていると、ジャレッドがやって来た。
「ごめん、遅くなっちゃったね」
そういうジャレッドの息は荒い。急いで来てくれたのだろう。そういうところも、愛しく思いながら、首を振る。
「ううん、全然。じゃあ、家に、」
帰りましょう。と、いつものように、手を繋ごうとして、ジャレッドの手が固まっていることに気づく。
いや、手だけじゃない。ジャレッドが一点を見つめて、固まっていた。
「ジャレッド?」
蛇にでも睨まれたの? と冗談で笑おうとして、ジャレッドの視線の先を追う。
そこにいたのは、可憐な少女だった。まっすぐな銀色の髪に、そして、何より吸い込まれそうな藍色の瞳をしていた。
何だか嫌な予感がして、ジャレッドをゆする。
「ジャレッド、早く帰りましょう」
けれど、ジャレッドは、凍りついたように動かない。
可憐な少女は、そんなジャレッドとは対照的にこちらに駆けてくる。
そして、頬を染めながら、ジャレッドをみて、言ったのだ。
「ようやく、見つけました。……私の、番」
少女が、ジャレッドの手をとると、固まっていたジャレッドは金縛りからとけたようだった。
「……人違いだ。僕には、コーデリアがいる。行こう、コーデリア」
そういって、少女の手を振り払い、私の手をとり、その場から足早に立ち去ろうとする。そんな私たちを彼女は追いかけてきた。
そして、私たちの前に立ち塞がる。
「あなただって、感じたでしょう? 私たちは、運命だって」
「違う! 僕の愛する人は、コーデリアだ」
「そう、……恋人がいるのね」
私をいちべつしたあと、少女はふ、と微笑んだ。
「わかったわ」
それは、もうジャレッドに近づかないということなのか。そう判断しかねているうちに、少女は、人混みのなかに消えた。
それから、二人でどうやって家に帰ったのか、覚えていない。気づいたら、家にいて、いつものように食事をとっていた。一瞬、先程のことは夢だったのではないか、と思う。けれど、食事が終わった後、ジャレッドが私を抱き締めた。
「僕は、君を愛しているよ。愛して、いるんだ。疑わないで」
そういうジャレッドの声は、震えていた。やはり、さっきのことは、夢じゃなかったんだ。そして、彼女がいった番だということも。彼女の独りよがりではなく、ジャレッドも感じたのだろう。
「……私も、愛しているわ」
心に、暗い影が落ちる。その影から目をそらすように、私たちはきつく抱き合って眠った。
あの日のことは、まるで夢だったのではないかと思うほど数日間、穏やかな日々が過ぎた。
けれど、一緒に歩く度に、きつく握りしめられる手や、ジャレッドに抱き締められる回数が異常に増えたことが、夢ではないと告げていた。
そんな、ある日のこと。
どうやって調べたのか私の仕事場に『彼女』はやってきた。
「少し私とお話しませんか? コーデリアさん」
鈴を転がすような声で、彼女は言ったのだ。
ひとまず、休憩をもらい、手近な店に入ると、彼女は要件を切り出した。
「単刀直入にいいます。彼と、別れて」
潤んだ瞳で私を見つめる。私よりも身長が低い彼女は、必然的に上目遣いになる。元々整った顔立ちをしている彼女の、その表情はさぞ庇護欲をそそることだろう。きっと、ジャレッドも。
そう思ってから、首を振ってその考えを追い出す。ジャレッドは、私を愛している。それを、否定するような考えを私が持ってはいけない。
「それは、できません」
私もジャレッドを愛している。たとえ、私がジャレッドの番でなかったとしても。
「私は、彼の番なのよ。私とつがえば、絶対に彼は幸せになれる」
そうだろう。番とはそういうものなのだから。
「私が彼と二人で幸せになります。だから、別れません。では」
これ以上、彼女といたくなくて、席をたつ。
「──貴女はそう思っているかもしれないけれど、彼はどうかしらね?」
去り際に彼女がいった言葉が、私にまとわりつく。
その言葉を振りきるように、足早に、店を出た。
──貴女はそう思っているかもしれないけれど、彼はどうかしらね?
彼女の言葉がぐるぐると回る。
「コーデリア?」
ジャレッドに声をかけられて、はっとする。食事の手が止まっていた。
「何か、あったの」
真剣な瞳で尋ねてくるジャレッドに、首を振る。ジャレッドに、彼女の話題を出したくなかった。
「何でもないわ。ただ少し、ぼんやりしてただけ。──ジャレッドは、」
「うん」
私といて、幸せ? そう尋ねようとして、言葉を飲み込む。ジャレッドは、番でないと知りながら、私と付き合い、プロポーズまでしてくれたのだ。だから、だから、そんなこと聞きたくない。それに、もし、幸せじゃないと言われたら?
「コーデリア」
途中で言葉を切った私の手にジャレッドが、上に優しく手を重ねた。
「僕が、君を愛していることで、不安にさせていること、ちゃんとわかってるつもりだ。そして、その不安は、一生付きまとうことも」
ジャレッドと、結婚しても私がジャレッドの番でない事実は、消えない。
「それでも。僕は、君を離してあげられない。……ごめん」
「……ジャレッド。私だって、ジャレッドから離れる気はないわ。愛しているもの」
私たちは、運命に結ばれていない。けれど、その分日々を重ねてきた。その日々が消えることはないのだと。そして、その日々の証明がこの左の薬指の婚約指輪だ。
「式まで、あと二ヶ月と半月。楽しみね」
不安を振りきるように、明るい声を出すと、ジャレッドは安心したように、笑った。
「うん。すごく、楽しみだ」
■ □ ■
僕が、駐屯地で書類作業を行っていると、同僚が声をかけてきた。
「おい、ジャレッド。お前にお客さんだ」
騎士団に所属している騎士の一人として、呼ばれることはあっても、僕個人を訪ねてくる人は、少ない。誰だろう。
何だか、嫌な予感を抱えつつも、来客室へ向かう。
「……っ!」
扉のノブに触れようとして、手を反射的に離した。僕の意思とは無関係に、身体中の細胞がざわめく。この感覚を知っている。
「どうした、ジャレッド。客が中で待ってるぞ」
「悪いけど、忙しくて会えないと伝えてくれ」
扉から急いで、距離をとろうとしたとき、扉は、ひとりでに開いた。──いや、開かれたのだ。
そして、でてきたのは、
「どうして、避けるの? 私たちは、番なのに」
扉から出てきたのは、僕の番だという少女だった。
「……っ!」
距離を詰められ、後ずさると、その距離をさらに詰められる。
「貴方だって、感じているでしょう? 私を愛したいって」
吸い込まれそうな藍色の瞳と、強制的に目が合わせられる。
「……っあ」
すると、心とは裏腹に体が彼女に近づいた。
頭のなかが、ガンガンする。
愛したい、愛したい、愛したい、愛したい、愛したい、愛したい、愛したい、愛したい。
彼女のことしか、考えられなくなる。
彼女は、僕に手を伸ばした。白魚のようなその手に触れたい。
──違う! 僕が愛しているのは、コーデリアだ。目の前の少女ではない。
「やめてくれ!」
何とか、手を振り払うと、藍の瞳と目をそらすことができた。
すると、ようやく息ができる。肩で息をする僕に、隣にいた僕と同じ竜族の同僚が弾んだ声で聞いてくる。
「ジャレッド、その子は、まさか、番なのか?」
よかったなぁ、運命の相手が見つかって。
それが、通常であれば、祝福であるだろうその言葉を紡いだ同僚に、身勝手だとは感じながら、殺意を覚える。
──これが、運命? こんなのは、呪いだ。
目があっただけで、僕の意思とは無関係に、体が言うことを聞かなくなり、頭のなかが少女でいっぱいになった。
僕が愛しているのは、コーデリアだけだというのに。
「……僕は、君とどうにかなるつもりはない。帰ってくれ」
「……わかったわ。今日は、名前を覚えて欲しかっただけだから。私の名前は、シンディ、今度はそうよんでね」
そういって微笑むと、彼女は、来客室から出ていた。
「番を邪険に扱うなんて、正気か? 番と一緒になれば、幸せになれる。いや、番と一緒になることこそが、俺たち竜族の幸せだってのに」
彼女が去ったあと、同僚は訳がわからないといった表情をした。確か、この同僚は、番と結婚したはずだ。
「……僕は、コーデリア以外を愛するつもりはない」
僕が低い声でそう言うと、
「番以外なんて、所詮遊びだろ?」
なんて、あり得ないことを言った。あり得ない。僕とコーデリアが遊びだなんて、あり得ないが、竜族の大半の認識はそうだった。
「遊びじゃない! 結婚、するんだ」
番ではないかもしれない。でも、僕にとっての『運命』は、コーデリア以外ありえなかった。
「そうは言っても、ジャレッドにとっての『運命』が、彼女ではなかったように、彼女にも『運命』の相手がいる。それなのに、自分の欲望で彼女を縛り付けるつもりか? 本当に、彼女を大切に思うなら、別れた方がいい」
コーデリアに僕以外の相手がいる、だって? そんなことがあるはずない。僕にはコーデリアしかいないように、コーデリアにも僕だけのはずだ。
──そう思うのに、なぜだか、胸騒ぎがした。
「……早退する」
「そうだな、頭を冷やした方がいい」
上司に伝えといてやるよ、と言った同僚に形ばかりの感謝を述べると、僕は、駐屯地を飛び出し、コーデリアの元へと走った。
■ □ ■
今日は、いつもより早く仕事が終わった。噴水の前で、ジャレッドを待ちながら、今日の夕飯は何にしようか、なんてことを考えながら、ぼんやりと人混みに目をやる。
すると、ある一人の男性に目が止まった。ジャレッドの銀色の髪とは、反対の金色の髪をした男性だ。整った顔立ちをしている。けれど、ジャレッドの方がずっと、格好いい。なんて、失礼なことを思いながら、見つめていると、男性と目があった。
「!?」
菫色の瞳と目が合うと、目がそらせなくなった。
「……なんで、」
慌てて視線をそらそうとするけれども、体自体が思うように動かない。まるで、金縛りにあったみたいだ。
私が戸惑っていると、男性はなぜか、私の方へ近づいてくる。最初は、勘違いかと思ったが、彼は迷いのない足取りで私の目の前にやってくると、私の手をとった。
そして、蕩けるような笑みを浮かべて、言ったのだ。
「俺の、『運命』。やっと、見つけた」
「うん、めい……?」
手を振り払いたいのに、振り払えない。まるで私が、手を握られるのを望んでいるように、手に力が入らなかった。
「ああ、そうだ。俺の、番」
竜族の男性は、相変わらず蕩けるような笑みを浮かべている。
「私は、番じゃ、」
どう考えても、人違いだ。けれど、男性はより一層私の手を握る力を強くした。
「いいや、貴女だ。貴女も感じるだろう? 俺を愛したいと」
違う。私が愛しているのは、ただ一人。ジャレッドだけだ。けれど、菫色の瞳に見つめられると、体が言うことを聞かない。頭がぼんやりとして、目の前の男性のことで頭がいっぱいになる。
その体に触れたい。もっと、貴方を知りたい。貴方を愛したい。そして、私を愛してほしい。
「私は、あなたを愛──」
「──コーデリアから、離れろ!」
そんな私を現実に引き戻したのは、ジャレッドの声だった。ジャレッドが、私と男性を引き離す。ようやく、菫色の瞳から目をそらすことができ、体の感覚が元に戻る。
「……ジャレッド」
ジャレッドは、よほど急いできたのか、肩で息をしていた。
「コーデリア、早く、家に帰ろう」
そういって、私の手をひくジャレッドの体温に安堵を感じる。さっきの私は、おかしかった。一瞬でも、ジャレッドのことが、頭から飛ぶなんて。
けれど、男性が私たちの前に立ち塞がる。
「彼女は、俺の番だ。邪魔をしないでくれ」
「コーデリアは、僕の婚約者だ。君の番じゃない」
ジャレッドが、男性の視線を遮るように、私の前にたつ。
「お前も、竜族ならわかるだろう? 番を間違えるはずがない」
「……たとえ、番でなかったとしても。僕は、コーデリアを愛してる」
ジャレッドははっきりと言い切った。
それでも、男性は言葉を止めない。
「彼女は、俺と結ばれる運命にある。俺と一緒になるのが一番の幸せだ。それに、お前にもいるんだろう? 番が」
「っ!」
ジャレッドと同じ、銀の髪をした可憐な少女の姿が頭に浮かぶ。ジャレッドの番だと言っていた。そして、ジャレッド自身も番だと感じていた、少女。
押し黙るジャレッドに、男性は、憐れむような目を向けると、再び私の手をとり、その手の甲に口付けた。
「俺の運命。また、会おう」
そう言うと、彼は人混みのなかに消えた。
私たちは、一言も話すことなく、家に帰った。その代わりに、強く互いの手を握りしめて。
「……ジャレッド」
家に着いてから、ジャレッドの名前を呼ぶと、ジャレッドは、泣きそうな顔をしていた。
「……コーデリア」
ただひたすらに、私の名前を呼びながら抱き締めてくるジャレッドに答えるように、私もジャレッドの背に腕を回す。
「愛してる」
「私も、愛してるわ」
それなのに、どうして。私たちが運命でないというの。
ジャレッドの胸に顔を埋める。ジャレッドの熱が伝わって、溶けてしまいそうだ。それならいっそ、ジャレッドととけあって一つになってしまえば、もう不安なんて感じないのに。そう思いながら、目を閉じた。
■ □ ■
朝、目を覚ますと、コーデリアはまだ眠っていた。朝日に照らされて、その左の薬指の指輪は、鈍く光っている。それは、僕たちが運命でないと知りながら、日々を重ねてきた証明だった。
「……コーデリア」
コーデリア。僕の愛しいひと。名前を呼びながら、頬を撫でると、規則正しい寝息をたてていたコーデリアは、微睡みから目を覚ました。
「……ん、ジャレッド?」
僕を探して、さ迷わせた手をとり、口付けると、コーデリアはくすくすと笑った。
「くすぐったいわ」
その笑みに、胸がいっぱいになる。ああ、幸せだ。僕も、笑おうとして、なぜだか頬がひきつった。
「泣いてるの?」
そんな僕を心配して、コーデリアも体を起こして僕の頬を両手で包む。
「ちが、ないてな、」
君がいてくれて、こんなにも幸せなのに、泣く理由がない。けれど、気づけば、涙は僕の目から零れ落ちていた。慌てて、目元を拭えば、滲む視界にコーデリアが優しく笑っていた。
「……僕は、君から『幸せ』を奪おうとしている」
番と結婚したら、絶対に幸せになれる。そんな、おとぎ話みたいな、本当の話。僕にも、コーデリアにも番がいた。運命に結ばれた、愛すべき相手。
同僚に言われた言葉がぐるぐると回る。
──ジャレッドにとっての『運命』が、彼女ではなかったように、彼女にも『運命』の相手がいる。それなのに、自分の欲望で彼女を縛り付けるつもりか? 本当に、彼女を大切に思うなら、別れた方がいい。
この暖かくて、優しくて、何よりも愛しい手を離すべきだとわかっている。わかっているのに、僕は。
「ねぇ、ジャレッド。朝目覚めたら、貴方がいて。私、幸せなの」
コーデリアが、微笑む。今度こそ、僕も、笑えた。
「僕も、幸せだ」
そうだ。絶対の幸せなんて、いらない。幸せなら、もう、ここにあるのだから。
「──とても、酷いことを言ってもいい?」
「貴方が言うことで、残酷なことなんて今まで、一度もなかったわ」
コーデリアは、そう言って僕を抱き締めた。その熱を抱き締め返して、僕はとても酷いことをささやく。
「この街を、出よう」
■ □ ■
──この街を、出よう。
それは、私よりもジャレッドにとってとても酷なことだった。
「でも、ジャレッドにはこの街に家族が……」
友人はいても、家族がいない私と違って、この街にはジャレッドの家族もいる。
「僕は、コーデリアがいればいい」
迷いなく、言い切られた言葉に泣きそうになる。
「それよりも、君がせっかく今まで作ってきた絆を僕が絶ちきることの方が、心配だ」
苦しげに顔を歪めた、ジャレッドを安心させたくて、更に抱きつく。
「みんな、私たちのことをわかってくれているもの。だから、大丈夫」
番でない私がジャレッドと付き合うことになったとき、友人たちにとても反対された。けれど、最後にはみんなわかってくれたのだ。
「結婚式にすら呼べなくても?」
竜族は番のこととなると、時に手段を選ばないことがある。だから、行き先を友人にも教えられない。そうジャレッドが、言った。
「二人だけの結婚式なんて、それもそれで素敵ね」
たとえ参列者がいなくても、ジャレッドがいるなら、幸せな式になるに違いなかった。
「コーデリア、愛してる」
神妙な顔をして言ったジャレッドに、笑う。
「私も、ジャレッドを愛してる」
私たちは、不安を圧し殺すように、きつく、抱き合った。
──この街をでていくのは、一ヶ月後になった。元々、ジャレッドの仕事が落ち着くのは、あと二ヶ月かかると言われていたのに、ジャレッドが職場である騎士団に無理を言ったのだ。
理由を明かさぬまま、異動届けを出したジャレッドに、職場の竜人たちは首をかしげつつも、正しく処理してくれた。
あと、一ヶ月。一ヶ月さえ、乗りきれば、私たちは幸せになれる。そう信じて、私たちは、職場の引き継ぎを急いだ。
そんなある日のこと。
「コーデリア、お客さんよ」
相変わらず、引き継ぎ用の資料を作っていると、同僚から声をかけられた。なぜか、同僚は頬を染めて、私の肩を叩いた。
「あんな素敵な彼がいるなんて、知らなかったわ」
ジャレッドが、私の職場に? この職場では、ジャレッドのことを話していなかった。竜人の番も多いここで、番でない私が彼と付き合っていると、どうしても言えなかったからだ。ジャレッドも、そのことを了承してくれていたはず。
そう思いながら、首をかしげつつも、来客室へ向かう。ドアノブに手をかけて、反射的に手を離す。
「……っ!」
「どうしたの? 彼が、待っているわよ」
同僚は、不思議そうな顔をした。私はその質問には答えず、代わりに同僚に尋ねる。
「ねぇ、その『彼』の名前は、」
「あら、惚けちゃって。名前は──」
同僚が言葉を切ったところで、扉が自然に開いた。否、開かれたのだ。
「俺の名前は、カイル」
そう言って、とろりとした瞳で微笑んだのは、そう。
──その直前、私は思い出した。誰が言っていたのか、運命は、避けられないからこそ、運命なのだと。
私の意思とは反して、身体中が歓喜する。頭の中が、『彼』のことでいっぱいになる。
そして、彼は大輪の薔薇を差し出して、言ったのだ。
「迎えにきたよ、俺の運命」
「なん、で……」
辛うじて、言葉になったのは、疑問だった。なぜ、貴方がここにいるの。
「親切な、銀の髪の少女が教えてくれたんだ。コーデリアという女性は、ここで働いていると」
彼が、カイルがそう言って差し出した、薔薇の花束を受けとる。黄色い薔薇だった。薔薇は、好きだ。
そう思って、否定する。違う、私が好きなのは、ガーベラだ。誰だっただろう、緊張に震えながらガーベラの花束を差し出したのは。薔薇の甘い香りがまとわりつく。そこだけが、切り取られたように、思い出せない。
「何を考えている? 俺の番、俺だけを見て」
「……っあ」
とろりとした菫色の瞳で、微笑まれるとなにも考えられなくなる。そうだ、それでいい。本当に?
「まぁ、熱烈ね! お邪魔してもなんだから」
そう言って、去っていく同僚を引き留めようとして、その手をからめとられた。
「……俺の、俺だけの、運命。だから、これはいらないな」
左手の薬指に着けていた指輪が抜き取られそうになる。それは、私の、大切な──。
──コーデリア、僕と結婚してくれ。
そう言ってこの指輪をはめてくれたのは、誰だっただろうか。
──番じゃないかもしれない。でも、僕は君を愛してる。君以上に、愛しい人なんていない。
私に、そう言ってくれたのは。
そうだ、どうして、貴方を忘れられただろう。
「……ジャレッド」
一度その名を呟くと、後から後から愛しさが込み上げる。そうだ、私が愛しているのは、ジャレッドだ。
「やめて、下さい」
何とか目をそらすと、手を振り払う。危ない。もう少しで、私たちの日々の証明が失われるところだった。そんなことになったら、後悔してもしきれない。
「私は、貴方と一緒になることはできません」
「どうして? 俺たちは、こんなにも惹かれあっているのに」
そうかもしれない。だって、目が合うだけで、体の自由が聞かなくなる。頭の中が、カイルのことでいっぱいになる。でも、それでも。
「私は、ジャレッド以外を愛することは、ありません」
きっぱりと言い切った私に、カイルは哀れむような目をむけた。
「……可哀想な、俺の番。まだ、彼を信じているんだね」
「……え?」
「彼ならさっき、彼の番とこの街を出ていったよ」
「……うそよ」
ジャレッドが、私を置いて街を出るはずない。しかも、番の少女となんて。
「本当だ。俺も彼と同じ竜騎士団に所属していてね、最近この街に異動になったんだ。丁度、今日駐屯地で彼と彼の番を見かけた」
そう言って、カイルは甘く微笑んだ。
「可哀想な、俺だけの番。……すぐに忘れさせてあげる」
ジャレッドを忘れる必要なんてない。そう思うのに。甘い薔薇の香りが、まとわりつく。不安が、足元からはいよった。足元からじわじわと私を侵食していく。
「さぁ、俺の手をとって」
■ □ ■
今日は、朝から同僚たちの様子がおかしい。
「おめでとう、ジャレッド」
「? ありがとう?」
口々に皆祝福の言葉をかけてくる。おかしい。僕とコーデリアが、結婚することは黙っていたはずだ。ただ一人、番を名乗る少女が来たときに、一緒にいた同僚を除いて。
それとも、彼が言いふらしたのだろうか。疑問に思い、祝福の言葉をかけてきた、同僚の一人に尋ねる。
「僕が、結婚するとなぜ知っているんだ?」
すると、同僚は驚いた顔した。
「結婚するのか? まだ出会って間もないのに」
僕とコーデリアは、出会ってから大分時間が経っている。ということは、コーデリアのことじゃない。一体何のことだ?
「まぁ、でも運命なら当然か」
「っ!?」
運命? まさか。そう考えるよりも、先に体が反応する。身体中が喜びを叫ぶ。この感覚を知っている。
「来客室で、待っていたんだけど、遅いから出てきちゃった」
そう言って、鈴を転がすような声で、僕の前に現れたのは。僕の番を名乗る、少女だった。
目を合わせないよう、気を付けながら、少女に問う。
「なぜ、君がここに?」
「今度は、シンディって呼んでって言ったでしょう? ちゃんと呼んでくれないと答えないわ」
頬を膨らませながら、少女は言う。そんな表情も愛らしい、と思う。違う、僕が愛らしいと思うのは、コーデリアだけだ。
「……シンディ、答えてくれ」
なるべく平坦な声で彼女の名前を呼ぶと、彼女は嬉しそうに笑った。
「親切な、その人が教えてくれたの。貴方が、私がいるのにこの街を出るつもりだって」
そう言って、指差したのは、やはり、あのとき一緒にいた同僚だった。
僕が睨み付けると、慌てたように彼は弁解する。
「だって、番がいるのに、番以外と結婚するなんて、おかしいじゃないか! 俺は、ジャレッドのためを思って──」
「黙れ」
僕が低く唸ると、周囲に同調を求めた。
「番以外と結婚するなんて、おかしいよなぁ!?」
すると、僕と少女の様子に困惑していた同僚たちも、頷く。
「番以外なんて、あり得ないだろ」
「騙されているんじゃないのか?」
「ただの遊びだろ?」
口々に好き勝手なことを言う。僕たちは真剣以外の何物でもないというのに。
「それに、彼女にも番がいたみたいじゃない。コーデリア、という名前の女性を必死に探している竜人がいたから、彼女の職場を教えてあげたわ」
「……何だって?」
ということは、今頃コーデリアの元には。思わず、金髪の竜人がコーデリアの手をとっている様子を想像してしまい、吐き気がして、彼女から意識がそれる。
その瞬間を、彼女は見逃さなかった。
僕とその藍色の瞳と無理やり目を合わせると、僕に囁いた。
「ねぇ、街を出るなら、私を連れていって」
目が合うと、頭の中から、コーデリアのことが消えて、徐々に少女のことで侵食される。この子を、愛したい。愛して、僕のものにしたい。
「ねぇ、いいでしょう?」
少女は甘く囁く。その甘さに、蕩けそうになる。
「ぼく、は、君を、」
僕が、愛しているのは。本当に一緒にいたいと想うのは。
「──ジャレッド!」
強く、僕の名前を呼ぶ声に、現実に引き戻された。
「……コーデリア」
愛しい名前が、唇からこぼれ落ちる。
少女は、肩で息をしているコーデリアをみて呆然とした。
「どうして。貴女には、番がいるはずじゃ……! その番が貴女と共に街を出るって」
「だって、私は──、誰よりもジャレッドを、愛しているもの。誘いには、乗らなかったわ」
そうだ、僕も誰よりもコーデリアを愛している。僕たちは、運命に結ばれていないけれど、お互いを想う強さは、誰にも負けなかった。
かけてきたコーデリアの手を強く握りしめる。この熱を愛しく思った。
「申し訳ないけれど、僕は君を、シンディを愛することはできないし、一緒に街を出ていかない。僕は、コーデリアと共にこの街を出る」
僕がそう言うと、彼女は大粒の涙を流した。
「どうして!? どうしてなの、私たちは番なのに! 運命なのに!!」
「……すまない」
僕が深く頭を下げると、彼女は、低く呟いた。
「……よ! 貴方は、竜人として、欠陥品だわ」
そうかもしれない。本来なら、番を愛すべきなのに、僕は彼女を愛せないのだから。
「……すまない」
だから、僕はただ、謝るしかない。それが、精一杯の彼女にできることだった。
「貴方たちは、絶対に幸せになんてなれない! 精々、番を捨てたことを後悔すればいいんだわ!」
そう叫んだあと、少女は駐屯地を出ていった。
一ヶ月後。僕たちは予定通り、街を出た。
そして──。
「コーデリア、とても、綺麗だ」
純白のドレスを身に纏ったコーデリアに微笑む。
「ありがとう。ジャレッドも世界一格好いいわ」
そういって微笑み返したあと、コーデリアは続けた。
「私ね、ジャレッドの運命になりたかった。ずっと、そう思ってた。でもね、もういいの。私たちは、運命じゃないかもしれないけれど、その代わりに自分の『意思』を手にいれたから」
そうだ、僕たちは誰かに決められた訳じゃない。自分の意思でそれぞれを選んだ。
僕は、そう答える代わりに、愛しいコーデリアの唇に口付けた。
遠くで、僕たちを祝福するように、鐘がなる。たった二人だけの参列者もいない、結婚式。けれど、僕らは幸せだ。
「ジャレッド、お客さんよ」
僕の愛しい妻が、僕を呼ぶ。振り返ると、竜人の男性が、緊張した面持ちで、僕を見つめていた。
僕たちは、なるべくあの街から離れた場所を選んだにも関わらず、どこからもれたのか、僕たちが番でないという事実はあっという間に広がった。職場でも、竜人として欠陥品だと、迫害されることもあった。それでも、僕らは互いの手を離さなかった。すると、少しずつ、少しずつだけれど、僕らを理解してくれる人たちが、できた。
そう、例えば、こんな彼を筆頭に。
「俺、番じゃないけど、好きになった人がいるんです。それでも、幸せになれますか?」
心配そうな顔した彼に笑って、コーデリアを引き寄せた。
「その答えは、目の前に」
僕たちは、幸せだ。